挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
ありふれた職業で世界最強 作者:厨二好き/白米良

第七章

145/261

忘れ去られた記憶

「ぶっ飛びやがれですぅううううっ!!」
『くぅうううっ!!』

 氷柱のある巨大な空間に、シアの雄叫びとドリュッケンが生み出した轟音が響き渡った。それに紛れて、黒色のウサミミとウサシッポ、そして髪を持ったシアが盛大に吹き飛び中央の氷柱に激突する。

 衝撃で氷柱の一部が粉砕され、氷片が盛大に撒き散らされた。キラキラと光を反射する氷片の中に蹲りながら黒いシア――シアの虚像が左肩を抑えながら顔を上げる。そこには「参った」とでも言うような苦笑いが浮かんでいた。

『あはは、全然動じませんねぇ。確かに、貴女()が抱える闇のはずなんですが……』
「それはそうでしょう。家族が追われたことも、多くの命が失われたことも、どれだけ言い繕おうと、どれだけ罪悪感に苛まれようと、どれだけ許しを得ようと、私が原因であることに変わりはなく、私が一生背負わなければならないことです。そんな苦悩、そんな覚悟、とうの昔に済ませてます」
『……心の闇というのは、それでも人を沼の底に沈めるものなんですよ?』

 心に巣食う闇の部分は、そう簡単に己を解放してくれるものではない。故に、虚像のシアは、戦闘が始まっても、どれだけ負の言葉を囁いても、一向に揺らがないシアにもう笑うしかなかった。

「貴女は私なのでしょうが、でも、やっぱり全てではないのですね。大迷宮の意図が絡んでいるのが分かります。そうでないなら、今の私が、その程度の言葉に揺らぐはずがないと最初からわかるはずですから」

 シアはドリュッケンで肩をトントンしながら、足をガクブルと震わせつつどうにか立ち上がった己の虚像に力強い眼差しを向けた。その瞳には、本人の言葉通り小波一つ立ってはいない。今のシアに並みの精神攻撃など何の痛痒も与えはしないのだ。

 確かに、自分が原因で樹海を追われたことも、そのせいで家族を幾人も失ったことも、シアにとって決して忘れ得ぬ悪夢であり、消えぬ心の傷だ。だが、それに苛まれて足を止めることはもはやない。

 理由は簡単だ。既にハウリア族は強く、自分達自身で選んだ道を歩んでいるから。そして、最愛の恋人と友が傍にいるから。

 力強く、どこまでも優しく、父親であるカムを含め家族達は自分を送り出してくれた。ハウリアにシアを託されたハジメは、シアを心から受け入れてくれた。時に姉のように、時に親友として、ユエは常に寄り添ってくれた。

 そんな恵まれた自分が、勝手に“堕ちる”など、誰よりシア自身が許さない。散々、助けられてきたのだ。ずっと、守られてきたのだ。たかだか己の気持ち一つに膝を屈するなど有り得ない。今のシアは、どんな敵にだって負ける気がしなかった。

『確かに、何を言っても私は弱体化する一方です。なるほど、“己を乗り越える”というこの試練、貴女()は、とっくにクリアしていたんですね』
「そういうことです。私の大切な人達が待っていますから……押し通らせてもらいますよ!」
『ふふっ、いいでしょう。最後の一撃、存分にっ!!』

 白と黒のシアは、地面を粉砕する踏み込みと共に、相棒たる戦鎚を激発させながら突進した。木霊する炸裂音と、空気の破裂するような衝撃音。互いに大きく振りかぶり、一回転しながら繰り出した一撃は音速の壁を超えて白い膜を突破する。

 正面から二つの戦鎚がぶつかり合い、雷鳴の如き轟音と周囲一体を粉砕する衝撃が生み出された。爆撃でも受けたかのようにシアと虚像を中心にクレーターが出来上がる。

 そして、弾かれ吹き飛んだのは……黒いシアの方だった。

 手から離れた黒いドリュッケンがくるくると宙を舞う。放物線を描いて吹き飛んだ黒いシアが着地を待たずにゆらゆらとその姿を消していく。足から順に宙へと溶けていき、最後、顔が消える際には口元を僅かに綻ばせた。

