挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
ありふれた職業で世界最強 作者:厨二好き/白米良

第七章

147/279

よかった、やっぱり変態だ

鈴、龍太郎、ティオの回です。
――本当は気が付いていたくせに

 それが、大迷路を攻略している時から、ずっと鈴に耳に囁かれていた言葉だ。そして、今、全身を白一色に染めた赤黒い瞳の自分に正面から投げつけられている言葉でもある。

 その言葉を聞く度に、鈴の心は、まるでプレス機にでもかけられているかのようにギリギリと締め付けられ軋みをあげた。当然だ。それを認めることは、鈴にとって罪を認めることと同じなのだから。

 負の感情から作られた虚像の鈴が突き付けたこと事実。

 それは、鈴が恵里の性質について薄々気が付いていたということだ。

 中村恵里に対する周囲の印象を聞いたなら十人中十人はこう答えるだろう。

 大人しく控えめで、一歩引いた位置から全体を客観的に見ることの出来る女の子。普段は、口出しを控えているが、ここぞと言う時には的を射た意見を言える思慮深さと、さり気なく手助け出来る気配り上手な女の子。少し後ろから微笑みながら追従してくる姿は大和撫子のよう、と。

 他にも色々あるだろうが、概ね、優しくて善意に溢れる性格だと、そういう印象を抱いている。光輝達も同じだった。観察眼の鋭い雫でも、ほぼ変わらぬ印象を持っていた。だからこそ、あの日、恵里が本性をあらわしたとき雫もあれほど驚いたわけだ。

 そんな中、鈴だけは少し違う印象を抱いていた。

 鈴は、恵里という女の子をもう少し打算的な女の子ではないかと思っていたのだ。それは、恵里の親友を自負し、常に傍で見ていたからこそ、そして、谷口鈴という女の子が特別、人の感情の機微に敏感だったからこそ分かったことだろう。

 恵里の微笑む瞳の奥に、時々鋭さや冷たさが宿るのを鈴は気が付いていたのだ。そして、普段から一歩引いているのは性格からくる自然なものというよりも、積極的な情報収集にはその方が便利だからという合理的な理由から来るものだということも、何となく察していた。

 だが、それを恵里自身に指摘したことはないし、不快に思うこともなかった。なぜなら、恵里がそうやって集めた情報を言葉や行動に変えたとき大抵は誰かの為になったからだ。

 そして、大抵の場合に含まれない時でも、恵里の在り方や言動が己の心身を守る為のものであると察したからだ。

 己の身を、心を守る為に、何かを演じるという行為を鈴は否定しない。なぜなら、それはイコール自分に対する否定に繋がるから。

 それは、どういうことか。理解するには鈴の生い立ちを知る必要がある。

 鈴の両親は根っからの仕事人間だった。朝から晩まで仕事、仕事。幼い頃から、鈴は、雇われのお手伝いさんに育てられたようなものだ。参観日や父兄参加の恒例行事にも両親が出たことはない。

 それなりに裕福な家ではあったが、お手伝いさんが帰ってしまえば鈴は広い家にポツンと一人取り残されることが常だった。幼子が長い時間一人でいれば、性格的に暗くなるのは必然。保育園や小学校低学年の頃は友達も余りいない根暗な子供だった。

 別に、両親に愛されていなかったわけではない。与えられるものはどれも吟味されたものだったし、夜帰って来たときこっそり鈴の様子を見に来て頭を撫でてくれたことを鈴は知っている。

 でも、幼い鈴には、それでは全然足りなくて……だから、拗ねた気持ちで、たまに会えた両親に対しても素っ気ない、可愛げもない態度をとってしまったり、本当は起きていたのにわざと寝たふりをしてしまったり……

 そんな鈴が、今の天真爛漫の体現者のような在り方になったのは、ひとえにお手伝いさんの影響だろう。雇われて数年が経ち、塞ぎ込んでいく幼い鈴を見かねた恰幅のいいお手伝いのおばさんは、鈴に一つアドバイスをした。

 それは、“取り敢えず、笑っとけ”という何とも適当さ溢れるアドバイスだった。それで周りは変わるから、と。今も、鈴の家に通ってくれている鈴にとってはもう一人の母にも等しいお手伝いさんの言葉だ。当時の鈴はわけがわからないまでも、それで寂しくなくなるならと実践した。

 まず、両親に対して素直に喜びをあらわにしてみた。にっこり笑って、飛び跳ねて、頭を撫でられたり、プレゼントをもらった時に全力で嬉しさを表現した。本当は、まだ心にわだかまる気持ちはあったのだが、それを押し込めて接してみたのだ。すると、両親の顔は鈴の記憶にある限り見たことも無いほどデレ~と、だらしのないものになった。

 相変わらず仕事が忙しいのは変わらなかったが、それでも両親が自分を見る度に幸せそうに微笑む姿を見ることが出来るようになった。それは、鈴自身も幸せになるような笑顔だった。

 次に、学校でもよく笑うようにした。本当は楽しいことなんて特に何もなかったけれど、それでも常にニコニコと笑顔を浮かべるようにした。

 すると、いつの間にか鈴の周囲には常に誰かがいるようになった。その誰かは、みんな笑顔で楽しそうに鈴に話しかけるのだ。それを見ていると、今まで学校生活が嘘のように楽しいものに変わった。

