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ありふれた職業で世界最強 作者:厨二好き/白米良

最終章

160/279

神よりタチの悪い扇動家

 暗い水底にたゆたうような感覚が、徐々に鮮明になっていく。閉じた目蓋の裏側に淡い光が見え始め、静寂に浸っていた耳はノイズを捉え始めた。

「――パ――しな――パ」
「ハジ――っ」
「目を――、ハジメ――」

 なにやら必死さを感じる複数の声音に、自然と、ハジメの意識が震え出す。凄まじい倦怠感に、「あと五年」と、定番のセリフを最大拡張して言いたくなったハジメだが、その衝動をなんとか呑み込み意識を覚醒させていく。

 同時に、体を包み込んでいた温かさがスルリと体の芯にまで浸透していき、倦怠感を払拭しながらエンジンに燃料を投下したが如く活力を生み出した。

 それにより、急速に浮上していく意識を感じながら、ハジメはそっと目を開いた。

 途端、その視界にルーレット板の如く円状に幾つもの顔が映り込んだ。世の男が同じ経験をすれば、「ああ、俺死んだんだ。ここは天国なんだ……」と呟かずにはいられないだろう美女、美少女、美幼女が揃い踏みだ。

「パパ!」
「ハジメさん!」
「ハジメくん!」
「ご主人様!」
「南雲くん!」

 それぞれ呼び方で安堵の吐息と共にハジメの名を呼ぶミュウ、シア、香織、ティオ、雫。彼女達の目の端には例外なく光るものが溜まっている。余程、心配したのだろう。

「……ぁあ。心配かけたな。俺のダメージは……香織だな。ありがとう」
「ううん。そんなのいいよ。本当に良かった。一時は心臓まで止まっちゃって……ぐすっ、本当に、本当に良かった……」
「し、心臓止まったのか。……そりゃ益々、感謝だな」
「全くです。香織さんでなければ、どうなっていたか……本当に、無茶し過ぎです!」

 感極まって泣き始める香織の言葉と様子から、相当やばかったのだろうということを察して、頬を引き攣らせながら感謝を述べるハジメに、シアがぷりぷりと怒りながらもギュッとその隻腕を握り締めた。

「……ホント悪かったよ。もう暴走したりしねぇから」
「パパ、もう大丈夫?」
「ああ。……ミュウもごめんな。格好悪いところを見せた。それに、ありがとな。パパを止めてくれて。もう、パパよりミュウの方がずっと強いな」
「えへへ。パパの娘なの~、だからと~ぜんなの~」

 ミュウがにへら~と笑みを浮かべながらハジメの胸元に顔をぐりぐりと押し付ける。褒められたことが誇らしくも照れくさいようだ。ハジメは、シアから解放してもらった右手で、優しくミュウの頭を撫で撫でする。

「まぁ、なんにせよ。ご主人様が無事でなによりじゃな。“まうすとぅまうす”が出来なんだのは口惜しいが……」
「お前、俺が生死の境を彷徨っている間になにしようとしてくれてんだ……」
「……」
「おい、八重樫。何故、気まずそうな表情をして目を逸らす」
「べ、別に、私はキスしたかったわけじゃ、な、ないわよ?」

 動揺しまくりの雫。既にキスと言ってしまっている辺り、人工呼吸という建前すら掲げられていないのだが、本人は気がついていないようだ。「大和撫子はどこにいった?」と、ハジメは、思わずツッコミを入れたくなった。

 見れば、先程までの心配顔はどこにいったのか、シアと香織も視線を明後日の方向へ向けている。

 どうやら未遂に終わったようではあるが、ハジメの寝込みを襲いたい気持ちは皆にあったらしい。回復直後に目覚めたことと、魔人族達が未だに困惑しながら跪いていることから、ハジメが気を失ってから、それほど時間が経っていないのが幸いだった。

 もっとも、総じて、どこか冗談じみた、わざとらしい雰囲気が滲んでいることに、ハジメは気がついていた。本来なら、ここにもう一人、誰もが無視できない存在感を放つ大切な仲間がいるはずだったのだ。

 彼女がいない――その事実に傷を負ったのはハジメだけではない。それでも、シア達はシア達なりに、ハジメを気遣い、己の心が寂しさに折れぬように、そうやって道化じみた雰囲気で支えあっているのである。

(本当に、我ながら情けねぇ。ユエにつなぎ止められて、こいつらが支えてくれている“俺”を、自分で捨てちまうところだった……)

 ハジメだけではない。ユエとて、先の【氷雪洞窟】ではシアに叩き直された。きっと、シアだけでなく、香織達にだって支えられ、救われていたのだ。

 奈落の底から、たった二人で、世界を敵に回す覚悟をして始まった旅。いつの間にか、化け物じみた自分達を守ろうとしてくれる者達が、これほどまでに集っていた。

 そんな今更なことを、ここに来て改めて強く実感したハジメは、苦い敗北の記憶を頼もしい仲間の笑みで塗り替えて、そっと誓いを立てる。天を仰ぎ、その先にいる最愛を想って。

 そんな、切なさと決意が綯交ぜになった、形容しがたい表情を見せるハジメに、シア達が咄嗟に声を掛けようとして……

 しかし、やはり成長著しい幼女が並み居る女性陣の機先をあっさりと制した。

「パパ、大丈夫なの」
「ん? ミュウ?」

 いきなりの言葉に、首を傾げるハジメに対し、ミュウは、ほんの少し“お姉さん”っぽい笑みを見せる。何となく既視感を覚えるその笑みは、そう

(もしかして、ユエの真似、か?)