 爆心地で、ドリュッケンを振り抜いた姿勢で残心するシアは、「ふぅ~」とゆっくり息を吐きながら力を抜いていく。近くで、カラン、コロンと薬莢が地面に落ちた音が響いた。

「先に逝ってしまった皆も、今の私なら誇りに思ってくれるでしょうか……」

 天を仰ぎながら自然と漏れ出た自身の言葉に苦笑いを零しつつ、シアはドリュッケンを肩に担ぎ直した。そんなシアの視線の先で新たな通路が出現する。

「この試練、ハジメさん達なら問題ないでしょけど……雫さん達は心配ですね」

 シアは、迷路で相当参った様子だった雫達を思い出し、心配そうな表情をしながら若干駆け足で新たな通路へと踏み込んだ。

 実は、雫が試練を乗り越え乙女パワーを底上げしているなどとは思いもせずに。

 シアがウサミミをピコピコと揺らしながら小走りで通路を進んでいると前方に行き止まりが見えた。一瞬、道を間違えたのかと思ったシアだったが、その優秀な感知能力が行き止まりの壁の向こう側に感じ慣れた気配を捉え、思わず喜色を浮かべる。

 小走りの勢いのまま、ドリュッケンを振りかぶって氷壁を破壊しようとするシア。通路が出来たのだから、当然、行き止まりのわけがなく勝手に出口が開くだろうということは容易に想像がつくのだが……取り敢えず、障害はぶち壊せ! の精神になっているのは誰の影響か。

「りゃああああっうぁっとっと!」

 氷壁に叩きつけるべく振り抜いたドリュッケンは、案の定、シアが近づくことで勝手に消えた氷壁により目標を見失い盛大な空振りとなる。遠心力にたたら踏むシアは、そのまま新たな空間の中へと飛び込むことになった。

「あ、あはは、そりゃそうですよね。開きますよね。……ユエさんに見られてないですよね」

 シアは恥ずかしげに頬を染めつつ、己の失態をユエに見られていないか視線をこそこそと巡らせた。そう、シアが感じていた気配の主はユエだったのだ。いち早くユエと再会できたという喜びでテンションが上がってしまったのである。

 果たして、その視線の先には確かにユエがいた。シアの時と同じく、大きな空間の中央に円柱型の巨大な氷柱があり、その傍で静かに佇んでいる。シアに背を向けている状態なので、その表情はよく分からない。

 周囲にユエ以外の気配はなく、シアが出てきた通路の他に二つの通路が見えたことから、既にもう一人の自分は倒したようだと推測できた。

 シアは、流石ユエだと微笑みながら、ユエに声をかけようとする。が、そこで、シアは不意に気がついた。ユエの姿が妙にボロボロだということに。

 もちろん、ユエには“自動再生”があるので、肉体的な外傷は見受けられない。だが、衣服まではその対象外なので再生魔法を使う必要があるのだが……その衣服が、あちこち破れ、穿たれ、焼き爛れ、凍りついているのである。

 それはすなわち、ユエが自分の虚像から何度も何度も攻撃を受けたということで……

 シアは僅かに目を見開いた。いくらユエの本来の戦い方が、攻撃させている間に更に強大な力で圧倒するというものだとしても、この試練の性質上、シアのように無傷でクリアできると思っていたのだ。

 しかも、倒した後も先には進まず、それどころか衣服の修復すらせず、何かを考え込むように佇んでいる。僅かに天を仰ぎ微動だにしないことから、あるいはシアの存在にも気がついていないのかもしれない。