 それで鈴はわかったのだ。たとえ辛くとも悲しくとも、笑顔でいれば釣られて笑顔は増えていく。そうすれば、もう一人にならなくて済むのだと。

 それからというもの、鈴は二度と一人にならない為にどんな時でも笑顔を絶やさないようにした。そう、どんな時でも。

 鈴の笑顔は常に本心からのものではなかった。むしろ、半分くらいは演技の笑顔だった。長年の在り方が、本心からの笑顔と演技のそれを区別させないほど同じものとしていたのだ。

 だからこそだ。同じように大和撫子然とした仮面を被って、己の心身を守る恵里の打算的な性格に気が付いていながら不快に思えなかったのは。むしろシンパシーを感じたからこそ、気が付いた後、より深く付き合うようになったのだ。

 それは、恵里の方も同じだと思っていた。恵里もまた演技的な在り方をする鈴にシンパシーを感じてくれているのだと思っていたのだ。打算的で保身的ではあるが、本当に友人だと、親友だと思ってくれていると、そう思っていた。そして、自分の身を傷つけようとしない相手には、ちゃんと善意の心を持っているとも思っていたのだ。

 いや、そう信じたかったと言うべきか。

 この世界に来てから膨れ上がっていた違和感を放置して、気が付いてしかるべきだったことに気が付こうとせず、その努力を放棄したのは、笑顔の仮面を取り去って打算に塗れた恵里の心に踏み込むことが恐かったから。今までの心地よい関係が終わってしまうことを、もしかしたらと薄々気がついていた恵里の悪意が露呈し突き付けられるのが恐かったから。

 だから、信じた。盲目的に信じた。抱いてしまった違和感も、感じる不安も胸の奥底に封じ込めて、恵里に悪意などないと、打算的でもそれは常に親友である自分や仲間である光輝達の為になるはずだと。

 その結果、

『あの日の悲劇が起きた。二人のクラスメイトを失い、メルドさんを含め多くの騎士達が死に、南雲君達がいなければ香織も死んでいた。この世界に来て、恵里の本性を薄々察していた鈴だけがあの日の悲劇を止められたのに、我が身可愛さに鈴は現実から目を逸らした。自分でも自覚できないほど心の奥底に封じ込めてしまった。いつも通り、笑顔を貼り付けて……』
「っ……」

 鈴の心の闇。それは凄まじい罪悪感。自分だけが恵里の凶行を止められたかもしれないのに、恵里が悪いことをするはずないと現実を否定するように放置した。結果、多くの人間が死に、危うくクラスメイト達も全滅するところだった。

 さり気なく雫にでも相談しておけば、それだけで何か変わったかもしれないのにと、あの日から鈴の心には激しい後悔が渦巻いていた。

『親友だと公言しながら、彼女の心の歪さには気が付かなかった。鈴なら、誰より恵里と一緒にいた鈴なら、気が付くことが出来たはずなのに、あんなに歪んでしまう前に、どうにか出来たかもしれないのに……相手の心に踏み込むことで、自分の笑顔が演技であることもばれるかもしれないって……恐れて何もしなかった。……“親友”が聞いて呆れるよね』
「……」
『笑顔さえ貼り付けていればいいと思った? 広く浅くの関係ばかりで、本当に心を通わせたことなんてないくせに、一人じゃないなんて思ったの? 恵里の言う通り、馬鹿丸出しだね?』

 鈴は無言で鉄扇を薙いだ。展開していた数十の障壁が風を切って虚像の鈴に殺到し周囲を取り囲む。刹那、その内包魔力を爆発させ、即席の破片手榴弾の如き暴威を白い鈴に叩きつけた。

 周囲の地面が吹き飛び、氷片がキラキラと宙を舞う中で、やはりというべきか、顔の半分を隠すように白い鉄扇を広げた虚像の鈴が障壁の輝きに包まれて無傷で現れた。

 戦闘が始まってから、ずっとこの繰り返しだった。鈴の攻撃は白い鈴の防壁をどうしても突破できなかった。そして、防備を固めた虚像の鈴は容赦なく一方的に言葉の刃で鈴を切り裂くのだ。

『もう一度、恵里に会ってどうするの? 本当は会って自分が何を言いたいのかもわかっていないくせに、どうせ問答無用で殺意と嘲笑を向けられると思っているくせに』

 白い鈴が過去のことだけでなくこれから先の未来のことまで刃に変えて振るう。

 すべきことをせず、現実から目を背けて、自分自身を誤魔化して、多くの人を死なせた罪悪感、親友と称しながらその歪さに踏み込もうとしなかった後悔、会いたい気持ちは本物なれど、実際に会ってどうしたいのか未だに分からず、深い霧の中を彷徨うような不安と焦燥。

 軋みをあげ、切り裂かれて血を流し、散々嬲られた鈴の心は限界……のはずだった。

『これだけ言っても、中々、強化されないね。最初は、言えば言うだけ()は弱くなったのに。否定するなり、目を背けるなりしてくれれば、鈴は強くなれるのに……』
「やっぱり、そういうルールなんだね。それなら、何を言っても、もう君が強くなることはないよ」
『そうみたいだね。途中から、少しずつ、心を定め始めた。()の言葉が、逆に、自分を見詰め直す力になっちゃったか』

