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  水鏡の術師 作者:ミミズ
3章 異宗の暗影
2話 夜の森にひそむ者たち
 ルカはあわててクラリスの口を手でふさぎ、息を殺しながら後ろをふりかえる。

 ルカたちのいる野原の後ろは、背の高い木々が茂っている。その茂みから、わずかにカサカサと音がする。

(魔物か……?)

 ルカはとっさに思案したが、森の茂みからのどを焼くような魔物の瘴気しょうきは感じられない。ルカはき火を消そうか迷ったが、火はそのままにしておいた。

 ルカは焚き火から枝を一本とりだした。それは先がこうこうと燃えていて、ちょうど松明たいまつの替わりになってくれる。それから同じく困惑するクラリスの手を引いて、ルカは火の明かりを頼りに、森の茂みの中に首をつっこんでみた。

「な、何かありましたか」

 クラリスは声をふるわせながら、不安そうにルカにつぶやく。

 ルカは夜目をこらして森の中を注視する。茂みの裏は、森の小道が左右にのびていた。その小道は森の中の遊歩道のようだが、背の高い木々にまんまと月明かりがさえぎられて、今はまっ暗な獣道と化している。
 ルカは左右に首をふって暗闇を見わたしてみたが、魔物どころか小動物の一匹も見つけられなかった。

「中には何もいないな。野うさぎか何かが、このあたりを通ったんだろう」

 ルカは安堵あんどのため息をついて、森の茂みの中へ入った。だれもいないと思っていたから、ルカの身体は木の枝に強くあたってガサガサと大きな音をたてた。

 その音に反応するように、ルカの左手にのびる小道の奥からと茂みのゆれる音が返ってきた。その突然の音に、ルカの心臓が思わず止まりそうになる。

 夜の森の奥を、わずかに黒い影が動いている。それは、よく注意して見ないとわからない影だったが、どことなく人の形をしているように思える。人らしき影はルカから逃げるように、そそくさと遠ざかっていく。

「そこの貴様ら! 待て!」

 夜の森の中で人目ひとめを気にする者といえば、盗賊や物とりか。ルカは考えるよりも早く、大声で影を一喝した。だが、待てと言ってほんとうに待ってくれる悪党なんて、いやしない。

 ルカは走りながら、首もとのアミュレットをはずして右手にくるんだ。それから、アミュレットを持たない左手を前に出して上体を右にくねらせる。左右の腕を水平に上げて、弓を射る姿勢をつくった。

「アロー!」

 ルカは後ろにまわした右手で矢のシジル(印)を描くと、長い白銀の矢があらわれた。そして聖印術せいいんじゅつの矢を、ルカは勢いよく放った。

「ギャッ!」

 光の矢を放ってひと呼吸おいた後に、男の悲鳴が返ってきた。どうやら、ルカの放った矢が見事に命中したようだ。ルカは、後ろから必死になって駆けるクラリスを忘れて、黒い人影のもとへ走っていった。

 少し走った先に、黒い男がうつ伏せに横たわっていた。男の背には、ルカの放った銀の矢が突き刺さっている。男は全身を黒づくめにしていて、黒子のようないかにも怪しい恰好かっこうをしていた。

 うつ伏せに倒れる男の先には、同じく黒子が三人立っていた。彼らはそわそわと浮き足だっていて、ルカの思わぬ奇襲に動揺しているのがわかった。

 彼らは一様に目立たない恰好をしているから、どこかの国の間諜かんちょうかと、ルカは思った。それならば、何も言わずに見逃してやろうかと思ったが、中央に立っている黒子の肩に青のすその長いスカートをはいた人間の尻が見えて、ルカは目を険しく細めた。

「貴様ら、人さらいか? いつもだったら見ないふりをしてやるところだが、わかってしまった以上、見逃してやるわけにはいかんな」

 ルカは言ってから、腰のパラッシュの柄に手をあてた。それに反応するように、三人の黒子たちもやがて身を落ち着かせて、ゆっくりと腰を降ろした。

 ルカと黒子たちは、ピリピリと緊張する。黒子たちの実力はわからないが、三対一なら確実にルカが不利だ。ルカは虚勢を保ちながら、静かに額から汗をたらした。

 と、ちょうどそのとき、

「キャッ! ど、どなたですか!?」

 後ろから追ってきたクラリスが、思わず声をあげた。クラリスはほんとうに驚いていたのだろう。彼女の奇声が夜の森の中にこだました。

 人間を担いだ中央の黒子は、やがて舌打ちして肩の人間を前へと放った。それから、左右の仲間と目配せして、じりじりと後ずさりし始めた。

「ど、どこへ行かれるのですか!?」

 クラリスはいちいち悲鳴をあげるが、ルカは右手を出してそれを制した。そして、ルカはあごを一回前へ出して、黒子たちに逃げるように指示した。黒子たちはルカに戦意がないことを知ると、そそくさと森の奥へと消えていった。




