ルカは馬をはしらせた。途中で何度かふり返ったが、矢が飛んでこなければ、胸をつく殺意も感じない。とっさの生兵法に相手が倒れたとは思えないが、ひとまず死地をぬけることはできた。
(やつらはいったい何者なんだ)
手づなを打ちながら、ルカは自身に反問する。
サンタレムのモードレットという男の手によるものなのか。だが、彼らは昼間に火葬した下品な盗賊たちと雰囲気が違う。盗賊が崖下の荷馬車よりもクラリスを優先するのも、少し不自然だ。
ルカとクラリスのまわりで、何かが動き始めている。ルカは額の冷や汗をひそかにぬぐった。
あたりの岩場が終わり、山道は左右に木々がつらねる山林にかわった。うす暗い雲に隠れた月光は、森の奥深くまで照らさない。暗がりから聞こえてくる虫の鳴き声と相まって、不気味な気配をただよわせていた。
暗いほそ道のわきに、一軒の木の家がたたずんでいた。ルカは手づなを引いて馬の足を止めて下馬し、あばら家の戸を叩いた。あばら家からの反応はない。ルカは二、三度ノックしたが、反応はやはりなかった。
「だれもいない空き家のようですね。今日はもう遅いので、ここで一泊しましょう。宮廷のベッドより寝づらいと思いますが、辛抱して下さい」
クラリスは気味悪い家を見て顔を青くしていたが、首をたてにふった。ルカはクラリスの手をとって馬から降ろし、馬の手づなを近くの木の枝に結んだ。
ルカは肩にかけていた麻の大袋を下げて、クラリスに手わたす。クラリスは目をしばたいた。
「ドレス姿では動きづらいでしょう。中にあなたにあてがわれた服が入ってますから、家の中でお着替え下さい。その間、私は外で枯れ木でも集めてますから」
「わかりました」
クラリスはあばら家の戸を開けて、中をおそるおそるうかがう。やがて意を決して、家の中に入った。その様子を見とどけて、ルカは悄然と肩を落とした。
クラリスとしばらく乗馬を楽しむだけだという発想は、大きな間違いだった。今回の友の依頼は、当初の予想よりも面倒なものになりそうだ。都へ帰還するまでの二日間、一瞬たりとも油断できない。
都合よく空き家があったため、クラリスの寝床を用意することはできた。だが、ルカはのんきに寝ているわけにはいかない。
ルカは首をふってネガティブな思考をふり払い、足もとに落ちる枯れ木を拾う。せっせと手を動かして、家のわきに集めた。
「ルカ様」
枯れ木の前で腰を降ろすルカに、クラリスの細い声がかかった。
クラリスはあの白いのローブを着て、うす紫色の丈の短いマントをはおっていた。白のローブは胸もとがぱっくりと割れて、彼女のふくよかな胸がぷるぷるとふるえていた。
「クレアったら、こんなはしたない服をよこすなんて、何を考えてるのかしら」
クラリスは開いた胸もとを見て顔をしかめたが、すぐに口に手を当ててルカを見つめた。
「だいじょうぶですよ。あなたとクレアモンド殿が親密な仲なのは知ってますから」
「そうですか」
冷淡なルカの言葉に、クラリスは少し気まずそうにうつむいた。
ルカは枯れ木の枝の山に両手をかざして、ぶつぶつと呪文をとなえた。両手からあがった炎が枯れ木を燃やし、小さなたき火ができあがった。
その赤い光を、クラリスは不思議そうに見つめていた。
「今日はもう遅い。そろそろ寝ましょう」
そう言うと、ルカは立ち上がって夜空を見あげた。まだ月の出から少ししかたっていない時間だった。
そこで突然、声が聞こえた。
「な、何かしら」
クラリスが身体をふるわせる。森の奥から、おぎゃあ、おぎゃあと赤子の泣き声がなり響く。
「あ、赤ちゃんがいるの?」
森の奥に入ろうとするクラリスの手をルカが引く。地面を蹴ってたき火に土をかけた。
明るかった森がまっ暗闇につつまれる。
「ルカ様! 何をなさるんですか!?」
「し。……静かに」
ルカはあわててクラリスの口を手でふさいだ。
「森にひそむ魔物には、赤子のような泣き声で鳴くものがいるんです」
「えっ、ま、魔物……?」
魔物という単語を聞いて、クラリスは色をなくした。
赤ん坊の泣き声は大きく、激しくなっていく。明かりのない夜の森に響く赤子の声はあまりに不気味で、心の底までふるえさせる。かわいい赤ん坊の泣き声とはまるで正反対。
あたりの暗闇から、むし暑くよどんだ空気がただよい始める。焼きつけるような人外の瘴気が、ルカとクラリスの喉をからからに乾かせる。
「ル、ルカ様!」
「あわてないで。私のもとを離れないように」
おびえるクラリスに背を向けて、ルカは落ち着いた声でつぶやいた。
赤子の声はさらに募って、左右からふたつ、みっつと増えていく。前や後ろの暗闇からも泣き声が共振して、おびえるルカとクラリスを包囲した。
木と木のあいだの闇に、ふたつの赤い光がともった。左右の端は狐のようにつり上がり、ルカたちを妖しく照らす。赤い双眸は次々と闇から浮かび、やがてルカたちを威嚇しながら一匹、二匹と姿をあらわした。
出てきたのは、犬そのもの。体毛は黒く、背はルカの膝の上をとどかないが、口に鋭くとがった牙が生え、さらに口の中から炎があふれ出ている。足の爪も同じく鋭く、赤く光った目がまがまがしさを強調していた。
ルカは腰を落とした。
「こいつらは火炎公アイニの下僕で、ガルムという魔物です」
「……はい」
焼きつける瘴気のためか、クラリスの声がかすれていた。
ガルムたちは唸り声をあげながら、じわりとあたりをとり囲んでくる。彼らの口から火炎があふれ、夜の森に光と熱をあたえる。ルカは舌打ちした。
「彼らは炎の化身です。ですから、炎の魔術は効きません」
「では、どうなさるのですか」
クラリスはルカの背中にしがみつく。ルカは首のアミュレットをはずして、大文字のOとSを重ねて描いた。描写された形は光り輝いて神秘的なシジルをつくり、暗闇を白く照らした。
「コラープス!」
ルカがさけんだ後に白銀のシジルが消え、ガルムたちの足場に亀裂が走った。白光が上空をつき抜けて、ガルムたちの足場を割った。ガルムたちはバランスをくずして、キャンキャンとさけび、のたうち回った。
ルカはクラリスの手を引き、急いで馬にまたがった。
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