 やれやれといったように頭を振る白い鈴に相対しながら、肩で息をし、震える手で鉄扇を握る鈴は、それでも凛とした声音で口を開く。

「……うん。自分のことなのに、突きつけられれば突きつけられるだけ、すごく痛いし、苦しい。でも、君の言うことは全て正しいよ。だから、もういいんだ。もう、自分のために(・・・・・・)足踏みするのは終わり。元々、【ハルツィナ大迷宮】で夢を見たときから、鈴がどれだけ大切なことから目を逸らして来たのか分かっていたから」
『……都合のいい夢だったね』

 白い鈴が嗤う。だが、鈴も笑った。それは演技ではない、苦さと痛みを含んでいるものの本心からの笑み。

「得られるはずだったんだよ。あの夢の世界は。鈴が現実をきちんと受け止めていればね」

 鈴が静かな瞳で独白する。

「あの時、妙子さん(お手伝いさん)が“笑っとけ”って言ったのは、ただ笑顔でいればいいって意味じゃなかった。それだけじゃなくて、誰かと心通わせたいのならまず自分が心を開けって意味だったんだよ。今なら、わかる」

 誰かを幸せにしたいなら、まず自分が幸せであれ、というような言葉を聞いたことのある者は多いだろう。それと同じことだ。

「君の言う通り、恵里に会ってどうしたいのかは、正直、鈴にもわからない。罵りたいのか、責めたいのか、目を逸らしていたことを謝りたいのか、説得したいのか……わからない」

 鈴の心は、あの日、手痛い裏切りを受けた日から千々に乱れている。いろんな感情が大雨の後の川のように氾濫して、ただ溢れそうになるのを堪えている。きっと、相対して初めて堤防は崩れ、鈴の心は叫ぶのだろう。

 だから、

「わからないけど、会わなきゃならないことだけはわかるから……」

 もう、【ハルツィナ大迷宮】の時のような無様は晒さない、言外にもう一人の自分へそう伝える。

『……また、少し力が下がった。決意は本物なんだね』
「そうだよ。もう言葉だけじゃない。甘いだけの夢は見ない。鈴は、君を越えてこの先の道を行く! 集いて再来せよ――“聖絶・転”!!」

 鈴は決意を言葉に乗せ宣言した。そして、大きく一対の鉄扇を扇いだ。

 直後、白い鈴の周囲が燦然と輝きだし、まるで逆再生でもしているかのように障壁が作り出されていく。

 “聖絶・転”――再生魔法により一度壊れて霧散した障壁の魔力を利用して再度障壁を作り出す魔法だ。

 今まで壊れた鈴の障壁は数百に達し、壊した白い鈴の障壁も多数に上る。その全てを再生し出現したバリアバーストの為の障壁総数は、計百五十枚。それが、城壁のように白い鈴を取り囲んでいる。

『そっか……自分だけじゃ足りないから、鈴が壊された障壁の分まで再生したんだね』
「うん。君は鈴自身だから再生するのは難しくなかった。代わりに全ての魔力を持ってかれちゃうけど……君は倒せる!」
『なら試してみて。全て乗り越えて決意に変えたその力を!』

 白い鈴の障壁が輝く。打ち砕けるものならやってみろと挑発するように。

 鈴は鉄扇を力強く薙ぎ払った。障壁の全てに指向性を持たせて爆散させる呪文と共に。

 直後、広い空間が轟音と共に激震し、天井から氷片がパラパラと降り注いだ。

 余りの爆発力に術者たる鈴も吹き飛ばされ壁際まで地を滑っていく。そして、氷壁にぶつかって激しく背中を打ち付けながら意識を飛ばしかけた。防御に回す僅かな魔力すら惜しいと、全て爆発力に注ぎ込んだのが原因だ。

 鼓膜が破けたのか耳鳴りのような音を感じるだけで何も聞こえない。朦朧とする意識をどうにか繋ぎ留め、揺れる視界をどうにか定めながら爆心地に視線を向ける鈴。もうもうと上がる魔力の残滓と氷片の煙が晴れていき、巨大なクレーターが出来た場所には……何もなかった。

 同時に、鈴から見て右側の氷壁の一部が突如溶け出し新たな通路が出現する。

 それを見て、鈴はようやく試練を乗り越えたことを悟った。途端、魔力枯渇と衝撃波によるダメージで急速に意識が遠のいていく。

(……少しだけ……休んでもいいよね)

 鈴は内心でそう呟いてから、引きずり込まれるように意識を闇に落とした。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 ほの暗い水の底でたゆたうような、そんな感覚の中で鈴の意識は僅かに覚醒した。

 一定のリズムで体が揺れているようで、鈴は、まるでゆりかごのようだと曖昧な意識の中で思う。しかし、ドスドスと響く音と頬に伝わる温かさが、体重の重い人間の足音と体温であると理解した瞬間、鈴の意識は急速に浮上していった。

