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ありふれた職業で世界最強 作者:厨二好き/白米良

第七章

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ハジメの軌跡

「大丈夫かなぁ」

 氷の邸宅のリビングルームで、鈴が、ソファーに腰掛けながら心配そうな声音で呟いた。視線は虚空を彷徨っており、主語の抜けた言葉からは意味が判然としない。

 故に、同じくソファーに腰掛けている香織は率直に尋ねた。

「何に対しての“大丈夫”なの?」
「う~ん? 全部かな。また、南雲君達が倒れたりしないかな? とか、本当に日本に帰れるかな? とか、光輝くんは大丈夫かな? とか……これから向かう魔人領でのこととか……」

 どうやら、体を休めるだけという状況だと何もすることがなくて、その分、色々と考えてしまうようだ。

 ハジメ達が、帰還の為の概念魔法を込めたアーティファクト作製の為、邸宅の一室に籠り始めてから、およそ二時間が過ぎている。ハジメとユエが気絶している間の時間も含めると、それなりに休んでいることになるので、かなり回復してきたはずだ。その余裕が、余計なことを考えさせるのだろう。

「鈴ちゃん……大丈夫だよ。ハジメくんは、いつだって、どんな困難だって結局は乗り越えてしまう人だし、傍らにユエがいるなら、それこそ不可能だって可能にしちゃうよ」
「カオリン……」
「それに、光輝くんのことは光輝くん自身がどうにかしなきゃならないことだよ。もちろん、出来る範囲で力にはなるけれどね。恵里のことは……うん、取り敢えず、突撃することだけ考えよう! それ以外にないんだし、考えても疲れるだけだよ」

 何とも勇ましいという大雑把な励ましに、鈴は思わず吹き出した。

「カ、カオリン……ぷぷっ、男前すぎるよぉ。もう、すっかり南雲くんに影響されちゃってるね」
「違うわよ、鈴。香織は昔から、こうと決めたら大抵、突撃するわ。香織の決断は、突撃で結論づけられることが九割よ」
「鈴ちゃんも、雫ちゃんも酷いよ。それじゃあ、私がまるで龍太郎くんと同じみたいじゃない……」
「おい、香織。どうして俺と同じだと“酷い”になるんだ? さり気ない罵倒だって気づいているか? こら」

 地味に毒を吐かれた龍太郎が渋い表情になるが、誰も気にしない。香織は少し拗ねたように唇を尖らせたが、すぐに気を取り直すとギュッと拳を握り締めて鈴を真っ直ぐに見据えた。

「とにかく、恵里のことはどうなるか分からないけど、少なくとも手出しはさせないよ。私もついて行くし、いざとなれば手当たり次第に分解して、混乱しているうちに逃げちゃえばいいんだよ」

 さらりと恐ろしいことを言い放った香織だが、鈴達は別の言葉に気を取られてスルーした。驚いたように目をぱちくりとさせた鈴が、おずおずといった様子で確認する。

「え、えっと、カオリンも一緒に来てくれるの?」
「もちろんだよ。鈴ちゃんと雫ちゃんを放っておけないし」
「でも、ハジメくんは……」
「それも雫ちゃんと同じだよ。離れているのなんて少しの間だし平気だよ。それに、再召喚防止用のアーティファクト作成とか、ミュウちゃんとレミアさんのお迎えとか、私がいてもお手伝い出来ることはないし。それなら、鈴ちゃん達を守ることが私のすべきことだと思うから」
「うぅ、カオリンってば……ええ子や、ホンマにええ子や。おおきにな~」
「鈴ちゃん、何で関西弁?」

