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ありふれた職業で世界最強 作者:厨二好き/白米良

第六章

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理想世界

チュンチュン、チュン

 朝を知らせる鳥のさえずりが、カーテンの隙間から陽の光と共に薄暗い部屋の中へと侵入してくる。その音に急かされるように、ベッドの中で頭から布団を被り鉄壁の要塞と化している部屋の主が身動ぎした。

 と、そのタイミングを見計らったかのように、カチッという音がやけに明瞭に響き、次の瞬間、悪魔が咆哮を上げた。

ジリリリリリリリリ!!

 けたたましい騒音が朝の静寂をぶち壊し、部屋の主に「起きろや、ボケェ!」とがなり立てる。

「うぅ……」

 悪魔から身を守るように要塞の中へ更に籠る部屋の主だったが、流石にいつまでも無視は出来ない。もぞもぞと布団から腕だけを伸ばすと、しばらくバンバンッ! と悪魔を探して掌を無造作に叩きつけた。

 その腕は十数年続けてきた悪魔討伐の経験故に三度目でその頭部を捉えると、聞くに耐えないその叫びを沈黙させることに成功した。

 しかし、幾度となく続けてきた行為でも重労働であることに変わりはない。部屋の主は、力尽きたように腕をパタリと落とすと、そのまま要塞の中に再び引っ込んでしまった。そして、ピクリとも動かなくなった。

 その直後、

「ハジメ~、起きなさぁ~い! どうせ二度寝に突入してるでしょ~! さっさと起きなさぁ~い!」

 階下から間延びした聞き慣れた声――母の起床を促す声が響いて来た。部屋の主であるハジメの半覚醒した意識は確かにその声を聞き取っていたが、「徹底抗戦だ!」とでも言うように布団を被り直すと要塞の防備を更に強固なものとする。

「やっぱりダメね~。もうホントに、毎朝毎朝。ごめんね~、今日もお願いできる?」
「――」

 階下から再び母の声が聞こえる。扉を隔てているがハジメに聞かせるためにわざと大きな声を出しているのでハジメの耳にも届いていた。

 呆れたような母の声音に思うところがないわけではないが、母が誰と話しているのか、そしてこの後の展開がどうなるのかも分かっているので、ハジメには素直に起きる気が一切なかった。

 何せ、毎朝のそれはハジメにとって日々感じる幸せの一つなのだから……

 コンコンッとノックの音が響く。

 しかし、反応が無いことも、その理由も分かっているその人物は一拍おいて直ぐに扉を開けた。そして、トコトコと小さな足音を立てながらベッドの上で丸まっている団子に優しく声を掛ける。

「……起きて、ハジメ」
「……」

 それでも反応はしない。もう少し、意識が完全に覚醒するまでは微睡みの中で愛しい彼女の声を聞きたいからだ。

「……ハジメ、起きて。起きないと……」
「……」

 今度は優しい手付きでゆさゆさと揺さぶってくる。布団越しでもわかる小さな手に、ハジメの頬は自然と緩んだ。

「……襲う。性的に」
「うん、起きるから朝から生々しいことを言うのは止めようね?」

 背筋に悪寒を感じたハジメは一瞬で意識を覚醒させるとガバッ! と布団を跳ね除けた。

 その視線の先には金髪紅眼の美少女がいる。どこか妖艶さを滲ませた微笑みを浮かべ、なぜかハジメを見つめながらペロリと舌舐りする彼女に、ハジメは苦笑いしながら朝の挨拶をした。

「おはよう、ユエ」
「……ん。おはよう、ハジメ」

 ハジメは愛しい恋人とのひと時に目を細めて、一日の最初の幸せを噛み締めるのだった。




 あくびを噛み殺しながら通学路を気怠げに歩くハジメを見て、隣を歩くユエが上目遣いで首を傾げる。そんな何気ない仕草がいちいち極上に可愛くて……ハジメは、すれ違う度にユエに見蕩れてチラ見していく男連中への牽制に大忙しだ。

 ハジメの通う高校のブレザーを着ているユエは、トトっと前に進み出るとその短めのスカートをふわりと翻しながら後ろ向きに歩きつつ、気遣うようにハジメの顔を覗き込みながら話し掛けた。

「……また、夜更かし?」
「うん、父さんから頼まれた仕事が思いの他はかどってね。気が付いたら空が白み始めてたんだ」
「……熱中するのはいいけど体に気をつけて。無理しないで」
「うん、気をつけるよ」

