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ありふれた職業で世界最強 作者:厨二好き/白米良

最終章

167/266

伸ばした手は、届かない

「加減はしないよ。大丈夫、後で、必ず生き返らせて上げるから」

 そんな言葉と共に、光輝が聖剣を突き出した。その瞬間、光系最上級攻撃魔法“神威”そのもので出来た光の竜――光竜から神威のブレスが放たれた。

 大気を焼き焦がす純白の光が螺旋を描きながら雫達へと急迫する。

 それを見て、鈴がエネルギーを散らす聖絶を発動しようと鉄扇を振るおうとした。

 だが、それを読んでいたように、一歩早く恵里が魔法を発動する。

「あはっ、“落識”ぃ!」
「――ッ」

 闇系魔法“落識”――ほんの数秒前までの記憶を一時的に封じる魔法だ。瞬く間の記憶ではあるが、それでも戦闘中に使われれば致命的な隙を生む厄介極まりない術。高等魔法であるから扱いは難しいはずだが、恵里は難なく扱えているようだ。

「チッ」

 障壁を張り損ねた鈴達に迫る死の光を前に、龍太郎が鈴を柔らかく吹き飛ばしながら、雫と共にその場を飛び退いた。

 直後、神威の咆哮が一瞬前まで雫達がいた場所に突き刺さり、廃ビルの床を貫通して建物全体を激しく振動させる。

 空中へ逃れた雫達へ、狙い澄ましたように屍獣兵が全方位から飛びかかった。

「刻め、――“爪閃”!」

 雫が、左右から大剣を振るってきた屍獣兵に“風爪”を発動しながら黒刀を抜刀する。一振りで、三つの剣線を刻む一撃は、しかし、屍獣兵の腕を切り裂いたものの、その胴体までは届かなかった。

 両断するつもりで放った一撃であっただけに、目を細める雫。その目には屍獣兵が纏っている赤黒い魔力が映っていた。

「“金剛”、ね」

 痛みなど感じていないというように、片腕を失いながらも持ち替えた腕で振るわれた屍獣兵の攻撃を、“空力”で宙を蹴って反転することでかわしながら雫は小さく呟いた。

 その近くでは、飛んできた無数の風の刃を自身の“金剛”で受け止める龍太郎の姿と、赤熱化した槍を光の花弁でいなしている鈴の姿があった。

 どうやら、屍獣兵は属性系の攻撃的な固有能力の他、防御系と回復系を使える者と一通り揃っているらしい。実にバリエーション豊かだ。この分だと、かつてのキメラのように姿を眩ませたり、魔法を吸収したり出来る屍獣兵もいるかもしれない。

 雫が屍獣兵の能力を警戒していると、突如、全身に悪寒が走った。本能が全力で警鐘を鳴らしている。雫は、咄嗟に“空力”に合わせて“無拍子”を発動し、その場から全力で飛び退いた。

 その瞬間、雫が離脱した空間を無数の光刃が通り過ぎた。光刃は、そのまま飛翔すると少し離れた場所にあった廃ビルの中腹を粉々に切り裂き、支えを失った廃ビルを轟音と共に倒壊させる。

 更に、雫は鳴り止まない警鐘に従って空中で身を捻ると見ることもせずに背後に向かって抜刀した。鞘走りで加速された黒刀が、ガキッ! と硬質な音と手応えを返してくる。

 そこには、聖剣で黒刀を受け止める光輝の姿があった。

「流石、雫。強いな」
「あんたは弱くなったわね。八重樫流の名折れだわ」
「……可哀想に。実力差も分からなくされてしまったのか。でも、大丈夫。雫は俺が守るからっ!」

 背後に背負う光竜のおかげか普通に空を飛べるらしい光輝が、空中で鍔迫り合いをしながら雫に微笑みを向ける。だが、返って来た辛辣な言葉に表情を歪めると見当外れな言葉を呟いた。

 同時に、光輝の背後から雫を睥睨していた光竜が、その顎門をガパリと開く。そして、ノータイムの神威が雫目掛けて超至近距離から放たれた。

「っ、“焦波”! “引天”!」

 雫は、鞘を光輝へと叩きつける。それにより発生した衝撃波が二人を強制的に引き離し、雫を僅かに射線から逸らした。だが、極太のレーザーの如き神威のブレスからは完全には逃げきれていない。

 なので、ほとんど同時に発動した黒刀の方の能力“引天”により、神威のブレスを刀身に引き寄せた。そして、刀身にブレスが接触した瞬間、手首と体の捻りを利用して圧力と衝撃を後方へと流す。

 八重樫流が刀術の一つ――“木葉舞い”。相手の攻撃を、刀身を利用して滑らせることで受け流す技だ。今回は、対象を刀身に引き寄せる能力である“引天”をも利用した応用技だ。ぶっつけ本番の試みだったが、見事に成功である。

 背後でまた一つ、神威によって建物が崩壊する音を聞きながら、雫は呆れたような眼差しを光輝へ送った。

「守る、ね。昔から、あんたは私にそう言っていたけれど、正直、守られたと思ったことは一度もないわ。今も、守るといいながら随分な攻撃を放ってくれるじゃない?」
「そうか……南雲の奴、記憶まで改竄したのか。雫は覚えていないだろうけど、俺はいつだって雫の隣で、雫を守っていたんだ。と言っても、今の雫には何を言っても無駄だと思うけどね」
「それは、全くもってこっちのセリフよ。その優顔に盛大な傷の一つでも付けたら、少しはマシになるかしらね」

 イラっときたように雫が額に青筋を浮かべる。その雫の背後に屍獣兵が回り込んだ。見れば、全員背中から赤黒い翼が生えており、空中戦も問題がないようだ。

 更に、光輝が聖剣を一振りすると、背後の光竜から無数の光が枝分かれし、小さな光竜を形作った。その数はおよそ三十体。

「雫、これで終わらせてもらうよ。流石に、この数の一斉攻撃は凌げないだろう? 痛いだろうけど、ちゃんと俺が介抱するから。安心して眠ってくれ」

 一方的にそう告げると、光輝は聖剣の鋒を雫へと向けた。直後、三十体の小光竜と屍獣兵が全方位から雫へ襲いかかった。逃げ場はなく、龍太郎は屍獣兵と光竜のブレスで近寄れない。

 咄嗟に、鈴が行動を起こそうとしたが、それを雫自身が“念話”で止めた。

『雫っ』
『大丈夫よ、鈴。この程度、どうにでもしてみせる!』

 その言葉が念話として鈴に届いた直後、雫が人影と光に呑み込まれた。

 それを見て光輝は沈痛そうに頭を振った。そして、皆を救うためならこの手を汚すことも、恨まれることも厭わない! とでも言いたげな、まるで悲劇のヒーローを気取るような決然とした表情で、次の標的と定めた龍太郎にその視線を向ける。