「あ、あれ? なに? どうなって……」
「よぉ、鈴。起きたかよ?」
「へ? 龍太郎くん?」
「応よ、俺だぜ」

 一瞬、「すわっ、誘拐かな!?」と焦っていた鈴は体を強ばらせたものの、どうやら龍太郎の背中に背負われているらしいとわかり体から力を抜いた。

「えっと、どうして龍太郎くんが鈴をおんぶしてるの?」
「そりゃあ、お前。ムカつく野郎をぶっ飛ばして出来た道を通って来たら、同じような部屋の隅で爆睡してる鈴がいたから、取り敢えず連れて来たんだよ。揺すっても起きねぇし、流石にプロレス技かけるわけにもいかねぇし」
「うん、そんな起こし方をされてたら寝起きのバリアバーストだったよ」

 鈴は、一瞬、龍太郎ならやりかねないと嫌そうな表情を浮かべたものの、結果的に女性に対する気遣いが出来ているので、これも成長だね……と安堵の息を吐いた。以前は男も女も関係なく肩とか背中とかをバンバンと叩きながら豪快に笑うような奴だったのだ。

「でも、そっか。あの試練の部屋って他の皆とも繋がってたんだね」
「みてぇだな。この道の先も誰かの部屋があると思うぜ?」
「カオリンかティオさんだといいなぁ。まだ回復しきってないし……って、龍太郎くんも何かボロいのにありがとうね? 鈴を運んでくれて」

 龍太郎の大きな背中に収まりながら鈴がにこやかに礼を述べる。見れば、龍太郎も相当な激戦を制して来たようで衣服共々かなりボロボロだ。ノッシノッシと歩く足取りに乱れはないが、かなりダメージを受けているように見える。

「ああ、このくらいどうってことねぇよ。ちょっとアバラが五本くらいと、肩の脱臼と腕の骨が折れてるくらいだ」
「それは“これくらい”で済ませていいレベルじゃないよっ!!」
「いやいや、肩ははめ直したし、腕も“金剛”で補強してっから、大丈夫だゲボハァ!?」
「ひぃいいい!! 龍太郎くんが有り得ない量の吐血したぁ!?」

 龍太郎の自己申告を聞いて慌てる鈴の眼前で、大丈夫だと言いかけた龍太郎が真っ赤なマーライオンになった。どうやら内臓にも相当なダメージがあったようだ。

 悲鳴を上げながら急いで龍太郎の背中から降りた鈴が、拙い回復魔法をかける。回復系の術に適性があるわけではないので、いざという時の為に習得していた初級の魔法に過ぎないがないよりはマシである。

 大量の血をリバースしたとは思えないほどケロッとした龍太郎がワイルドに口元を拭っているところに淡い光が包み込む。携帯できるほど簡略化した魔法陣のせいで効果はそれほど高くないが、止血と痛み止め、小さな傷を治すくらいなら可能だ。

「お? 何かちょっと楽になったような? ありがとよ、鈴」
「……あのね、龍太郎くん。バケツをひっくり返したみたいな量の吐血をしておいて、何で平然としてるの? 実は人間じゃないの? 馬鹿なの?」
「ひでぇなぁ。なに、この程度なら気合でどうとでもなる」
「……気合……便利な言葉だね」

 疲れた表情で治癒を終える鈴。ついでに自分も爆発の衝撃で体の芯にダメージが残っていたので、治癒しておく。もっとも、気休め程度なので早く香織かティオ辺りに見てもらいたいところだが。

「まぁ、順調にクリアして来てっから、ちょっとテンション上がってるっていうのもあるけどな」
「あ~、確かにね。樹海の時と違って、ちゃんと戦えてるのは……確かに、嬉しいね」
「だろ?」
「そう言えば、龍太郎くんはどうだったの? あんまり悩みとかなさそうだけど……あっ、答えづらかったらいいよ?」

 さり気なく、「脳筋なんだから言葉責めされるポイントがねぇだろ」と酷いことをいう鈴。ある意味、一皮向けたようだ。

 一方、ナチュラルに罵倒された龍太郎は特に気にした風もなく、というか気が付いた様子もなくあっけらかんと答えた。

「いや、大したことじゃねぇから構わねぇよ。ただ単にヘタレ野郎って罵倒されただけだしな」

 その言葉にキョトンとする鈴。龍太郎は目の前に危険があっても取り敢えず突貫してみるという男だ。怯んだ姿は見たことがない。それがヘタレとはどういうことか。想像できなくて鈴は首を傾げた。

 そんな鈴に龍太郎は少し恥ずかしげ頬をポリポリと掻きながら視線を逸らして爆弾を落とした。

「いやぁ、昔からな、惚れた女にどう接すればいいのか分からなくてなぁ。告白したこともない上に大体他の男に取られちまって……その辺がなぁ」
「……それは……何というか……」

 ある意味、軽い悩みとも言える。鈴の予想通り、もしかすると大迷宮側も「こいつ負の感情とか少な過ぎるんですけど? どうやって責めたらいいか分からないんですけど?」という感じだったのかもしれない。