 穏やかに会話するハジメとユエ。二人の間に漂うどこか甘い雰囲気。ユエがハジメの恋人となってもう随分経つが、互いに、互いへの熱情は些かの衰えもなかった。ユエなどハジメの傍に居たいがために、ハジメの家にホームステイを強行し、いつの間にか編入手続きまで済ませてしまったくらいなのだ。

 突然、ハジメの恋人として現れた美貌の金髪少女に、やって来た当初はそれはもう大騒ぎになった。何せ、ハジメは日々の大半をゲームかゲーム会社を経営する父親の手伝いに費やす生粋のオタクである。そんなハジメに美しい恋人が出来るなど想像の埒外だ。

 母はパニックになって息子に催眠術の心得があるのではないかと疑い始めるし、父はハジメが妄想を具現化する能力に目覚めたとのだと思い込んだ。学校でも編入初日から目の色を変える男子達の前で、ユエが自分はハジメの恋人であると暴露し学校全体を巻き込むような話題の的になった。

 その後、嫉妬に正気を失った男子達がハジメを追い掛け回したのは言うまでもない。ユエはユエで、何やら戦いがあると数人の女子と何処かに行ってしまった。

 そんな事が続いて数ヶ月、最近になってようやく落ち着いた学校生活が送れるようになった。こうして、のんびり散歩じみた登校が出来るのも嵐のような騒動を乗り切った賜物だ。

 ハジメは、さらさらと流れ、キラキラと陽の光を反射して輝くユエの金髪を眺めながら、何となしにユエとの出会いを思い出した。

 たまたま、ユエが暴漢に捕まっているところを助けに入り、死闘の末、何とか暴漢を倒してユエを救出したのである。全裸のユエに感謝と信頼を込めて首筋にキスをされたのは今思い出しても顔が熱くなる。それから恋人になるのはトントン拍子だった。

(それにしても、よく唯のオタクでしかない僕が暴漢なんて倒せたよなぁ~。人間、必死になれば案外何とかなるもんだ)

 当時の無謀とも言える自分の行為を思い出して思わず苦笑いしたハジメは、そこでふと違和感を覚える。

(……あれ? そう言えば、ユエと出会ったあの薄暗い場所ってどこだっけ? 何で僕はそんなところに行ったんだっけ? あれ?)

 ユエの容姿からして外国人であることは一目瞭然で、ホームステイに来ている以上、ユエと出会ったのも外国のはずだ。事実、ハジメ自身ユエと出会ったのは外国であると認識している。

 しかし、そこが正確には何処だったのか。まるで霞が掛かったように判然としない。そのことに気がついた途端、記憶の本棚からボロボロと疑問がこぼれ落ちてくる。どんどん膨れ上がっていく疑問にハジメの中の違和感も急速に膨らんでいった。

「……ハジメ!」
「うわっ、どうしたの、いきなり大声だして。ビックリするじゃないか」

 通学路にユエの普段は絶対に出さないような大声が響いた。それに心臓が跳ねて、思考の渦に呑み込まれかかっていたハジメの意識は急速に現実へと浮上する。

 そんなハジメをユエはジッと見つめたあと、どこか拗ねたような表情になった。

「……何度も呼んだのに無視するから」
「えっ? ホントに? ごめん! ちょっと考え事してて……」

 ぷいっとそっぽを向くユエ。へそを曲げてしまったようでハジメは眉を八の字にしながら宥めにかかる。その時には既に、先程の疑問はハジメの中から完全に消えてしまっていた。

 ハジメが申し訳なさそうに繰り返す弁解にユエはイタズラっぽい笑みを浮かべる。どうやら本気で拗ねていたわけではなく、ハジメに構って欲しかっただけのようだ。目論見が成功したのが嬉しいらしい。

 そんなユエに、ハジメは再び眉を八の字に下げて「しょうがない彼女だなぁ」と困ったような表情で小さく笑みを浮かべる。しかし、その表情からはホントに困っているという様子は伺えず、むしろどこか幸せそうですらあった。