 その瞬間、

「悪いけど、彼以外の男に寝顔を見られるなんて真っ平御免よ。――“閃華”」
「ッ、ぐぁ!?」

 光輝の胸元が真一文字に切り裂かれ血飛沫が舞った。難攻不落の聖なる鎧のおかげで致命傷には及んでいないが、それでも十分なダメージだ。

 光輝は、雫が平然とした声音を発したことと、距離があるのに切り裂かれたことに瞠目しながら胸元を押さえつつ後ろに下がった。そして、それを発見する。

「か、刀が、飛んでる?」

 光輝が思わずといった様子で呟いた。

 その言葉通り、光輝の前には雫の黒刀と瓜二つの漆黒の刀が鋒を光輝に向けたまま宙に浮いていたのだ。

 では、雫は手ぶらのまま屍獣兵と小光竜に致命傷を与えられたのではないのか……光輝が険しい眼差しで球体状に群がられている雫に視線を向けた。

 すると、ズルリっと雫を囲んでいた屍獣兵や小光竜の体が斜めにずれて崩れ落ちていくという衝撃的な光景が目に入った。

 そして、ボロボロと地面に落ちるか霧散する敵の隙間から現れたのは……

 無数の黒刀を結界のように周囲に展開して、全ての攻撃を受け止めている雫の姿だった。

「断ち斬れ、――“全刃・閃華”!」

 雫が再び声を張り上げる。

 刹那、黒刀の結界が濃紺色に輝いたかと思うと、今度こそ全ての屍獣兵と小光竜が両断されてしまった。屍獣兵が地に落ち、小光竜が霧散する中、手に持つ黒刀を真っ直ぐ光輝へと向ける雫。

 すると、周囲の抜き身の黒刀が全て雫を中心に剣先を下に向けて整然と整列した。その数は計二十本。

 凛と背筋を伸ばして宙に立ち、漆黒の剣群を従えるその姿は、まるで絵物語の英雄のよう。ポニーテールにした美しい黒髪が靡き、強靭な意志の宿った静謐な瞳が光輝を射抜く。

 綺麗だ……光輝は、我知らず心の中で呟いた。場違いな、されど心奪われずにはいられない戦乙女の如き雫の姿にゴクリと生唾を呑み込む。

「――“意志示す刀群(リビングソードズ)”。この黒刀全てに私の魂を込めるわ。都合のいい夢に逃げ続ける光輝に、凌げるかしら?」
「し、雫……」

 静かな声音なのに、まるで物理的な衝撃でも叩きつけられたような錯覚に陥って、思わず声を詰まらせる光輝。今の雫には、魔力や身体的スペック差では推し量れない気迫が満ちていた。

「……僕の光輝くんに……何て生意気。やっぱり、雫は気に食わないなぁ!」

 恵里が表情を醜く歪めて雫に魔法を放とうとした。光輝が雫に見蕩れたことを敏感に察知したようだ。洗脳してなお、自分以外に心囚われるなど許せることではない。憎悪と嫉妬を爆発させて、雫の精神を掻き乱す魔法と共に屍獣兵を一斉に差し向けようとした。

 だが、そんな恵里の目に、まるで邪魔するように無数のヒラヒラとした影が映った。

 訝しみながら視線を巡らせる恵里。そして瞠目する。

「な、何? これ、蝶?」

 呟いた言葉は大正解。いつの間にかおびただしい数の蝶の群れが戦場に飛び交っていたのだ。

 その発生源は、双鉄扇を広げた鈴だ。鉄扇の持ち手側に付いた宝珠から次々と蝶の魔物を召喚している。周囲に展開した光の花弁と共に螺旋を描きながら、漆黒の羽に紅い紋様の入った黒紋蝶が天へと吹き上がっていく光景は、普段の鈴にはない妖しさと神秘性が綯交ぜになったような言葉に出来ない美しさがあった。

「最初の攻撃は凌いだよ、恵里? 今度はこっちのターン。もう鈴を無視させないよ」
「あはは、鈴如きが何を言って――」

 戦場に光の花弁と黒紋蝶が溢れる中、恵里の言葉を遮って、鈴は腰に下げていた別の召喚用アーティファクト――魔宝珠の一つに叫んだ。

「イナバさん! お願い!」
「きゅきゅう!」

 その瞬間、鈴の眼前に飛び出した白と紅のウサギは残像を残して姿を消し、刹那、恵里の背後に姿を現した。

 その余りの速度に恵里は反応できない。辛うじて、使徒を作り上げた技術を応用して強化された自身の肉体的スペックによって姿を捉えることが出来ただけだ。

 故に、大きく目を見開いた直後、

「ぁぐっ!?」

 蹴りウサギ“イナバ”の豪脚を受けて錐揉みしながら廃ビルに激突。そのままその廃ビルを貫通して数百メートルは吹き飛ばされた。攻撃を受ける寸前で、使徒と同様に魔力を纏って身体強化したようなので、今ので終わりということはないだろう。

「恵里っ! くそっ、鈴、君は親友に何てことをっ!」
「だからよぉ、いつまでも寝ぼけたこと言ってんじゃねぇよ!」

 光輝が、吹き飛ばされた恵里を見て声を張り上げる。そして、鈴を糾弾しようとして横合いからの衝撃に声を詰まらせた。

 ギリギリと軋む音を響かせながら、聖剣で龍太郎の拳を受け止める光輝。鍔迫り合いのように至近距離で睨み合う。

 光輝は、龍太郎から視線を逸らして恵里が吹き飛んだ方向をチラリと見ると、同時に光竜の尾と爪を龍太郎へ放った。

 龍太郎は光竜の尾と爪を認識しながら、避けようとはしなかった。代わりに、手に入れた神代の魔法を発動する。

「来たれ、鋼の鬼ぃ! “天魔転変”!」

 直後、龍太郎の体が淡緑色の魔力を帯びて変化する。ベキベキッと音を立てて全身の筋肉が上着をボロボロに引き千切りながら肥大化した。元々百九十センチメートルはあった身長も軽く二メートルを超えて、目元は釣り上がり、犬歯が伸びて剥き出しとなった。