 香織の言葉に、鈴は、わざとらしく目元を拭いながら冗談めかして感謝を告げる。真面目に返すには少々照れくさかったのだ。

「香織がいるならそちらは大丈夫じゃな。……ふむ、ご主人様の世界に行く前に、妾も身内に挨拶の一つでもしておくかのぅ。一応、任務を受けて出て来たわけじゃし」
「あぁ、そういえばティオさんて、一族の密命を受けていたんでしたっけ? その設定、普通に忘れてましたよ」
「シアよ……設定と言うでない。お主も、カム殿達には会っておきたいじゃろう?」
「そうですね。と言っても、私の場合、空間転移用のアーティファクトが向こうに設置してありますから直ぐ行けますけど……ティオさんの故郷って、確か北の山脈地帯のずっと向こう――大陸の外の孤島だったんじゃ」

 シアが、記憶を探るように首を傾げる。この世界を離れるにあたって、ティオにも家族への別れの挨拶はしてもらいたいという思いはあるが、余り離れすぎていると時間が掛かりすぎる可能性もある。

「うむ。まぁ、確かにそうなんじゃが……出発前に、ご主人様からとびっきりの(お仕置き)を受けておけば、何となるじゃろう。速度は倍増しじゃ! 帰りは“ゲート”で帰れるしの」
「……ボロボロになって帰って来た同胞が、何故か恍惚の表情を浮かべているとか……衝撃でしょうね。ご家族の皆さん、パニックにならなきゃいいんですが」

 ハジメの愛のムチを想像してニタニタと笑みを浮かべるティオに、シアだけでなく他のメンバーも僅かに距離をとった。分かっていても気持ち悪いものは気持ち悪いのだ。

 出て行った時とは別人のようになってしまったティオを見て、かのクラルス一族の皆さんがどんな反応をするか……それを想像したシアは、やっぱりハジメは責任を取ってティオを引き取り、更にご家族へ侘びを兼ねた挨拶をすべきだと溜息を吐いた。

 と、その時、おもむろにリビングルームの扉が音を立てて開いた。

「ここにいたのか……」
「あら、光輝。目が覚めたのね。体調はどう?」

 入って来たのは光輝だ。目が覚めて他のメンバーを探しに来たらしい。

 雫が、一瞬、探るような眼差しを向けたが、直ぐに微笑みの中に警戒を隠して体調を尋ねると、光輝もまた同じように微笑み返した。だが、その表情には影が差しているように見える。

「大丈夫だ。ごめん、心配かけた」
「そんなの今更よ。無事ならそれでいいわ」
「おう、復活したようで何よりだぜ」
「本当に、よかったぁ」

 光輝の無事を喜ぶ雫達。光輝はもう一度微笑むと、誰かを探すように部屋の中へ視線を巡らせた。その表情は徐々に緊張を帯びて来ているように強ばっていく。誰を探しているのか察した香織が、苦笑いしながら答えた。

「ハジメくんなら、今は別の部屋に籠ってるから、ここにはいないよ?」
「っ……そうか。……色々、迷惑かけたから、一言、謝ろうと思ったんだが……」

 どうやら、試練の部屋で暴走した時のように、ハジメを逆恨みして暴れるということはなさそうである。精神状態は比較的に落ち着いているようだ。どちらかと言うと、落ち着いていると言うより、落ち込んでいるという方が正しいかもしれないが。

「ハジメさんは別に気にしていないと思いますよ? これ以上、暴れたりしなければ謝罪も何も求めていないと思いますけど」
「シア、さん。……そうかもしれないけど、やっぱり、ね」

 歯切れ悪く、苦み走った表情をする光輝。実際、光輝の暴走について面倒で迷惑ではあったが、逆に言えばそれだけだったのでハジメは特に気にしてはいなかった。言ってみれば癇癪を起こした子供にポカポカパンチでも打たれたような気分だったのだ。

 殺意をもって向かって来たのは確かだが、自分の行動原理を優先して香織(ついでに雫)が傷つくようなことをするのは、それこそ今のハジメにとっては愚かな行動だった。少なくとも、余裕があって、大した手間もかからないうちは、その程度の面倒を背負えるくらい身も心も強くなったつもりなのである。