 どこか近寄りがたい雰囲気を纏うユエに、シアは僅かに二の足を踏むも、一つ深呼吸すると意を決して声を張り上げた。

「ユエさん!!」
「ッ……シア?」

 部屋に響き割った明るい声音に、ユエは一瞬、ビクッと体を震わせると驚いたような表情で肩越しに振り返った。そして、そこに微笑むシアの姿を見つけ目元を緩めた。

「シア……部屋は繋がってた?」
「はい。そうみたいです。試練をクリアして新しく出来た通路を通って来ました。ユエさんもクリアしたんですね」
「……ん。問題……ない」

 ユエの衣服の惨状には言及せず、シアは結果のみを確認する。ユエは、それでようやく自分の状態に気がついたのか、傷一つないシアを横目に若干恥ずかしそうに再生魔法を行使した。瞬く間に修復されていく衣服。

 シアは内心迷っていた。何があったのか聞くべきかどうかを。

 ユエは明らかに虚像からの言葉に動揺している。過剰に攻撃を受けるほど、その修復も忘れてしまうほど、シアの接近に気がつかないほど。

 一体、何を言われたのか。普段のユエからは考えられない姿だ。それだけ、虚像に告げられた言葉がユエにとって強烈だったのだろう。だからこそ、揺らぐユエにどんな言葉をかけるべきか、はたまた、ユエの中で整理がつくまで寄り添うに留めるべきか逡巡してしまう。

(一体、なにが……迷路では特に影響を受けていませんでした。ハジメさんや私達との関係については、何を言われようとユエさんが揺らぐとは思えないです。察するに、ユエさんの心の闇は、三百年前の裏切り……う~ん、それだって今更感があるのですが……)

 大切な人だからこそ、シアは内心でうんうんと唸る。

「……シア、私は大丈夫。それより、先へ進もう」
「ユエさん……そうですね。早くハジメさん達と合流しましょう!」
「……ん。早くハジメに会いたい」
「ふふ、ですね!」

 シアの内心を察したユエは苦笑いを浮かべながら新たな通路へ促した。

 明らかに“大丈夫”ではない。なのに、上手くユエの為の言葉をかけられない自分に落ち込んでウサミミをペタンと萎れさせてしまうシア。だが、ハジメと合流さえすれば、きっと何とかなる! と思い直し、殊更明るい声音と笑顔でユエに同調した。

 そうして、新たな通路を二人で並んで進む。

「皆さん、無事に攻略できているでしょうか? 樹海迷宮よりは難易度が低いと思うのですが……責め方が特殊ですもんね」
「……ん、確かに。勇者(笑)辺りは無理かも」
「ですねぇ。彼には天敵みたいな試練ですから……」

 道中、他愛ない雑談に花を咲かせる。ユエがさり気なく光輝に辛辣な評価を下していたりするが、概ね間違っていないのが何とも言えないところだ。ご都合解釈大好きな光輝には、確かに色々突きつけられるこの試練は相当堪えるだろう。

 もっとも、話題に上がったものの、二人共の内心は互いに向いていて、勇者への心配は皆無だったりする。単なる会話の流れであり、ともあれば己の内に沈みがちとなるユエに対する励ましの意味があった。とにかく、一人で黙り込んでしまうよりも会話している方が気は紛れるのでは、というシアの気遣いである。

 ユエも、そんなシアの意図に気がついているのか、冗談めかしながら会話に応じる。しかし、ふとした瞬間、やはり意識はどこか遠くへといってしまうようだ。瞳が微妙に焦点を失い、遥か彼方でも見ているかのように彷徨う。

 そんなユエの脳裏には、先程まで戦っていた虚像の言葉が繰り返し流れていた。

――本当の裏切者は誰?
――まだ、思い出さない?
――両親のことは?
――貴女が何者か、忘れてしまった?
――考えないようにしているだけ?
――逃げてるの?

――本当に、ずっと彼の傍にいられるなんて思ってるの?

