ルカは、騎士が乗り捨てた馬を見つけて、その上にさっと飛び乗った。突然の重みに、馬は大きな声をあげていななく。
その横へ、ヒルダが必死に駆けよってきた。ルカは手づなを引っ張って、暴れる馬を制した。
「君は来なくていい。それよりも早く足の傷を診てもらうんだ」
「いえ、ルカ様。これは私たちの国の問題です。私も同行させてください」
足の傷に耐えながら、ヒルダは決然とした瞳をルカへと向けている。ルカは肩を落としてから、馬の尻をヒルダに向けた。
「嫌なものを見ることになるかもしれんが、それでもいいか?」
「ええ。そういうことには、慣れていますから」
後ろにヒルダを乗せて、ルカは馬を走らせた。馬は風を切り、炎の燃えうつる家々が左右に流れている。街はウェアウルフと暴徒、そして彼らから逃げる人たちと国の兵士たちがせめぎあっている。
手づなをにぎるルカの両手が、ぷるぷるとふるえた。
「ヴァレシア兵団は何をしてるんだ! チンケな魔物一匹も倒せない雑魚どもがッ、ネヴィルはちゃんと兵の訓練をしてたのか」
それから、馬の足の遅さにルカは辟易してしまう。馬は、フェンリルのような爽快な速さで走ってくれない。ルカは何度も手づなを打って、憤然と舌打ちした。
「ええい、この駄馬がッ! のろのろと走りやがって、何て質の悪い馬なんだ」
一度火のついた憤りは、ルカの心のすみずみに次へと飛び火していく。落ち着かない気持ちにいらいらして、ルカは頭をわしわしと掻いた。
やがて馬が混乱する街を抜けて、あたりは人気のない荒地に差しかかった。静かな場所にそびえる大きな岩は、ところどころに生えた雑草を風になびかせている。
「まさか、私の悪い予感があたってしまうなんて」
そこで、ずっと静かにしていたヒルダが口を開いた。
「予感?」
「……私は、修道院に訪れる信者様から神隠しの話を聞いて、何かの前触れなのではないかと、思っていたんです。それが、こんなことになってしまうなんて」
「そういえば、ずっと聞きそびれてたことだが、君は何を理由にして今日のことを予感したんだ? 盗賊や異民族たちが跋扈する今の世で、農奴が蒸発するのは珍しいことではないと思うが」
すると、ルカの二の腕が強く引っ張られた。ルカの腕をつかむヒルダの両手の力が、強くなっていた。
「悲しいことですが、民たちが神隠しに遭うというのは、私もそれほど珍しくないと思います。私が気になっていたのは、失踪していた人たちが必ず記憶をなくしていたり、また意識をおかしくしていたからなんです」
「記憶や意識をなくす?」
「それらの症状が出ていたのがお一人やお二人だったのなら、ただの持病としか思わなかったのでしょうが、あまりにたくさんの人たちが患っていたので、たちの悪い疫病がはやりはじめたのではないかと、思ったんです」
「それで君は、早くブランデンを出ろと私に忠告したんだな?」
「はい」
ヒルダは力ない声で、返事した。気の強い彼女が消沈しているのが、手にとるようにわかった。
「私もルカ様にお聞きしたいのですが、ルカ様はどうして、アニミズムが起こした事件を解決しようと思ったのですか? 他国からお出でになられた騎士様が、利益を省みずに民たちの力になるなんて、その……」
「私のような太々しい貴族が、民の力になるのはおかしいと?」
「あ、い、いえ、そんなことは……」
ルカの背にしがみついているヒルダは、気まずそうに言葉を濁していた。ルカは、ふっと自嘲の笑みを漏らした。
「私はここに来る前、ナザレ人たちに連れ去られようとしてるパトリックを助けた」
「はい」
「彼を助けたのはいいが、記憶がないのか、彼は私の問いにあいまいな返事しかしなかった。かと思えば、国や街の地名が彼の口から出てくるので、パトリックは完全に記憶をなくしているのではないのかと、私は思った」
「はい」
ルカの言葉に、ヒルダはすぐ相づちを打ってくれる。ルカも淡々と言葉を続けた。