 再び華麗なターンを決めつつ、ハジメの隣に並び直すユエはポツリと小さな声を零す。

 「……微睡んでいて。幸せの中に。私だけを見ていて」

 その声は、ハジメには届いていない。ハジメは隣に寄り添うユエを見て、優しげに目元を和らげるだけだった。




 学校に到着したハジメが下駄箱で上履きに履き替えていると、突如背中に柔らかな衝撃が伝わった。誰かがぶつかって来たのは確かだが、その感触は男にとっては余りに幸せ過ぎた。

「ハジメさ~ん! ユエさ~ん! おはようございますぅ!」
「ん……おはよう、シア」
「うわっ、シアさん!? ちょっ、離れて! 挨拶する度に抱きつかないでって、いつも言ってるでしょ!」
「そんなぁ~、私から幸せを奪おうなんて……酷いですよぉ! これはもう責任をとって結婚してもらわないと!」
「飛躍しすぎでしょ! とにかく、離れて! ユエの瞳からハイライトが消えかかってるから! 僕を瞬きせずに凝視してるから!」

 ハジメは背中に感じる幸せな感触のことは微塵も表に出さず、引っ付いてきたシアを引っペがした。

 シアはユエと同じ外国人であり長期留学で日本にやって来ているのだが、これまた偶然、シアと彼女の家族が暴漢に襲われているところを助けて以来、今のように過激なスキンシップを繰り返しては好意を隠すこともなく示してくるのである。

 トレードマークのカチューシャ(・・・・・・)を付けた淡い青色がかった白髪と神秘的な容貌に反して天真爛漫な笑顔を分け隔てなく振りまくシアは、ファンクラブが存在するほど男女問わず大人気である。

 正直、そんな彼女がこうまで自分に好意を示してくることは戸惑いつつも嬉しくはある。あるいは、ユエより先に出会っていたならと思うことがないわけではない。

 しかし、そんなIFは考えても意味のないことだ。なので、ユエという最高の恋人が居る手前、シアの積極性はハジメにとって非常に頭の痛い問題だった。

 もっとも、シアがハジメに向ける好意や過剰なスキンシップに不機嫌にはなるものの、実はユエとシアは親友といっていいほど仲が良かったりする。

 なので、完全に邪険にすることも出来ず、ある意味、板挟みな状態でもあった。ハジメに対して独占欲があるにもかかわらず、親友であるシアとの間に溝が出来る気配もない。ハジメには二人の関係が不思議でならなかった。

(まったく、暴漢から助けた女の子が二人共好意を持ってくれるなんて、どこのギャルゲだよ。しかもハーレムルートOKなんて現実的に有り得ないよ。……あれ? そう言えば、シアってあんなカチューシャ付けてたっけ? なんか、もっと、こう、違う感じの……)

 ハジメがシアのカチューシャを見つめながら、突然胸の内に湧き上がったモヤモヤの正体を知ろうと記憶を探っていると、いきなり両腕が幸せな感触に包まれた。

「なに朝から難しい顔してるんですか? そろそろ教室行かないと予鈴がなりますよ?」
「ん……また、先生に説教される」

 そんな事を言いながらムニュムニュと凶悪な果実をハジメの腕に押し付けつつ、ユエとシアの二人はハジメをグイグイと教室に引っ張って行った。

 ハジメは二人に学校で引っ付き過ぎないよう注意しつつ、二人の口から飛び出した“教室”やら“予鈴”“先生”という言葉に、やはりどうしようもない違和感が胸の内に燻るのを感じていた。

 教室に入ると、その瞬間、男子達から放たれた嫉妬と羨望の眼差しが一斉にハジメへと突き刺さる。今ではユエ達自身の尽力もあって直接追いかけられることはなくなったが、それでも突き刺さる視線の痛いこと痛いこと……

(ん? なんだろ? 何ていうか……懐かしい? あれ、なんで、そんな事感じるんだろう?)

 ハジメは自分の感情の動きが理解できず、ますます困惑したように首を捻りながら席についた。

 その直後、ハジメのもとへ弾むような足取りで寄ってくるクラスの女子が一人。

「ハジメくん、おはよう! 今日もギリギリだね。もっと早く来ようよ」
「……」

 挨拶をしたのはユエやシアと並んでも遜色ない美少女――白崎香織だ。ユエやシアがやって来る前から絶大な人気を誇る学校のマドンナ的存在である。そして、なぜかハジメに好意を持ってくれている女の子でもある。

