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ありふれた職業で世界最強 作者:厨二好き/白米良

第六章

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反転しましたけど何か?

 嫌悪、いや、もう憎悪と言い換えてもいいかもしれない。そんな深く暗い感情を、ハジメは――――ユエに感じていた。

 それは、どうやらユエの方も同じようだ。すぐ傍で、ハジメを見上げるその表情は憎々し気に歪められ、瞳には殺意すら宿っている。

「ユエ」
「……ハジメ」

 互いに慣れ親しんだ名前を呼び合い、同時に不快感をあらわにする。

「……お前のことが滅茶苦茶憎いんだけど」
「……あなたのことが凄く憎い」

 そして、同時に澱んだ感情をストレートに浴びせつつ武器を突きつけあった。ハジメはドンナーをユエの額に、ユエは蒼炎を宿らせた右手を掲げて。ついでに「あ?」「んん?」とヤクザ屋さんも真っ青なメンチを切り合う。

「ちょっと、何をしているんですか、二人共」

 と、そんな一触即発の二人に、突如、声がかけられる。シアだ。ドリュッケンを肩に担いだまま、いや、どちらかというと振りかぶったような体勢で二人に制止の声を……

「お二人をぶっ殺すのは私ですよ? 勝手なことしないで下さい」

 かけることもなく、ハジメ達と同じく、その瞳に嫌悪と殺意を宿らせて睨んでいた。

 ハジメも、ユエに感じる殺意に近い悪感情をシアに感じる。ハジメが思わず射殺しそうになるのを堪えながら周囲を見渡せば、ティオと香織もハジメやユエ、そしてシアにとそれぞれがそれぞれに憎しみの眼差しを向けているのがわかった。

 そこへ、更に声が掛けられる。

「お、おい、お前達、南雲に何をする気だ! 南雲に手を出す気なら俺も黙ってはいないぞ!」

 光輝だ。光輝がハジメを庇ってユエ達を睨みつける。光輝の瞳にはハジメに対する親愛とユエ達に対する非難的な色が宿っていた。

 龍太郎や鈴はハジメに対して特に色濃い感情を示してはいない。むしろ、龍太郎などはハジメを庇った光輝に嫌悪の表情を浮かべていた。雫もまたハジメに対して嫌悪を、光輝に対して非難的な眼差しを向けており、香織に対しては殺意すら滾らせているようだ。

 ユエと鈴が張った“聖絶”の障壁が未だ張られているのは幸いだった。明らかに異常をきたしているハジメ達の隙をついてゴキブリの大群が再び押し寄せてきたのだが、その間も今のように仲間内で睨み合うことが出来ている。

 障壁の外ではボスゴキブリが、いくつもの魔法陣とゴキブリの集合した物体である黒い球体で特殊なゴキブリを作り出そうとしていた。ゴキブリの大津波をけしかけて生成の時間を稼いでいるようだ。

 外で魔力がうねっているのを“魔力感知”で感じながら、自分達の今の感情のベクトルと先程の自分達を包み込んだ魔法陣の光の効果を分析し、ハジメは今の状況を推測する。

「……どうやら、さっきの光は感情を反転でもさせるみたいだな。強弱は元の感情の強さに比例してるみたいだが」
「……ん。お前と同意見なのは不本意だけど…妥当」

 銃口を逸らさないままハジメが語れば、嫌そうな顔をしながらもユエが同意する。たとえ感情が反転していても記憶までが消えるわけではないようだ。なので、自分達がどれだけ想い合っていたかという記憶から推測すれば確信に近い推測だった。

 それは他のメンバーも同じようで嫌そうな顔をしながらも反論はない。

「なるほどの。記憶、あるいは紡いできた絆を以て反転した感情を振り払い元に戻れるか、あるいは、悪感情を抱いたままでも今までの自分達を信じて共に困難に挑めるか……嫌らしい試練じゃ。質が悪いのは、絆が深ければ深いほど反転した時の嫌悪感は大きくなるという点じゃな。何より……」

 ティオが試練の意図を語り、そして言葉を詰まらせながら外壁を這うゴキブリを頬を赤らめながら見つめる。それに釣られて他のメンバーもゴキブリ達を見つめつつ記憶の中の感情との落差に言葉を詰まらせる中、香織が何とも言えない表情で呟いた。

「……愛らしく見える」

 そう、それも問題だった。敵であり、否応なく嫌悪感を抱くはずの黒い悪魔相手に、あろうことかハジメ達全員が愛しさすら感じてしまっていたのだ。記憶の中では確かにサーチ&デストロイを地でいきそうなくらい嫌悪していたというのに、だ。