「っ……」

 嗤う虚像の自分。彼女はユエに三百年前のあの悲劇を示唆する言葉を放ち続けた。

 三百年前。ユエが王位についた吸血鬼族の国。小国ではあったが、小さな鬼神の国と謳われたほどの強国だった。

 それは、吸血鬼族という種族の特殊性に理由がある。血という媒介を経て、身体を強化し、魔力を増幅させ、寿命すら延ばす。そんな力を持った種族は他にはいなかった。吸血行為自体に、畏怖の念を抱かれていたというのもある。

 そんな国の直系王族として生まれたのがユエだった。赤子の頃から将来を期待されるほど目立った美貌と充溢した魔力。魔法でも知識でも与えれば与えた分だけ吸収していく天賦の才能。生憎、武に関する才能だけはなかったが、そんなもの不要と断じられるほどユエの存在は一線を画していた。

 そして極めつけは、十二歳の時に発現した反則級の力。魔力の直接操作能力と魔法陣想像構成能力、そして固有魔法“自動再生”――書物に記される神代の登場人物達の如き凄まじい能力。

 当時は今とは比べ物にならないほど多くの国で溢れており、戦争は激化の一途を辿っていたのだが、自国の即戦力として戦場に駆り出されたユエはその力を遺憾無く発揮し、文字通り鬼神となって敵を蹂躙した。

 結果、ユエに対する名声と畏怖は膨れ上がり、若干、十七歳にして王位に就くことになる。

 十二歳で戦場の殺意と憎悪に塗れ、僅か五年後に国を支える支柱となった。普通の少女なら、余りの重圧に押し潰されて精神を病んでいただろう。だが、潰れてしまうには、ユエは強すぎたし聡明すぎた。

 信頼できる家臣や宰相であった叔父の助けもあり、ユエはその後も国の為に己の全てを賭けて尽力し、戦争の最中、自国を守り抜いていた。そのまま守り抜けると信じていた。

 あの日、最も信頼していた叔父が、彼の部下達と共に自分を殺しに来るまでは。

 ユエが王位に就いて二年ほど経った頃から、叔父と妙に距離が出来ていることには気がついていた。いや、正確に言うなら叔父がユエを避け始めていたのだ。それは、彼の部下も同じだった。

 当時のユエは、ある意味、両親よりも接する時間の長かった叔父との唐突な距離感に随分戸惑ったものだ。自分が何か不快にさせるような失敗をしてしまったのだろうかと悩みながら、何度も話し合いの機会を設けようとした。

 しかし、叔父との腹を割った話をする機会はとうとう実現せず、気が付けば二人の関係に溝が出来てから更に数年が経ってしまった。

 しかも、いつしか民達のユエに対する畏敬の念は、化け物に対するような単純な恐怖に変わっていた。ユエに関する様々な悪い噂が絶えることなく流れたからだ。自国を守る為の戦場での活躍が、皮肉なことに、その噂に拍車をかけた。

 最も信頼していた者達は、既に皆、ユエの傍から去っていった。代わりに、叔父が権力を増していき彼の周りに人々は集まるようになった。それはもう不自然なほどに。

 ユエの両親――前国王夫妻やその側近達は、皆こぞって叔父の排斥を訴えた。謀反の疑いがあるとして。しかし、ユエは何を言われようとも叔父を疑ったりはしなかった。きっと何か理由があるのだろう、と。最後の最後まで信じていた。

 そして、その最後の日が訪れてしまった。運命の日だ。

 玉座にて他国の使者を迎えているおり、叔父が完全武装した部下と共になだれ込んで来た。そして、前国王夫妻派の側近達を問答無用に惨殺し、その凶刃を、殺意を、ユエにも向けたのだ。

 呆然としている間にユエは幾度も致死性の攻撃をその身に受けた。“自動再生”が、瞬時に傷の尽く修復してしまうが、それでも混乱の極みにあった、否、現実を否定していたユエに反撃など出来ようはずもなく、気が付けば身動き出来ぬように封印され、あの奈落へと幽閉されている最中だった。

 客観的に見れば、叔父が野心故に国王の座を狙いクーデターを起こしたようにしか見えない。実際、三百年の幽閉の中で、ユエも現実に屈するように叔父に裏切られたのだと思うようになった。

 だが、だが……

(……どうしておじ……あの男は、私を殺さなかった?)