「その様子だと正気に戻ったようね。それとも、まだ南雲くんが私達を洗脳していると思っているのかしら?」

 雫が、少し目を細めながら厳しい声音で尋ねる。光輝の無事と暴走は別問題だ。ハジメが殺意を向けられてなお殺さなかったのは自分達の為だと分かっている雫としては、二度も暴走を許すつもりはなかった。

 雫から厳しい声音と眼差しを受けて、光輝は咄嗟に目を逸らした。だが、そんな甘えを雫は許さない。

「光輝、目を逸らさないで」
「っ……あぁ。……もうそんなこと思っていないよ。あの時は、本当にどうかしていたんだ……」

 光輝は、影の差した表情ではあるが、しっかりと雫を見返しながら答えた。しばらく、ジッと光輝の眼を見返す雫。瞳からその本心を探ろうというのだろう。それは雫だけでなくシア達も同じだった。

 やがて、完全とは到底言い難いが、一応の納得を見せて雫は頷いた。

「そう。ならいいわ。……光輝。何か、聞きたいことはある?」

 微妙に気まずい雰囲気が漂い始めたので、雫は気分を入れ替えるように光輝に言葉を向けた。

 そんな雫の心情が伝わったのか、光輝は小さな苦笑いを浮かべる。そして、自分が気絶してからのことを尋ねた。

 そうして、光輝以外の全員が大迷宮攻略に至ったこと、ハジメとユエが概念魔法という魔法の深淵に手を掛けたこと、現在、帰還用アーティファクト作製の為、別室に籠っていることが伝えられた。

 黙って静かに聞いている光輝の表情には特に変化は見受けられなかったが、最後の試練を攻略できなかった時点で負の自分を乗り越えられたかったことは明らかであり、だとすれば、その内心が穏やかでないだろうことは容易に想像がつく。

 そして、光輝が一番聞きたいことを聞くべきか否か、躊躇っているということも幼馴染である雫には察しがついた。それは、光輝が暴走する原因となったことであり、光輝が雫の説得を無視して都合のいい解釈をしたことでもある。

 雫は、光輝が尋ねるのをそれとなく待っていたが、どうにも光輝の様子から、このまま何も聞かない可能性が高さそうだと判断し自ら伝えることにした。

「……光輝。私ね、南雲くんのことが好きになったわ。彼に、一人の女として見て欲しいと思ってる」
「っ……」

 雫の言葉に、光輝の表情が一瞬歪んだ。ずっと傍にいた幼馴染からストレートに告げられた言葉はどれだけ取り繕おうと、やはり光輝にとって認め難い現実なのだろう。ハジメが雫を背負って現れた時の、あの安心しきった幸せそうな寝顔が脳裏に過る。

「それで、これからは南雲について行くってことか? 南雲には本命がいるし、香織もいるのに? ……雫、考え直した方がいいんじゃないかな? 悪いことは言わな――」

 心の内に湧き出した黒い感情を極力漏らさないように気を付けながら、取り繕う光輝の言葉に被せるように、雫は静かに首を振った。

「光輝。私は別に意見を求めているわけじゃないわ。今のはただの報告よ。幼馴染だから」
「……」

 きっぱりした物言いに光輝は苦虫を噛み潰したような表情で押し黙った。何となく、援護を求めて龍太郎や鈴、そして親友と同じ男を取り合うわけにはいかないだろうと言う意味を込めて香織に視線を巡らせる光輝だったが、三人から返って来たのは静かな肯定の表情。もちろん、肯定しているのは雫の言葉であり、その気持ちだ。

 自分に同調してくれる者がいないと分かり、光輝は表情を消していく。どうあっても、自分にとって好ましくない現実を退けることが出来ないのだと理解し、ままならない現実への苛立ち、焦燥、妬み、憎悪といった感情が、矛先を求めて彷徨い始めた。