 先程、ハジメを止めるため危険地帯へと踏み込んだときは、ハジメの真似をして勇気を振り絞った。短くも濃密な時間の中で、ミュウが得た力の一つだ。そして、ミュウが得たものは、何もハジメから与えられたものだけではない。

 常にハジメの傍に寄り添い、ハジメの心を繋いできたユエからも、本人達の知らないうちに、ミュウはいろいろなものを吸収していたらしい。ハジメを励ますなら、“ユエおねえちゃん”みたいにすればいい! と思ったようだ。

 何とも、健気な娘の励ましに、ハジメの表情もゆるりと綻ぶ。

 だが、ハジメはまだ、ミュウを侮っていたようだ。ハジメ達を見てきたミュウの辞書に、妥協とか、半端という言葉はなかったらしい。やるからには徹底的に! と言わんばかりに、真っ直ぐな眼差しを向けながら、その小さなモミジのような手を、むにっとハジメの頬に添えた。

 そして……

「ユエおねえちゃんの代わりに、ミュウがパパを元気にするの!」
「いや、ミュウ、なにをぉおう!?」

 寝たままの状態なので下がれず、手はミュウの背中に添えられているので押さえることも出来ず、止めきれなかったハジメの唇――の端に(辛うじて顔を逸らせた)、ミュウの唇がむちゅううう! と当てられた。子供っぽい、タコさん唇にしたキスだが、キスはキスだ。

「「「あぁ~~~!!」」」
「ふむ、妾達どころか、ご主人様の意表まで突くとは……ミュウ、恐ろしい子じゃ!」

 シア、香織、雫の悲鳴が上がり、ティオのずれた称賛が響き渡る。シア達に密着状態で囲まれていたためハジメには見えていなかったのだが、愛子達もシア達の直ぐ後ろ側で人垣を作っていたらしく、そこからも悲鳴が上がった。誰が悲鳴を上げたのかは言わずもがなだ。

 どうにか咄嗟の回避により、幼子の、それも娘のフォーストキスの相手になるというアブノーマルな事態だけは免れたものの、周囲の者達にとっては余り関係なかったらしい。

 傍から見れば、幼子に押し倒されて思いっきりキスされているハジメの図、なのだ。無理もない。恐るべきは、ミュウが真似たユエの再現率か。それともミュウが真似るほど普段からハジメを押し倒している吸血姫のエロさか……

 と、そのとき、阿鼻叫喚の様相を呈する広間に、状況も場も読まないような、のほほんとした声が響いた。

「あらあら、まぁまぁ。私の娘ながら大胆だわ。でもね、ミュウ。ミュウは娘なんだから、唇を狙うのはいけないわ。旦那様の唇はママのものなのよ?」
「誰が“旦那様”で、なにが“ママのもの”ですかっ! どさくさに紛れて夫婦しないで下さい!」

 いつの間にかシアの隣に体をねじ込んだレミアが、そんなことをのたまい、シアが盛大にツッコミをいれた。

 慌てた香織に引き離されたミュウが、不満気に唇を尖らせる。「や~! パパとチュウするの! お口にするの!」とハジメの上で駄々を捏ねる。

 少し離れた場所で集まっているクラスメイト達から「あんな小さい子まで毒牙に……色魔王」とか「……ロリコン」とか「父娘で、なんて……アブノーマルすぎるっ」とか「南雲さん、マジぱねぇっす」とか聞こえるが、ハジメは何も聞こえないことにした。魔人族まで、どこか戦慄したような表情を浮かべているが、気にしないと言ったら気にしないのだ。

 ハジメは気を取り直すと真面目な表情を作りながら上半身を起こした。そして、レミアに視線で、何だか精神的にハイブリット化しているミュウの確保を伝える。

 ミュウには後ほど、教育が必要だろう。このままでは、不敵に笑いながら戦いに挑み、普段は天真爛漫で、優しさや気遣いを忘れないが、ふとしたときに艶を振りまく、という色んな意味でハイスペックな女の子に成長してしまう。残りの一人、稀代の変態性だけは、絶対に習得しないで欲しいものだ。

 ハジメは、嫌な想像を振り払うように頭を振ると、おもむろに錬成を行い床石から刀風の剣を作り出した。

 細身で石造りだが、圧縮錬成により高密度、超重量の一品と化している。また、風爪も付与したようで薄ら刀身の周囲が揺らいでいることから、即席で作り出した石刀としては異常な威圧感がある。

 突然の行動にシア達が目を丸くするが、ハジメの視線が魔人族に向いていることで僅かに緊張したような強ばりを見せる。

「ハ、ハジメくん……」

 心配そうな声音で呼び掛ける香織に、ハジメは立ち上がりながらチラリと視線を向けた。それから、レミアの腕の中からジッと自分を見つめるミュウに視線を巡らせると、肩を竦めながら軽く笑い、言外に「大丈夫だ」と伝える。

 ハジメの瞳に虚無的なものがなく、いつもの飄々とした雰囲気が漂っていることを認めて、香織達はホッと息を吐いた。ミュウもにへっと笑う。

 それを確認して踵を返したハジメは、誰もが見守る中、魔人族達の眼前で仁王立ちする。

「さて、余り期待はしてないが、お前等に聞かなきゃならないことがある。知らないなら知らないで構わないが、嘘偽りも、黙秘も許さない。もちろん、意地を張るのは個人の自由だが……代償は高くつくと思え。隣にいる者が大切なら素直になることだ」

 石刀で肩をトントンしながらナチュラルに脅迫するハジメ。後ろで、クラスメイトの誰かから「チンピラみたいだ……」という呟きが聞こえたがスルーだ。

「こ、答えれば、生かしてくれるのか?」
「あぁ? 交渉できる立場だと思ってんのか? そんなもん、俺の気分次第に決まってんだろうが。精々、手揉みしながらにこやかな対応を心掛けろよ。こちとら、フリードを筆頭に魔人族には散々殺意を向けられてんだ。今、生かされているだけでもむせび泣きながら感謝しろ」

 背後から「さっきとあんまり変わってなくね?」という呟きが聞こえたがスルーだ。

 黙り込んだ魔人族の生き残り達を睥睨しながら、ハジメが口を開く。

「【神域】について知っていることを吐け。あと、香織……使徒に【神門】を開いて欲しいというようなことを言っていたと思うが、使徒は個人で【神門】を開けるのか?」

 その質問に、先程子供を庇っていた父親らしき魔人族が躊躇いがちに答えた。

「【神域】については、我等魔人族の楽園ということしか聞いていない。そこに迎え入れられれば、我等はより優れた種族になれるのだそうだ。それに、新天地でより繁栄できるとか……【神門】については分からない。ただ、使徒様ならどうにか出来るのではと思っただけで……」
「あぁ? それだけか? 誤魔化してんじゃねぇだろうな? 信仰と子供、庇えるのは二つに一つだぞ、こら」

 ハジメが、石刀で男の頬をペチペチと叩く。男に抱きつく少年が「ひぃ」と悲鳴をもらしながら恐怖の眼差しをハジメに向ける。

 背後から「どう見てもヤクザ……」という呟きが聞こえたが華麗にスルーだ。更に、「パパ、格好良いの!」というミュウの呟きに、「えっ!? あれはいいの!?」と驚愕の声が上がったが、それも達人スルーだ。