「それでまぁ、遠慮せずに力尽くで奪っちまえみたいな、そんな感じで色々と嫌な感じが湧き上がって来たんだが……」

 龍太郎の場合、心の闇を突き付けることで自滅を図らせるような手が無意味だったため、どうやら大迷宮側は意識の誘導を強めて理性を失わせる、あるいは善意などの正の感情を打ち消して欲望に心を呑ませる、という方向で龍太郎を攻めたようだ。

 それはそれで、狂人化の危険がある厄介な試練ではあったのかもしれない。だが、龍太郎は理性を失わず欲望の権化とはならなかった。その最たる理由は龍太郎の精神力というよりも……

「実質的に奪うとか不可能だし。有り得ねぇし。むしろ瞬殺されるし。南雲にも、ユエさんにも」
「へ? ………………………………………………………………………ぇええええええええええええええええっ!!?」

 話の流れから鈴は龍太郎の心の内を知り、その余りの意外さに数拍の間の後、盛大に驚愕の声を張り上げた。

 そして、口をパクパクさせつつ大きく目を見開いた鈴は、恐る恐るといった感じで確認し始めた。龍太郎はムスっとした表情でそっぽを向いているが、若干、耳が赤くなっているので照れ隠しだとバレバレである。

「りゅ、龍太郎くん、え? うそ? ほんとに? お姉様のこと好きだったの?」
「あぁ~、何だよ、俺があの人に惚れるのがそんなにおかしいかよっ」
「い、いや、そんなことはないんだけど。でも、そんな素振り全然みせないから……」
「……お前、あの二人を前にして、そんな素振り見せられると思うか?」
「……龍太郎くん……なんて哀れな……」
「同情してんじゃねぇよ! お前、何か性格変わってるぞ!」

 龍太郎が、可哀想なものを見るような眼差しを向けてくる鈴に吠えたてた。言動が妙にストレートになっているので、その指摘は正しい。もう、ただ笑顔でいるだけの女の子ではないのだ。

 だが、今、重要なのは鈴の変化ではなく、惚れた女が眼前で他の男と人目もはばからずにイチャイチャしている光景を見せつけられ続けた龍太郎の心の傷(笑)の方である。確かに、ハジメとユエを前にして、ユエに惚れているような言動など取れるはずもない。雰囲気を漂わせることもはばかられる。男のプライドとか意地とか心のダメージ的に。

 出来ることと言えば、失恋を認めて割り切ることだろう。実際、龍太郎はそうしていた。その辺りを大迷宮は無理やり引っ張って来たということなのだろうが……

 奪う相手が悪すぎた。男側も女側も。欲望云々の前に、手も足も出ない未来が確定的だ。いくら奪えと黒い感情を刺激されても、不可能なものは不可能である。むしろ、煽るもう一人の自分に「無茶言ってんじゃねぇ! 現実を見やがれ!」と八つ当たり兼説教をかましたくらいだ。

「う~ん、でも本当に意外だったよ。まさか、龍太郎くんがお姉様に惚れてたなんて……」
「別にそこまで不思議でもねぇだろ? お前だって、あの日から“お姉様”なんて呼んでるじゃねぇか」
「ああ、そういうことなんだね。うん、それは確かに不思議じゃないかも」

 龍太郎の言葉に鈴は得心したように手をポンと合わせた。

 龍太郎の言う“あの日”とは、【オルクス大迷宮】で絶賛大ピンチだった時のことだ。蒼い龍を従えて敵を蹂躙したユエの神々しさすら感じる美しさと圧倒的な強さ、泰然自若とした態度、見た目の幼さに反した妖艶な雰囲気、僅かに見せた鈴への優しさ……その全てが高校生の少年少女には余りに魅力的すぎた。

 鈴がお姉様と慕うようになったのと同じように、幾人かの男子生徒(一部女子生徒)があの日のユエに心奪われていたりするのだ。龍太郎もその内の一人というだけである。

「他の奴等には言わないでくれよ」
「それは、まぁ、言わないよ。言ったところで龍太郎くんがダメージ受けるだけだし。っていうか、鈴にも言わなくてよかったのに」
「……確かにそうなんだが……」
「あぁ、一度くらい、誰かに聞いて欲しかった……みたいな?」
「鋭いじゃねぇか。まぁ、そんなところだ。愚痴みたいなもんだよ、悪ぃな」

 苦笑いを浮かべる龍太郎に、鈴もまた苦笑いで返した。

「でも、八つ当たり気味に正面決戦でも挑んで、そんなにボロボロになったのはいただけないね」
「……野郎の面がムカついたんだ。思い出したらまた殴り飛ばしたくなってきたぜ」
「鏡を使えばいいと思うよ」

 何とも微妙な試練をくぐり抜けて来たことが判明した龍太郎に鈴が微妙な表情をしていると、やがて前方に行き止まりが見えてきた。どうやら話している内に終点まで到着したようである。

「お? 次の部屋だな」
「カオリンが、ティオさんがいますように……」

 回復を頼みたい鈴は祈るように手を合わせながら氷壁に近づいた。それに反応して溶けるように氷壁が消えて行き奥の部屋への入口が開く。

 果たして……鈴の願いは届いたようだ。

「きゃっ!?」
「うおっ!?」

 鈴と龍太郎が、部屋に入った途端襲ってきた衝撃と魔力の奔流に、思わず悲鳴を上げながら両腕で顔を庇う。そして、どうにか鈴が障壁を展開し、向けた視線の先には、互いに片手を突き出し、黒色と純白の閃光を放ち合うティオの姿があった。