 感情が反転させられている。この推測を裏付けるこれ以上ない証拠であった。味方同士は絆の深さ故に憎しみ合い、嫌悪を抱く敵だからこそ愛しく思えて刃が鈍る。そういう狙いなのだろう。わざわざゴキブリ型の魔物というのは、きっと誰もが見ただけで嫌悪を抱く姿形だからだ。

 このままでは連携などまともに取れず、それどころか足を引っ張り合ってゴキブリの津波に呑み込まれるか、ボスゴキブリと次々と生み出されている体長一メートルくらいの中型ゴキブリを前に刃が鈍り餌食になるか……

 普通なら絶体絶命というべき状況なのだろう。

……しかし、ここにいるメンバーは普通などという評価からは最も縁遠い存在だ。

「……おいチビ、お前を殺してやりたいのは山々だが」
「……厨二野郎、お前を殺したくて堪らないけど」

 既にハジメとユエは向き合ってはいない。その視線は外壁を埋め尽くすゴキブリ達を透過して、その奥の、この事態を引き起こしたボスゴキブリを見据えている。

「……それ以上に」
「……それよりも」

 ハジメとユエの眼がギラギラと凶悪に煌く。普段、積極的に表情を出すことのないユエが野生の狼のように眼を鋭く細めている。その瞳に宿っているのは、かつてないほどの激烈な怒り。

「……野郎を愛でてやりたい(殺してやりたい)!!」
「……あいつを可愛がって上げたい(嬲ってやりたい)!!」

 二人の頭は完全に沸騰していた。

 マグマの如く湧き上がる怒りは、覚えているために自分達がどれだけ想い合っていたのか理解できるが故のもの。その想いを利用されたが故のもの。決して触れてはならない、二人の大切を弄んだが故のもの!

 激烈などと言う表現ではまるで足りない、言葉で表現などとてもしきれない巨大な怒りが、今、互いに感じる嫌悪を置き去りにし、更にはゴキブリに対する愛おしさをサディスティックなものへと転化する。それはきっと、今この瞬間だけでなく、これまでの迷宮の試練に対する鬱憤も含まれているのだろう。

 そして、それはハジメとユエだけではなかった。

 ハジメとユエが発する物理的な衝撃すら伴っていそうな巨大な怒りのプレッシャーに光輝達が怯んで後退る中、シア、ティオ、香織の三人もまた表情を怒り一色に染めて鬼のような形相になっている。

 ユエが発動中の“聖絶”を解いた。鈴の慌てる姿を尻目に、ハジメはググッと足をたわめる。足元に紅い魔力の波紋が幾重にも広がった。唇を吊り上げ、犬歯を剥き、愛おしさ(殺意)に心を滾らせる。

 直後、

ズドォオオオオン!!

 そんな爆音を生じさせ、足元の枝通路にクレーターを作りながらハジメは一発の弾丸の如く飛び出した。“縮地”“豪脚”“衝撃変換”、そして純粋な魔力による身体強化による爆撃にも似た踏み込み。全身に施した“金剛”は、ハジメを鋼鉄よりも硬くし、全身を覆った“纏雷”はハジメを紅い雷の化身に変える。

 そんなハジメを止められるわけもなく、鈴の施した“聖絶”は内側から紙くずのようにあっさり破壊された。ハジメは周囲のゴキブリを衝撃と雷で滅殺しながらボスゴキブリへと突進する。

「死ぬまで愛でてやるよ」

 そんな頭のネジが飛んだ狂人のようなことを言い放ちながら視認すら困難な速度で突っ込んでくるハジメにボスゴキブリは一切反応できていない。

 単にゴキブリの包囲を抜け出せるわけがないと思っていたのか、それとも感情反転により危険はないとでも思っていたのか……あるいは単純に、大迷宮のボス級の魔物でも今のハジメを捉えるには能力不足なのか。

 ハジメは、いつものように兵器を以て致命の一撃を繰り出すのではなく、怒りを直接ぶつけるため突進の勢いそのまま飛び膝蹴りを叩き込んだ。

ガァアアアンッ

 まるで鋼鉄と鋼鉄がぶつかったかのような轟音を響かせ、ボスゴキブリが今の今までいた場所から一瞬で姿を消し、代わりにハジメがその場に現れた。ボスゴキブリがこれまた視認困難な速度で吹き飛んだのだ。

 ハジメは“空力”で空中にとどまりながら、ボスゴキブリが吹き飛んだ方向を見つめつつギラギラと愛しさ(殺意)を更に募らせた。




 一方、ハジメが飛び出した後はというと。

 そこには障壁がなくなり慌てて張り直そうとする鈴の姿があった。しかし、迫るゴキブリ達が愛しく思えてしまい、群がられても別にいいかな? むしろ本望かな? とか考えてしまって機を逸してしまう。