「ほ、本当だ! 別に、信仰を試されるような質問でもないのに嘘などつかない! まして息子の命がかかっているんだぞ! 本当に、これだけしか知らないんだ!」
「チッ、使えねぇ。他の奴らはどうだ?」
「い、いや、それ以上のことは……」
「わ、私も……」
「ど、どうか、子供の命だけはっ」

 再び、石刀で肩をトントンしながら不機嫌そうに目を細めるハジメに、魔人族達が戦々恐々とした表情で命乞いをする。背後から「どう見ても悪役は南雲……」という呟きが聞こえてきたが神業スルーだ。

「はぁ、しょうがない、か。フリードの側近、あるいは兵士ならともかく、一般人じゃあなぁ」

 溜息を吐きつつも、そこまで落胆した様子のないハジメは、一度頭を振るとスっと目を細めた。「まさか、このまま斬られるのでは!?」と体をビクッと震わせる魔人族達。

 そんな彼等の周囲に紅いスパークが迸った。と、思った直後には、彼等を囲むように床石が変形し、ものの数秒で檻となった。

「取り敢えず、そこで大人しくしとけ。下手なことを考えて面倒を掛けたら……分かってるな?」
「あ、ああ……」

 空間魔法が付与され、空間そのものに固定された檻は、並みの力では脱出不可能だ。それを作って魔人族達を捕虜としたのは、つまり、命までは取らないという意味でもある。それを察して、緊張感は消えないものの安堵の息を吐く魔人族達。

 クラスメイト達も、魔人族とはいえ、眼前で怯える子供が惨殺される光景を見ずに済んだことにホッと息を吐いた。

 ハジメとしては、正気に戻ったとはいえ、ハジメ達を殺してさっさと【神域】へ行こうなどとのたまった魔人族達などバッサリ斬り捨ててしまいたいところではあったのだが……

 流石に、八割方はハジメを正気に戻す為だったとはいえ、ミュウが体を張って庇った相手をさくっと殺ってしまうのはいかがなものか。まして、「もう、無抵抗な者達を惨殺することはないはず……ないよね?」という空気が漂っている中、「え? 普通に皆殺しにするけど、何か問題でも?」などと言って、それを実行してしまえば……間違いなく空気が死ぬ。居た堪れないことこの上ないことになるだろう。

 というわけで、下手な動きでもすれば即座に首を刎ねてやるつもりでいつつ、取り敢えず、魔人族達の処遇については保留ということにしたのだ。

 ハジメは、檻に捕らえた魔人族達に背を向けてシア達のもとへと戻った。そして、今までよりも更に際立った錬成を行い、瞬く間に人数分の椅子とテーブルを作り出す。

「取り敢えず座ってくれ。今後のことを話し合おう」

 その言葉にシア達は力強く頷き、クラスメイト達は戸惑いながら席に着く。

 ちなみに、テーブルセットは二つだ。ハジメ、シア、香織、ティオ、雫、鈴、龍太郎の他、愛子、リリアーナ、レミア、ミュウが集まる側と、それ以外のクラスメイトが座るものである。もっとも、ミュウはハジメの膝の上がいいと駄々を捏ねるので、空気を読んだレミアの腕の中に確保されているが。

 不満顔のミュウを余所に、真剣な眼差しで一同を見渡したハジメが口を開く。

「まず、情報の整理だ。エヒトと名乗る神がユエの肉体を乗っ取った。だが、エヒトの言葉が正しければ、その肉体を完全に掌握するには最低でも三日はかかる」

 一度言葉を切ったハジメに、一同が痛ましそうな表情になった。ハジメがどれだけユエを大切にしていたか、先の暴走と相まってよく理解しているので同情せずにはいられない。

 もっとも、シアと香織、ティオ、そして雫は微塵も揺るがず強い眼差しをハジメに返していた。

 彼女達の中で、ユエを奪還することは既に決定事項であり、必ず取り戻せると信じているのだ。だから、暗くなる必要もシリアス振る理由もない。先程から妙に冗談じみたやり取りや軽口が多いのも、それを態度で示しているのである。

 シアが、ハジメの言葉を引き継いだ。

「ユエさんを取り戻すには、彼等の言う【神域】とやらに行かなければなりませんね。でも、あの黄金のゲートはハジメさんを通しませんでした。エヒトによって通れる者が限定されてしまうなら、別の対策が必要です」
「そうね。……こっちで【神域】へ行く手段を別に手に入れるか、あるいは、三日後の大侵攻のときに出現すると予想される【神門】を、突破できる手段が必要だわ」
「ふむ、直接行く方法としては……ご主人様よ。やはり、クリスタルキーは……」

 ティオがハジメに尋ねる。それに対し、ハジメは溜息を吐きながら首を振った。

「ダメだ。宝物庫と一緒に、な。確かに、あれがあれば【神域】へ直接乗り込むことは出来るだろうが……ユエがいなきゃ、精々劣化版を作れるかどうかだろう」

 クリスタルキーを知らない愛子達が首を傾げているので、傍らの雫が沈痛な面持ちで説明する。実は、ハジメが既に地球へ帰る手段を手に入れていたという話を聞かされた愛子やクラスメイト達は一瞬の静寂の後、謁見の間に響き渡るような驚愕の声を上げた。

「うるさいっての。どっちにしろ壊されたんだから意味ねぇよ。騒ぐな」
「でも、でも、せっかく帰れるかも知れなかったのに……」
「そうだよ! なんとかもう一度作れないのか!?」
「頼むよ、南雲! ガッツを見せてくれ!」

 園部や野村、玉井が懇願するような言葉を送る。他のクラスメイト達も、盛大に騒ぎながらハジメに縋るような眼差しを向けた。

 イラっとしたように眉をしかめるハジメの視線が不自然にクラスメイト達のテーブルに向けられて、物凄く嫌な予感がした愛子が慌てて喝を飛ばした。

「皆さん、静かに! 騒がないで下さい! 落ち着いて!」
「で、でも愛ちゃん先生……」

 ぴょんぴょんと跳ねながら諌める愛子に、生徒達は一応静まる。それでも、目の前に人参をぶら下げられた馬の如き心境の生徒達は、なにか言いたげに口をモゴモゴさせている。

 そんな彼等に、愛子は噛んで含めるように話し出した。

「いいですか、皆さん。気持ちは凄く分かりますが、落ち着いて南雲君の言葉をちゃんと聞いて下さい。帰るためのアーティファクトは既に失われてしまい、それをもう一度作るにはユエさんの力が必要なのです。ここで騒いでも、その事実は覆りません」
「だけど、南雲が彼女を取り戻すことを優先して嘘吐いている可能性だって……」
「南雲君はそんな嘘をつきません! ……つきません。……つきません、よ? ……つきま…………せんよね?」