 だが、感情に任せて暴れるということはない。その対象たるハジメはいないし、何より、それをしてフルボッコにされたばかりなのだ。暗く澱んだ感情はあるものの、それが牙を剥くことは当面ないだろう。それこそ、何か大きなきっかけでもなければ……

 何となく、光輝の中の割り切れない暗い感情を察した鈴達だったが、結局、自分で乗り越えなければならない問題なので、どうしたものかと顔を見合わせるに止まる。

 そんな仲間の態度すら何となく心を逆撫でされてしまい、光輝は行き場のない感情を皮肉な言葉に込めて発してしまう。

「ははっ、皆、あいつの味方だな。人を簡単に殺して、簡単に見捨てるような奴なのに……」
「光輝!」

 雫が思わず声を上げる。シアやティオの視線が少し細められた。香織も、にこやかだった笑みが少し崩れる。

 だが、それに気が付かず、いや、気が付いていたとしても行き場のない感情を子供のような精神は止めることが出来ない。故に、言ってしまう。

「こんなことなら、あの時、橋から落ちるのは俺だったら良かッ!?」

 それは、誰に対しても余りに無神経で心無い言葉だった。だから、あの事件でもっとも心を痛めた女の子――香織によって物理的に止められてしまう。パシンッ! と派手な音を立てて、香織の張り手が光輝の頬に炸裂したのだ。

 呆然と、叩かれた頬に手を添える光輝に、香織は振り抜いた手もそのままに、厳しいながらも、どこか悲しそうな表情で口を開いた。

「……光輝くん。光輝くんのことは大切な幼馴染だと思ってる。……だから……嫌わせないで」
「……か、おり」

 光輝が、思いがけない衝撃に言葉を失い、それでも何か言わねばと口を開きかけた、その時、

ゴゥ!

 そんな豪風の風圧にも似た衝撃が駆け抜けた。その正体は、絶大な魔力の波動。“衝撃変換”などされていないはずなのに、それでも体内の魔力が反応して衝撃と感じてしまうほど莫大な量の魔力が邸宅の壁を透過して広がったのだ。

「これは……ハジメさん! ユエさん!」

 明らかに尋常でない事態に、シアが、その原因を悟って一気に部屋を飛び出していく。今まで、ハジメがアーティファクトを作るときに、こんな事態になったことはないのだ。

 魔力の波動は脈動を打つように断続的に広がり続けており、メンバーの体内の魔力を強かに打った。しかし、そんなシアの行動にハッと我に返った香織達は、直ぐに魔力を整えてシアの後を追った。

 シアの言葉通り、魔力の波動はハジメとユエが発生源らしかった。二人が籠っている部屋に近づけば近づくほど、駆け抜ける魔力の波動は密度を増していく。台風の直撃でも受けたかのように荒れ狂う廊下をどうにか進むと、部屋の前に辿り着いた。

 部屋の扉は既に開いており、シアが二人の無事を確認する為、中に入った後のようだった。吹き荒れる魔力に顔を庇いながら、意を決して香織達も中へと踏み入る。

 そこに広がっていたのは、紅と金の魔力が螺旋の奔流となって吹き荒れる光景と、その中央で、膝立ちになりながら向かい合って手をつなぎ、瞑目したまま微動だにしないハジメとユエの姿だった。二人の間には青白い光を放つ拳大の結晶といくつかの鉱物が置かれている。

「シ、シア、これどうなって……」
「わかりません。でも、取り敢えず、二人に何かあったわけじゃないみたいです」

 先にやって来て、魔力の嵐にウサミミを盛大に弄ばれているシアに香織が尋ねた。シアは腕で顔を庇い姿勢を低くしながらも、目を細めてハジメとユエの姿を確認し、どうやら大丈夫のようだと安堵の息を吐く。

