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幽居の書庫  作者: セネティ(LILIPRODUCTION)
1/1

幽居の書庫

「きみ、ちょっといいかな?」

ある夏の土曜日、午前中の部活動を終えて帰り路を歩いていた私に声をかけてきたのは、サラリーマン風の男の人だった。不審者かな、と一瞬身構えたが、

「僕はこういう者でね、近くにある図書館を探しているんだ」

差し出された名刺には、私もよく知っている雑誌の編集部の名前が書かれていた。

疑って申し訳なかったな、と思いつつ、私はここから一番近い図書館への道のりを頭の中に浮かべた。

「えっと、市営の図書館なら大通りをまっすぐ行って、三笠って文具屋のある交差点を右に――」

「あぁ、ちがうちがう」

記者さんは手をぱたぱたと振って私の言葉を遮った。

「そこは知ってるよ」

「……?」

その言葉に、私は疑問を感じざるを得なかった。このあたりで、歩いて行ける図書館なんて他にあっただろうか。大きい図書館もあるにはあるが、たしか車で15分くらいかかったはずだ。歩いていくには少し遠い気もするが……考えているうちに、記者さんが口を開いた。

「僕が探してるのは“貸出禁止”の図書館なんだ」

「……はい?」

その言葉に、私は耳を疑った。

図書館なのに、貸出禁止?そんな図書館がこの世に、ましてやこの近くにあるなんて信じられなかった。もちろん大学の図書館にあるような論文等の貴重な資料や分厚い辞書のように単価が他に比べて高いもの、あるいは図説のように本体が大きいものなど、貸出禁止や館外持ち出し禁止の図書というものは確かに存在する。

「……貸出禁止の“図書”ですか?」

「いや、貸出禁止の“図書館”だね」

万が一、私が記者さんの言葉を聞き間違えた可能性を考慮した質問も一蹴されてしまった。記者さんの顔に浮かぶ苦笑い顔から察するに、おそらく記者さん自身何度も抱いた疑問点だったようだ。その質問を受けて、私から有益な情報を得られないと思ったらしい記者さんは名刺入れを鞄に入れた。

「うーん、やっぱり知らないかぁ。さっきからこのあたりの人に聞き込みしてるんだけど、からきしなんだよね……やっぱり噂っていうより都市伝説的なものなのかな」

ふと記者さんのシャツの襟に目をやると、今までずっと屋外を歩き回っていたことを証明するかのように、汗をたっぷりと吸って変色していた。

「お役に立てなくてすみません」

私は受け取った名刺を返そうと、記者さんに差し出した。すると記者さんは手をそっと突き出して、首を横に振った。

「それは持ってて。もしも僕が探している噂の図書館を見つけたら、そこに書いてある電話番号に連絡してほしいし……。あとは……家の人にも聞いてみてくれると、うれしいな」

記者さんは、じゃあね、と軽く手を振りながら、角を曲がっていった。

私は貰った名刺にもう一度目を落とした。よく見る社名と記者さんの名前、そして下の方には11桁の電話番号が印字されていた。最初の三桁を見るに、おそらく記者さんの携帯電話に繋がるのだろう。こんな暑い日に外を歩き回って大変そうだし、力になれればいいなと思ったが、同時に、貸出禁止の図書館なんて矛盾したものを見つけたくないな、とも思った。

「……そもそも、本なんて」

……きらい、だし。

自分にしか聞こえないくらいの声で呟いて、名刺をポケットに入れた。

本……。……少し、嫌なことを思い出してしまった。今日は少し回り道をして帰ろう、そう思いながら、普段曲がらない角を曲がった。


「……あれ?」

景色の違和感に気が付いて足を止めたのは、曲がり角を曲がって10分くらい歩いたときだった。この町には長い間住んでいるのに、初めて通った道のような気がする。なぜだろう、と思いながら辺りを見回すと、少し離れたところに、その理由を見つけた。私の目線の先には、周囲の建物と比べると一回り大きい、この町には珍しい木造の建物がある。私が小学校に上がるころ、父親に「あの家には怖い人が住んでいるから近寄っちゃいけないよ」と言われたことがあり、その言葉を馬鹿正直に信じていた私は、この道を通らないようにしていたんだった。たとえそう言われていなかったとしても、小学生の私は、こんな古ぼけた怪しい建物に自分から近づこうとは思わなかっただろうが……。そう思いながら、何気なくその建物に近づいた私は、新たな違和感を発見した。