 急激な龍太郎の変化に眼前の光輝が瞠目する中、振るわれた光の尾が龍太郎の背中を、爪が肩口を強襲する。

 だが、直撃した光竜の攻撃は龍太郎を血濡れにすることなく、ガキンッ! という生身では有り得ない硬質な音を響かせて受け止められてしまった。

「なっ、龍太郎、それはっ」
「くぅうう! 効くなぁ、おい! だが、耐えたぜ? 今度はこっちの番だぁ! “焦波”!!」
「ッ――」

 流石に、神威の化身である光竜の攻撃をまともに受けてノーダメージとはいかなかったようだが、それでも傷らしい傷もなく、文字通り鬼の形相で不敵に笑った龍太郎は鍔迫り合いをしている拳の籠手から莫大な衝撃波を放った。

 それは、魔力が変換された衝撃だけでなく、二回りは肥大化した筋肉の塊のような腕から繰り出された単純な膂力も加わって絶大な威力となり光輝を吹き飛ばした。

 声を詰まらせて吹き飛び、先程の恵里同様に反対側の廃ビルへと突っ込む光輝。

 屍獣兵が拳を突き出して残心する龍太郎を狙うが、それは高速で飛来した黒刀が蹴散らす。鬼と化した龍太郎の傍らに雫が来て、一通り龍太郎を眺めると口を開いた。

「上手く使えているみたいね。凄い迫力だわ」
「へへっ、まぁ、南雲のチートメイトのおかげってのもあるけどな。一人じゃ、ここまで簡単には使えねぇ」

 龍太郎は油断なく光輝が突っ込んだ廃ビルを睨みながら見た目に反して謙遜する。

 変成魔法“天魔転変”――魔石を媒体に自らの肉体を変成させて、使用した魔石の魔物の特性をその身に宿すという変成魔法としては少々特異な魔法である。

 龍太郎は変成魔法の適性自体はあったのだが、魔法の行使そのものを苦手としており(脳筋なので基本、殴る蹴るしかしてこなかったため)、奈落の魔物を短時間で従えることは出来なかった。

 そこで、色々と考えた龍太郎は、ティオの“竜化”にヒントを得て、脳筋らしくこういう結論に至った。

 すなわち、“従えられないなら、自分が従えたい魔物と同じになればいいんじゃね?”と。己の肉体については小さい頃から空手をしていたこともあって熟知していた龍太郎は、早速試してみた。

 結果、天魔転変という変成魔法は龍太郎と実に相性がよく、本来は変成魔法の中でも超高等魔法に分類されるのだが割と簡単に成功してしまったのである。

 もちろん、修練の時間もなかったので変化していられる時間は酷く短く、その効果もムラがあり変化を解いた後は強烈な反動もあって切り札中の切り札くらいにしか使えないものだったのだが、そこはハジメが解決した。

 それが、チートメイト――カルシウムなど人体に有害でない鉱物に変成魔法と昇華魔法を付与し、それを粉末状に錬成したものを混ぜた特殊な効果を持つ固形食料だ。これで肉体を一時的に変成に最適な状態へと変化させ、ついでに“限界突破”に近い強化をほどこして多大な負荷にも耐えられるようにしたのである。

 このチートメイト、一度服用すれば半日は効果が持続する上、使用後の副作用もないというハジメ会心の一品で、既に【神域】突入組は全員が服用している。雫が、脳の処理能力でも上げない限り不可能な、二十振りの刀の同時使用という離れ業ができたのも、この使い捨て食料型アーティファクトのおかげである。

 ちなみに、ネーミングはカロ〇ーメイトから。メイトの意味が“友”という話を信じるなら……割と酷いネーミングである。

 雫と龍太郎が軽口を叩き合いながら周囲の屍獣兵に視線を巡らせていると、不意に“念話”が届いた。

『雫、龍太郎くん。このまま二人を分断しよう。恵里は鈴に任せて。二人は光輝くんをお願い』
『鈴……大丈夫なのね?』
『うん。言いたいこと言って、聞きたいこと聞いて、それで、あの馬鹿をぶっ飛ばすよ』
『へっ、そりゃいい。……死ぬんじゃねぇぞ』
『そっちこそ、ね』

 遠くで、イナバを頭に乗せた鈴がサムズアップする。そして、くるりと踵を返すと屍獣兵の襲撃を捌きながら吹き飛んでいった恵里を追いかけていった。

 直後、

ドゴォオオオオオンッ!!

 と、轟音を響かせて雫と龍太郎の眼前の廃ビルが倒壊――否、内側から爆発したように弾け飛んだ。そこには恒星のように燦然と輝き、光竜と無数の小光竜を従えた光輝の姿があった。

 光輝は無言無表情だ。そのままスっと音もなく聖剣の鋒を雫達へと向ける。

「龍太郎!」
「応よっ!」

 流石に、ここまで共に戦ってきた戦友。阿吽の呼吸で散開すると示し合わせたように挟撃の体勢に入った。その後を神威の咆哮が通り過ぎる。

 余波だけでも凄まじい衝撃が体を叩く中、雫と龍太郎は、飛び出してくる小光竜と周囲から群がってくる屍獣兵を意識しながら大馬鹿者の幼馴染の元へと踏み込むのだった。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 廃ビルの谷間を、光の花弁と黒紋蝶、そしてイナバを従えて進む。

 恵里が吹き飛んでいった射線上のどこにも既に気配がないことを、敏感なウサミミを持つイナバが教えてくれたのだ。

 一瞬、光輝の救援に向かったのかとも思った鈴だったが、何となく恵里は自分を放置せずに向かってくると直感が囁いていた。

 なので、油断なく廃都市の廃ビルに囲まれた宙を移動しているのだが……屍獣兵もいつの間にか周囲から姿を消し、遠くで雫達の戦闘音が聞こえる以外は不気味な静けさに包まれた異様な空間に、鈴は知らず緊張の汗を垂らした。

「きゅう、きゅ」
「イナバさん……ありがとう。ちょっと緊張し過ぎだね」

 イナバから「鈴はん、緊張し過ぎや。ワイがおるんやから大船に乗ったつもりでドンと構えときぃ」と前足で額をペシペシされた鈴が少し頬を緩めて肩から力を抜いた。頭の上にモフっと乗っているイナバが、「それでええんや」と、腕を組みながらうむうむと頷いている。

 コミカルな仕草に鈴は更に頬を緩めた。

 その瞬間、鈴の頭上でイナバが上下反転する。そして、逆立ちの要領で鈴の髪をグシャっとしながら回転し、背後に向かって強烈な蹴りを放った。

 ズガンッ! と衝撃音を響かせて、イナバが受け止めたのは灰色に輝く剣。

「……本当、その気持ち悪いウサギは鬱陶しいね」
「恵里っ」

 そう、背後から鈴の不意を突いて剣を振るったのは恵里本人だった。肩越しに鈴が振り返れば、恵里の氷のように冷たく無機質な眼差しと目が合う。

 振るわれた剣はハジメ特性のアーティファクトである脚甲を装着したイナバの足に止められていたが、それがなければ鈴の頭に直撃コースだ。ギチギチと鍔迫り合う脚甲と剣の力強さを見れば、明らかに不意打ちで鈴を殺す気だったと分かる。