 その視線を辿れば、確かにハジメもユエも危険な状態にあるわけではないようだった。それどころか、二人共極度に集中しているようで、シア達が入って来たことにも気が付いていないようだった。額に流れる大量の汗が、今この瞬間も、概念魔法を込めたアーティファクトの作製に全力を注いでいることを示していた。

「……大丈夫なら、出た方が良さそうね」
「そうじゃな。妾達のせいで失敗などしたら……お仕置きされてしまうのじゃ」
「……そこは嬉しそうに言っちゃダメだよ。ティオさん」

 シア達は、ハジメ達の邪魔をしないようそっと扉へ向かって後退した。

 そんな中、光輝だけがジッとハジメを見つめていた。その瞳に感情の色は見えないが、それが逆に激情を押さえ込んでいるようにも思えて危うく見える。

「光輝」

 雫が呼び掛ける。しかし、光輝は答えない。むしろ、スッと一歩を踏み出そうとした。

「光輝!」
「っ……」

 咄嗟に、雫が光輝の腕を取る。魔力の嵐にトレードマークのポニーテールをなびかせながら、真剣な眼差しで光輝を真っ直ぐに見据えた。その視線に、まるで怯えたように動揺をあらわにして、光輝は踏み出しかけた足を逆に一歩、後退らせた。

 その瞬間、

「! 何ですか!?」
「え、映像?」
「暗い……洞窟?」

 シア達の眼前に突如、どこかの風景が映り始めた。まるで霧をスクリーン代わりに映像を映すように、魔力光そのものが媒体となって断片的に流れていく。特異な状況に、部屋を出るのも忘れて見入るシア達。

 その時、鈴がポツリと呟いた。

「何だか、オルクスみたい……」
「確かに、緑光石の明かりで照らされる巨大な洞窟と言えば【オルクス大迷宮】じゃの……」

 鈴の推測をティオが肯定する。淡い緑の壁に照らされる洞窟と言えば、確かに、緑光石の鉱脈を掘って創られた【オルクス大迷宮】だろう。

 だが、鈴がそう断言できなかったのは、映っている洞窟の風景が鈴達の知っている、ある程度“構造物”としての体裁を保っていた表層の迷宮と異なり、ひどく自然的であったからだ。人の手など入っていない自然の洞窟。そして、幅や高さなど大きさも鈴達の知る迷宮とはかけ離れている。

 突然の事態と不可解な映像に困惑を深めるシア達だったが、やがて映像が巨大な四辻を映し岩陰から除くようなアングルとなって、その奥に白い体毛と肥大した後ろ足、そして体を這う赤黒い血管のような筋を持ったウサギ型の魔物を捉えた瞬間伝わった感情と共に映像の正体を悟った。

「これは、不安? ……それに焦り」
「恐怖も感じるわ。……記憶、なのね。この映像は」
「おそらくご主人様じゃな。話に聞いていた“奈落”という場所の記憶というわけじゃの」

 シア達の推測は正解だった。

 映像と共に、部屋を満たす魔力から伝わる感情。見た事もない明らかに異常な魔物を前に溢れ出る不安、焦燥、恐怖。どういう理由で、あるいは原因で、こんな事態になっているのかは分からなかったが、少なくとも、見える映像も感じる感情もハジメのものだということは理解できた。

 奈落での出来事は、ユエと出会った後のことはともかく、それ以前についてハジメは多くを語っていなかった。既に終わったことであり、ハジメに苦労自慢や不幸自慢をする趣味はなかったからだ。単純に面倒だったというのもあるが。

 なので、シア達は自分の知らないハジメの過去を知れると、一瞬、目配せをして意思疎通を図ると、部屋を出て行かずに穴が空きそうなほど真剣な眼差しで映像を凝視し始めた。好きな人の今を形成する始まりが知れるのに、退室など出来るはずがなかった。龍太郎や光輝も興味が出たのか同じく映像に集中し始める。