「なんだろ、これ……かすれて読めない」

道路に面している、これまた古ぼけた低い門に、木の小さな板が掛けられていた。建物の素材ほど古くは見えないが、長い間使われているものらしく、何かが書かれていたであろう表面が削れて掠れて、読めなくなってしまっていた。

「うーん……・でも表札が無いってことは、やっぱり民家じゃないんだよね……何の建物なんだろう、これ」

そこまで呟いて、私は記者さんの話を思い出した。

『近くにある図書館を探しているんだ』

『“貸出禁止”の図書館でね』

「…………もしかして、ここ?」

そっと門を押してみると、まるで歓迎されているかのように軽く開いた。私が門を通り、手を離すと、キィッと小さな音を立てて元の位置に戻った。

「ここなら……記者さんもまだ遠くに行ってないはずだし、電話すればすぐ来られるかな」

そう思い、私はポケットに手を入れた。中にはさっき受け取った名刺と、朝しっかり充電してきた携帯電話が入っている。取り出そうとして、他の可能性が頭に浮かんだ。

「でも、もし私の勘違いで……図書館じゃなかったら記者さんにも迷惑だよね……それに、電話でどう道案内すればいいかわかんないな」

私はもう一度、建物を見上げた。

明らかに異質で、やはりどう見たって普通の民家ではない。とはいえ、これがその図書館だとは断定できそうにない。もしかしたら父の話が本当で、古屋敷だという可能性だってある。それを確かめるには――私はまた、辺りを見回した。近所に住んでいる人が外に出ていれば、話を聞くことができるかと思ったからだ。しかし、いくら見回しても人の姿は見えなかった。それどころか、両隣には民家があるのに、人の話し声や物音すら、微かにも聞こえてはこなかった。土曜日だから……かな?

門から5メートルも離れていない玄関の扉に近づくと、木の匂いが強くなった。辺りが静かになった代わりに嗅覚が鋭くなったのかな、なんて思いながら、私は扉を叩いた(年季の入った扉の脇には、インターフォンなんてものは無く、それどころかドアスコープやドアノッカーもなかった)。

返事はない。

ほんの気の迷いでノブに手をかけると、ガチャリと音が鳴った。鍵が開いている。

「……不法侵入に、ならないよね?」

ここまでの私の行動の一部始終を見ている人がいたならば(近所の中学のジャージを着ていることを考慮しても)不審な行動をしていると判断されて、私は一刻も早く逃げ出さなければいけなかったかもしれない。

しかし改めて周りを見渡しても、人影は見えない――――私のこれからする行動を見守る人も、いない。

私は息を深く吐いて、ドアを引いた。

「ごめんください!」



ドアの向こうの玄関には靴を脱ぐスペースなどなく、左側に、受付のようなカウンターがあった。古ぼけたカウンターの上には木製のペン立てが一つ置かれていて、けれどその中には小さな消しゴムが一つ転がっているだけだった。

「使われているようには、見えないけど……」

それにしては、埃が少ないような。まるで片づけをしたばかりのような小奇麗さだった。そのカウンターを通り過ぎると、玄関と似た木製のドアがあった。同じようにノブに手をかけると、さっきより軽い手応えでドアは開き――――

「……わ」

図書館だった。

一目見て分かった。本で埋め尽くされた本棚が秩序を守って並んでいるその部屋は、まさに図書館そのものだった。ということはさっきの玄関は受付で間違いないだろう。

受付と違い、照明がいくつもあり、部屋の中は明るかった。本棚と本棚の間は人が2人並んで歩けるくらいの余裕があり、清掃が行き届いているらしく、埃の匂いもしなかった。しかし同時に、本特有のインクの匂いも感じられず、少し違和感を覚えた。そう思いながら本棚を眺めて、気付いた。

「この棚も……この棚も、この棚も……。……やっぱり、変だ」

どの本棚にも多くの本が並べられていたのだが、どの本を見ても、背表紙に何も書かれていなかった。カバーの色や厚さで分類されているように見えるが、肝心のタイトルや著者名はどの本にも見当たらなかった。

「……-い……」

「……?」

しばらく本棚の間を歩き回っていると、何か声が聞こえた気がした。私は歩くのをやめ、耳を澄ませた。

「……おーい、おーい」

やはり、声が聞こえる。しわがれた低い声質から察するに、おじいさんがいるらしい。この図書館の人だろうか?

