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  水鏡の術師 作者:ミミズ
1章 謀略の花嫁
8話 クラリスの気持ち
 ルカは馬にまたがり、暗闇の中を一目散にかけた。背後からガルムたちが怖ろしい速さで駆けてくる。ガルムたちは口内からあふれる炎をまき散らし、細い前肢まえあしで猛然と地面を蹴っていた。

「リストレイン!」

 ルカは右手で手づなをにぎりながら、左手でZを描いた。聖なる輪っかが召喚されて二匹のガルムをしばりあげる。ガルムたちは身体に食いこむ魔法の輪っかにもだえて、手足をしきりにばたつかせた。

 リストレインから逃れたガルムの一匹が大きく跳び、馬の尻にかみついた。馬は突然の激痛にいななき、半狂乱はんきょうらんに暴れた。

 ルカとクラリスは暴れる馬からふり落とされる。倒れた馬にガルムたちが次々と飛びこび、馬ののどや腹に食らいつく。馬は壮絶な悲鳴をあげた。

「ああ!」

 馬の肉が引きちぎられ、むさぼり食われる様子にクラリスは色を失い、地面にへたりこむ。ルカはクラリスの手を引っ張り、夜の森の奥をひた走った。

 一匹のガルムがぴくりと反応する。ルカとクラリスの背中をとらえ、猛然と駆け寄る。

「きゃあ!」

 ガルムが飛びかかり、とがった爪先がクラリスの腕をかすめる。きぬのローブのそでが破れた。

 ルカは腰のパラッシュを抜き、飛びかかるガルムの顔面を刺し貫いた。ガルムは絶叫して悶え、パラッシュの刃が黒い血のりで汚れた。

 馬が倒れたことでガルムたちの注意が引きつけられて、ルカとクラリスを追うガルムは二匹に減った。ルカはリストレインを描いて彼らをしばりあげて、そのすきに死地を逃れていった。




 森の中をひた走り、ルカとクラリスは足を止めた。ふたりはひざに両手をついて、肩で大きく息をした。

 ルカは身体を起こし、後ろをふり返る。ガルムたちの姿は見えない。

「何とかふり切ることができましたね」

 クラリスも顔を上げて、額の汗を袖でぬぐった。

「あれが魔物なのですね。初めて見ましたわ」
「あれは猛獣よりもたちの悪い、悪意と狂気のかたまりです。間違っても心をゆるしてはいけませんよ」
「ふふっ。私は動物が好きですが、魔獣を愛したりはしませんわ」
「ですから、なおさら危険なんです。魔物の中にはリスやウサギのようなかわいい小動物に変装して、どうどうと人間に近づいてくるやつもいるんです。見慣れた動物を見ても、油断してはいけませんよ」
「はい。わかりましたわ」

 クラリスは息を吸いこみながら、にこりと笑う。呼吸が落ち着いてきて、クラリスはあたりのまっ暗闇を見わたした。

「どこなんでしょう。ここは……」

 あたりは雑草のしげる森の中。明りはひとつもない。頭上の木の枝と葉が天井となり、月光をことごとく遮断している。暗闇の部屋の中のようで、夜目をこらしてもほとんど前が見えなかった。

「ルカ様。あちらに水の音がしますわ」

 クラリスが左手を指す。ルカは息を殺して耳をました。木の幹の間の暗闇から、川の流れる音が聞こえてくる。

 ルカとクラリスは川に向かって歩く。足場はぬかるみ、泥が靴底について気持ちが悪い。足や肩に疲れを感じながらも、ルカは暗闇の中を進んだ。

 しばらく歩き、小川のほとりに着いた。川は上空の月の光を受けて、きらきらと輝いている。右側に小さい丸太の橋がかかり、細い山道が向こうにつながっていた。

 クラリスは小走りに小川に近づく。畔でしゃがみ、水を掬った。川水は透明で、聖水のようにきれいだった。

 クラリスのとなりでルカも水を掬い、ごくりと飲んだ。冷たい水が乾いたのどを潤す。身体についた重りが、わずかにとれたような気がした。

「仕方がありません。今日はここで野宿をしましょう」
「はい。……でも、こんなところで寝られるかしら」

 クラリスは川ぞいの木の根に座って消沈した。

 早春の夜は冷える。まわりの木々が冷たい風をさえぎってくれるけど、火をたかないと寒さはしのげない。しかし、先ほどのことを考えると火をたくのはよろしくない。

 ルカは金の肩当を外して、紫のマントを脱いだ。

「クラリス殿。先ほどの魔物の襲撃を考えると火はたけません。なので、まことに失礼ですが私と添い寝して下さい」
「えっ……」

 クラリスが頬を赤くする。しばらくうつむき、両手を遊ばせていたが、

「ルカ様、そんなにお気を遣われなくて結構ですわ。私はルカ様を信頼しますから、ルカ様は遠慮しないでこちらへいらして下さい」

 意外とあっさりした返答に、ルカは口をつぐんだ。

(まるで、大天使アリエルのようだな)