 と、その時、「あっ」と誰かが声を上げた。映像の中で、異常な雰囲気を漂わせる魔物が、凄まじい勢いで突進して来たからだ。

「ハジメさん!」
「ハジメくん!」

 思わず、警告とも悲鳴ともつかない叫び声を上げるシアと香織。その間も映像は目まぐるしく動き、紅い魔力から伝わる恐怖と焦燥は膨れ上がっていく。

 蹴りウサギに嬲られるハジメにシア達は歯噛みする。そして、遂にハジメが左腕を粉砕され、その苦悶の感情が伝わると、鈴などは見ていられないと目を覆ってしまった。

「ハジメさんが……こんな一方的に……」
「これが、私達が知っていた南雲くんよ。戦う力なんてないに等しかった……」

 一方的に弄ばれるハジメに、シアは涙目になりながらも信じられないといった表情だ。そんなシアに、雫は唇を噛み締めながら言葉を零す。

 やがて、映像が一瞬途切れる。ハジメが、眼前の蹴りウサギに己の死を感じてギュッと目を瞑ったせいだ。ハジメの感じている死の恐怖が伝播する中、再び、映像が流れる。そこには、怯えた蹴りウサギの姿があった。

 蹴りウサギの視線を辿って転じた視界には、巨大な白い体毛の熊。一目見て尋常でない魔物だとわかる。それを証明するように、映像の中でハジメを嬲った蹴りウサギはあっさり両断され、ハジメの目の前で血飛沫を撒き散らしながら捕食されていった。

 爪熊の眼光が、映像越しにシア達を射抜く。今の彼女達なら、爪熊如きの眼光など大したものではないが、それでも、その眼に宿る色が、敵に対するものではなく食料に対するものだということ感じ、更に、ハジメの抱く根源的な恐怖も伝わって思わずビクッと体を震わせた。

 その後に起こったことは、ハジメに想いを寄せる少女達にとって余りに悲惨だった。

 追い詰められ、左腕を奪われ、それを目の前で咀嚼される。自分を捉える眼光は、相変わらず食料に対するそれで、噴き出す血と、徐々に形を失っていく己の腕が、否応なくその現実を助長する。

 聞こえるはずのない絶叫が、魔力の波動に乗って伝わった。人という種族がまず向けられることのない眼を向けられ、実際に体の一部を喰い散らかされ、決壊した恐怖と苦痛。そして、恥も外聞もなく、ただ一ミリでも遠く恐怖の権化から離れたいと死に物狂いで穴ぐらへと這いずって行く。

 映る映像は既に暗闇。伝わる感情は飽和してしまったのか既に判然としない。ただ、ハジメが泣き叫び、それすら徐々に弱まっていくことだけが、命の灯火が消えていく光景を連想させながら伝わった。

「ハジ、メさん……」

 シアがホロリホロリと涙を流す。傍らの香織や雫、鈴は、手で口元を覆っている。ティオもその視線は厳しい。目の前にいれば八つ裂きにしかねないほど爪熊への殺意を迸らせていた。

 彼女達が見守る中、やがて暗転した視界が復活する。ハジメは、己が助かったことに疑問を抱きつつ、導かれるように壁の奥へと進んで行き、そこで水を滴らせる神秘的な結晶体と出会う。神結晶と神水だ。

 ハジメはそれを飲み、砕かれた心を抱えて暗い洞窟の中で蹲った。助けを求めながら……

 そこからは記憶が曖昧なのか途切れ途切れの映像となる。だが、その代わりと言わんばかりに、伝わる感情は密度を増して行った。

 どれだけ助けを求めようとも誰一人応えることのない圧倒的な孤独。自分という存在すら呑み込まれそうな暗闇。狂いそうなほどの飢餓感。絶えることのない幻肢痛。

 幾日も幾日も拷問のような苦痛に耐える。死んだように横たわりながら、やがて自然と死を願い、されど服用した神水がそれを許さず、行き場のない感情はクラスメイト達への憎しみへと繋がり、この世の理不尽を呪うようになった。