「た、助けてくれぇ……」

「!」

私は思わず、声のする方へ駆けた。図書館の中で走るなと言われてしまいそうだが、他に人がいるようにも見えないし許してほしい……あ、おじいさんはいるみたいだけれど。

「こっちの方から声がしたような……?」

窓の近くまで来ると、そこには3人くらいが並んで利用できる大きさのテーブルと椅子が置かれていた。テーブルの上には本が開かれて置かれていて、日光を浴びていた。乾燥させているのだろうか?

「おぉ、来てくれたのか。こっちじゃ、こっち」

「……?」

テーブルの方から、声がした。しかし人影は見えない……どこから声がしているのだろう?テーブルに近づくと、本がカタッと動いた。

「そうじゃ、ワシじゃ」

――本から、先ほどと同じ、しわがれた声が発せられた。

「きゃあっ!?」

反射的に身体が跳ねてしまい、尻もちをついた。

「なんじゃ、大袈裟じゃのう。それにしても……見たことのない顔じゃな、お嬢ちゃん」

立ち上がってもう一度本を見たが、やはり声はこの本から発せられている――――

「な、なんで喋れるんですか……?」

「なんじゃ、やはりここに来るのは初めてじゃな?ならそろそろ若造が来るはずじゃ」

おじいさんは私の質問に答えてくれなかった。……若造?

「若造とは失礼ですね、あなたたちの面倒を見てる相手に向かって」

後ろから急に声が聞こえた。振り向くと、すぐ後ろに、細身で背の高いおにいさんが立っていた。

「きゃあっ!?」

尻もちはつかなかったものの、また反射的に身体が跳ねた。

「そんなに驚かなくても」

驚いた私を見て、おにいさんは穏やかに笑った。悪い人ではなさそう……かな?

「おぉ、ツカサ、待っとったぞ。早くわしを閉じんか、日焼けしてしまう」

「待ったって、たった数分で大袈裟です。そもそもじいさんが『湿気って敵わん、風を浴びさせろ』って言ったんでしょうが」

おにいさんはそう言いながら、おじいさん(の声がする本)を拾い上げた。おにいさんは「年上を敬う心が足りん」とか「風を浴びさせろとは言ったが日を浴びさせろとは言ってない」とか言い続けるおじいさんを閉じて近くの本棚に押し込み、その一部始終を眺めていた私に向き直った。目が合って、思わず身構えてしまう。

「いらっしゃい。さっきの反応を見るに……ここに来るのは初めてだね?挨拶が遅れてごめん、僕はツカサ。この書庫の……まあ、司書みたいなものだ」

そう言って、ツカサさんは微笑んだ。

「あ……私は佐藤楓です。えっと、ここって……図書館、なんですか?」

ツカサさんは、小さく首を振った。

「正確には違うね。ここは“幽居の書庫”っていうんだ」

「幽居……」

確か、隠居と同じような意味だった気がする。俗世から離れたところに住む……だったかな?

「でも、図書館という感覚で構わない。ここの本は少し特別で……きっと、君も読んだことのない本ばかりだと思う。どの本も、自由に手に取って読んでもらって構わない。でも、この書庫の本はこの世に二冊と無い特別なものだから、外に持ち出したりしないようにね」

その言葉に、ハッとした。

貸出禁止の図書館――――やはり、ここだったんだ。

「あと言っておかなきゃならないことは……あぁ、室内での飲食は禁止ってことくらいかな。他に聞きたいことある?」

「……さっきの、本のおじいさんのことについて聞いてもいいですか?」

するとツカサさんは少し困ったような顔をした。

「うーん……話すと長くなるんだよね。整理、まだ終わってないしなぁ……うーん……」

「……?」

ツカサさんは何かぶつぶつと呟いていたが、よく聞き取れなかった。

「……あぁ、そうだ。人払いしてたのに入ってこられたってことは、楓ちゃんにもアレがあるか」

「?アレって……なんですか?」

「えっとね、ここ……幽居の書庫に一人で来られたってことは、この中に君の“思い出の本”があるってことなんだ」

「……思い出の本、ですか」

「うん。君にとっての大切な本が、この書庫の中にある。僕は裏の方でやらなきゃいけない仕事があるから、その本を探して待っていてほしい。なにせこの本の量だから少し時間はかかるかもしれないけどね。何か聞きたいことがあったら入口のカウンターに呼びに来て」

言い終わると、ツカサさんは、私が入ってきた扉の方に歩いて行った。その背中が本棚で見えなくなると、程なくして足音も聞こえなくなった。

私は、先ほどおじいさんが押し込まれた本棚に近づいた。やはりどの本も背表紙はなく、年季の入ったカバーをしていて、しかし装丁は綺麗だった。大事に読まれてきたんだろう。