「パトリックの様子がおかしいというのは、クラリスも気づいてたようだ。だが、私は面倒だったので、それ以上首を突っこもうとは思わなかった。そう思っていた矢先に、パトリックは君のいる修道院で突然に意識をなくした。そして、彼と同じ症状を出してる人間が、街にあふれているということが、調べていくうちにわかったんだ」
「ルカ様も、私と同じ理由で今回の騒動を予期されていたのですね」
ルカは静かにうなずいた。
「サイードは、闘神キマリスの強い瘴気のせいで、パトリックたちがおかしくなってるのだと言っていた。それを聞いて、私はどこか不自然なものを感じたが、それとなく合点してしまった。嫌らしい瘴気を放つ魔物どもの親玉なのだから、召喚の前触れだと言われれば、ありえない話でもないだろう。ほんとうの魔王なんて、だれも見たことがないのだからな」
「ですが、キマリスの召喚を回避した後で、このような事態になってしまいました。私たちの予感と人々の魔物化は、やはり関連があったのでしょうか」
口惜しさを募らすヒルダの問いに、ルカは返す言葉が浮かばなかった。
しばらく馬を走らせて、道のわきに麦畑が広がりはじめていた。だが、黄金色の穂をつけていた小麦は、ところどころが踏み倒されている。また、根元からきれいに抜きとられているものもあった。
ルカは馬の足を止めて、あたりを見わたしてみる。左右いっぱいにひろがっている麦畑は、どれも凄惨なまでに荒らされている。さんざんに踏み倒された畑は、茶色い土の色がありありと見えた。
「まあ! 何てことでしょう……!」
後ろにいるヒルダは両手で顔をおおって、ぷるぷると両肩をふるわせていた。そして、彼女の怒りが、やがて嗚咽に変わっていくのがわかった。
ルカが優しく手づなを打つと、馬はとぼとぼと先を歩いた。そして、わきの畔に入って、荒れた畑を背にしていく。その、あまりのひどさに、ルカの全身からも血の気が引いていった。
(だれが、こんなひどいことを引き起こしたんだ)
薄情なルカの心も、左右から強くゆさぶられた。
やがて、倒壊した農家が目の前に見えてきた。だが、それは倒壊したというより、瓦礫の山と言った方が正しいのかもしれない。まるで、そこだけが強い地震に遭ったみたいで、あたりの家々全てがごみの山に変ぼうしていた。
その瓦礫の前で、サイードは腰を落としている。その丸まった背中を、フェンリルのトールが鼻でさすっている。
ルカは馬を降りて、サイードの横へよってみた。目を落とすと、サイードは瓦礫の中からのびた白いものを、じっとにぎっている。
それが少女の細腕だと気づくのに、時間はかからなかった。
「うおおオオオ!」
突然、サイードは天をあおいで雄たけびをあげた。目にたくさんの涙を流して――。
「チキン! だれだ! だれが、こんなことをしやがったんだ」
オウガでも圧死させようかという力で、サイードにつよく腕をつかまれた。
「それは、貴様が助けた、神隠しに遭っていた少女が……」
「違う! 俺が聞きてえのは、そんなことじゃねえ! あの子を魔物にしやがった野郎はどいつだ、って聞いてンだよっ!」
「そ、それは……」
虎をも殺しかねないサイードの恐ろしい剣幕に、ルカは思わず死を覚悟してしまった。
「あっはっはっは。はーっ! はっはっは」
背後から高笑いが聞こえた。
「ああ、僕はとんでもないことをしてしまいました。あの人が考える計画は、いつも僕の想像を超えてるけど、それを実行できる僕も、王国のやつらの想像を超える、非情きわまりない人間なんでしょうねえ」
荒れた麦畑を踏みながら、一頭の馬がこちらへとやってくる。その上には、背の低い男の子が乗っている。
男の子は、だぼだぼな修道士のローブを着ていた。その修道士の姿は、いつ見ても妙な違和感がある。
修道士の男は、やがてこちらに気づいて首をかしげた。
「おや、みなさん。こんなところでそろって何してるんです? 街じゃ、何かのお祭りをしてる最中なんでしょ? そちらには行かなくていいんですか」
「マ、マタイ……!」