 大迷宮のゴキブリが唯の虫なわけがないのだが……

 そんな鈴の致命的な隙も、悪鬼羅刹と化したユエの傍にいる状況ではどうという程のことでもなかった。

「“震天”」

 ユエ達を中心に、空間そのものが一瞬波打った。神代魔法の絶大さが遺憾無く発揮される。

 ゴキブリ達がユエ達に到達するという寸前、空間が大爆発を起こした。発生した凄絶な威力の衝撃波は、ゴキブリ共を細かな欠片になるまで一瞬で粉砕し唯の砂のようにしてしまう。

 それだけではまだ終わらない。

「“五天龍”」

 その魔法名が可憐な声音と共に響いた瞬間、雷を、蒼炎を、嵐を、氷雪を、石化の噴煙を纏った五体の龍が出現した。それらは、ユエを中心に大きく周囲を旋回すると、それぞれ特徴的な咆哮を轟かせて、間髪入れずに突進してきた数万匹のゴキブリを一瞬で滅ぼしてしまう。

 ユエは、その場で重力魔法を行使しふわりと浮き上がると他のメンバーのことはチラリとも見ず、自由落下の速度でボスゴキブリへと五体の龍を従えて飛んでいってしまった。

 と、そこへ、ハジメが吹き飛ばす前に生み出し終えていた二百体ほどの中型ゴキブリが編隊を組みながらシア達に襲いかかった。

 ハジメやユエと同様に、深い愛情故に自分の感情が弄ばれたという認識だけはあるシア、ティオ、香織の三人。感情反転のせいで迫り来るゴキブリ達も中型ゴキブリも愛しく思えてならないが……迷宮の思惑を超えて湧き上がる激烈な怒りが胸中を満たしていく。

 シアは強化した脚力を以て一気に飛び出すと、取り出した円盤を飛ばし美しさすら感じる淡青色の波紋を幾つも作りながら宙を駆け出した。ティオと香織も、それぞれ竜の翼と銀翼を背中に展開し、ギラつく眼で編隊飛行する中型ゴキブリを射抜きながら一気に飛び出していった。

「お、おい、どうするよ? お前等のことは気に食わねぇけど、このままだと俺ら死ぬぞ」
「そ、そうだね。ゴキちゃんは可愛いけど……死ぬわけにはいかないし、やっぱり戦わないと」
「でも、斬るのか? あんな愛しい生き物を?」
「殺らなきゃ殺られるわ。……幸い、強そうなのはアイツ等が引き受けてくれるみたいだし、取り敢えず凌ぎましょう。死なないように」

 まるで、自分の首を狙っているくせにつぶらな瞳でふるふると震えながら見つめてくるチワワを相手にしている気分とでも言えばいいのだろうか。しかも、生まれた時から可愛がっているチワワ――今の光輝達にはゴキブリ達がそんな風に見えていた。滅茶苦茶矛盾しまくっているのだが、そんな風に思えてしまうのだから仕方がない。

 残された光輝達は自在に空を飛ぶことは出来ないので、現在の枝通路の広場を中心に消極的な戦闘を始めた。どうしても鈍ってしまう攻撃に歯噛みしながら、今は嫌いな奴等と肩を並べて命を繋ぐ。厄介な事この上なかった。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 ハジメの強烈極まりない飛び膝蹴りを受けたボスゴキブリは猛烈な勢いで吹き飛んだまま大樹の幹に激突し盛大にめり込むことになった。鋼鉄並みの強度を誇る腹部は直撃を受けた部分を中心に放射線状に砕け散り、穴という穴から白っぽい体液を噴き出している。

「ギチチチチチチチッ!!」

 ボスゴキブリが触覚を揺らしながら不快な鳴き声を響かせると、すぐさまゴキブリ達が集まりボスゴキブリに纏わり付く。そして、瞬時にその体に溶け込むと同化して瞬く間にボスゴキブリの負傷を治してしまった。小さなゴキブリがいれば無限に再生できるようだ。

 めり込んだ体をパラパラと大樹の破片を散らしながら抜き出し、傷つけられた怒りからか先程より大きく不快音を鳴らすボスゴキブリ。

 その視線が己を傷つけた敵を探し出す……

「まだまだ、たっぷり味わってくれよ」

 ……その前に、更なる衝撃が治したばかりの腹部を襲った。再び鋼鉄同士がぶつかるような衝撃音が轟く。いつの間にか眼前にまで接近していたハジメがヤクザキックを繰り出したのである。