 そうなのだ。ユエが己の虚像に嗤われて今更ながらに気が付いた不自然さ。

 あの運命の日。ユエは、叔父の裏切りに抵抗しなかった(・・・・・・・)のだ。ユエはずっと“自動再生”のせいで殺しきれなかったが為に叔父はやむを得ず自分を封印したのだと信じ込んでいた。絶望と三百年の闇、そして圧倒的な孤独が、それ以外の可能性に対する思考を奪い去っていた。

 だが、“自動再生”は絶対ではない。魔力に依存するのだ。魔力が枯渇すれば再生は起こらない。魔力が枯渇するまで攻撃を続ければ殺しきることは可能なのだ。実際、あの時、ユエはショックの余り抵抗せず、最後の方では再生のしすぎで魔力は相当目減りしていた。

 叔父はユエを殺せたはずなのだ。

(……強い人だった。内政者としても戦闘者としても他の者とは一線を画していた。そんな男が、あの場で私を殺し損ねるなんて……有り得ない)

 ユエの脳裏に朧げながら三百年前の記憶が蘇ってくる。闇の中で記憶の深奥に押し込めた事実(・・)が、少しずつ色を取り戻していく。

(……あの男は、私を殺すのではなく封印しなければならなかった。……それは何故?)

 思考に没頭し、記憶の渦を旅するユエ。その脳裏に懐かしい声音が響く。優しく、されど何処までも悲しさと悔しさに、そして罪悪感に塗れた声音。

(――、すまな――。これ以外に、方――。いつの日か、きっと、――に寄り添う者が現れる。その者なら、きっと――から守ってくれるはずだ。――、私に、こんな――。だが、忘れ――。――を、愛して――)

 自分とそっくりの金髪。紅の瞳。苦労の刻まれた皺の目立つ顔。封印の影響と精神的負荷と魔力の多大な消費で朦朧としているユエには全てを聞き取れない。だが、一つ覚えているのは、ユエを封じる立体キューブ――そこから覗くユエの頬を愛しげに撫でる暖かな手の感触。

 ユエは、そっと自分の頬に手を伸ばした。何となく、あの時の温もりを感じるような気がする。それは、ハジメとは異なる温かさ。言うなれば、娘に対する父親のような……

(……私は、あの男を父のように思っていた? でも、それじゃあ、本当のお父様とお母様は……)

 裏切り者のはずの、憎い相手であるはずの、思いがけない記憶の断片。霞みがかった記憶の奥底で本当の両親のことを探る。

 しかし、いくら記憶の本棚を漁っても、まともな記憶は出てこない。それは忘れているからというより、三百年経っても覚えていられるほど印象的な出来事が何もなかったかのような……そんな感覚だった。

 それどころか、断片的に浮かび上がる両親は、どこか【メルジーネ海底遺跡】の試練で見た国の人々と雰囲気が似通っている気がする。

 ユエの背筋に氷塊が滑り落ちた気がした。ゾワリと悪寒が全身を襲う。

(……まさか、お父様達は……)

 疑い出せば芋づる式に不自然な記憶が蘇ってくる。

 ユエの記憶する限り、当時の戦争も例に漏れず宗教が多大に絡んでいた。だが、自国に関しては不自然なくらい関わりが薄かったように思う。

 ユエが即位してからも、宗教関係者との接触時には必ず叔父が同席していたし、そもそも接触そのものも止むを得ない事情でもない限り全て叔父が対応していた。

 叔父は内政となれば誰よりも知識深く賢明で、戦闘となれば何体もの魔物を使役する強力な魔物使いだった。だが、今思えば、一吸血鬼としては常軌を逸していたように思う。

 ユエの両親は、ユエを蝶よ花よと大切に育ててくれたし、欲しいと言えば何でも与えてくれて、やりたいことは何でも許容してくれたが、振り返ってみれば、それは親の子に対する愛情故にというより、敬愛じみた感情からだったように感じる。