 以前からよくハジメに声を掛けてくれていたのだが、当時はまさか自分に好意があるなどとは全く思いもしなかった。しかし、ユエという恋人の存在が現れたことで危機意識から己の感情を自覚した香織が明確に好意をあらわにするようになったので勘違いなどと逃げるわけにはいかなくなった。何せ、ユエから奪い取ると公言するほどなのだから。

 いつも嬉しそうにパタパタと足音を響かせて寄ってくる香織に、ハジメは困ったような笑みを浮かべつつ言葉を返すのだが……この時、既に燻っていた違和感が更に大きくなり、ハジメは思考に囚われて香織に返事をすることが出来なかった。

(今のセリフ……どこかで……くそっ、何なんだ? なんで、こんなに“懐かしい”なんて思うんだ? いつものことなのに……今日は、なんか変だ)

「ハジメくん……どうして無視するの? その…私、何か怒らせるような事したかな?」

 震える声音に気が付いてハジメが顔を上げると、そこには泣きそうな表情の香織の姿が。ハジメは自分が香織の挨拶を無視していたことに気が付いて慌てて返事をした。

「あっ、いや、ごめん、そうじゃないんだ。ちょっと考え事していて。ホントごめんね。おはよう、白崎さん」
「そっか、よかった~。うん、おはよう、ハジメくん。それと、私の事は“香織”って呼んで欲しいって、いつも言ってるよね?」

 僅かに頬を膨らませて不満をあらわにする香織。そんな可愛らしい仕草に、ハジメ達に注目していた男子達はほぼ全員被弾した。

「いや、白崎さん、それはちょっと……」
「香織だよ。香織って呼んで?」
「いや、だから……」
「か・お・りぃ」
「その、えっと、か、かお……」

 むぅ! と唸りながら名前呼びを強要する香織にハジメはタジタジになる。そして、遂に根負けして名前呼びをしそうになった時、

「……ハジメを困らせないで」

 救世主が現れた。ユエだ。

 ユエはハジメを庇うようにハジメと香織の間に割り込んで仁王立ちすると香織を睨みつけた。

「む、出たね、ユエ。一応、おはよう」
「……ん、一応、おはよう。香織」

 律儀に朝の挨拶を交わしながら周囲にブリザードの如き冷気を撒き散らすユエと香織は、学校公認の恋敵だ。

 暖かな日差しが窓から入り込んで徐々に気温を上げているというのに、二人がいるだけであっという間に真冬となる。“冷戦”――ユエと香織のハジメを巡る攻防は、生徒だけでなく教師の間でもそう呼ばれていた。

 しばらく無言で睨み合う二人だが、実はそこに陰湿なものはない。女子の繰り広げる恋愛戦争だというのに、二人は実に堂々と、言ってしまえば開けっぴろげに衝突し合っている。

 ハジメにはそれが何とも不思議でならなかったが、ライバルというより、どちらかといえば喧嘩友達という表現の方がピッタリと当てはまりそうな二人の関係が案外嫌いではなかった。

 そうこうしている内にチャイムが鳴り、教室に担任が入ってくる。バチバチと視線を交わしていたユエと香織もサッと踵を返して自分の座席に戻っていった。

 一時間目はティオ先生による英語である。何故か妙にハジメを気に入っている美貌の、そしてエロティックなその女教師は、毎度必ずと言っていい程ハジメにセクハラ気味のちょっかいを掛けてくるのだが……

 さっさと懲戒免職にしろよ! と思いつつ、睨みつけてやれば直ぐにセクハラを止めて引っ込むので取り敢えず放置の方針である。これまた何故か、睨む度に表情を隠しつつ耳を真っ赤にしてプルプルと肩を震わせるのだが……そんなに自分の睨みは怖いのだろうかとハジメは少し落ち込むのだった。




 放課後、ハジメとユエは並んでとある場所に向かっていた。シアや香織、そして何故かティオ先生が付いて来ようとしたが、ユエが一刀両断にばっさり切り捨てて(もちろん、精神的な意味で)一時的に行動不能に陥れたので二人っきりである。

 しばらく他愛ない会話を楽しみながら到着した場所は幼稚園だ。

 ここに、母の友人であるレミアの娘ミュウがおり、忙しい彼女に代わって幼稚園のお迎えに来たのだ。このお迎えと、レミアが帰ってくるまでの間、家で預かるというのはずっと前から続いている南雲家の日常だ。