「……思い出の本」

ツカサさんの話に出てきた言葉を、再び繰り返した。口にしてみると、やはり違和感のあるような言葉で――――私は

「そもそも、本、なんて……」

「嫌いなのかの?」

今度は、私の身体は跳ねなかった。声のする方を見ると、先ほどおじいさんの本が押し込まれた辺りがカタリと音を立てた。

「私、声に出してましたか」

「うむ、かろうじて聞こえるくらい小さな声だったがのう。しかしまぁ、この書庫での言葉とは思えんの」

「……すみません」

「ほほ、責めとるわけじゃない。ただ少し不思議でな。もう一度聞くが嬢ちゃん……楓といったか、本当に本は嫌いなのかのう?」

おじいさんの顔はどこにもないはずなのに、その表情は読み取れないはずなのに、なぜだか私は咎められているような気がして緊張した。

「……嫌いです」

「それはおかしいのう。ここは本を大切に……特別に思っている人間しか入れないはずなんじゃが。嘘をついているようにも見えんし……そうじゃ、嬢ちゃんの“思い出の本”が見つかれば何かわかるやもしれん。ほれ、ワシも連れていけ」

そういうと、おじいさんはガタンと音を立てて、本棚から数センチ飛び出した。棚からずり落ちそうになったので慌てて受け止めると、ほっほと笑った。

「ナイスキャッチじゃ」

「……動けたんですね」

「ほんの少しならな。しかし咄嗟に手を伸ばした割には……良い持ち方じゃ」

気のせいか、おじいさんの柔らかい表情が分かったような気がした。


「私の“思い出の本”って……本当にこの中にあるんですか?」

私はおじいさんを携えて、書庫の中を歩き回っていた。

「お嬢ちゃんは一人でこの書庫に来たんじゃろう?それならばあるはずじゃ。ここに来ることができたということは、ここに“思い出の本”があるということじゃ。それがどんな本か、見つけるまでワシにはわからんが、嬢ちゃんにとって何かたいせつなものが詰まった本が必ずある。すぐに見つけられるかどうか、それは嬢ちゃん次第じゃが……ワシと話す前にも書庫は歩き回っとったんじゃろう?何か感じたりせんか?こう……懐かしい雰囲気、だとか」

手の中のおじいさんは相変わらずしわがれた声で喋る。しかし先ほどの咎められているかのような圧は感じられず、まるで隣を歩いているかのようだった。変わらず顔は見えないままなのに、不思議な感覚だった。

「懐かしい、雰囲気……」

ここまでに見てきた本棚の数は本当に膨大で、その本棚にもぎっしりと本が収まっていて……けれど。

私の足は、私も意識しないうちに、ある方向に向かっていた。

「そうじゃ、懐かしい雰囲気……それも本に関わるもの、じゃ。本に関わるものといえば、何か思い出せたりせんかのう?例えば、そうじゃのう、近所の本屋の店番をしている青年が容姿端麗であった、とかどうじゃ?今時の言葉で言うと、いけめん、というんじゃったっけ?……いや、嬢ちゃんはそういうタイプではないんじゃろうな。本が嫌いと言うとったし、もっと深い記憶があるはず……そうじゃな、嬢ちゃん自身が本屋の娘で、同級の中でも容姿端麗で有名な少年が客として来た、とかどうじゃ?そしてその少年と最初は仲良くなったものの仲違いをして、そのせいで本も嫌いになった、とか……いや、これもさっきと大差ないのう。うむ……好き勝手想像して嬢ちゃんの気分を損ねるのはよくないのう。そうじゃ、代わりと言ってはなんじゃが、ワシのとっておきの話をしよう。ワシも昔は学級内でパッとしない方でな――」

「これ!」

「な、なんじゃ、ワシのとっておきの話はまだこれから――――うん?その本は」

「これ――懐かしい雰囲気がした、他に比べて違和感を感じていた、本です」

私はおじいさんを左腕で持ったまま、右手にその本を取った。

「これは……ふむ、喋らない本じゃな。確かにこれが嬢ちゃんの“思い出の本”で間違いなさそうじゃ」

「……え、喋る本っておじいさんだけじゃないんですか」

「さっき若造が、ここの本は特別だと言っておったじゃろ。ここに元々あった本……“思い出の本”以外の背表紙がない本は、みな意思を持っておる。喋ろうと思えば喋ることもできるが、まあ今は喋っておらんだけじゃ。……ところで、さっきの話は聞いておったかのう?」