 何故か、強く反論した後、徐々に勢いを失ってハジメに困ったような眼差しを向ける愛子。“豊穣の女神”の名を利用したあれこれを体験しているだけに、嘘をつかないと言い切れないことに途中で気がついて自信が無くなったのだ。

 そこは押し切れよ! と内心、愛子に愚痴をこぼしつつ、自業自得な面はあるので、ハジメは眉をしかめるに止まる。突然の朗報と、直後の失望に落ち着かない様子のクラスメイト達へ、ハジメの容赦ない言葉が放たれる。

「嘘じゃないがな。どちらにしろ。お前等だけを帰すために、そんな時間の浪費をするつもりはない。これから俺は、ユエの奪還に全力を注ぐからな。帰還は二の次だ」

 そんなっ! と再び騒ぎ始めたクラスメイトに、ハジメは“威圧”を放って強制的に黙らせつつ、彼等に現状の再認識をさせる言葉を吐いた。

「大体、お前等、今すぐ帰れたとしてその後どうすんだ? クソ神をぶっ殺さなきゃ、次の標的は地球だぞ? 意味ないだろうが」
「うっ、そう言えば……」
「確かに、そう言ってたな……」
「ちくしょうぉ……もう、放っておいてくれよぉ」

 ハジメの言葉に、顔を覆ったり、突っ伏したりして嘆くクラスメイト達。そんな彼等を尻目に、ハジメが話の軌道を戻した。

「で、だ。話を戻すが、あるいは劣化版クリスタルキーなら、あの【神門】を突破するくらいはできるかもしれない。口惜しいが……三日後の大侵攻のとき、使徒達が現れる瞬間まで待つしかないだろう」
「アルヴヘイトが戻らないことを気にして、向こうから出て来てくれたら楽なんだけど……」

 香織が呟くが、その可能性は低いだろう。エヒトは恐らく、完全に肉体を操れるようになるまでは出て来ないだろうし、それが出来たときは、すなわち大侵攻のときだ。それなら、向こうから来るのも、こちらから出向くのも変わらない。

「……それ以前に、勝てるのかな?」

 ポツリと呟いたのは鈴だ。俯いたその表情には濃い影が差している。エヒト相手に、手も足も出なかったときのことを思い出しているのだろう。

 誰もが難しい表情になる。そんな中、あっさりと答えたのはハジメだった。

「勝つさ」

 その軽さに、鈴は少しムッとした表情で反論した。

「……手も足もでなかったのに?」
「ああ。それでも次は勝つ」
「どうして、そう言い切れるのっ! 言葉一つでなんでも出来て、魔法なんか比べ物にならないくらい強力で、おまけに使徒とかフリードとか魔物とか……恵里と……光輝くんまで向こう側に……正真正銘の化け物なんだよ?」

 どうやら、少し心が折れかけているようだ。再会を願った恵里には全く相手にされず、それどころかいいように引っ掻き回されて何も出来なかった。実は、戦闘中に簡易版ゲートで呼び出していた鈴の魔物も使徒に瞬殺されてしまっていた。

 まだ変成魔法には不慣れであることは否定できないとはいえ、せっかく手に入れた神代魔法も不発に終わり、鈴は無力感に歯噛みしていた。

 そして何より、エヒトに掛けられた幻術――あの時、鈴達は一瞬の間に自分が細切れになる感覚を現実と見紛うほどリアルに味わったのだ。手足が切断され血飛沫が飛び散り、達磨となって崩れ落ちる間に、上半身と下半身が分かれ、両肩を落とされ、最後に首が飛んだ。

 不可視の刃が体を外から内へと撫でる感触を、鈴は今でも思い出せる。思い出せてしまう。それは龍太郎や雫も同じようで不快感もあらわに首や手足を摩っている。自分の手足の感覚もしばらくの間なかったのだ。そんな中で、呪縛まで解いて動き出し、戦闘を行った雫の精神力は称賛に値する。

 だが、鈴には、あの生きながらにして自分が死んでいると感じる恐怖を思い出すことは耐え難いものがあった。もう一度やられるかもしれないと思っただけで、自然と体が萎縮してしまう。

 そんな鈴を気にした様子もなく、ハジメは言う。

「それがどうした?」
「え?」

 思わず顔を上げる鈴。ハジメは続ける。

「相手が化け物? 多勢に無勢? そんなことが、何か障碍になるのか?」
「な、なるのかって……そんなの……」
「忘れてないか? 俺は、お前等が無能と呼んでいたときに奈落へ落ちて這い上がって来たんだぞ?」
「あ……」

 思わず呆ける鈴。鈴の言葉で、神になんて勝てるのかと絶望したような表情を浮かべて俯いていたクラスメイト達も顔を上げる。

「誰の助けもない、食料もない、周りは化け物で溢れかえっている。おまけに、魔法の才能もなくて、左腕もなかった。……だが、生き残った」

 シンと静まり返る謁見の間。誰もが、自然とハジメの言葉に傾聴した。

「同じことだ。相手が神だろうと、その軍勢だろうと、な。……俺は今、生きている。奴は俺を殺し損ねたんだ。それも、自分の情報を与えてな」

 ハジメの眼がギラギラと輝き殺意に燃え上がった。口の端が釣り上がり、相手を喰い殺そうとでもいうように犬歯を剥き出しにする。獲物を狙う野生の狼を幻視してしまいそうなその荒ぶる姿に、誰かの生唾を呑み込む音が響いた。

「ユエは奪い返すし、奴は殺す。攻守どころの交代だ。俺が狩人で、奴が獲物だ。地の果てまでも追いかけて断末魔の悲鳴を上げさせてやる。自分が特別だと信じて疑わない自称神に、俺こそが化け物なのだと教えてやる」