「あっ、パ…お兄ちゃん! ユエ姉ちゃん!」

 ハジメとユエが正門を通って幼稚園の敷地内に入ると、目聡くそれを捉えたミュウがステテテテーと走り寄って来た。その表情は満面の笑みである。思わずほっこりするハジメとユエ。突進してきたミュウを二人がかりで受け止めてギュッと抱き締めてやる。

「ミュウ、突っ込んじゃダメだよ。危ないよ? それと今、僕のこと、また“パパ”って呼びそうになったよね? ホント、勘弁してね?」
「……私は“ママ”でもいい」

 ハジメは、ミュウの呼びかけた呼び名に冷や汗を流しながら窘めた。

 以前、大勢の親御さんがいる中でミュウがハジメを“パパ”と呼んでしまい大騒ぎになったのだ。レミアは未亡人なので、父を知らないミュウにとっていつも傍にいて優しくしてくれる年上の男であるハジメはパパだと思えたのだ。

 だがしかし、ハジメは現役の高校生であり、そんな少年が園児にパパと呼ばれれば……当然、よからぬ噂は立つものである。

 しかも、隣にはミュウと同じ外国人であるユエがいる。親御さんが何を想像するのかは分かりきったことだ。すなわち、小学校高学年か中学一、二年の段階で孕ませたのか! である。

 その勘違いを察したユエが、きっぱり否定せずに頬を赤らめたものだから勘違いは更に加速した。ユエは単純にハジメとの子作りを想像して恥ずかしくなっただけなのだが、タイミングが悪すぎた。

 どうにか、幼稚園の先生達が誤解を解いてくれて、後日レミアが親御さん達に顔見せをすることで事無きを得たが、あのままあらぬ噂が広がれば、ご町内でのハジメの居場所は無くなっていただろう。本当に冷や汗ものである。

 もっとも、レミアが未亡人であるということから、今度はレミア自身を狙っているのではないか? 大人しそうな顔をして何て女たらしだ! と警戒の目を向けられるようになった。最近は、もう諦めの境地に達している。それでも一応、パパ呼びは改めさせているが。

 ミュウを間に挟んで三人は手を繋ぎながら帰路につく。時々、定番のブランコをしてミュウがキャッキャッとはしゃいだ声を上げた。傍から見れば完全に家族である。

「……ミュウ、今日は何してた?」
「えっとね、きょうは……」

 ユエの質問にミュウが喜々として今日の出来事を語る。そんなミュウを見るユエの眼差しはひどく優しい。慈しみと包み込むような温かさに満ち溢れている。何だか、そんなユエが神々しくすら見えてハジメは呆然とユエに見蕩れていた。

 そんなハジメに少し不機嫌そうな声が掛かる。

「もうっ、パp…お兄ちゃん! ミュウのおはなし、きいてるの?」
「え? ああ、ゴメン、ゴメン。ちょっとボーとしてたよ」

 ぷんすかと怒るミュウに謝罪しながら苦笑いするハジメは、ヒョイっとミュウを抱き上げる。そして機嫌を取るようにあやし始めた。

 抱っこされて直ぐに機嫌が戻ったミュウだったが、降ろされたくないので頑張って怒っている振りをする。バレバレなのだが、それには気が付かない振りをしてハジメはミュウを宥め続けた。

 と、その時、微かに言い争うような喧騒が耳に届いた。女性の声と複数の男の声だ。どうも、女性の方の声音は切羽詰っているように思える。ハジメとユエは顔を見合わせ、その声が聞こえる路地へそっと顔を覗かせた。

「何てテンプレな……」
「……女の敵、許すまじ」

 そこには想像通り、複数の男が少々強引すぎるナンパをしている光景が広がっていた。

 ハジメはどうしたものかと抱えているミュウを見ながら頭を捻る。敵の戦力はどうということもない。歩法や姿勢、纏う雰囲気からしても唯のチンピラだ。仮に武装していたとしても大したことはないだろう。

 などと戦力分析をしている(・・・・・・・・・)と、傍らのユエがスタスタと何の気負いもなくナンパ男達のもとへ突き進んでいく。

 彼等も近寄ってくる気配に気がついたようでユエの方を振り返り、その美貌に一瞬見蕩れるものの直ぐに下卑た笑みを浮かべた。その眼は、明らかに新たな獲物を見つけたと物語っていた。