 イナバが更に体を捻った。鈴の頭の上でブレイクダンスのように回転し、逆の足で衝撃波を放つ。固有魔法“天歩”の派生“旋破”――蹴りから衝撃波を放つ能力だ。

 恵里は背中の灰翼をはためかせると空中で宙返りしながら、その衝撃波をかわした。

「変成魔法で魔物を進化させるには、それなりに時間がかかるって聞いてたんだけどなぁ。その魔物、ちょっと異常すぎない?」

 目を眇めながら恵里が不機嫌そうに尋ねる。

「まぁ、イナバさんは色々と特別だから。ほとんど素の能力だし」
「なにそれ、反則臭いなぁ~。でも、数の暴力には敵わないでしょ? 流石に、そのレベルの魔物を何匹も抱えているとは思えないしねぇ! ――“邪纏”!」

 恵里が暗黒球をイナバの眼前に出現させる。それにより、咄嗟に動こうとしたイナバの動きが一瞬だけ阻害された。

 そのタイミングで恵里が灰色の砲撃を放つ。分解能力が付与された凶悪な砲撃だ。更に、退路を塞ぐようにして廃ビルの中に潜んでいた屍獣兵が一斉に飛び出してきた。

「皆、お願い! ――“聖絶・界”!」

 鈴の号令で腰につけた魔宝珠から従魔達が飛び出す。体長十メートルはあるムカデが二体、黒に赤の縞模様がある体長一メートルのハチが十体、六本の鎌を持つカマキリが四体、赤黒い眼が八つも付いている体長四メートルはある蜘蛛が一体。鈴自慢(?)の虫軍団!

 眼前から迫る灰色の閃光を五十枚重ね掛けした聖絶で分解される端から補充しながら防ぎつつ、更に、光の花弁――“聖絶・桜花”を鉄扇の一つで操りながら従魔達を援護する。

 赤熱化する槍を振るった屍獣兵をミサイルバチが弾幕で迎え撃つ。秒間五発という連射を十体で一斉に行い、着弾する傍から爆炎の華を咲かせる。

 吹き飛ばされた屍獣兵は、廃ビルの壁に取り付いた鋼糸蜘蛛が廃ビルの谷間に張り巡らせた鋼糸の網にその身をバラバラに切り裂かれて止めを刺された。

 更に、ミサイル針の弾幕を潜り抜けて迫った屍兵達を風刃カマキリ達が、六本の鎌から繰り出す風の刃で切り刻む。

 防御の固有魔法を所持した屍獣兵が大盾で防ぎながら突進し、その影から“魔衝波”の能力を持った大剣使いが飛び出し、鈴の背後をとぐろを巻くようにして守っていた硫酸ムカデに振り下ろした。

 赤黒い波紋が広がると同時に凄絶な衝撃波が発生。その大剣を受けた溶解ムカデはあっさりと四散する。

 大剣と衝撃使いの屍獣兵が、飛び散るムカデの隙間を縫って鈴に肉薄しようとした。が、その瞬間、全方位から――正確には、周囲に飛び散ったムカデの欠片である体節から怒涛の溶解液が噴射される。

 全くの不意打ちで、スコールにでも遭遇したように全身を溶解液で濡らした大剣と衝撃使いの屍獣兵は盛大に白煙を上げて瞬く間に人から人体模型、スケルトンと転身していき、最後には塵も残さず溶けて消えてしまった。

 体節を十個に分裂させた溶解ムカデが仲間の従魔や主である鈴には掛からないように、まるでビット兵器の如く溶解液の噴射を行う。

 廃ビルの影から援軍が更に湧いてくる。しかし、飛び出そうとした瞬間、波打つ地面や壁から体長一メートル程の発達した顎門をギチギチと鳴らした土中アリが飛び出し、屍獣兵を噛み砕いては土中や壁の中へと引き込んでしまう。

 爆発するミサイルと恐ろしいまでの切れ味を誇る風刃の弾幕、それらの隙間を縫って的確に敵へと降り注ぐ溶解液の豪雨、徐々に包囲を狭める死線で編まれた蜘蛛の巣、近づいた瞬間、土中から奇襲を仕掛けてくるアリの群れ。

 人としての練度と技術に、魔物の強靭さと固有魔法を組み合わせて超人と化したはずの屍獣兵が冗談のように次々と殺られていく。

「ちょっ、冗談だよね!? なにその魔物っ! フリードだってそこまで進化させてるのは少ないのに!」

 思わず怒声を上げた恵里。灰色の砲撃も鈴の守りを突破できず、自分は強大な力を得たはずなのに! と苛立ちを募らせる。

 そして、砲撃を維持しながら灰色の羽を鈴の従魔達に、闇系魔法“落識”を鈴に仕掛けようとした。

 そこへ、

「きゅう!」
「っ!?」

 白いウサギが出現する。その真紅の瞳は、「よくもやってくれたなぁ、われぇ! どつき回したらぁ!」と言っているように剣呑に細められている。余りの速度に発生した残像がズララララーとイナバに重なると同時に、その豪脚が恵里に向かって放たれた。

 恵里は咄嗟に灰翼で防御するものの、凄まじい破壊力に堪えきることが出来ず吹き飛ばされる。

「きゅうぅうううう!!」
「このっ、獣の分際で、調子にっ」

 イナバが追撃を仕掛けた。ウサミミをなびかせ、空を蹴り付け、洗練された怒涛の脚撃が縦横無尽に振るわれる。上中下、高速の三段蹴りが閃光の如く襲ったかと思うと、側宙の要領で回転して遠心力をたっぷりと乗せた連続回し蹴りが炸裂する。

 パンッ! という乾いた音と共にイナバの蹴り足を中心として空気の壁と衝撃が発生した。能力によるものではなく、単純な蹴りの速度が音速を超えているのだ。

 その脚撃の嵐を剣技と使徒のスペックで辛うじて凌いでいく恵里。そう、恵里は卓越した剣技で直撃を辛うじて避けているのである。そのことに驚愕をあらわにする鈴の視線の先で、恵里が全身から分解の魔力を噴き上げた。

 堪らず、イナバが空中を蹴りながら鈴の傍らに戻ってくる。

「なんなの? 何で僕が押されているの? 使徒の体に変質させて、能力も手に入れて、屍獣兵も揃えて、王国最高の剣士を憑依させているのに、何で? 何で、僕がやられ役みたいに追い詰められなくちゃならないの? 相手はあの化け物じゃないんだよ? それなのに、何で? ねぇ、何で? 何で? 何で!?」