 むしろ、親としての愛情をくれていたのは叔父だった。

 ユエは唐突に思い出す。

(……私と距離を置き始めた頃のあの男は……とても辛そうだった)

 即位して一年も経つ頃の叔父は、常に苦悩に眉根を寄せ、急速に老けていくようだった。その変化は、きっとごく親しい間柄の者にしかわからなかっただろう。当時のユエは、距離を置かれる不安や悲しみを感じると同時に、とても心配していたのだ。

 叔父は野心の為に自分を裏切り、長い長い暗闇の牢獄へと閉じ込めた。そう信じていたユエだが、虚像の言葉に揺るがされ、蘇ってきた記憶の断片は少しずつ他の可能性をユエに示し始めた。

 きっと、客観的に見た叔父のしたことと果てしない闇の牢獄が、ユエの記憶を一つに固定してしまったのだ。誰かを恨まなければ、希望を捨て絶望に浸りながら無気力に過ごさなければ、心が耐えられなかった。だから、一番、見た目通りの筋書きが真実であると信じ込んだ。

 だが、

(……私は記憶違いをしていた?)

 もしかしたら、真実は違うところにあるのかもしれない。そう思い始めたユエに再度一つの疑問が浮かぶ。

 すなわち、なぜ叔父は自分を封印しなければならなかったのか。

 同時に、虚像の言葉が蘇った。

――本当に、ずっと彼の傍にいられるなんて思ってるの?

「っ……」

 ユエの全身を恐怖が駆け抜けた。思わず、自分で自分を抱き締めて震えそうになる体を押さえつける。

 ハジメはユエにとっての光だ。暗闇を切り裂いて現れた、自分を照らし、温め、安らぎと幸せをくれる光。それを失うなど、ユエにとっては死に等しい。

 だが、もし、本当に傍にいられなくなるのなら……

「ユエさんっ!!」
「!? ぁ、シア?」

 気が付けば、ユエはシアに肩を掴まれ、真正面から真剣な眼差しで見つめられていた。一体、どれくらい己の思考に没頭していたのか。気が付けば、自分と向き合うシアの背後に行き止まりが見えており、通路の終わりまで来ていたようだった。

 呆けるユエに対し、シアはその華奢な肩から手を離して、今度はユエの両手を握り締めた。少しでも自分の存在や温もりが伝わるようにと胸元に掻き抱く。

「話して下さい、ユエさん。何を言われたんです?」
「それは……」

 シアは、ユエの尋常でない様子に逡巡を捨てストレートに尋ねた。もう、ユエを慮って待つなどという余裕ある対応ではダメだと思ったのだ。

 言葉を濁すユエに、シアは覗き込むようにして至近から見つめる。決然としたシアの様子にユエは誤魔化せないと溜息を吐いた。

「……ごめんなさい、シア。私自身、まだ整理がついていないから」
「話せない、ですか?」
「……ん。昔のことを色々言われて……ハジメやシアへの想いが揺らぐわけがないから試練は問題なかったけれど……それで思い出したことに記憶違いがあるかもしれない。整理したいから、もう少し待って」
「そう、ですか……」

 納得していなさそうなシア。ユエの手を握り締める手は全く緩んでいない。

 思えば、本当に随分と強くなったものだと、ユエはこっそり笑みを浮かべた。そして、握られた自分の手を見ながら思う。

 出会った当初は、ただ逃げ惑うばかり頼ってばかりの残念ウサギだったのに、必死に努力して、一生懸命に付いて来て、いつの間にか、こうやって自分の方が守られているほどになった。その真っ直ぐさに、ユエ自身何度心満たされたか。頑固者のハジメを陥落させたくらいなのだ。もう妹分などとは言えないかもしれない。立派な一人前である。

 だからだろうか。嫌な予感から湧き上がったそんな言葉を、ポロリと零してしまったのは。

「……シア」
「はい。何ですか、ユエさん」
「……もし、もし、私に何かあったらハジメをお願い」
「……」

 真剣な眼差しで、最愛の人を託す言葉。ユエにとって最大最高の信頼の言葉。

 だが、それを差し出されたシアは、

パンッ!!