 巻き戻しでもされたように再度大樹にめり込んだボスゴキブリに、ハジメは野獣のような笑みを浮かべたまま容赦なく追撃に出た。兵器は使わない。一瞬で終わらせるつもりなど毛頭ない。全身を魔力で強化したまま一気にボスゴキブリの懐に潜り込むと、“魔衝波”を発動させた拳を次々と繰り出した。

 ドゴンッ! ドゴンッ! ドゴンッ! ドゴンッ! ドゴンッ! ドゴンッ! ドゴンッ! ドゴンッ! ドゴンッ! ドゴンッ! ドゴンッ! ドゴンッ! ドゴンッ! ドゴンッ! ドゴンッ! ドゴンッ! ドゴンッ! ドゴンッ! ドゴンッ! ドゴンッ!ドゴンッ!  ドゴンッ! ドゴンッ! ドゴンッ!

 ハジメの左右の拳が繰り出される度にボスゴキブリの体が玩具のように跳ね回り、しかし、逃げ出すことは叶わず大樹の幹を放射線状に砕きながらどんどん埋め込まれていく。砕け散り飛び散る木片に紛れて光沢のある黒の肉片や白い血が撒き散らされる。

 いいように嬲られる姿は、いくらボスゴキブリが敵でありその姿が生理的嫌悪感を抱くものであったとしても余りに凄惨で哀れを誘うものだった。

 と、その時、ボスゴキブリの体が一瞬、赤黒く発光する。途端、ハジメの背後に大量のゴキブリが現れ凄まじい速度で隊列を組むと魔法陣を構築した。

 そうして発動した魔法陣から飛び出したのは黒い煙だ。モコモコと溢れ出した黒煙は、次の瞬間、猛烈な勢いで背後からハジメを強襲する。

「……チッ」

 本能的に黒煙に触れるのはマズイと判断したハジメは、すぐさま“空力”と“縮地”でその場を退避する。刹那、黒煙はハジメがいた場所を突き進み、そのままボスゴキブリと大樹を包み込んだ。

 ハジメが退避した隙をついてボスゴキブリは配下のゴキブリを呼ぶ。大量のゴキブリが自ら黒煙の中に突っ込んでいった。

 数秒後、傷を再生し無傷となったボスゴキブリが黒煙を振り払って現れた。払われ霧散した黒煙の向こう側にある大樹を見てみると、黒煙に包まれていた部分が灰色に変色しドロドロと溶け出すように崩れ落ちている。どうやら、黒煙は腐食の効果を持っているようだ。

 ボスゴキブリは六枚の羽をビィイイイイイ!! と高速で震わせる。ハジメが再度、タコ殴りの愛を伝えてやろうと身構えるのと同時に、ボスゴキブリは姿を霞ませて高速飛行に入った。

 ハジメを中心に一度旋回すると一気に加速して突進してくる。同時に、退路を塞ぐようにゴキブリの津波がハジメの背後からせり上がった。ハジメは「何て可愛い奴だ」と優しさすら宿っていそうな笑みを浮かべながら左腕をグッと引き絞った。正面から殴り返す気なのだ。背後からの攻撃はクロスビットに対応させるつもりで。

 ボスゴキブリの周りに空気の壁が出現する。音速に入ったのだ。途中の枝通路が衝撃波かあるいは真空刃かは分からないが盛大に破壊されていく。ギリギリで回避しても木っ端微塵にされるだろう。

 それでもハジメは引く気を見せず義手の振動破砕を起動させた。そして、ボスゴキブリを正面から迎え撃つ――

 寸前、背後のゴキブリの壁を突き破り巨大な雷の龍と蒼炎を纏う龍が現れた。

 ハジメがその気配を感じて、振り向かずに「ゲッ!?」という顔をする。しかし、音速に入っているボスゴキブリは既に眼前。いくら“瞬光”状態で知覚能力が何倍にも引き伸ばされていたとしても既にどうしようもない。

「ぜぁっ!!」

 気合一発。肘からの激発と“豪腕”“魔衝波”も同時発動して、義手によるストレートをボスゴキブリに叩き込んだ。ボスゴキブリもまた鋭い刃のついた節足を伸ばしていたのだが、見事に掻い潜り強烈なクロスカウンターとなった。紅い波紋が広がると同時に振動破砕の効果でボスゴキブリの顔面が微細に砕け散っていく。