 だが、それも徐々にどうでも良くなり、ハジメの心は黒く黒く染まっていく。生への渇望、そして、それを邪魔する存在への殺意に。

 ハジメは動き出す。その視界に、神水の溜まった地面の窪みを捉えた。ズリズリと這いずって行き、犬のように啜り始める。飢餓感や幻肢痛はそのままに、活力だけ取り戻した水面に映るハジメの顔付きは既に別人だった。

 ギラギラと殺意に輝く眼光と共に、ハジメは穴ぐらを抜け出す。たった一つの武器とも言えない武器――錬成を駆使して魔物を狩る。

「っ……これが、あの姿の……」
「聞いてはいたけどよぉ……こいつは強烈だな……」

 魔物の血肉に喰らいつき、手も服も血塗れとなり、きっとその顔も血肉で汚れているであろうハジメの姿は、まさに化け物というに相応しい。

 そうして、再び伝わる声にならない絶叫。その苦痛がどれほどのものなのか想像も出来ない。地面に頭を幾度も打ち付けて、のたうち回るハジメの体は、視界に時折映る範囲からだけでも、崩壊と再生を繰り返しているのが分かる。

 見るに堪えない凄惨な光景と、伝播する地獄というのも生温い苦痛の嵐に、さしもの光輝も二の句が告げず、龍太郎はやり切れない思いと共にスッと視線を逸らした。鈴は、今にも嘔吐しそうな己を必死に叱咤して堪えている。

 やがて変貌が終わり、その姿が血溜りと零した神水の水溜りに映ると、そこには今と同じハジメの姿があった。より一層、生への執念と殺意を滾らせ、強靭な肉体と新たな力を手に入れた今のハジメの姿が。

 そして、武器を作ることしか出来ないありふれた職業である錬成師の力と、異世界の火薬の原料を駆使して、気の遠くなるような試行錯誤の末、兵器を産み落とし、己の心を一度は砕いた爪熊へ自分が戦えることを証明する為に戦いを挑んだ。

 激戦の末、爪熊を制し、その血肉を喰らって己の糧にしたハジメは、そこで自覚する。己の心底から来る本当の渇望を。

 すなわち、

――帰りたい

 その想いに呼応するように、部屋を満たす魔力が脈動した。いつしか、ハジメの体は紅色の魔力光に包まれており、ハジメとユエを中心にして、更に魔力が跳ね上がった。

 だが、それは無差別に撒き散らされるような魔力ではない。二人と中心に渦巻く螺旋の奔流へ吸い込まれるように集束していく。

――帰りたい

 再び、魔力を通してハジメの純粋にして強烈な願望が伝播した。その想いに、心打たれたようにシア達が自分の胸元をギュッと握り締める。

 紅の魔力は止まるところを知らず燦然と輝き、その紅の輝きを支えるように金色(こんじき)の魔力が寄り添う。キラキラと煌きながら徐々に穏やかさを取り戻していく魔力流は、ゆったりと二人の周囲を回り始める。それはまさに煌く銀河の如く。

――故郷に帰りたいんだ

 静かな、されど何者にも揺るがすことなど出来ない、自然とそう理解させられるような強烈な意志の込められた想いが染み渡るように伝わった。それはまさに、極限の意志と言うべきもの。

 映像の中のハジメは、一度、天を仰いだ後、静かに瞑目した。自分の中で、想いと覚悟を確かなものとするように。そして、瞳をスッと開くと、迷宮の深部へ向けて通路の奥の深淵へと躊躇うことなく向かって行った。

 映像を映していた魔力光はそこで吸い込まれるように、ハジメとユエの周囲を周回する魔力の渦に加わる。

 シア達の反応は概ね同じだった。ただ、ハジメが今のハジメに至る凄絶な過程に呆然としている。

 シアや香織、ティオ、雫などは、ハジメの道程とその切実な想いに自分でも理解しきれない感情からホロホロと涙を流し、同時に、再び立ち上がって這い上がって来た想い人に誇らしさを感じてほんのりの微笑を浮かべていた。