 ハジメがギラついたままの眼差しを鈴に向けて、ビクッと震えつつも何故か頬を染める鈴にハジメは尋ねた。

「谷口。もう無理だってんなら目を閉じて、耳を塞いでいろ。俺が全部、終わらせてやる」

 それは鈴を気遣っての言葉ではない。逆だ。鈴を試す言葉だ。碌に言いたいことも言えないまま、相手にもされないまま、終わってしまってもいいのかと。鈴が、それでいいというのなら、蹲っている間に全て――恵里を始末することを含めて終わらせてやると。

 逆に言えば、鈴が立ち上がる限り恵里のことは好きにさせてやると言っているのだ。

 ハジメの視線は、更に龍太郎や雫にも向く。

 二人ともその視線に込められた言外の言葉に気がついた。すなわち、光輝のことをハジメに任せるのか、それとも、自分達でどうにかするのか。その選択を委ねているのだと。当然、ハジメに任せた場合は抹殺の一択である。それもまた、正確に二人に伝わった。

 しばしの静寂。ハジメの苛烈な言葉と雰囲気に言葉を無くすクラスメイト達。萎縮するように体を縮こまらせる者もいれば、キラキラと輝く眼差しを向ける者やポーと頬を染めて見つめる者、何か決意を秘めた顔つきになった者もいる。

 そんな中、最初に口を開いたのは鈴だった。先程までの暗く弱々しい雰囲気を吹き払って、決然とした表情で真っ直ぐにハジメを見返す。

「必要ないよ、南雲君。恵里のことも光輝くんのことも鈴に任せて。【神域】でもどこでもカチ込んでやるんだから!」

 いつものムードメーカーらしい雰囲気を放ちながら、ニッと不敵に笑う鈴。

 そんな彼女に触発されたように、大人しかった龍太郎が雄叫びを上げた。

「だぁあああああっ! よしっ、くよくよすんのは終わりだ! 南雲や鈴にばっか格好はつけさせねぇ! 光輝の馬鹿野郎は俺がぶっ叩いて正気に戻してやるぜ!」

 胸の前で片手の掌に拳を打ち付け、同じく不敵に笑う龍太郎。実は、この脳筋も、地味に落ち込んでいたらしい。親友が敵側に回り、鈴でさえ少しは抗って見せた呪縛と幻覚に抵抗できなかった自分が不甲斐なく自信喪失に陥っていたのだが、もう大丈夫のようだ。

 それを見て、雫が「ふふふ」と笑った。

「そうね。光輝の馬鹿にはキツイ、それはもうキツ~イお仕置きが必要だし、恵里のあのニヤケ面は張り倒さないと気が済まないわ。……そ、それに、南雲君の行くところなら、どこでもついて行くつもりだし……そのずっと、ね……」

 頬を染めてチラチラとハジメを見ながらそんなことを言う雫に、クラスメイト達が訝しむような眼差しを向ける。彼等は雫の心情を知らないので、まさか、クラスの二大美少女の片割れである雫まで落とされているとは思いもしないのだろう。

 いや、永山パーティーや園部達愛ちゃん護衛隊を筆頭に、何人かの生徒――特に女子生徒は敏感に察したようだ。そして、少し驚いたように雫とハジメを交互に凝視した後、何かに納得するように頷いた。

 一部の女子が「ドン・ファンだわ。現代のドン・ファンよ。……南雲くん凄すぎるぅ」と頬を染めてハジメをチラ見していたりするが、今は真面目な時間なのでスルーだ。

「そうか。なら、【神域】へのカチ込みは、俺達と谷口、坂上……まぁ、最近のメンバーそのままってことだな。向こう側で天之河達が出て来たらお前等の好きにしろ。ただし……半端は許さねぇぞ」
「うん、ありがとう、南雲くん」
「サンキュな、南雲」

 にこやかに礼を言う鈴と龍太郎に、ハジメは、ヒラヒラと手を振って気にするなと伝えつつ、次の話に移ろうとした。が、そこでリリアーナが待ったを掛ける。

「あ、あの~、南雲さん、ちょっといいですか?」
「ん? なんだ、姫さん」
「えっとですね。大侵攻のときに、ハジメさん達、最高戦力が【神域】に乗り込んでしまった場合、その間、攻撃を受ける王都はどうすれば……エヒト達の言葉が正しければ始まりは【神山】から、ですよね? 使徒の力を考えると大結界もそう長く保つとは思えませんし……何か、【神門】を一時的に封じるような手立てはありませんか?」

 ハイリヒ王国の王女としてもっともな心配だった。分解能力をフルに使われれば、大結界といえど長くは保たないだろう。まして、使徒とまともに戦えるのはハジメ達くらいだ。ハジメ達がエヒトを打倒するのにどれくらい掛かるかは分からないが、その間に少なくともおびただしい数の人々が虐殺されることは火を見るよりも明らかである。

 縋るような眼差しを向けられたハジメは一つ頷いた。

「今から、その話をしようと思っていたんだ」
「と言いますと?」
「俺は、エヒトが気に食わない。だから、この先、何一つ、奴の思い通りにはさせてやらない。この世界の住人がどうなろうと知ったことじゃないが……だからと言って、今際の際に虐殺された人々を思って高笑いなんてされたら不愉快の極みだ。だから、使徒も眷属も、フリードも、その魔物共も皆殺しコースだ。奴のものも、その思惑も、根こそぎ全部ぶち壊してやる」

 クックックッと、実にあくどい顔で笑うハジメに、クラスメイト達はドン引きした。尋ねたリリアーナも頬を引き攣らせている。やはり、一部の女子はポーと熱に浮かされたような表情でハジメを見つめていたが。

「え、えっと、つまり、侵攻してくる使徒の大軍をどうにか出来るということでしょうか?」
「そうだな。具体的な方法は後で詰めるとして、取り敢えず考えているのは、俺のアーティファクトを大開放することだ。一般兵や冒険者、傭兵共を超強化してやる。全員を兵器で武装させて、対空兵器も充実させるつもりだ。三日しかないからシビアではあるが、その辺は、お前等も協力してくれるだろう?」

 ハジメが視線を巡らせば、当然だと力強い頷きが返ってくる。意外なことに、心折れて戦闘から手を引いた生徒達の何人かまで力強い眼差しを向けていた。ハジメの闘志に触発されたのかもしれない。