ヒルダはまっ赤な顔をして、すぐに馬から降りた。そして、すぐにマタイに駆けよった。
「マタイだったのね! こんなことをしたのは……」
「ええと、あなたはヒルダさんでしたっけ。今さら気づいたんですか? もう、遅いですねえ。僕が修道院に来たときから、おかしいと思わなきゃ」
「何ですってえ……!」
ヒルダは怒りにまかせてマタイをつかもうとしたが、マタイはひょいと飛び降りて、数歩後ろに下がった。それから、彼はにやりと口もとをゆるめた。
「それから、さっきからマタイ、マタイって、だせえ名前で呼ぶのやめてもらえますか? 僕の本名は、アレイスターっていうのでね」
アレイスターと名乗った男の子は、全身から黒い気を放っている。ルカは急いでヒルダのふるえる身体を抱いて、彼と距離をはなした。
ルカは固唾を呑んだ。
「貴様は何者だ」
「僕は、アニミズムの一員ですよ」
「アニミズムだと!? それじゃ、貴様もナザレ人の残党なのか」
すると、アレイスターは空を見あげるようにして大声で笑った。やつのふざけた嘲りが空にひびきわたる。
「ナザレ人なんて、あんな根暗なやつらといっしょにしねえでくださいよ。僕がいるのは、紅の月という別の一団ですよ。あんたらがアニミズムってひと括りにしてる連中は、わりとたくさんいるんですよ」
「その、紅の月というのは何者だ」
「そんなこと、別にどうでもいいじゃねえですか。それよりも、あなたがたが今知りたいのは、これのことじゃあないんですか」
アレイスターはうすく笑うと、ローブのポケットから小指の爪ほどの何かをとり出した。彼が右手の親指とひとさし指でつまんでいるそれは、茶色の種だった。特に変哲のない、植物の種のように思える。
「これはね、ルカさん。魔界からとりよせた、魔物が成る種なんですよ」
「魔物が成る種……?」
「この種には強い睡眠作用があって、ひと粒飲むとぐっすりと眠れます。なので、僕は修道士といつわって、悩める信者たちにこの種を配ってたんですよ」
アレイスターはけらけらと笑った。それから、言葉をつなげた。
「あはは。僕の話が信用できないのは、無理もありませんよ。僕だって、最初に話を聞いたときは、半信半疑だったんだから。……この種は、飲んでから発症するまで、数ヶ月かかります。それから、飲んだ人の記憶や意識をこわすので、僕はいつバレるのかとひやひやしてましたよ」
「その副作用の中に、人が突然に徘徊する、というのもあるのか?」
「さあ、どうでしょうね。修道院で聞いてた分じゃ、そういう症例もあったみたいですけどね。まあ、僕にとっちゃ、どうでもいい話ですが」
「な、何ですってえ!」
すると、ヒルダは強い力でルカの腕をふりほどいて、アレイスターに飛びかかった。
「待て! ヒルダ。そいつに近づくな」
「あなた、人の命を何だと思ってるの! 絶対、ゆるさないわ!」
ヒルダは足の傷を忘れて、必死になってアレイスターをつかもうとする。が、やつは軽やかな足どりでそれをかわす。それから、さっとヒルダの背後にまわり、彼女の肩を二、三度さわった。
すると、ヒルダは両腕を地面に垂らして、そのまましゃがみこんでしまった。
「な、何これ……!?」
「肩の関節をはずしました。早く医者に診せた方がいいですよ」
アレイスターは、唖然とするヒルダをながめて、あざ笑った。ルカは急いでヒルダに駆けよって、彼女の身体をつつんだ。
その、ルカの顔をアレイスターはまじまじと見つめていた。それから何度もうなずいて、気持ち悪い笑みを浮かべた。
「ああ、やっぱりだ。どこから見ても、そっくりだ」
アレイスターは、やがて何かの得心をえたようだった。彼は身を乗り出して、さらにルカに顔を近づけた。
「あなたはほんとうに、メイザーさんに似てる」
青天には、いつの間にか暗雲が立ちこめている。あたたかい日の光が、何者かによってさえぎられようとしていた。
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