 頭部に受けた正面からの衝撃により、そこを支点にぐるりと縦に回転すると錐揉みしながら明後日の方向に飛んでいくボスゴキブリ。

 直後、ユエの放った雷龍と蒼龍がハジメのいた場所を迫っていたゴキブリの大群ごと呑み込んだ。

「……むぅ、外した」
「それは、俺のことか? それともあの愛しいゴキブリ君のことか?」
「……もちろん……ハジブリ」
「おい、なんだそりゃ。なんか色々混じってるぞ。まるで新種のゴキブリみたいじゃねぇか」

 不満顔のユエの隣に少し煤けた様子のハジメが降り立つ。そんなハジメにユエがフフンと実に憎たらしい笑みを浮かべる。雷龍と蒼龍の攻撃を間一髪のところで耐え抜いた(・・・・・)ハジメが青筋を浮かべるが、どこ吹く風だ。

「あわよくば殺るつもりだったな、コイツ」
「……まさか。お前をあの程度で殺れるわけが無い」
「まぁ、確かに……お前なら、もっと苛烈な攻撃も出来るしな」

 感情反転の効果で誰よりも嫌悪し合った状態のはずなのに、纏う雰囲気は確かに嫌悪し合っているのに、何故か妙な信頼を寄せ合う二人。

 そこで再び、再生したボスゴキブリがいつの間にか腐食の黒煙を纏いながら音速飛行に入った。ハジメよりもユエの方が与し易いとでも思ったのか、今度はユエの正面に回り込む。

 更にはハジメ側でも圧殺でもしようとしているかのようにゴキブリの大津波がせり上がってくる。よく見れば、小さなゴキブリ達一匹一匹が黒い靄に包まれていた。ユエ側から迫るボスゴキブリに気を取られていては二人して腐食の海に呑み込まれることになるだろう。

「おい、お前。あの煙、腐るからな。何なら自分から突っ込んでエロを担当して来いよ」
「……お前は大丈夫そう。性根が腐ってるから、きっと耐性がある」

 お互いにさらりと毒を吐き、直後、「お?」「ぁ?」と至近距離でメンチをきり合った。

 そんな、ある意味余裕の態度を二人がとっていると、強烈な腐食の黒煙を纏った音速飛行するボスゴキブリと、一糸乱れぬ集団行動をとる腐食の津波がハジメとユエに肉迫した。

 だが、その程度では二人に傷を与えることは叶わなかったようだ。

 ソニックブームを発生させながら突進する黒煙と黒い津波、それらが二人に到達する寸前、睨み合っていた二人はくるりとダンスでもするように位置を変えて背中合わせになった。

 そして、ハジメはドンナーを視認不可能な速度で抜き撃ちし、ユエはその綺麗な指先をタクトのように振るって五体の龍を竜巻のように眼前で旋回させた。

 ハジメが早撃ちした六発の弾丸は一条の閃光(・・・・・)となって、まったく同じ場所――ボスゴキブリの眉間にほぼ同時に着弾した。頭部が爆ぜて、再び錐揉みしながら吹き飛んでいくボスゴキブリ。

 一方、黒い津波も五色で彩る龍巻に呑み込まれた。雷龍に灼かれ、蒼龍に滅され、嵐龍に裂かれ、氷龍に凍てつかされ、石龍に石化されて、数十万匹からなるゴキブリ達が唯の残骸となる。

「さっさと再生しな。材料は腐るほどあるだろう?」
「……材料なんて無くても、私が再生してあげる」

 ゴキブリ達の残骸が豪雨となって降り注ぐ中、どこか必死さを感じさせる動きで小さなゴキブリ達を取り込み再生していたボスゴキブリが、ハジメとユエの声に気が付いて二人を仰ぎ見る。そして、悪魔のように口元を三日月型に裂いて笑う二人に思わず後退った。

 それは、意識してのことではなかったのだろう。もっと本能的なもの。己が絶対に敵に回してはいけない存在の絶対に触れてはならない部分に触れてしまったのだと本能的に悟ったのだ。

「ギィイイイイイイイイイイ!!!」

 ボスゴキブリは、まるで恐慌をきたしたように腐食の黒煙を纏うと、今までにない絶叫を上げて飛び出した。黒い暴風と化したボスゴキブリは、更に小さなゴキブリ達を呼ぶとそれぞれ腐食の黒煙を纏わせ、それを圧縮させる。

 煙っぽさのなくなったそれは、もはや黒い砲弾だ。その数は優に数百発を超える。しかも中身はボスゴキブリが意のままに操れる小さなゴキブリなので、当然ながら腐食の砲弾も自在に操れるのだろう。圧縮されている分、瞬間的な腐食の効果は煙の時とは段違いだ。