「ッ!?」

 平手打ちを以て返した。

 身体強化はしていないが、それでも一切手加減も容赦もしていない本気の一撃だ。弾かれたように仰け反ったユエは、目を見開いてシアに視線を戻す。そこには、今まだかつて見たことがないほどの怒気を宿した燃えるような瞳があった。

「……ふざけているんですか?」

 声音も、今まで聞いたことがないくらいの怒りが宿っているようだ。少し震えているのは、溢れ出しそうな感情を押さえ込んでいるからだろう。纏う雰囲気まで、まるで【グリューエン大火山】で体感した灼熱のマグマの如くである。

 シアの本気の怒り。その余りの迫力と怒気に、ユエをして体が一瞬硬直した。

 咄嗟に言い訳でもするように口を開く。

「ち、違う……私は、シアなら……」
「冗談ではないと?」

 シアは燃える声音で確かめながらユエから一歩離れると、おもむろにドリュッケンを肩に担いだ。剣呑に細めた眼差しで唖然としているユエを見下ろす。そして、更に、低く煮えたぎるような声音で口を開いた。

「何を言われたのかは知りませんが、随分とまぁ腑抜けてしまいましたね。その情けない面、根性と一緒に叩き直して上げますよ」
「……シ、シア? まっ――」

 凄まじい怒気を放つシアに、ユエが落ち着くよう声をかけようとした、その瞬間、全く容赦ないドリュッケンの一撃が振るわれた。

 横薙ぎの一撃を、ユエは辛うじてバックステップで避けた。振り抜かれたドリュッケンは、そのまま真横の氷壁に衝突し、轟音と共に氷壁を粉砕した。氷壁は直ぐに再生を始めるものの、一瞬作られた放射状の穴が、シアの本気度を示している。

「……シア。冗談が過ぎる」
「冗談? この期に及んでまだそんな腑抜けたことを言っているんですか? わからないならはっきり言ってあげますけど、本気ですよ。先のふざけた言葉、撤回しないなら……ええ、私、本気でユエさんをボコります」
「……シア、私は真面目に」
「ぶっ飛びやがれですぅ! シャオラアアアア!!」
「ッ!?」

 再び、シアのドリュッケンが猛威を振るう。スイング速度が音速を超え白い膜のような空気の壁が発生し、直後、パンッと破裂するような音を響かせる。そして、直撃した通路の氷壁は、ただの一撃で木っ端微塵に粉砕された。

 それを狭い通路という逃げ場に乏しい場所で必死に避けるユエ。だが、元々、近接戦闘は不得意であり、特化型のシアには既に越えられている。直ぐに詰みとなるのは明白だった。

 ユエは、とにかくシアを拘束して落ち着かせなければと、意を決して暴風域へ自ら踏み込んだ。途端、上段から戦鎚が凄まじい勢いで振り下ろされた。それは、ユエの右肩を掠め、それだけで肩の骨を粉砕してしまう。

 痛みと衝撃にふらつきつつも、そんな傷は“自動再生”に任せて、ユエは“禍天”を発動し振り下ろされたドリュッケンを地面に縫い付ける。同時に、“氷柩”を発動しながら前かがみのシアを飛び越えた。

 反転する世界で、シアの足元から急速に氷がせり上がっていくのが見える。いつかのように、ユエの“氷柩”で氷の中に閉じ込めてしまおうというのだ。

 だが、今のシアを、その程度の魔法で止められるわけがなかった。

「甘いですよ、ユエさん!」

 ドリュッケンは“禍天”の加重で動かしづらいしはずであるし、仮に動いても体に密着する氷では間合いが近すぎてドリュッケンでは砕けないだろう……と思っていたユエだが、シアは、おもむろに片手を振り上げると、それを地面に向かって打ち込んだ。