 イナバの攻撃を凌ぎ切ったというのに恵里の表情は醜く歪み、ヒステリックに「何で?」と繰り返しながら、片手で千切れるのではないかと思うほど髪を掻き毟っている。その姿は、思い通りにいかない現実に駄々を捏ねる子供と片付けるには少々、狂気的な色を纏い過ぎているようだった。

 そんな狂ったように「何で?」と叫び続ける恵里に、鈴は凪いだ水面のように静かな瞳と声音を向けた。

「決まってるよ。鈴が、恵里とお話したかったから」
「は?」

 鈴の言葉に、言葉を止めて間抜けな声を漏らす恵里。その表情は、意味がわからないというように呆けている。

「恵里は鈴を取るに足りない相手と思っていたからね。頑張って鍛えて来たんだよ。無視できないようにするために。まぁ、南雲くんの手助けがあってこそって感じだったから情けないけどね」
「……へぇ。で? 罵倒でもしたいわけ? 今度は僕を這い蹲らせて、嘲笑いながら罵りたいんだ? 鈴ってば、そんなことの為に必死になっちゃったんだ? 随分といい感じに歪んできてるねぇ~。いいよぉ? 好きに罵ってみればぁ? 聞いてあげるよぉ?」

 鈴の心の内を推測し、嘲笑を浮かべる恵里。復讐の為という浅ましい行為に、鈴の底を見た気がして余裕を取り戻したようだ。

 だが、そんな恵里に鈴の表情は少しも揺らがない。真っ直ぐに恵里を見たまま、やはり静かに話し出す。

「罵倒? 嘲笑う? まさか。そんなこと出来るわけないよ。だって……恵里を利用していたのは鈴も同じだから」
「……どういう意味ぃ?」

 恵里が片目を眇めて首を傾げる。どうやら鈴の話に興味を持ったらしい。屍獣兵達も今は、鈴を取り囲むだけで襲う気はないようだ。

「恵里の言う通り、鈴はヘラヘラ笑って馬鹿丸出しにして、広く浅い、だけど誰にも嫌われない――そんな生き方をしてきたよ。一人は嫌だったから。寂しいのには耐えられないから。いつだって人の輪の中にいたかったから」
「まぁ、鈴はそうだよねぇ」
「うん。そんな鈴だから、“親友”という存在は必要だったし、有り難かった。だって、誰にも嫌われない子って、言い方を変えればただの八方美人だもんね。誰にでも公平で平等だなんて、それだけで異端だよ。だから、鈴には贔屓をする存在が必要だった。鈴も、そんな異端じゃなくて、特別仲の良い子がいる普通の子なんだって周囲に知らせる為に」
「ふぅ~ん。で? それが僕だったってこと?」
「うん。もちろん、そんな考えを意識して恵里と親友していたわけじゃないけどね。今、振り返ればそうだったんだって思う。……オルクスでピンチになった時、雫と香織が最後を共にしようとしたでしょ? あの時、確信したんだ。あぁ、鈴と恵里は違うなぁって。必死に気がつかないふりをしていたけどね」
「……で? 何が言いたいの?」

 独白じみた鈴の言葉に、恵里が少々苛立ったような声音で尋ねた。それに対し、鈴は恵里を真っ直ぐに見たあとスっと頭を下げた。

「……なに?」
「ごめんなさい、恵里。恵里は鈴を便利な道具だって言ったけど、鈴はそれにショックを受ける資格すら無かった。鈴も恵里と変わらない。恵里を便利な道具扱いしてたから」
「……あのねぇ。そんなクソどうでもいいことを言いにここまで来たわけ? 僕が、そんなこと気にしているとでも思ったの? だとしたら、君の頭は虫が沸いていると言わざるを得ないねぇ。光輝くんを手に入れた以上、鈴なんて路傍の石程にも価値がないんだけどぉ?」

 心底くだらないことを聞いたと言いたげに目元を歪める恵里に、しかし、鈴はニッコリと笑いながら返した。

「うん、知ってる。これはただの自己満足。鈴が謝ってスッキリしたかっただけ」
「随分とふてぶてしくなったねぇ。話ってこれだけ?」
「ううん。まだ聞きたいことがあるよ。ねぇ、恵里。恵里はどうして光輝くんを好きなったの?」
「はぁ?」

 場違いにも程があるガールズトークを向けられて恵里が素っ頓狂な声を上げる。そんな恵里にはお構いなしに鈴は質問を重ねた。

「昔から恵里に何となくシンパシーを感じていたんだけど、やっぱりお家に問題あったりする? 鈴の家にはよく遊びに来てたけど、恵里の家には一度もお邪魔させてもらえなかったから家に居づらかったのかなって。お父さんとお母さんの話もさり気なく避けてたよね? ご両親とは仲が悪い? もしかして、光輝くんとはその辺りのことで悩んでいる時に助けて貰ったとか?」

 怒涛の如く押し寄せる地雷原の上でタップダンスを踊るかのような質問の嵐。恵里の心の原風景とも言うべき暗がりへ土足でズカズカと踏み込む。しかも、質問が微妙に的を射ているから質が悪い。

 ついさっきまで己の過去を振り返っていた恵里からすれば、まるでそれを知っていて敢えてぐりぐりと記憶をほじくり返されるような気分だった。

 なので、恵里の返答は無言の砲撃だった。灰色の閃光が容赦なく最短距離で鈴を襲う。それを、ニッコリと笑いながら“聖絶・界”によって正面から防ぐ鈴。屍獣兵も再度動き出すが、それは従魔達が完璧に対応する。

「ねぇ、教えてよ、恵里。鈴は恵里のことが知りたいんだ。今まで、親友って言いながら何一つ踏み込まなかった分、今、知りたい」
「これまた随分と性格が悪くなったねぇ、鈴ぅ? 僕に裏切られたショックで歪んじゃったぁ?」
「誤魔化さないでよ。ほら、教えて? 恵里のこと。何があったの? どうして歪んじゃったの? どんな気持ちで光輝くんを見てたの? お願い、教えて?」
「あぁ、もうっ、ウザったいなぁ!」

 分解速度と同等の速度で次々と障壁を張り続ける鈴が、障壁と閃光の隙間から真っ直ぐに恵里へと視線を突き刺す。その瞳には嘲笑も侮蔑もなく、ただただ恵里を知りたいという誠意が宿っていた。