 ルカは、不気味な黒子たちをやりすごして、背中から冷や汗がつたうのを感じた。あそこでクラリスが駆けつけていなかったらと思うと、ルカは自身の迂闊うかつさを悔やまずにはいられない。

 ルカは頭をふって頭のモヤモヤをふり払う。それから何も手にしていない左手を見て、火を途中で落としていたことにやっと気づいた。

 ルカの踏む地面は、左右からのびる木の枝の隙間すきまから月光が差していて、わずかにあたりを視認することができる。ルカはしゃがんで、足もとで気絶している二人の人間に目をむけた。

 左側でうつ伏せになって気絶しているのは、例の黒子のひとりだった。この男の様子は、全身を黒い布で隠しているとしか言いようがない。
 ルカは、男に失礼してその頭にかぶっている頭巾をそっと脱がせてみたが、出てきた顔は実に脂っこい男の顔だった。黒い顔にシワが少し見えることから、二十代、また三十代の男だと、ルカは思った。

 次に、その横であお向けに倒れている人間の顔をのぞいてみた。その男は白い頬に長い髪を肩までのばしている。そして、全身を丈の長い青のローブでくるんでいた。先ほどは青いスカートをはいた女性だとルカは思ったが、どうやら違うようだった。

「どこかの貴族様でしょうか」

 クラリスがルカの横から顔をのぞかせる。青いローブの男は、すやすやと寝息をついている。

 ルカは、その青いローブのすそをつまんで、軽くさすってみる。肌触りのよいきぬの感触が、ルカの親指と人さし指につたわる。

「おそらく、そうだろうな。ぱっと見た印象は私たちよりいくつか年上のようだが、成人した騎士が人さらいに誘拐ゆうかいされるとはな。このあたりは、そんなに治安が悪いのか」
「治安ですか?」
「……先ほどの黒ずくめの連中は、きっと異民族たちだ。異民族たちに騎士が連れ去られるのは、よほどのことだ。黒ずくめの連中は、どうやってこの騎士を城外まで連れ出したんだ?」

 それから、ルカは気絶する騎士の頬を何度か叩いてみる。だが、騎士はよほどうまく気絶させられたのか、少し叩いたくらいで目を覚ます気配はなかった。

「ここに放置したら身体を冷してしまう。仕方がない。焚き火のところで気がつくまで休ませよう。クラリス、この男を運ぶから手伝っ……」

 言いながら、ルカは返事するクラリスの方をふり返って、不意に言葉を止めた。

 きょとんとするクラリスの少し先の暗がりに、大きくまっ黒な影がいた。それは、大きな体躯たいくからすらっと長い首と前足を伸ばしている。ひときわ大きな、馬の形。

 夜風の寒い空気が吹いて、影は太い首をふりながらいななく。その声は太く、稲妻が落ちたような轟音ごうおんに似ていた。

 馬の首の後ろに、もうひとつ伸びる影があった。それは長い馬の首に負けないほどの背丈で、身体の線も熊のように大きい。

 彼は馬の手づなをにぎって、悠然とたたずんでいる。その荒々しく強そうな身体とは裏腹に、相手はとても落ち着いていて、ルカたちに襲いかかってくる様子はない。覇気や殺気がみじんも感じられなかった。

(何者なんだ?)

 ルカが固唾かたずを飲んでいるところに、頭上から月光が差した。光に照らされた馬の身体は白く、神々しい毛並みにおおわれている。ディオーネ王国各地でもめったにお目にかかれない、見事な白馬だった。

 そして馬に乗る男は、金色の長い髪を夜風になびかせている。だがその髪は長さが不均等で、あまり優雅なふんいきではない。男の服の色も妙で、男の右側半分だけがまっ白だった。

 口に手をあててすくみ上がるクラリスの横で、ルカは静かにパラッシュの柄をにぎりなおした。それから一歩、二歩と少しずつ歩みよっていったが、相手の男はルカの殺気に気づいたのか、やがてきびすを返して悠然と去っていった。


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