 対局にある二色の閃光は、ティオと、白髪に雪のような白い着物を纏った虚像のティオとの中間で、互いの閃光を呑み込まんと正面からぶつかり合っている。氷の部屋を蹂躙している衝撃は、互いのブレスが衝突して発生させているものだった。

『ふふふ、感じるのじゃ。()の憎悪と憤怒を。恐怖と諦念を。何百年経とうとも、忘れることないあの悲劇、庇護していた者達の手のひらを返したような裏切り、侮蔑と畏怖の眼差し、仲間を、友を、両親を殺され、その亡骸を辱められた屈辱』
「……」

 白と黒の閃光が空間を染め上げる中、虚像のティオが嫌らしい笑みを浮かべながら、やけに明瞭に響く声音で語る。それは、五百年前の、歴史から竜人族が消え去ることになった大迫害の記憶。最強の国の最強の種族として、しかし、決して傲慢を見せず、暴力的な支配とは無縁にあった最高の国の最後。

 竜人族は数が少ないが故に、彼等の収める国には人間や亜人を問わず、様々な種族が共存繁栄していた。無力な者を庇護し、弱き者を支え、邪悪が現れれば国を問わず立ち向かい、道徳と善性を正面から掲げた。そんな冗談のような彼等であったが、間違いなくその理念が貫かれていたことで、自国の民のみならず、周辺の国も含めて、竜人族こそが“真の王族”とまで言われ称えられていた。

 誰もが、いつか、どこかで、なんらかの理由で、竜人族達に守られ、救われていたのだ。誰もが、畏敬の念を持って彼等を慕っていたのだ。

 だが、そんな日は唐突に終わりを迎える。

――竜人族は、魔物である

 そんな馬鹿げた考えが、まるで悪夢のように人々の中へ急速に浸透していったのだ。大陸中、どんな種族を見ても、完全に別種に変身する種族などいない。その圧倒的な力と、完全竜化という獣の見た目は、確かに、人と魔物の境界をあやふやにするものだった。

 それでも、今までの功績が、その高潔なまでの在り方が、否定されるわけがない。にもかかわらず、その考えが流れ出した途端、人々の目は畏敬から畏怖へ、信頼から疑惑へ、そして憧れから侮蔑へと変わっていった。

『のぅ、()よ。あの時は、なかなか爽快な気分であったのぅ。ほれ、教会を粉微塵に砕いてやった時じゃ。あの大迫害の時も、各国を束ねて妾達を追いやった中心は教会であった。憎き敵が砕け散る様は、得も言われぬ快楽であったじゃろう』

 虚像のティオは言う。ハジメを助けるという建前(・・)で、本当は自らの復讐を果たせたことにこそ歓喜していたのだろうと。結局のところ、ティオ・クラルスにとっては、南雲ハジメの生死より、復讐のための大義名分を得られたことが何より重要だったのだろう、と。

 その言葉に、普段からハジメに隠すこともなく好意をぶつけている姿しか知らない鈴や龍太郎が、驚愕したように目を見開いてティオを見つめる。

 しかし、ティオは反論らしい反論もせず、ただ黙ってブレスを放ち続けるばかりだ。まるで、虚像の言葉を肯定しているかのように。

 それに気を良くしたのか、虚像のティオの舌は、ますます滑らかに動く。

『最初に、南雲ハジメについて行こうと考えたのも、本当は“使える”と、そう思ったからじゃろう? あの男の力は異常じゃ。そして、その力が目立たないわけがない。で、あるならば、あの不自然なほど唐突に始まった大迫害の黒幕――神もまた必ず注目する。そして、かつて力を持った竜人にそうしたように、彼にもまた牙を剥く。そうすれば、南雲ハジメの牙もまた神へと向き、弑逆への一助になるやもしれんと、そう考えたのじゃろう』

 それは何とも打算的な考えだ。ますますもって普段のティオからはかけ離れた考え方。傍から聞いている鈴と龍太郎も信じられない思いだ。

 しかし、虚像の己が語る言葉は、決して嘘ではないのだ。たとえ僅かでも、たとえ本人ですら自覚がなくとも、確かに本人が心の奥に欠片でも持ち合わせている感情なのだ。だからこそ、被虐趣味の変態で、でも時折とても理知的で優しい面を見せるティオの知られざる内面に、驚愕を隠せない。

 そんな二人の様子に気がついたのか、ティオがチラリと視線を向けた。その顔には、何の感情も浮かんでいない。明るさも、ふざけた笑みも、優しさも、知性の光も、宿ってはいない。初めて見たティオの表情に、鈴と龍太郎が息を呑む。

『人間、亜人、魔人、そして神。あの時、大切なものを奪い去った全てが憎い。じゃが、その憎しみは、怒りは、()にとって抱いて当然のもの。――そう、復讐は、()の正当な権利じゃ!』