 ルカは二の足をふんだが、クラリスの横に腰かけた。うすいマントをはおり、クラリスの細い身体ごとつつみこんだ。

 二人は夜の森の中でぴたりとくっつき、身をよせ合っている。マントと人肌に触れているおかげで暖かいが、胸は鼓動こどうが早くなり、とても寝つけそうにない。都の宮殿でクラリスを待つクレアモンドに、ルカは心の中であやまった。

「今日は危ないところを何度も助けていただいて、ありがとうございました」

 やや気まずい感じをかき消すように、クラリスが言った。

「私はクレアモンド殿の言いつけ通りに行動してるだけですから、クラリス殿がお気に病む必要はありませんよ」
「ふふっ。そうですね」

 クラリスがくすりと笑った。

「ルカ様は真面目なお方なんですね」
「それは気のせいですよ」
「あらっ、そんなに謙遜なさらなくても結構ですわ」

 赤い顔で微笑むクラリスのとなりで、ルカは悄然しょうぜんと頬をかく。

 ――金に目がくらんだ、とは言えないな。

 クラリスはマントを少し引き寄せて、首と胸もとを隠した。

「クレアもきっと、今ごろルカ様に感謝してますわ」
「お二人の役に立てて、このルカ、まことに嬉しく思います」
「ふふっ、言葉がお上手ですこと!」

 クラリスは少し声を立てて笑った。




「あの、先ほどは火炎公かえんこうアイニとおっしゃってましたが、アイニって魔界ペスタの魔王のことですか?」

 しばらくの沈黙の後、クラリスがそう話を切り出した。ルカはゆっくりとうなずいた。

「ええ。クラリス殿は魔王に興味があるんですか?」
「えっ、いや」

 クラリスはマントの中で手を遊ばせた。

「私はミシャル教の教会に通ってたのですが、その、伝承のことをよく知りませんので」
「かつて地上を滅ぼしたといわれる五柱ごはしらの魔王たちは、火炎公かえんこうアイニ、殺戮王さつりくおうガラシャ、海皇かいおうヴェパル、闘神とうしんキマリス、断罪者だんざいしゃアンドロマリスの五柱ですね。魔王たちは凶悪な力で地上を支配し、五百年もの間にかけて暗黒時代を築いたのだそうです」
「暗黒時代ですか?」

 クラリスは首をかしげた。その素直な仕草がとても可愛らしいと、ルカは思った。

「暗黒時代というのは、比喩的な言い方なんですよ。魔王が支配してた時代は、一日に人が何人も殺されるという、とんでもない時代だったようですからね。先ほどのガルムたちも、魔王と共に魔界ペスタから召喚されたと言われてますね」
「そうなんですか」
「まあ、ミシャル教の司教たちが言ってることですから、ほんとうに魔王がいたのか知りませんがね」
「ふふっ。ルカ様は、ミシャル教会様についてお詳しいのですね」
「私は宮廷魔術師ですから。魔道を学ぶには、ミシャル教に入信しないといけないので、自然とこういう知識が身についてしまうんですよ。……私のような人間は、お気にめしませんかな」
「いえ」

 クラリスは少しうつむいて、次の言葉を考えていた。

「ルカ様のような頼もしいお方に護っていただけて、私はとても安心できますわ」
「それは、ありがとうございます」
「あ、あの! ルカ様が炎を召喚されたときは、思わず驚いてしまいましたが、今でしたらクレアが信頼できる人だと言ってたのもわかりますわ」

 クラリスはとり乱しながらも、とても一生懸命に弁明していた。その様子に苦笑しながら、悪い子ではないなと、ルカは思った。
◆魔界ぺスタ五柱の魔王たち◆


火炎公アイニ=怠惰と自堕落を司る炎の化身。男を誘惑する女性の顔と、全てを焼き尽くす破壊神という二つの顔を持つ。

殺戮王ガラシャ=混乱と欺瞞を司る恐怖の魔王。地上では固定の姿を持たず、何かしらの禽獣の姿であらわれることが多い。魔術の礎を築いたともいわれる。

海皇ヴェパル=支配と物欲を司る海の支配者。地上へは、蒼く巨大なくじらの姿で召喚される。

闘神キマリス=破壊と闘争を司る戦の神。地上へは、黒い甲冑を着て黒馬にまたがった姿で召喚される。大天使メーメルとライバル視されることが多い。

断罪者アンドロマリス=終焉と死を司る魔王。もとは冥界の王だったが、ミシャル教では悪しき五柱の魔王のひとりに数えられる。


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