 彼等の視線にドス黒い怒りが湧いてきたハジメだったが、それを発散しようとする前に、ユエが一瞬でナンパ野郎共の間合いに踏み込み、更に一瞬で関節を取るとベキバキと音を響かせ折るか外すかして制圧してしまった。

 まさか、ナンパ野郎共も話す暇もなくボッコにされるとは思いもしなかっただろう。地面に倒れながらしばらく呆けた後、襲ってきた激烈な痛みにくぐもった悲鳴を上げた。

 ユエは、余りに容赦ない対応に少々引き攣った表情をしている女性からのお礼を固辞すると、さっさとハジメの元に戻って来た。そして、スタスタと再び帰路につく。騒ぎを聞きつけてから三分も経っていなかった。某宇宙の三分ヒーローを彷彿とさせる短期決戦である。

「ユエお姉ちゃんつよ~い! かっこいい!」
「……ん、大きくなったらミュウも鍛える」

 ミュウの将来が少し心配だ。ミュウのユエに対する称賛は全くもって同意なのだが、男でありながら何も出来なかったことに少々歯がゆさを感じるハジメ。困った表情をしながらも、それでも己の恋人に惚れ直すのだった。

(あれ? ユエって接近戦、あんなに強かったっけ? それに僕、何で自然に戦力の分析なんか……)

 片腕でミュウを抱えながら、ハジメは無意識にもう片方の手を自分の太ももにやる。そして、何かを探すように手を彷徨わせた。しかし、あるはずの“何か”はそこになく、ハジメの胸中の違和感は更に膨れ上がるのだった。




 夜。

 夕食も終えて風呂も入り、自室でベッドに身を投げ出していたハジメは、濡れた髪を乾かしもせず何かを考え込むように眉根をしかめていた。

 胸中を巡る正体不明の違和感。いつもと何ら変わらないはずの幸せな日常のはずなのに……本能とも言うべき深い場所で誰かが叫ぶのだ。「これは違う!」と。自分の中の何かが、この幸せなはずの日常を否定するのだ。「目を覚ませ!」と。

 苛立ったように頭をガリガリと掻くハジメ。

 その時、不意にノック音が響く。

「……ハジメ?」
「ああ、いるよ」

 一拍おいてユエが扉を開けて部屋に入って来た。

 ネグリジェ姿だ。むき出しの真っ白な手足が艶かしい。トコトコと近づいて来たユエは、ハジメの髪が濡れていることに気が付くと、僅かにメッ! と叱るような眼差しを向けて、ベッドに乗り込んだ。

 そして、寝そべるハジメを起こすと丁寧に髪を乾かし始める。

「ん……乾いた。濡れたままはダメ。風邪引く」
「そうだね。ありがとう、ユエ」
「んっ」

 礼を言うハジメに、ユエはそのまま後ろからハジメに抱きついた。

 そして、ハジメの首筋に顔を埋めスリスリと甘えるように擦り寄る。後ろから回したすべすべの両腕は、ハジメの胸元から服の中に侵入し愛しげにハジメを愛撫する。ミュウが迎えに来たレミアと一緒に帰ったあとは、大抵、甘えん坊になるユエ。

 ミュウがいる時は、中々、恋人としての時間を過ごせないので、その反動もあるのだろう。休日等、余りミュウばかり構いすぎると例え幼女相手でも拗ねてしまうのだ。仕方ないとある程度は割り切っているものの、本来、独占欲はかなり強い方なのである。

(チンピラなんて歯牙にも掛けないくらい強くて、慈愛と優しさに満ちていて、全力で僕を愛してくれている彼女がいる。……普段の生活だって満ち足りている。僕は恵まれているはずだ。なのに……何が不満なんだ。何が、違うっていうんだ? この胸のモヤモヤは何なんだよ)

 ユエの体の柔らかさと体温を感じながら、膨れ上がる違和感を必死に無視しようとするハジメ。そんなハジメの耳元に唇を触れさせながらユエが囁く。

「……大丈夫。何も心配いらない。ハジメは私が幸せにする」
「ユエ……」
「……私だけ見ていて。大丈夫、私はここにいる。ハジメの理想通り。ずっと傍にいるから」
「……」

 とろけるような甘い囁きに、ハジメの意識は次第に微睡んでいく。このまま、甘やかなユエの胸の中で眠ってしまえば、どれだけ心地よいだろうか。

(そうだよな。ここにはユエがいる。それ以上に大切なことなんてない。……ないはずだ。他は何もいらない。例え、全部切り捨てたって……僕の傍には理想通りの恋人がいる。それだけで……)

 意識が途切れようとする。体から力が抜け、そのままぬるま湯に浸かるような心地よさに身を委ねようとする。

 そして、全てが霞の奥へ消えようとした、その寸前、

――俺がユエを、ユエが俺を守る。それで俺達は最強だ。全部薙ぎ倒して、世界を越えよう

 突然、そんな言葉が頭の中に響いた。ハジメの意識が急速に浮上し、閉じかけていた眼がカッと見開く。

――あ~、何なら、ユエも来るか?