 白の閃光が、僅かに黒の閃光を呑み込み始めた。力の拮抗が崩れ始めたのだ。それは、虚像の言葉が、ティオの心を揺さぶったからか。

 ティオは覚えていた。両親が常日頃から、誇り高く高潔であれと口にしていたことを。事実、二人は一族を逃がすために戦い、最後の最後まで竜人族の矜持を貫いた。故に、ティオの内なる想いは、他者への憎悪と憤怒を正当とし、復讐を肯定する感情は、そんな両親への裏切りでもある。

 虚像のティオが、弱まったティオの力にニヤリと口元を歪めながら、そっと、ブレスを放つのとは反対の手を差し出した。

『妾の手を取れ。さすれば、妾がその復讐を成し遂げさせてやろう。もう、内にくすぶる業火を無理に押さえ込まんでもよい。良心に苛まれて、復讐の牙を鈍らせることはない。妾が、南雲ハジメを上手く誘導してやるのじゃ。なに、あの男も、憎からず妾を想うておる。一度懐にいれた者には甘い男じゃ。やりようはいくらでもある』

 それは誘惑だ。ティオの深奥に封じられていた復讐の炎を業火へと変える燃料。ティオの心を傷つけへし折り、ティオ自身を殺すためのものではなく、龍太郎の時と同じ、誘惑による精神の変質を狙った攻撃。ティオを使い、神殺しへと駆り立てるハジメ達への罠でもある。

 白いブレスはますます勢いを増し、黒のブレスはティオの心を示すように弱まっていく。その様子に危機感を覚えたのか、鈴と龍太郎が焦燥の滲んだ表情で「ティオさん、聞いちゃダメ!」「しっかりしてくれ、ティオさん!」と叫んでいる。

 白の閃光は、もう着弾寸前。そのまま消し飛ばされるか、それとも虚像の手を取り仲間をも利用する変質したティオとなってしまうのか。その場合、事の目撃者である鈴と龍太郎が無事で済むとは思えない。

 だが、今、鈴と龍太郎には自分達の危機以上に、変態だが頼れる姉さんのような存在であるティオの堕ちる姿を見たくないという気持ちの方が遥かに強かった。たとえ、ティオが一向に振り向いてくれなくても、ならば障壁を解いて直接虚像と戦おうと考えるほどに。

 と、ティオが陥落寸前と思われたその時、不意に声が響いた。それは、今の今まで一言も口を効かなかったティオの声。

「我等、己の存する意味を知らず」

 静かな声音。それは語りかけるというよりも、まるで己の中の何かを確かめているかのよう。

「この身は獣か、あるいは人か。世界の全てに意味あるものとするならば、その答えは何処に」
『その言葉は……』

 虚像のティオが、何かに気がついたように呟きを漏らす。同時に、自分の放つブレスの侵攻がピタリと止まっていることに気がついた。

「答えなく幾星霜。なればこそ、人か獣か、我等は決意もて魂を掲げる」
『っ、力が……、馬鹿な、一体、なにがきっかけで――』

 黒色の閃光が前へ出た。ググッと白を黒に染め上げ、奪われた距離を奪い返す。虚像のティオは、押し返されたブレスと共に、己の中の力が弱まっていくのを感じた。ティオは、ずっと自分の言葉を黙って聞いていたはずだ。何一つ反論など出来ず、その心に隙を作り、負の己に屈しようとしていたはずだ。

 なのに、なんのきっかけもなく、いきなり盛り返した。虚像のティオが混乱する中、次第にブレスの奏でる轟音をも塗り潰す朗々とした言葉が響き渡る。

「竜の眼は一路の真実を見抜き、欺瞞と猜疑を打ち破る」

 獣の瞳なれど、それは誰かを恐怖に陥れるためだけのものではない。知性を合わせ持ち、真実を見抜き、誰かの救いとなるためのもの。

「竜の爪は鉄の城壁を切り裂き、巣食う悪意を打ち砕く」

 どのような敵も打ち砕いてみせよう。守るべき者がそこにいるのなら。竜の爪は、ただ悪意を滅ぼすためにだけ振るわれる。

「竜の牙は己の弱さを噛み砕き、憎悪と憤怒を押し流す」

 強大であり、人とはかけ離れた姿であるからこそ、厳しく己を律しなければならない。その為ならば、己自身に牙を突き立てよう。憎悪や憤怒に身を焼かれ、理性を失うことなど、自身が許しはしない。

「仁、失いし時、我等はただの獣なり」

 ただ感情のまま力を振りまき、無辜の者達を傷つける己に成り下がったなら、認めよう。自分達は、ただの獣であると。

 だが、

「されど、理性の剣を振るい続ける限り――我等は竜人である!」

 ティオが、宣言と共にカッと目を見開いた。その瞳は縦に割れて獣性を示し、燦然と輝く黄金で彩られていた。同時に、ティオから溢れ出す不可視の圧力。大瀑布の水圧にも等しい、だがハジメの嵐のような暴力的なものとは異なり、まるで遥か高き霊峰を仰ぎ見たような、自然と頭を下げたくなる、そんな威圧――強いて言うならば、覇気というものだろう。

『……まさか、お主よ。制御しておったのか?』

 虚像のティオが、有り得ないとでも言いたげな表情になる。それはそうだろう。きっかけ一つなく、精神を弱らせ虚像に力を与えていたのに、何事もなかったように盛り返したのだ。その意味するところは一つ。