 リリアーナが考え込むように瞑目し、一拍の後、口を開いた。

「使徒の襲撃で混乱はしていると思いますが、幸い、私達を攫うことに目的を絞っていたようなので一般兵や騎士団には然程被害はないはずです。しかし、それでも、三日以内に動員できる戦力には限りがあると思います。一騎当千の使徒相手に十分と言えるかは……それに、仮に人数を集めたとしても、それだけの数の、それも使徒に対抗できるほど強力なアーティファクトを用意できるのですか?」
「ああ、出来る。人数についてはゲートを利用して各地から集めてもらおう。そのために、俺がアーティファクトを用意している間、お前等には世界各地を飛び回ってもらわなきゃならない」
「ゲート、とな? ご主人様よ。アーティファクトは全て破壊されたのではないのかの?」

 ティオが首を傾げて質問した。確かに鍵穴型アーティファクト“ゲートホール”は世界各地に設置されているので無事ではあるが、肝心のゲートを開く鍵型アーティファクト“ゲートキー”は“宝物庫”の中に仕舞われていたはずなので、一緒に破壊されたはずである。

 確かに、ゲートが使えれば、三日以内に世界各地から戦力を集めることは容易となるが……

「実は、替えの利かないものとか、いくつか重要なものはシュネー雪原の境界で、ゲートを潜る前に転送しておいたんだ。地中に」
「なんと! では、ゲートキーも?」
「ああ。何かあったとき、ミュウ達を逃がすためにと応用の利くクリスタルキーは持って来たから裏目に出たが……羅針盤とか攻略の証とか残りの神水とか……もちろんゲートキーも埋まっているはずだ。あ、あと、香織の元の体な。地中だから比較的冷えているだろうし、大丈夫だとは思うが……なるべく早く掘り返さないと氷が溶けて土葬になっちまう」
「か、回収をっ! 回収を急がないとっ! 私の体が……」

 香織の元の体のことを言われて、全員がハッとした表情になった。もし、ハジメが不測の事態に備えていなければ、今頃、香織の体はピチュンしているのだ。ハジメのファインプレーである。

 とはいえ、土葬と言われると焦らずにはいられない香織。わたわたするのをハジメが撫でて落ち着かせる。

「なるほど、よく分かりました。……しかし、もう一つ、問題があります。果たして、三日後に世界が終わるかもしれないと言われて、一体、どれだけの人が信じて集まってくれるか……まして、戦うのが使徒となれば、最悪、こちらが悪者になる可能性も……」

 リリアーナが、難しい表情をしながら更に問題点を指摘する。だが、それに対してもハジメは回答を持ち合わせているようだった。

「それについてはなんとか出来ると思う。香織かティオに再生魔法を使って貰うんだよ」
「再生魔法……ですか?」

 首を傾げるリリアーナ。対して、香織はハジメの言わんとしていることを察してポンと手を叩く。

「過去の光景を“再生”するんだね? メルジーネの大迷宮で体験したときみたいに」
「そうだ。ここであったことを再生して、その光景を映像記録用アーティファクトに保存する。それを各地の上役共に見せてやれ。今まで会って話をした奴……ブルックのキャサリン、フューレンのイルワ、ホルアドのロア、アンカジのランズィ、フェアベルゲンのアルフレリック、帝国のガハルド、こいつらなら頭から疑ってはかからないだろうし、戦力も集めやすいだろう」

 ここに、王国のリリアーナ王女と冒険者ギルドのギルドマスターが当然加わる。この世界でも力ある主要人物ばかりだ。

 この世界の人々には興味がないといいながら、縁を繋いだ人々のなんと豪勢なことか。頭の中に浮かんだそうそうたるメンバーに目眩を覚えつつ、リリアーナは確かに、そのメンバーならば本気になってくれるだろうと考えた。

「あとは……そうだな。先生に扇動でもやらせればいいだろう」
「えぇ!? わ、私ですか!? っていうか扇動!?」

 いきなり話を振られた愛子が体をビクンと震わせる。そんな愛子へ、ハジメは高らかに声を張り上げた。

「さぁ、立ち上がれ人々よ! 善なるエヒト様を騙り、偽使徒を操り、今、この世界を蹂躙せんとする悪しき偽エヒトの野望を打ち砕くのだ! この神の御使い“豊穣の女神”と共に! って感じでな。頑張れ」
「頑張れ、じゃあないですよ! なんですか、その演説! よくそんな言葉がスラスラと……南雲君の方が余程扇動家じゃないですか」
「細かいこと気にするなよ、先生。撒き散らした種が芽吹きそうなんだ。なら、水をやって成長させて、うまうまと刈り取ってやればいいじゃないか。作農師だけに」
「誰が上手いこと言えと……」

 呆れた表情でハジメにジト目を向ける愛子。ウルの町でもそうだったが、絶対、ハジメには扇動家の才能があると確信する。

 それはクラスメイト達も同じらしかった。なんとなく、星を前に操り糸を垂らして、クツクツと嗤いながら香ばしいポーズを決めるハジメを幻視してしまい「あれ? エヒトと変わらなくない?」と首を傾げている。一部の女子が「なぐも……いえ、ハジメ様……」とか呟いてポーとしているが、一刻も早く正気に戻るべきだろう。

 ハジメは、効果的だと自覚し、やらねばならないと分かっていながら、なんとなく釈然としない様子の愛子に苦笑いを浮かべる。

「人類総力戦となるべき戦いだ。戦力を集めても烏合の衆じゃ意味がない。強力な旗頭が必要なんだ。それには一国の王くらいじゃ格が足りない。出来るのは愛子先生だけなんだ。いっちょ頼むよ」
「……」

 ハジメの言葉に、一瞬、ビクンと震える愛子。先程から震えっぱなしだ。まるで小動物である。そんな小動物のような愛子は、何故かそわそわしながらハジメをチラ見し始めた。そして、訝しむハジメにおずおずと尋ねる。

「な、南雲君。今、最後の方、なんて言いました?」
「ん? いっちょ頼むって……」
「い、いえ、そうではなく……私のこと、あ、愛子先生と呼びませんでした?」
「……なにか、問題が?」
「い、いえ。南雲君は、いつも“先生”とだけ呼ぶので……」
「そうだったか?」