 衝撃波を発生させ突進するボスゴキブリに先行して飛び出した腐食砲弾は射線上の枝通路を一瞬で腐食させて貫通すると一気にハジメ達へと迫った。

「……無駄」

 ユエが一言そう呟く。直後、ハジメとユエの眼前に光り輝くゲートが広がった。空間転移を行うための空間魔法“界穿”だ。本来、移動用のその魔法は、今この時、絶対無敵の盾となる。

 あらゆる物を瞬時に腐食させる砲弾は、着弾寸前に展開されたゲートを避けられずそのまま突っ込み何処かに消えていった。ユエの言葉通り完全な無駄玉である。

 しかし、半ば恐慌状態にあるボスゴキブリが、それを見たとて今更止まれるわけもない。絶叫を上げながら軌道を逸らしてゲートを迂回し突進する。しかし、ゲートは単に砲弾を彼方へ放逐するだけのものではなかったようだ。

「キィイイ!?」

 迂回したルートから更に速度を上げた直後、空中の何かに絡め取られ全身を切り裂かれながら磔にされたからだ。

「わかりやすい行動だな。頭の出来はやはりゴキブリレベルか」

 ユエの隣で感応石の指輪を光らせるハジメがそう呟く。その感応石と繋がっているのはボーラだ。あらかじめ、ユエがゲートを展開するのと同時に、ボスゴキブリがどのルートから突進してくるか予想して、ゲートで視線を遮って空中へボーラを設置しておいたのである。

 そして、このボーラに使われているワイヤーは極細。いわゆる鋼糸である。生成魔法により付与された“気配遮断”効果がボーラの鉱石部分を隠蔽し、空中に蜘蛛の巣を張るように鋼糸を張り巡らせたのだ。

 ボスゴキブリは、その触れれば刻まれる蜘蛛の巣にまんまと突っ込んだというわけである。しかもご丁寧に、突進の衝撃に合わせてボーラが絡みつき、そのままボスゴキブリを空中に固定してしまった。

 悪態を吐きながらも妙に信頼し合ったり、喧嘩していたはずなのに瞬時に互いの背を躊躇いなく預け合ったり、会話も目配せもなく阿吽の呼吸で防御と攻撃を分担し合ったり……

 こいつら本当に感情反転で嫌悪し合っているのか? もし、ボスゴキブリが言葉を話せたら、きっとそう言って盛大にツッコミを入れていることだろう。

「なぁ、ユエ」
「……ん?」

 ハジメが、磔にされながらもう何度目か分からない再生をしているボスゴキブリに目をやりつつ首を傾げる。

「何だかな、お前に対する嫌悪感が薄れてきてる気がするんだが……今なら半殺しくらいで我慢できそうな気がする」
「……ん、奇遇。私もハジメをボコるくらいで十分そう。それに、あのゴキブリのこと、そこまで好きじゃ無くなってきてる気がする」
「ああ、確かに」

 感情反転は大迷宮の試練の一つとティオは推測した。そして、それは乳白色スライムの粘液による快楽地獄と同じく克服できるものだとも推測した。この感情反転の厄介なところは、そもそも克服しようという感情が相手への嫌悪感故に湧き上がり難いという点なのだが……

 どうやら、ハジメとユエの場合、共闘している間に自然と克服しつつあるらしい。

 潜在的な? ドS精神が感情反転により溢れ出し、その嗜虐心がボスゴキブリをボッコにしたことで満たされた結果、感情が元に戻りつつある……のかもしれない。

 あるいは、単純に二人の“いつでもどこでも桃色空間作成能力ぅ”みたいな不可思議な能力が発揮された……のかもしれない。

 いずれにしろ、ハルツィナは草葉の陰で「世○はいつだって、こんなはずじゃないことばっかりだ」と某執務官のようなことを呟いていることだろう。

「さて、ユエさんや、ふざけたことしてくれたゴキブリ君で一つゲームをしてみないか?」
「……ん。乗った。勝った方が相手を好きに出来る」

 再び、悪魔のような笑みを見せる二人。絶対、感情反転効いていないだろ? 本当はそうなんだろ!? というツッコミはもう入れてはいけないのかもしれない。

 体を修復し終えたボスゴキブリは、腐食の黒煙で何とかボーラの拘束を抜け出したようだ。そして、今度こそと再び黒煙を纏い、三対六枚の衝撃波と真空刃を生み出す羽を羽ばたかせた。

 だが、ボスゴキブリもいい加減気が付くべきだろう。今この瞬間まで、ハジメ達がどれだけ手を抜いていたかということに。凶悪な兵器は使わないし、強力な魔法による直接攻撃もない。再生中は攻撃すらされない。完全に遊ばれているレベルなのだ。