 鈴や龍太郎は、ただ圧倒されたように口をつぐみ、敵わないわけだと、どこか納得したような表情となった。

 自分達も、相当な修羅場を潜って来たと思っていたが、それでも、常にメルド達、経験豊富な騎士団のサポートがあったし、何よりチート持ちの仲間に囲まれていた。果たして、たった一人で、あれほどの苦難を乗り越えて奈落から這い上がって来ることが自分に出来るものだろうかと想像して、首を振る。今見た光景ですら、始まりに過ぎないのだ。とても耐えられるとは思えなかった。

 そして光輝は……力の抜けたような、空虚な眼差しを虚空に向けていた。その胸中には、先程、自分が奈落に落ちていればと言ってしまった時のことが過ぎっていた。

 今の今まで、光輝はハジメの強さを卑怯だとさえ思っていた。雫に、凄まじい経験をして来たに違いないと言われても実感など微塵もなく、ただ奈落に落ちることで簡単に力を手に入れて好き勝手やっている奴だと、本気でそう思っていたのだ。

 だが、知ってしまったハジメの道程は、自分のそんな思いを吹き飛ばすような凄まじいもので……

(……帰りたい……か)

 心の中で呟く。自分は果たして、そこまで帰郷を望んでいるだろうかと疑問が湧く。同時に、求められるまま勇者としてこの世界を救うと公言して来た自分の想いは、魔力を通して直接伝わったハジメの純粋で強烈な想いと比べると、何とも薄っぺらな気がして……

(ち、違う……俺は間違ってない。南雲の想いは……わかったけど……でも、だからって……それに、雫まで……俺から何もかも奪って……)

 過ぎった自己否定の感情を、必死に振り払う。

 光輝が自分の内面と問答していると、ハジメとユエに変化が現れた。正確には、ハジメとユエの間にある結晶体と鉱物に、だ。

 澄み渡った紅い魔力に包み込まれ、徐々に形を変え、あるいは融合し、魔力を取り込んでいくそれらは、紛れもなく錬成が行われている証。

「あれは、鍵……かな?」
「そうね。水晶で出来たアンティーク調の鍵みたいね」

 香織の呟きに雫が同調する。ハジメとユエの間で形作られていくそれは、持ち手側に正十二面体の結晶体を付け、先端の平面部分に恐ろしく精緻で複雑な魔法陣の描かれた鍵だった。

 神結晶と他の鉱物との融合で創られており、ハジメとユエの魔力を大量に取り込んで紅水晶に金の意匠があしらわれた何とも美しい芸術品めいたアンティークキーとして仕上がっていく。

 そして、完全に形が創られた直後、今まで微動だにしなかったハジメとユエが、手を繋いだままスッと眼を開けた。薄く開いた瞳には、何も映していないようでもあり、二人にしか見えない何かを見つめているようでもあった。

 異様にして、どこか神秘性も感じる雰囲気に、誰かのゴクリと生唾を呑み込む音が響いた。次の瞬間、今度は、二人の唇が震える。そうして小さく開かれた口から紡がれた言葉は……

「「――“望んだ場所への扉を開く”」」

 刹那、恒星の如き眩い光の奔流が二人を中心に噴き上がった。一度は落ち着いていた銀河の流れは、まるで超新星爆発でも起したかのように部屋を純白の光一色に染め上げ、その場の全ての者の意識をも白く塗り潰した。


いつも読んで下さり有難うございます。
感想・意見・誤字脱字報告も有難うございます。

次回で、今章は終わりです。
物語はラストに向けて徐々に加速していきます。
楽しみにしていただけたら嬉しいです。

PS
特設サイトが更新されたようです。
よければ覗いてみてください。

次回の更新も、土曜日の18時の予定です。
+注意+
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