 そんな眼差しを向けられて、更に苛立つ恵里。自分でも意外なほどに心を掻き乱される。その苛立ちのままに魔法を行使する。

「――“無法”!」

 闇系魔法“無法”――対象の魔法行使におけるイメージ補完を阻害する魔法だ。

 分解能力と拮抗するほどの障壁展開速度を保てていたのは、鈴のイメージ補完による魔法発動の省略があったから。従って、それに干渉を受ければ、当然、障壁の展開速度は落ちる――はずだった。

「なんでっ!?」

 恵里の驚愕の声が響き渡る。その大きく見開かられた視線の先では、相変わらず鈴が障壁を張り続けていた。先程と同等の速度で。

「っ、イメージ補完に干渉しているんだね。おかげで余裕がなくなっちゃったよ」
「まさか……さっきまでの障壁展開も本気じゃなかったって言うのぉ!?」
「うん。鈴は結界師だからね。守りに関しては誰にも負けない。といっても、南雲くんのアーティファクトの助けがあるからだし、これが本当の使徒の砲撃だったら、こうも言っていられないけどね」

 鈴は目を眇めて「カオリンの砲撃は受け止めきれなかったからね」と呟きながら恵里を見る。

「恵里の体。確かに使徒の力を使えるみたいだけど、香織みたいに完全とはいかないんじゃないかな? 二割……ううん、三割はスペックが落ちてるみたい。経験トレースも使えないんだね。さっきの剣技は、降霊術でメルドさんを降ろしたのかな? 騎士の剣術で最高峰と言えば、あの人しか思いつかないもんね」
「っ、調子に乗るな!」

 次々と分析した結果を告げられた挙句、それが全て的を射ていたことから何もかも見透かされている気がして怒声をあげる恵里。その表情には既に当初の余裕と嘲笑に満ちた色はなく、ただ気に食わない相手を一刻でも早く消し飛ばしたいという余裕のなさがあらわれていた。

「恵里、鈴はもう目を逸らさないよ。もう、大事なことを見逃して何も出来ないまま失うのは嫌だから。何も知らないままは嫌だから。だから、お願い。恵里のことを教えて」
「さっきから教えて、教えて、うるさいよ! そんなもん今更知ってどうする気かなぁ!? 弱みでも握った気になって精神的に攻めようってことぉ!?」

 恵里が灰翼からおびただしい数の灰羽を放った。砲撃を迂回して上下左右から攻撃を仕掛け均衡を崩すつもりなのだ。屍獣兵が鈴の従魔による鉄壁の布陣に阻まれて鈴に近寄れない以上、自分で何とかするしかない。攻撃力に勝る光輝と引き離されたのが悔やまれる。

 だが、その恵里の目論見はやはり、鈴によって潰されてしまった。障壁の向こう側で、鈴が鉄扇を優雅に振るう。すると、周囲からザァアアアアと音を立てて光の花弁が集まり、鈴の周りで螺旋を描いた。

 そして、飛来する灰羽の尽くを巻き込んで相殺していく。消された花弁は、しかし、直ぐさま補充されて一向に減る気配がない。

 鈴は何事もなかったかのように恵里へ言葉を送る。

「違うよ。鈴はね。恵里のことを知りたい。知って、ちゃんと見て、感じて、考えて………………もう一度、友達になりたいんだ」
「――なに言ってんの?」

 恵里の砲撃が思わず弱まる。灰羽の攻撃もあらぬ方向へ飛んでいってしまった。それくらい、恵里にとって鈴の言葉は意味不明で予想の斜め上を行くぶっ飛んだものだった。

 それもそうだろう。あれだけこっぴどく裏切って、大勢の人間を殺して、その後も、今も殺そうとしている相手に、“友達になりたい”など頭がどうかしているとしか思えない。これが鈴流の精神攻撃なら、ある意味効果的であったと言えるだろう。あくまで、意表を突くという意味でだが。

 そんな恵里に鈴は続ける。声音は力強く、見つめる瞳はどこまでも澄んでいる。

「おかしいかな? うん、おかしいね。恵里は酷いことしたわけだし。今も鈴を殺そうとしているわけだし」
「……なに、やっぱりおかしくなったの?」
「ううん、正気だよ。自分でもおかしいかなって思うけど、偽らざる本心なんだ。だって、鈴は覚えてるから」
「覚えてる?」
「うん。恵里の笑顔」

 その言葉に、恵里は益々わけが分からないといった表情になった。

「恵里はいつも控えめに一歩引いて微笑んでる子だったけど、今ならそれが偽りの笑みだったってわかる。でも、でもね。恵里が鈴の家にお泊りに来たときとか、放課後の帰り道をおしゃべりしながら二人でのんびり帰っているときとか、休日に特に何もすることがなくて近くの公園で二人してダレているときにね、ふと見せる気怠そうな笑みとか、ちょっと皮肉気な笑みとか、鈴に向ける呆れたような、でもちょっと楽しそうな笑みとか、そういうのも覚えてるんだ」
「……」
「あれはきっと、“演じてる恵里”が見せちゃいけない笑顔だったんじゃないかな? 他の人には見せない、あの笑顔が本当の恵里の欠片じゃなかったのかな? 恵里は鈴といるときだけ、ほんのちょっぴり心を休めてくれてたんじゃないかな? 鈴はね、そう思うんだ」

 恵里は無言だ。その瞳は前髪に隠れて見えない。閃光が作り出す陰影が恵里の表情をも隠している。

 鈴の言葉が響く。嫌われることを恐れて踏み込まない鈴はもういない。たとえ、欲したものが遠ざかる危険を犯してでも、一歩を踏み込む。いつだってリスクの先にこそ、本当に欲しいものはあるのだと学んだから。

「恵里、戻って来て。光輝くんと一緒に。世界に二人だけなんて悲しいよ。鈴は、恵里と一緒にいたい。これからもずっと一緒がいい。今度こそ、本当の親友になりたい」
「……」

 鈴は鉄扇の一つをパチンッと閉じて腰に戻した。いつの間にか、灰羽の攻撃は止んでおり、光の花弁を操る必要がなかったのだ。そして、そのまま空いた手を真っ直ぐに恵里へ差し伸べた。