「え、あ、えっと」

正直おじいさんの話は途中から耳に入っていなかった。

「……まあよい、それより嬢ちゃんの“思い出の本”のことが先じゃ。椅子……ここからなら、さっきの窓際が近いじゃろう。そこでゆっくり、話を聞かせてくれ」


「よい……しょ」

おじいさんと思い出の本をテーブルにおいた私は、椅子に座った。椅子にも随分と年季が入っているようで、ギシッと音がした。

「改めて聞くが……それが嬢ちゃんの“思い出の本”なんじゃな」

「……はい」

背表紙のタイトルは削れてしまっていて、うっすらとしか読めなかったが、確かにその本は私の思い出の本で――――数年前に無くしてしまった、大切な本だった。私は本に手を伸ばし、開かずにそっと抱きしめた。

「読まんのか?」

「はい――――読まなくても、わかります」

読まなくてもわかるくらい、覚えるくらい、何度も読んだから。

私は目を閉じて、この本を無くした時のことを思い出していた。


『楓ちゃんっていつも本ばっかり読んでるね』

それは……本が、好きだから。

『楓の持ってる本、きったねぇ!ボロボロじゃん!』

か、返してよ!

『私たちと遊ぶより、難しそうな本読んでる本が楽しいんだよね』

……そんなこと、ないもん。

友達に、仲間外れにされたくなかった。

クラスメイトに茶化されるのが嫌だった。

だから私はある日、いつも持ち歩いていた本を部屋に置いたまま、学校に出かけたんだった。

学校では友達とおしゃべりをした。

休みの日も友達と遊ぶようになった。

友達の話についていくために、漫画や雑誌を買うようになった。

そしていつの間にか、本を読む時間も無くなり、本を読もうと思う気持ちも無くなっていた。それどころか本を見ると、本を読んでいたころに友達から受けた嫌な気持ちが蘇り、いつしか本を嫌いになっていた。そうして部屋にあった本をどこかに乱雑に仕舞ったまま、その本のことも、かつてそれを読んでいた時に感じていた楽しさも――――忘れてしまっていたのだ。


「何か思い出したみたいだね」

その透き通った声で、私は目を開いた。

「――――はい」

すぐ隣に、ツカサさんが立っていた。その目は私ではなく、窓の外に向いていた。つられて外を見ると、緑の葉っぱを揺らしている木が目に入った。

「友達と仲良くするのはもちろん大切なことだ。生きていく上で、それは欠かせない能力だ。でも、自分が好きなことを、好きだったことを嫌いになってしまうのは、つらいだろう?」

「……はい」

ツカサさんは私の目を見て、にっこりと微笑んだ。

「うん……その顔を見られてよかった。それじゃ、奥の本の整理も一段落ついたし……えっと、ここの本についてだっけ?説明、始めようか」

私は首を振った。

「いえ……大丈夫です。私にとって何が大切だったのか、それを思い出させてくれた……それだけで、十分です」

「……そっか。君がその本に再会できて、よかった」

「はい。あの、ツカサさん、この本」

「あぁ、その本は……君の本だから。書庫の本の持ち出しは禁止だけれど、自分の本を持って帰ることは禁止していないよ」

「!……ありがとうございます!」


「ここのことは内緒にしてね」

私が戸口に手をかけたとき、ツカサさんはそういった。

「もし、どうしても知りたいっていう人がいたら――――」

私は振り返る。きっと、ツカサさんと同じように、笑って返事ができたと思う。

「もちろんです」


「あっ」

書庫から出て5分くらい歩いたとき、記者さんの背中が目に入った。様子を見るに、まだ書庫のことを見つけられてはいないようだった。私が立ち止まっていると、記者さんは振り返り、目が合った。

「あ、君!……ん?その古い本……もしかして、噂の図書館の……!?」

私はゆっくりと首を振る。

「いえ、これは……私の、たいせつな本です」

「そっかぁ……やっぱり噂は噂ってことなのかなぁ」

頭をかく記者さんに、私はツカサさんから言われた言葉を思い浮かべた。

『もしどうしても知りたいっていう人がいたら――――』

「本、を」

「え?」

記者さんはよく聞き取れなかったようで、怪訝そうな顔をした。私は顔を上げる。

「本を、たいせつに思える人なら、きっと見つけられると思いますよ」

「……?」

記者さんは最後まで、不思議そうに首をかしげていた。


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