 そのことに気が付いていない、否、気が付いていても魔物故にどうしようもないのか……身の程を弁えない戦闘意思は悲惨な結果として示された。

 瞬間移動の如く突如ボスゴキブリの背後に現れたハジメは、そのまま間髪入れず遠心力と身体強化その他もろもろで強化されまくった空中回し蹴りをボスゴキブリの背中に叩き込んだ。

「ギィイイ!!?」

 メキョメキョと音を立てて海老反りになったボスゴキブリは、そのまま砲弾となって空中をぶっ飛ぶ。腐食の黒煙を纏っていたはずなのだが、ハジメが“金剛”による紅い魔力に覆われていたことと、また一瞬だったこともあって影響はないようだ。

 強烈なGが掛り、必死に体勢を立て直そうとするぶっ飛び中のボスゴキブリ。そんなボスゴキブリの眼前に空間転移でユエが現れ軽く手を横薙ぎに振るう。

 直後、空間がギュボッ! っと音を立てて収縮し、次の瞬間には空間の元に戻る力を利用した指向性を持つ衝撃波が発生した。

「ギィイイ!?」

 今度は正面からの凄まじい衝撃によってピンボールのように弾かれて明後日の方向へ吹き飛ぶボスゴキブリ。既に体表はボロボロだ。しかし、それはまだほんの始まりである。

 吹き飛んだ先にハジメが回り込んでいたからだ。再び、ハジメの強烈な蹴りがボスゴキブリを吹き飛ばす。そして、その吹き飛んだ先にはユエがいて、やはり吹き飛ばす。その方向にやはりハジメがいて吹き飛ばす。やっぱりその先に……

 ボスゴキブリボールを使って空中テニスのような打ち合いをするハジメとユエ。広大な地下空間にボスゴキブリの悲痛な叫びが響き渡る。ゴキブリの大群を呼ぼうにも、ハジメもユエも、そして空中を縦横無尽に吹き飛ばされるボスゴキブリ自身も不規則かつ高速で動いているのでどうにもならない。

 腐食の黒煙もハジメにはまるで効かず、ユエはそもそも触れもしないので全く意味がない。しかも、完全に壊れそうになると、いつの間にかユエの再生魔法により破損したボディを修復されるので死ぬこともままならない。

 まさに、悪魔の所業、悪鬼羅刹の最低な遊戯だった。どう考えても、今までの大迷宮の試練でさんざん自分達の愛情を利用されたことへの鬱憤を思う存分に晴らしているようにしか見えない。実際、その通りなのだろうが。

 なお、ゲームのルールはラリーを先にミスした方の負けである。

『……ハジメ』

 と、突然、しばらく続いていたラリー中にユエから念話が届く。あちこち高速移動している上に距離もあるからだろう。また、飛んできたボスゴキブリをオーバーヘッドキックで弾き飛ばしながらハジメは応答する。

『どうした?』
『ん……ハジメ』
『ん? どうしたんだよ?』
『ハジメ……ハジメ……ハジメ……んっ』

 しばらく念話でハジメの名を連呼するユエ。その声音は何かを確かめるようなものから、次第にどこか甘えるようなものへと変わっていく。その声音でハジメも気が付く。自分の感情に。

『ユエ、戻ったか?』
『んっ……完全に。ハジメは?』
『ああ、俺もだ。……あのクソゴキにはもう純粋な殺意しかねぇし、ユエのことは……』
『……私のことは?』

 ハジメは、奪われていた感情の奔流を余すことなく言葉に詰め込む。ほんの一時でも、ユエに対し反対の感情を持っていたなど考えたくもなかった。改めて、ボスゴキブリに憤怒と共に激烈な殺意が湧き上がるが、それよりも今は酷い言葉を投げかけてしまった恋人に本当の言葉を届けなくてはならない。

 ハジメは一度深呼吸すると、ハジメが吹き飛ばしたボスゴキブリの先に転移したユエの瞳を真っ直ぐに見つめながら念話を行使した。

『愛しさしかない』
『んっ……私も』

 嬉しげで愛しげな声が響く。万感の想いを込めてお互いに胸に溢れる言葉を紡いだ。ハジメもユエもそのまま空中に留まり、ジッとそれしか見えないとでも言うように互いを見つめる。ハジメの真横を体中から体液を垂れ流したボスゴキブリが飛んでいくが、二人共目もくれない。

 何も言わず、二人はスッと距離を詰めると空中で自然と抱き合い、これまたごく自然に唇を重ねた。言葉はなく、ただ触れ合うだけの軽いキスだが想いだけは十二分だ。

 ユエの細い腰を抱きしめるハジメの腕にも、ハジメの首筋に回したユエの腕にも力が入る。唇を離した二人は互いに額をくっつけ合い、再度、自分の中の感情を確かめると至近距離で見つめ合いホロリと表情を崩して微笑みあった。