「この手を取ってくれるなら、誰にも恵里を傷つけさせない。誰に何を言われても、例え、南雲くんが相手でも、恵里は鈴が守ってみせる!」

 灰色の砲撃が徐々に勢いを失っていく。やがて、か細い糸のようになって、そのまま虚空へと溶けるように消えていった。

 鈴もまた障壁を消す。その周囲では従魔達が大人しく待機していた。屍獣兵も動きを止めているのだ。

 話が通じた。もしかしたら心も……そう思って鈴の頬が僅かに綻ぶ。

 その鈴の視線の先で、恵里がスっと顔を上げた。その瞳に映るのは熱と喜びの色――などではなく、どこまでも侮蔑に満ちた氷の如き冷たさだった。

 そして、その言葉も。

「ばっかじゃないの?」
「――っ」

 鈴の緩みかけた頬が一瞬で強張る。直後、天空に灰色に輝く巨大な魔法陣が出現した。

 恵里の灰羽の攻撃は、ただ鈴の障壁を迂回して攻撃する為だけの意図で出されたものではなかったのだ。こっそり、どさくさに紛れて灰羽を上空に飛ばし、鈴の話に付き合って時間稼ぎまでして灰羽による巨大な魔法陣を作り出したのである。

 その魔法陣は灰色に輝きながらも内からドス黒い瘴気を吹き出した。その有様は、【神山】上空に出現した空間の亀裂そっくりだ。

 鈴が抱いた、その既視感が正解だったことは直ぐに示された。やはり、空間の亀裂と同様に大量の魔物が現れたのだ。恵里が作り出したのは召喚の魔法陣だったらしい。

「戯言はもういいよね? 一体何を話すのかと思えば……鈴って本当に馬鹿丸出しだねぇ? たっぷり時間稼ぎしてくれてありがとうぉ~。それじゃあ、魔物の波に呑まれて死んじゃおっか?」
「……」

 今度は鈴が無言となる側だった。空からは、飛行系や空中戦が可能な魔物が続々と現れている。まだ屍獣兵の数も七十人程残っている。

 対して、鈴の従魔はミサイルハチが三体、風刃カマキリが一体、死んではいないものの戦闘続行は不可能な程の重傷を負っており僅かとはいえ戦力を低下させている。

 イナバがいくら強くても数の暴力の前では時間の問題だろう。

 そして、遠くでは未だに激しい戦闘音が響いており、雫と龍太郎が鈴の救援に来られる可能性は著しく低かった。

 なので、恵里は愉悦に表情を歪める。確かに、鈴の実力には冷や汗を掻いたが蓋を開けてみれば自分の説得という無駄な時間を過ごして逆転の手を打たせてしまっていることに嗤いが込み上げてしまう。「本当に馬鹿な奴」と、口の中でもう一度呟く。

「一応? し・ん・ゆ・う・だし? 遺言くらいは聞いてあげるよ?」

 おびただしい数の魔物が上空を覆い、曇天のように戦場を暗闇に落とす中、恵里が剣を振り上げて、そんなことを言った。おそらく、その剣が振り下ろされたとき、一斉攻撃が始まるのだろう。

 対して、心は通じず、絶体絶命へと陥った鈴はというと、

「恵里。鈴を舐めすぎだよ。――イナバさん! 魔法陣をお願い!」
「きゅきゅう!」

 一度は腰に収めた鉄扇を引き抜くと、全て覚悟していたことだとでも言うように、焦燥も動揺もなく立ち向かう意志を瞳に込めて恵里を真っ直ぐに見返した。

 その余りに強い眼差しに思わず一歩後退った恵里は、そんな自分に気が付いて歯噛みする。そして、もう下らないやり取りは御免だと、死神の鎌に等しい己の剣を振り下ろした。

 その瞬間、上空の魔物と屍獣兵が一斉に襲いかかる。

 ただし、屍獣兵は魔物に向かって。

「なっ、何がっ。命令はちゃんと届いてるのにっ!」

 突然同士打ちを始めた屍獣兵と魔物達に、恵里が混乱を声音に乗せて怒声を上げる。恵里の命令は確かに阻害されることもなくきちんと屍獣兵に届いていた。なのに、彼等は標的だけを違えて魔物に襲いかかっているのだ。

 混乱する恵里に答えをもたらしたのは鈴本人だった。

「鈴の黒紋蝶――何の為に飛ばしていたと思ってるの?」
「ま、まさか……」
「やっと気がついた? この子達はね、いろんな特性の鱗粉を撒くことが出来るんだよ。屍獣兵も十分に浴びたみたいだね。今、彼等は魔物が鈴や鈴の従魔達に見えているはずだよ」

 恵里は舌打ちしたい気分だった。どうやら、鈴の方が遥かに用意周到だったらしい。

 更に、その時、ダメ押しのように破砕音が響き渡った。上空を見れば、召喚陣の一部が吹き飛ばされている。そこにいるのは、蹴り足を振り抜いた姿勢のイナバだ。上空を埋め尽くす魔物の隙間を高速で潜り抜け魔法陣を破壊したのである。

 元は対魔物戦のエキスパートでもある王国の騎士・兵士達である屍獣兵が、更にスペックを冗談のように上げているので召喚された魔物達は次々と討ち取られていった。

 そこには、当然、鈴の従魔達もおり、負傷した従魔達も、黒紋蝶の幻覚により彼等が味方に見えている回復能力持ちの屍獣兵が癒して戦列に復帰させた為、もはや上空の魔物は完全に狩られる側に成り果てた。

 恵里は歯噛みしながら、魔物達に黒紋蝶の始末を優先させる。忠実な魔物達は戦場をヒラヒラと舞う黒紋蝶へ向かって一斉に飛びかかった。

 その瞬間、

ドォオオン!! ドォオオン!! ドォオオン!!

 と、廃都市の空に次々と爆炎の華が咲いた。黒紋蝶に触れた瞬間、それらが一斉に爆発したのだ。

 唖然とする恵里に鈴の声が響く。

「合計百匹近い蝶の魔物を本当に全部従えていると思ったの? たった三日程度なのに?」
「……偽物でもいるってことかな?」
「うん。半分以上は南雲くんお手製の蝶型ゴーレムだよ。鱗粉の代わりに燃焼粉を大量に抱え込んでいる、ね。極小の宝物庫とはいえ、ダイナマイトなんて比じゃないくらいの火薬が詰め込まれているらしいよ。怖いよね」

 恵里が目を細める。見れば、いつの間にか屍獣兵の全ての頭部や背中に黒紋蝶がへばりついていた。それが何の為かなど誰にでも分かる。屍獣兵が魔物を駆逐し魔物が数を減らせば、それが同時に屍獣兵達の死のカウントダウンになるのだ。

「……詰んだってこと? こんなところで? あははっ、おかしいぃねぇ~。僕の計画を壊すのが、まさか鈴だなんて。あのまま這い蹲っていれば良かったのに。これも、あの化け物のせいかなぁ」
「南雲くんの影響がないとは言えないかな。でも、ここにいるのは紛れもなく鈴の意志だよ。放っておけば恵里は南雲くんに殺されちゃうと思ったからね」
「なに? 助けてあげたとでも言うつもりかな?」
「うん。恵里を助ける為に来たんだよ。恵里ともう一度やり直したいから」
「……もう、いい」