 再び、自分の声が響く。それはユエを自分の故郷に連れて行ってもいいと提案した時の言葉だ。

 その後のユエの笑顔。共にハジメの故郷に行く。あったばかりだというのに、それだけのことで表情の乏しかったユエが、まるで花が咲いたように満面の笑みを浮かべたのだ。心底、幸せだとでも言うように。

 思えば、初めて見たそれに、おそらくハジメはやられたのだ。

 そして、二人で死線をくぐり抜けて世界へ踏み出す旅立ちの日に立てた誓い。互いに守り合い、邪魔するものは薙ぎ倒してハジメの故郷へ共に行こうと、そう誓いを立てた。

 本能のなせるわざか。甘い霞の中に意識が消える寸前で、その大切な誓いを思い出したハジメは、自分を抱き締める“ユエに見える何か”を振り解き立ち上がった。

(……理想通りの恋人? 甘く優しい世界? 馬鹿か、俺はっ(・・・)!)

 ハジメは目元を手で覆うとギリギリと音がしそうな程歯を食いしばった。そうしなければ、流されかけた自分の弱さを許せそうになかったのである。

(……自分で立てた誓いも忘れて、仮初の世界に溺れそうになるなんて、我ながら反吐が出そうだっ)

 ハジメは手を下ろすと気合を入れるように、あるいは罰を与えるように思いっきり自分の頬を殴りつけた。ドガッと生々しい音が響く。ハジメの突然の行動に驚いたユエが慌てて駆け寄りその手を伸ばすが、

バシッ!

 ハジメの振るった手に勢いよく振り払われてしまった。

 悲しげな表情で自分の手をもう片方の手で包み込むユエ。その表情に、おそらく大迷宮が作り出したその表情に、ハジメは「……ふざけやがって」とドスの効いた声音で悪態を吐いた。

「……ハジメ、どうしたの?」

 不安そうなユエの問い掛けを無視して、ハジメは先程までとは別人のような鋭い視線をユエに向けた。

「なぁ、ユエ。俺はユエが何より大切だ。他には何もいらない」
「……ハジメ、嬉しい」

 突然のハジメの言葉にユエは一瞬面食らうも、直ぐにその表情をほころばせた。だが、その言葉とは裏腹にハジメの視線は鋭いままだ。

「だからさ、他の何かを切り捨てろと言ったら切り捨ててくれるか?」
「ハジメがそれを望むなら」

 ハジメの要領を得ないはずの言葉に、一瞬の躊躇いもなくユエは頷く。

「例えそれが、シアや香織、ティオ、そしてミュウであっても?」
「ハジメがそれを望むなら」

 まるでハジメの理想を体現するかのように、ハジメの望むままを実行すると宣言するユエ。そんな彼女に、しかしハジメは嬉しがるでもなく、むしろ苛ついたように表情を歪めた。小さく「こんなのに流されかけるとは、情けねぇ……」と呟いている。

 そして、鋭い視線はそのままに吐き捨てるように言葉を投げつけた

「そうか……よくわかったよ、くそったれ」

 ハジメがユエを偽物と断じた瞬間、ハジメの姿が一瞬で変わる。黒髪の日本人特有の姿が、白髪眼帯の少年に。

「チッ。俺としたことが、まんまと術中にはまるとは……これだから大迷宮ってところは油断ならねぇんだ。……って言うか、ハルツィナって奴も例に漏れず碌な奴じゃないな」

 悪態を吐くハジメにユエが歩み寄る。そして、すがるような表情でハジメに手を伸ばした。

「……ここにいて? ここにいればハジメはずっと幸せ」
「黙れ、偽物。気安く俺の名を呼ぶな」
「……どうして? 私はユエ。ハジメの恋人。理想通りの恋人。何が不満なの?」
「全部だバカ野郎。俺の言うことなら何でも聞く、俺を独占しようとしてくれる、都合のいい理想通りの恋人? それはもう、ただの人形だろうが。俺は人形を愛でるような趣味を持っちゃいない」