 その時、再生を終えたボスゴキブリが、どこか狂気を感じさせる絶叫を上げて下層に蠢くゴキブリ達を一斉に繰り出した。

 それは、もう津波などという生易しいものではない。強いて言うならゴキブリで作られた閉鎖空間とでも言うべきか。ハジメとユエを中心に巨大なドームが形成されたのである。もちろんゴキブリで、だ。光輝達がどうなったのかもわからない。

 それと同時に腐食の黒煙がドーム内に充満する。外から見れば表面がざわざわと蠢き続ける山が見えただろう。大樹を中心とした地下空間は、ほぼゴキブリの山で埋め尽くされた。

 よく見れば、下方に溜まっていたゴキブリだけでなく天井や周囲の壁からも凄まじい勢いで湧き出している。この世の全てのゴキブリがここに集められていると言われても不思議ではないだろう。

 そして、そのゴキブリの閉鎖空間は次の瞬間、ゴギュウウ!! という音と共に一気に縮小された。

 内側に取り込んだ存在を圧死させるつもりなのか。その中心は、もちろんハジメとユエだ。地下空間の端では、どこかぐったりとした光輝達と中型ゴキブリを嬲るように倒しているシア達の姿がある。どうやら、先程のゴキブリの山も凌いだらしい。圧縮したことで範囲からも外れたようだ。

 ボスゴキブリが、羽ばたきながら縮小した球体にスッと入っていく。巨大なゴキブリの閉鎖空間は、今や内部に隙間がないくらい圧縮された状態だった。

「ギチチチチチチチッ!!!」

 ボスゴキブリが不快音を出す。それは、ざまぁみろと今までの屈辱を晴らして勝利を確信した雄叫びのようだった。

 しかし、それは直後に覆されることになる。死体を確認しようとゴキブリの球体の中心からゴキブリを退かせたその先に……

「よぉ、熱烈な抱擁だな? え?」

 四点結界の中で不敵に笑うハジメと、その隣で集中するように目を閉じ、何かを包み込むように両手を合わせているユエの姿があった。

 ボスゴキブリの動きが止まる。そして、先程と同じく本能的に後退る。

 それは、二人に嬲られ続けた恐怖を引きずっていたこともあるが、何より、目の前で生まれつつある()に恐怖したからだ。

 ユエの合わせた両の手――何かを挟むように隙間を空けているのだが、その間に蒼く煌き渦巻く小さな焔の塊が生成され始めたのだ。

 それは、一見すれば炎系最上級攻撃魔法“蒼天”をただ小さくしただけのように見える。普通に考えれば、殲滅力に優れる“蒼天”を小さくするなど意味がない行為に思えるだろう。

 だが、魔法の天才たるユエが、そんな無意味なことをするわけがない。

 両手の間の蒼炎は刻一刻と煌きを増していき、それに反して炎の揺らめきは抑えられていく。まるで小さな星の創生でも見ているかのようだ。

「……選定」

 ユエが小さく呟く。すると、蒼いオーラを漂わせる拳大の宝珠が出来上がった。

 途轍もない力と得体の知れない力が秘められたその蒼炎の珠。

 ボスゴキブリは、それが自分達の尽くを滅ぼすと理解した。理解させられた。そして、一際大きな絶叫を上げると、四点結界を打ち破って何としても蒼炎の宝珠が放たれる前にハジメ達を殺そうと腐食の黒煙とゴキブリを以て圧殺しに掛かった。

 しかし、その行動は余りに遅すぎた。いや、きっと、どのような行動をとっても同じことだっただろう。ユエがやると言ったなら、それを白髪眼帯の悪魔が邪魔させるわけがないのだ。

 ユエは、すっと天に向かって蒼炎の宝珠を掲げた。自らが生み出した蒼星の光に照らされたユエの姿はどこまでも神秘的で美しい。ハジメが、そっと後ろからユエの体を抱きしめる。ユエもまた、甘えるように背を預けた。

 そして、

「……“神罰之焔”」

 脈動と共に、文字通り、神がもたらす天罰の如き滅却の蒼焔が空間全てを蹂躙した。

明けましておめでとうございます。
作者本位のやりたい放題な作品ですが、今年も出来るだけ定期更新で頑張りますので、本年度もどうぞよろしくお願いします。

年末年始共に仕事で悲しくなりはしましたが、アメトークとガキ使でリフレッシュできました。というわけで本年度一発目を投稿させて頂きます。
樹海編は一応次で終わりです。
更新はいつも通り、土曜日の18時の予定です。



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