 恵里は再び押し黙った。だが、先程までと異なり、それは一瞬。直後、闇系魔法“落識”を鈴に発動すると同時に鈴へと飛びかかった。一直線に、その瞳に殺意を乗せて。

 まるで、殺すか殺されるか、二つに一つしかないのだと言うように。鈴の言葉など戯言だと切って捨てるかのように。今更、その手を取るなど有り得ないのだと明言するかのように。

「あぁあああああああっ!! 死ねよぉおおおおおおっ!!」

 普段にない絶叫を響かせて特攻してくる恵里に、鈴はギュッと唇を噛んだ。伝わらない。伝えきれない。もどかしい。悔しい。伸ばしたこの手が――届かない。

「どうして、こんなことになったんだろう……何て言葉は、きっと言っちゃダメなんだよね」

 泣き笑いのような表情になった鈴は、唇を噛み切り血を滴らせながら鉄扇を薙いだ。

 その瞬間、突進してきた恵里を包み込むように障壁が展開される。当然、恵里は分解能力をもって直ぐに切り裂くが一瞬の停滞を余儀なくされた。それは、強制的に作られた致命の隙だ。

 恵里が障壁を破壊した瞬間、もう一方の鉄扇に操られた光の花弁が恵里に殺到し包み込んだ。恵里は、灰翼や砲撃、剣で振り払おうとするが、光の花弁は風にそよぐ木の葉のように、あるいはゆるりと流れる川の水のように、宙を泳いでかわしてしてしまう。

 そして、その直後、

「全てを光の中に、――“聖絶・光散華”」

 光が爆ぜた。

 光の花弁が全て連鎖的に爆発したのだ。“聖絶・桜花”と“聖絶・爆”の合わせ技。逃げ場のない花吹雪で包囲して、余すことのない衝撃を内側へと解き放つ。

 それに合わせたかのようなタイミングで、戦場に更なる轟音が連続して鳴り響いた。その爆音と共に、盛大な炎と衝撃の華がいくつも廃都市の空に咲き誇る。魔物を倒し終えた屍獣兵達が、黒紋蝶のダミーゴーレムの自爆に巻き込まれて爆殺されたのだ。

 いくつもの爆炎に彩られてオレンジに染まる鈴。その頭に、モフッとイナバが落ちてきた。イナバは、そのもふもふの前足で鈴の額を労わるようにペシペシと叩く。

 光の焔の中から、ボバッと音を立てて人影が落ちてきた。全身から白煙を上げて地に落ちるのは恵里だ。四肢はおかしな方向に折れ曲がり、灰翼は既に散っている。魔力的衝撃波も合わせた爆発なので魔力も根こそぎ吹き飛ばされたはずだ。

 鈴は、さっと鉄扇を一振りする。

「――“光輪”」

 すると、恵里の落下ポイントに光の輪が無数に連なった網が出現した。それに恵里は受け止められて地面に降ろされる。

 鈴はイナバを伴って恵里の傍らへと降り立った。

「かはっ、ごほっ……………殺し、なよ」

 どうやら辛うじて意識を保ったようだ。恵里は空虚な瞳を鈴に向けることもなく、遠くを見つめるようにして止めを要求した。

「恵里……」
「とも、だち? ありえ、ない……死んだ、方が……まし」
「……」

 嘲笑も侮蔑もない。鈴など見えていないかのように話す恵里に、鈴はギュッと唇を噛み締めた。

「何もかも、最低、だよ。……僕は、ただ……」
「恵里? ただ……なに? 教えて」
「……」

 途中で止められた言葉は、恵里にとっても思わず零れ落ちた言葉だったのか。鈴が尋ねても、もう口を開こうとはしなかった。恵里の体から命が零れ落ちていく様が分かる。使徒創造の技術を応用された肉体とはいえ、鈴の切り札でもある“聖絶・光散華”の威力は半端ではない。何もしなければ、このまま果てるだけだろう。

 鈴は、“宝物庫Ⅱ”から試験管型の容器を取り出した。中身は回復薬。ハジメの変成魔法により効果を劇的に高められたもので、最高級回復薬の十倍近い効果がある。神水のように直ぐに全快となることはないが、たとえ瀕死状態でも命を繋ぐことくらいは可能だ。

 だが、鈴が取り出したそれを見て何であるかを察した恵里は、果てる寸前と思えないほど苛烈な眼差しで鈴を貫く。言葉はない。だが、その瞳が何より雄弁に物語っていた。鈴からの情けなど死んでも御免だ、と。

 回復薬を握り締めて、これが自分達の結末なのかと歯噛みする鈴。半ば分かっていたことではある。それでも、やはり心は締め付けられる。

 だが、半端はできない。心を届けられなかったのだ。自分は届かなかったのだ。ここで半端に生かすことは出来ない。恵里を生かして連れ帰る道は力尽くではなく、あくまで心を繋げて、その手を引いてやらなければならないことだ。ここで鈴が半端をすれば、あの日の惨劇が再び繰り返されることになる。

 それだけは、もう絶対に出来ない。都合のいい未来の盲信、現実から目を逸らした願い、それがどんな結末に繋がるのか鈴は骨身に染みて理解したのだから。

 ならば、せめて誰の手でもなく、自分の手で。

 それが鈴の覚悟。

 かつて歪で不完全だったとはいえ親友だったから。そして今も、親友になりたいと願えているから、だから……

 鈴が回復薬を仕舞う。そして、代わりにその手に鉄扇を握り締めた。

 鈴と恵里の視線が交差する。

 と、その時、不意に、いくつかの廃ビルの谷間を挟んだ離れた場所から凄まじい魔力が噴き上がった。天を衝く純白の魔力は、やがて形を体長十メートルはある人型に変え、その巨人の腕を眼下に振り下ろした。

 凄まじい衝撃が鈴達のいる場所まで伝播してくる。

「……光輝、くん」

 恵里が目を見開いて呟いた。

 その直後、光の巨人が霧散した。それはまるで、術者の末路を示しているようで……

「光輝、くん……光輝くん!!」
「え、恵里っ!?」

 死に体だったはずの恵里の体が一瞬、灰色に輝く。

 そして、次の瞬間には、明滅する翼とボロボロの体をそのままに、光の巨人が見えた場所目掛けて凄まじい勢いで飛んでいってしまった。

 唖然としてしまい咄嗟に動けなかった鈴も、ハッと我に返ると急いで恵里を追いかけた。



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次回の更新も、土曜日の18時の予定です。
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