 首を傾げるハジメに、愛子がそわそわ、というよりモジモジとしながら上目遣いで口を開く。

「そうですよ。……その……もう一度、今の言ってくれませんか?」
「……今のって、最後の方を?」
「はい。但し、今度は、“先生”を抜いて……」

 ハジメの頬が引き攣った。同時に、向かいの席で頬を染めながらチラチラと上目遣いする小動物は、自分の立場と周囲の状況を理解しているのかとツッコミを入れたくなった。

 愛子の“おねだり”に、クラスメイト達がざわっとなる。「えっ、どういうこと?」とか「なに、この雰囲気……」とか「う、嘘だろ……」とか「ハジメ様……流石です」とか聞こえる。ついでに愛ちゃん護衛隊の連中から歯軋りが響いてきた。

 愛子は、緊張しているのか周囲の声が届いていないようだ。もし、全て分かっていて言っているなら……恐ろしいことである。愛ちゃんが色々とかなぐり捨てて突貫してきたことになるのだから。教師としての自分を放棄するとか、アイデンティティー崩壊の危機である。確信犯でないことを祈るばかりだ。

 しかし、最終局面を前に萎えられるのも問題であるし、かと言って今の暴走気味の愛子に誤魔化しは通じそうにない。シアや香織、雫に視線を向けるも、みな苦笑いするだけで助け舟を出してくれない。こんなときに、複雑な乙女心の共感をしないで欲しいものだ。

 ハジメは溜息を吐きつつ、刺すような注目が集まる中、意を決して口を開いた。

「……愛子、頼む」
「っ!! はい! 任せて下さい! もうバンバン扇動しちゃいますよ! 社会科教師の本領発揮です!」

 社会科教師の本領が扇動とか……全国の社会科教師に謝罪して欲しいところだ。滅茶苦茶張り切っている愛子から視線を外しつつ、再度、溜息を吐くハジメ。

 その耳に、「きょ、教師と生徒……エ○ゲじゃないかっ」とか「あ、愛ちゃんが魔王の毒牙に……」とか「カサノヴァよ……あそこにいるのはカサノヴァだわ! 目を合わせちゃダメ! 妊娠しちゃう!」とか聞こえてくる。頬がピクるのを止められない。

「ご、ごほんっ! な、南雲さん……わ、私も頑張りますね!」

 何故かリリアーナが声を張り上げる。その頬は真っ赤に染まっており、アーモンド型の綺麗な瞳は何かを期待するようにキラキラと輝いている。

「……ああ、頑張ってくれ、姫さん」
「……頑張りますね!」
「ああ」
「頑張りますね!」
「……」
「頑張りますね!」
「……」
「が、頑張ります、ね、ぐすっ」
「……………………………頼んだ、リリアーナ」
「……リリィ」
「ぐぅ……頼んだ、リリィ」
「はい! 頼まれました! 王女の権力と人気を見ていて下さい! 民衆なんてイチコロですよ!」

 なんだか王女として言っちゃいけないことを言った気がするが、きっと気のせいだろう。民衆に愛されて止まない王女様が、民衆を操るなんてチョロイなどと思ってはいないはずだ。

 クラスメイト達のざわつきは止まるところを知らない。既にハジメを見る目が、畏怖に満ちたものか、妙に熱の籠ったものの二つになっている。エヒトやアルヴヘイトに向けていた眼差しよりも感情的と言えるかもしれない。

「……はぁ。まとめるぞ」

 ハジメは溜息を一つ吐くと、一気に雰囲気を硬質なものに変えて全員に視線を巡らせた。ハジメが、愛子やリリアーナの言葉に乗ったり、クラスメイトのノリを許容していたのは、多少空気を和ませるという意図もあったのだ。

 世界の危機を前にして、まして故郷である地球まで危機に晒されていると言われて、精神的負荷を感じない者などいない。悲観したクラスメイトの誰かに暴走でもされたら敵わないと、空気が張り詰め過ぎないように調整したのである。

 ハジメの真剣な表情に、和んだ空気が一気に緊張感あるものに変わる。愛子やリリアーナも、今の今まで晒していた恥じらいやら甘い空気やらはどこに行ったのかと思うほど、きっちり雰囲気を変えてきた。この辺りのメリハリは、流石、教師と王女だ。

 “おねだり”は本心からのものだろうが、これが最初から張り詰めた空気なら言い出さなかったに違いない。敏感に空気を読んだのだろう。それが意図的なものか、無意識的なものかは分からないが。

 クラスメイト達も、釣られるように、程よく肩の力を抜きつつも緊張感を持つことが出来たようだ。

 ハジメはそれを確認すると口を開いた。

「俺の最優先目標はユエを取り戻すことだ。そのために三日後の大侵攻の際に開くと考えられる【神門】を通じて【神域】へ踏み込む。中村と天之河については谷口達に任せる。残りは侵攻して来る使徒の迎撃だ」

 一度言葉を切って、大枠を理解しているか確認する。みな力強く頷いたので、問題ないと判断し、ハジメは言葉を続けた。

「今から三日後までの予定を伝える。まず、俺だが、俺はオルクスの深奥に向かうつもりだ。アーティファクトの大量生産をするのに、オルクスの環境は最適だからな。これには、助手として香織とミュウ、レミアについて来て貰いたい」
「うん、わかったよ、ハジメくん」
「はいなの! お手伝いするの!」
「私に出来ることは何でも言って下さい」

 香織、ミュウ、レミアから心地よい返事が返ってくる。ミュウとレミアを傍に置くのは、再び人質などにされないよう万が一に備えてというのもあるが、採取と錬成に集中するハジメの身の回りの世話をしてもらいたいというのもあるので、建前というわけでもない。

 ハジメは香織達に頷き返すと、今度はシアに視線を転じた。

「シア、お前はライセン大迷宮に行ってくれ」
「……なるほど。ミレディの協力を仰ぐんですね?」
「そうだ。少しでもエヒトや【神域】の情報があれば儲け物だしな。あのときは強制排除されたからショートカットの方法が分からない。一応、攻略の証は渡しておくが、ブルック近郊の泉で反応しなければ、また中を通らなきゃならないからな」
「多分、それでも通してくれると思いますが……ダメでも、今度は半日でクリアして見せますよ。今の私なら、あの大迷宮は遊技場と変わりません」
「俺もそう思う。頼んだ」
「はいです!」

 元気に頷くシアにハジメは微笑む。次いで、ハジメはティオに呼びかけた。

「ティオ」
「うむ。心得ておる。里帰りせよと言うのじゃろ?」
「流石だ。世界の危機とあれば、竜人族の掟もないだろう。ティオほどではないにしろ、竜人の力に俺のアーティファクトもあれば、使徒とだって戦えるはずだ」
「そうじゃな。流石に、竜人族もこの事態で動かんという選択はない。その強さも保証しようぞ。ただのぅ、隠れ里は……それなりに遠い。とても三日以内でとはいかんのじゃが……」
「その辺りはアーティファクトでどうにかしよう」