 既に、この空間からの脱出に思考を巡らせているハジメは、お座なりな感じで偽物のユエに吐き捨てる。

「……違う。人形じゃない。全ての人格を引き継いだ上でハジメの理想を体現したのが私。だから、ここにいて。ハジメが望めば全てが理想通り。ずっと傍にいるから」

 どうやら、ただの偽物というわけではないらしい。この世界も、登場人物達も転移陣で読み取った記憶と人格を元に作り出されたもののようだ。そこに、本人の“もし、こうだったら”という、叶うはずのないIFを付け足し、より理想的な世界を作り出したのだろう。

 確かに、奈落で味わった苦痛や、これから立ち向かわなければならない困難を思えば、それなくしてユエ達とあの平和な日本で暮らしていられるというのは理想的と言えるかもしれない。

 だが、

「度し難いな。余りに的外れで哀れになるぞ」

 ハジメは、つまらなさそうにそう言うと、カッ! とその体から紅い光を爆ぜさせた。透き通るような紅い魔力が一瞬で仮初の世界全体に伝播し、それだけに留まらず、その密度を凄まじい勢いで高めていく。

 これが試練である以上、条件をクリアすれば脱出できる可能性は高いし、その条件も推測は出来ているが、力尽くでぶっ壊してやりたくなったのだから仕方ない。要は八つ当たりである。

「……なぜ」

 理想的な世界のはずなのに、それを否定するハジメに無表情のユエが疑問の声を上げる。ハジメは猛烈な勢いで魔力放出を続けながら、ギラギラと光る眼を偽物のユエに向けた。

「何故もクソもあるか。簡単な話だ。俺の理想通りのユエなんてゴミ以下だよ。現実のアイツは俺の理想なんか遥かに超えている。現実のユエ以上に魅力的な女なんて存在しないんだよ!」

 ハジメをして、既に魔力消費が限界に達しつつあるようで倦怠感を覚え始めたが、それでも惚気ともつかない雄叫びを上げながら更に魔力を放出し、遂に空間全体に亀裂が入り始めた。

 ビキベキと音を立てながら刻一刻と亀裂を広げていく空間だったが破壊するには魔力が足りず既に底を尽きかけている。だが、こんな空間に馬鹿な方法とはいえ膝を屈するのは癪だ。こうなればもう意地である。

 ハジメは魔晶石から魔力のストックを取り出すことも忘れて“限界突破”を発動。底上げされた魔力を一気に放出した。

「他の連中もそうだ。どいつもこいつも俺の理想なんて踏みつけて、俺を俺足らしめてくれる! つなぎ止めてくれる! 強くしてくれる! 思う通りになんてまるでなりゃあしない厄介な奴等ばっかりだ! だが、だからこそ、最高なんだろうがっ!」

 世界が紅蓮に染まる。天を衝かんばかりに噴き上がる紅い光の奔流に、仮初の世界が悲鳴を上げた。

 そして、

バリィイイイン!!

 世界が壊れた。

 ガラスの破片のように世界の欠片が宙を舞う。キラキラと光るそれらは、まるでダイヤモンドダストのよう。

 生命がその終わりの瞬間に一瞬輝くように、壊れた世界に満ちる光の中で偽物のユエはそっと微笑んだ。それは、ユエが見せる微笑みではない。もっと別の……誰かの微笑みだ。

 ハジメは、その人物に何となく心当たりがあったが、急速に沈んでいく意識に指摘する余裕はなかった。

「……合格だよ。甘く優しいだけのものに価値はない。与えられるだけじゃ意味がない。例え辛くとも苦しくとも、現実で積み重ね紡いだものこそが君を幸せにするんだ。忘れないでね」

 ユエのものとは全く異なる声音。女性的にも男性的にも聞こえる。だが、ひどく優しい声音だ。

 ハジメは意識が途切れる寸前、声にならない声を上げた。

「はん、大きなお世話だ。……だが、まぁ、覚えておく」

 既に霞んで見えないその人は、やっぱり最後に優しい微笑みを浮かべた……気がした。


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次回も、土曜日の18時更新予定です。
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