 ティオが、己の精神の強弱すらコントロールしていたということ。

 大迷宮の試練すら欺く精神の制御など並大抵のことではない。ハジメ達が揃いも揃って武力チートだとするなら、ティオは精神力チートというところか。

「大迷宮の意思よ。感謝するのじゃ。中々、己の本心を客観的に聞くことの出来る機会はない。心とは、広大な海のようなものであるからして、妾自身の気づかぬ内に隙が出来ているかもしれんと利用させてもらったが……存外、収穫はあったのじゃ」

 その言葉で、自分の推測が確かだったのだと理解した虚像がますます有り得ないといった表情になる。

『……じゃが、妾の言ったことに偽りはない! 負の感情がなくなったわけではないはずじゃ! なぜ、こうも容易くっ』

 虚像の言葉に、ティオはスッと目を細めた。そして、虚像から根こそぎ力を奪うほど精神を強化していく。

 黒い着物の裾と、長く艶やかな腰まで届く黒髪を魔力の奔流にはためかせ、威風堂々と立ちながら、真っ直ぐに腕を伸ばすその姿は、きっとこの場にハジメがいたなら、ユエが隣にいたとて思わず目を奪われるであろう美しさがあった。

 変態性のかけらも見せない、王とも見紛う立ち姿で、ティオは言葉に魂を乗せて響かせる。

「舐めるな。妾を誰と心得る」

 人である以上、負の感情がないなど有り得ない。虚像がいった打算的な面も、復讐心も、ティオの心には確かにある。だが、虚像の疑問に対する答えなら、先程の竜人族の魂の宣言で示している。あの竜人族に伝わる誓いこそが、ティオの精神を強靭足らしめている支柱だ。ティオが竜人である限り、決して砕けぬ絶対の核。

 それでも分からなかったというのなら、と、竜人族の誇りと気高さをもってティオは宣言する。

「誇り高き竜人――クラルス族が末裔、ティオ・クラルスなるぞ!」

 それが答え。竜人ティオ・クラルスだから折れはしない。ただ、それだけのことだった。

 虚像のティオに、言葉はない。その表情には、どこか納得したような、まいったと言いたげな、そんな曖昧な微笑みが浮かんでいた。

 そんな己の虚像へ、ティオは威風堂々と最後の言葉を贈る。

「復讐の牙など……真に強靭なるは竜の牙じゃ。その身をもって味わうがよい」

 直後、ティオのブレスがドクンッと一つ脈打つと、倍化でもしたように太くなり僅かな抵抗も許さず白の全てを呑み込んだ。そして、そのまま部屋の壁に大穴を開けて霧散していく。

 後には何もない。すぐさま修復されていく氷の空間と、新たに出現した氷の通路を一瞥すると、ティオは、特に喜ぶでも、感慨にふけるでもなく踵を返した。

 結果を見れば無傷。黒を基調とした着物の裾をふわりとなびかせ、前に垂れた髪を片手で優雅に振り払う。静謐さすら感じる雰囲気と、その美しい所作に、先程の圧倒的な強さと相まって絶世の美女という言葉が自然と浮かび上がる。

「やっばいかも……鈴に、第二のお姉様ができそうだよ」
「俺は何とも思ってねぇぞ。あぁ、思ってねぇったら思ってねぇ。ちくしょうめ」

 鈴と龍太郎の会話が耳に届いたのか、ティオが二人を見てふわりと微笑む。そんな笑顔にも、二人はいちいちドギマギさせられてしまう。

「二人とも、無事だったのじゃな。ここへ来たということは試練も突破したということかの?」
「は、はい。な、何とか……」
「お、おう、です。突破した、っす」

 妙にキョドル鈴と龍太郎に、ティオは首を傾げる。そんな所作も、今の二人には心臓的によろしくない。普段は頗る付きの変態なくせに、このギャップは反則だろう! と声を大にしてツッコミたかった。特に、龍太郎が。

 そんな二人の様子を疑問に思いつつも、ティオは鈴達が通ってきた背後の通路を見る。

「合流したのは、主ら二人だけかの?」
「う、うん。他の人は、見てないよ」

 鈴の言葉に、「そうか」と頷いて、少し残念そうな表情になるティオ。そして、切なげな表情をして、更に鈴と龍太郎の体温を上げつつ、ポツリと零した。

「ご主人様がおれば、虚像に晒されたご主人様と出会った当初の考えのことで――今すぐ、お仕置きしてもらえたじゃろうに。それもとびっきりのお仕置きを。残念じゃ」
「「残念なのは、あんただよ」」

 思わず、はもりながらツッコミを入れた鈴と龍太郎。本当に、ほんと~に! 残念だった。いろんな意味で。

 ただ、ちょっとだけ、やっぱり変態なティオを見て安心したとは、なんだか負けた気がするので絶対に口にはしないのだった。
いつも読んで下さり有難うございます。
感想・意見・誤字脱字報告も有難うございます。

変態だけでも無理ゲー。
脳筋まで手が回りませんでした。
変態共々、改稿するかもしれません。

次回の更新も、土曜日の18時の予定です。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