 ハジメは頭の中で優先順位を並べ直しつつ、更に視線を巡らせる。

「八重樫は帝国に行ってくれ。ハイリヒ王国と同じで、ゲートで行けるし、王国へのゲートキーも複製して渡しておくから、ガハルドを説得して戦力を王国へ送ってくれ」
「それは……いいけれど、どうして私なの?」
「八重樫はガハルドのお気に入りだからな。念の為、話がスムーズに進むことを考慮して、だ。あちらさんは、制約の首飾りの件で恨んでいる奴もいそうだしな。交渉力と戦闘力を考えれば、他に任せられる奴はいない」
「む。一応、納得だけれど……私の気持ちを知っていて、言い寄る男の元に送られるのは少しショックだわ。まぁ、そんなこと言っている場合じゃないのは分かるからいいのだけれど」
「……悪いな。ガハルドがふざけやがったら俺の名前を出せ。八重樫雫に言い寄ったら、南雲ハジメが黙っていないってな」
「っ……ふ、不意打ちは卑怯だわ」

 雫が僅かに頬を染めながら了解の意を伝える。

「先生とリリアーナは王都だ。戦力を集めて、演説で士気を高めてくれ。使徒相手にも容赦なく戦えるように上手く扇動するんだ。それと、戦う場所は王都前の草原地帯になるだろう。まさか、【神山】という背後から襲ってくることが分かっていて、王都内で戦うわけにはいかないからな」
「そうなると、王都の住民は避難させる必要がありますね。ゲートが使えるとはいえ、三日で全住民の避難……急ぐ必要がありそうです」
「帝国から戦力を引き抜く代わりに一般市民は帝都に送ってしまえばいいだろう」
「でも、南雲くん。空を飛ぶ使徒相手に平原での戦いは不利なのでは……」
「対空兵器と重火器、他にも手立ては講ずるつもりだ。それと、野村っ!」

 突然、名を呼ばれた永山パーティーの野村健太郎が、「ぉお!?」と奇怪な声を上げた。このタイミングで名指しされるとは夢にも思わなかったようだ。

「お前、土術師だったよな?」
「え? あ、ああ。そうだけど……」
「なら、王都の職人と土系魔法に適性がある奴等を纏めて、平原に簡易でいいから要塞を作れ」
「よ、要塞?」
「遮蔽物はあった方がいいだろう? 詳しいことは王都の専門家に聞け。後でお前専用のアーティファクトも送ってやるから、平原に戦いやすい場を作るんだ」
「わ、わかった。やってみる」

 更にハジメは、野村に続いてクラスメイト達にもあれこれと指示を出した。勢いに呑まれて素直に頷く。何か具体的な役目を与えた方が、刻一刻と高まっていくであろう緊張感の中でも潰れずに済むだろうという意図だ。

 また、重火器は生産でき次第、順次王都に送っていくつもりだが、その取り扱いのレクチャーはクラスメイト達にしてもらうのが効率的だというのもある。詳しい仕組みは知らなくても、そもそも重火器の概念のないこの世界の住人よりは取り扱いが出来るはずだからだ。

「谷口、坂上、お前等は樹海に行け。ハウリアとフェアベルゲンの連中に話を通して、戦える連中は王都に送るんだ。それが終わったら連絡してこい。オルクスに迎えてやる。タイムリミットまで奈落の魔物を従えて強化することに費やすといい。せっかくの変成魔法だからな」
「了解だよ!」
「応よ!」

 それからもう少し細かいことを話して、人生で一番濃密となるであろう三日間を前に不敵な笑みを浮かべながら、ハジメは再度、全員に視線を巡らせた。

 そして、一拍の後、その口をゆっくりと開いた。

「敵は神を名乗り、それに見合う強大さを誇る。軍勢は全てが一騎当千。常識外の魔物や死を恐れず強化された傀儡兵までいる」

 静かな声音。されど、やけに明瞭に響く。

「だが、それだけだ。奴等は無敵なんかじゃない。俺がそうしたように、神も使徒も殺せるんだ。人は、超常の存在を討てるんだよ」

 語るハジメの姿は、隻腕隻眼で命でも吸い取られたかのような白髪だ。それは、無能と言われた男が歩いてきた軌跡を示すもの。数多の化け物共を屠り、己の糧として這い上がって来た、その証。そして、実際に、ここにいる者達全員の前で証明して見せた。人は神にだって勝てるということを。

 だから、自然と、納得できてしまう。たとえ一度は敗北し、大切なものを奪われたのだとしても、その事実すら糧にして目の前の傷だらけの少年は、どんな不可能事だって可能にしてしまうのだと。

 否応なく、心震わせる言葉が続く。

「顔も知らない誰かのためとか、まして世界のためなんて思う必要はない。そんなもの、背負う必要なんてない。俺が、俺の最愛を取り戻すために戦うように、ここにいる者全員がそれぞれの理由で戦えばいい。その理由に大小なんてない。重さなんてない。家に帰りたいから。家族に会いたいから、友人のため、恋人のため、ただ生きるため、ただ気に食わないから……なんでもいいんだ」

 一拍。ハジメの言葉が途切れる。だが、この場の全員が、己の望みを自覚する。胸に湧き上がる衝動そのままに。

 それを待っていたかのように、ハジメが言葉を放った。炎のように熱く、されど水のように浸透し、大地のように力強く、けれど風のように包み込む、そんな言葉を。

「一生に一度、奮い立つべきときがあるとするのなら、それは今、このときこそがそうだっ。今、このとき、魂を燃やせ! 望みのために一歩を踏み込め! そして、全員で生き残れ! それが出来たなら、ご褒美に故郷へのキップをプレゼントしてやる!」

 息を呑む音が響く。早鐘を打つ鼓動が聞こえる。握り締めた拳が、踏み締めた足元が、食いしばった奥歯が、軋みを上げて唸る。まるで、意志が自然と上げさせた雄叫びの如く。

 熱に浮かされたような者達の中で、ハジメは野生の狼の如き眼光と牙を魅せつける。

 そして一言。

「勝つぞ」

 返って来たのは当然、無数の咆哮だった。


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次回の更新も、土曜日の18時の予定です。
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