 途端、ドンッ!! と衝撃音を発生させながらシアを中心に周囲の氷が吹き飛んだ。拳一つで衝撃を発生させ体に纏り付く氷を吹き飛ばしたのだ。

 しかも、そのままドリュッケンを力尽くで持ち上げると、射撃モードに切り替えて間髪入れず引き金を引く。

 炸裂音と共に散弾が飛び出した。狭い直線の通路内での散弾――避けることは当然敵わず、ユエは障壁を張った。そこに向けて、今度は炸裂スラッグ弾を連射するシア。通路内に、淡青色の魔力波紋が幾重にも広がり壮絶な衝撃が吹き荒れた。

「……シア! いい加減に」
「それはこっちのセリフですよ、ユエさん。少しは反省して撤回する気になりましたか?」
「……どうして」
「どうして? 本当にわからないんですか?」
「……」

 炸裂スラッグ弾の衝撃によって障壁に亀裂が入る。当然、直ぐに修復するユエだったが、余りの連続した衝撃に身動きが取れない。

 ユエは障壁越しにシアを見た。どうして、自分の寄せる信頼の証に対して、そんなにも怒りをあらわにするのかと悲しそうに眉根を寄せながら。

 だが、視線の先――射撃モードのドリュッケンを構え引き金を引くシアの表情は、ユエよりもずっと悲しげで、今にも泣きそうなものだった。未だ怒気に溢れてはいるが、明らかにユエの言葉に傷ついていた。

「託すってことは、その先の未来にユエさんがいないってことじゃないですか……」
「……シア」
「そんなこと、そんな未来……私が認めると思ったんですか? 私が喜んで許容すると思ったんですかっ!? 素直に『はい』って言うと思ったんですかっ!!」

 シアが怒っている理由とは、つまりそういうことだ。信頼と言えば聞こえはいいが、確かにユエの最大の信頼ではあるのだろうが、受け取る方は堪ったものではない。

 当然だ。シアはユエのことが大好きなのだ。そんなユエがいないことを前提とする信頼など「はい、いいですよ」と笑って受け取れるわけがない。

 シアは最後にドリュッケン内の弾丸を連射して一斉に撃ち尽くすと、地面を粉砕する勢いで踏み込んだ。シアの言葉にハッとしたように目を見開いたユエは、一瞬、魔法の制御から意識を削いでしまう。

 それは、今のシアを前に致命の隙だ。重さを一気に二トンまで増加させたドリュッケンを容赦なく打ち付ける。

「ぐぅ!!」

 障壁は粉砕され、豪風と共に衝撃波がユエを襲った。盛大に吹き飛ぶユエ。

 その隙に、シアはドリュッケンに弾丸を一瞬で再装填した。そして、ユエが行き止まりの壁辺りにまで吹き飛び、その背後で通路の出口が開いた瞬間、更に炸裂スラッグ弾を撃ち込んだ。

「っ、“聖絶”!」

 再度、障壁を張ったユエは球体状の障壁に守られたまま、衝撃により出口から部屋の中へと吹き飛んでいった。

 通路の入口を爆炎が包む中ウサミミを靡かせて、シアは通路の出口から奥の部屋へと飛び出していった。

 その先では……

「ふぇ!?」
『な、なんなの!?』

 香織と灰色のノイント姿の虚像が双大剣で鍔迫り合いをしたまま硬直している姿があった。

「さぁ、ユエさん! フルボッコにされたくなかったら、さっさとごめんなさいして下さい!!」

 ビシッとドリュッケンをユエに向かって突き出すシア。

 ……どうやら香織のことはまるっと無視するつもりらしい。


いつも読んでくださり有難うございます。
感想・意見・誤字脱字報告も有難うございます。

前回の展開について、沢山の意見、有難うございました。
ご都合主義の扱いに関して、「な、なるほど」と思わせられる意見が多数あり、自分でもなんだか納得してしまったので、あのまま行こうと思います。

次回も、土曜日の18時に更新予定です。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