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  水鏡の術師 作者:ミミズ
3章 異宗の暗影
1話 漆黒のグリモワ
 風の鳴らない静かな夜だった。

 一面の野原からもりあがっている小高い丘は、上空の春月に照らされて静かにたたずんでいる。あたりからすすり鳴く虫の音がとってもおだやかで、時が止まっているのではないかと錯覚してしまう。

 その夜の丘の上に、赤い光がともっている。静かに燃えているき火は夜の空気をこうこうと照らし、夜風に冷えた身体をそっとあたためてくれる。

 赤く燃える焚き火の前にルカは静かに座っている。ルカはうつむき加減で、その険しい眉間が火に照らされた。

 ルカは、右手に持つ一冊の本をずっとながめている。それは黒地の表紙の上を銀色の六芒星ろくぼうせいが光っていて、禍々しく月光をルカの瞳に反射させていた。

「また見てらっしゃるのですか」

 そこにクラリスの声がかかった。その声は高く澄んでいるが、どこかあどけない印象があると、ルカは思う。

 ルカは、横にちょこんと座るクラリスに言った。

「クラリス。夜は魔物が出るから、あまり無作法に出歩くな」
「わかりましたわ。ところで、ルカ様はここ毎日、そちらの魔術書をご覧になってますが、そんなに面白い本なのですか?」

 ルカが手にするグリモワの上の方に、『Goetia』と銀色の文字が書かれている。その表紙は黒地と銀色だけのとてもシンプルなもので、色使いがもの足りない。一見して重厚そうなその表紙も、さわってみるとペラペラと薄かった。

「このゲーティアは、古代の嫌らしい呪術じゅじゅつを記した魔術書だ。まがりなりに魔道を志す私でも、呪術に手は出さんよ」
「呪術と言われますと、人様をのろって不幸にさせる術のことですか?」

 そう問い返すクラリスに、ルカは腕を組んで静かにうなずく。

まじないとは本来、霊力を持つ神や精霊に祈りをささげて、天変地異から身を守ることをいう。農作技術や灌漑かんがい設備があまり発達してなかった古代では、国に巫女みこ祈祷師きとうしと呼ばれる人たちがいて、神にまじなってたのだそうだ」
「お祈りのことですね」
「そうだな。今でも巫女や祈祷師をおく国は残ってるみたいだが、ほとんど風習と化してるな。まじないなんて、ミシャル教の修道院にでもいけば、いくらでもやってくれるんだからな。だから、呪術というとのろいだと勘違いしてしまう人間は少なくないんだろうな」
「そうですね。私も呪術と聞くと、つい呪詛じゅそを連想してしまいますわ。でも、そういう発想っておかしいのですか?」

 素直に首をかしげるクラリスの仕草が面白かった。ルカは思わず声を出して笑った。

「まあ待て。聖ミシャル教会が聖者ミシャルによって建てられたというのは、君も知ってるだろうが、一方でさっき言った巫女や祈祷師たちが教会の前身だという説もあるのだ」
「お巫女様がですか?」
「そうだ。あらしや日照りなどの天災は、悪い精霊によっておこされると思う人間が多いだろう。では、実際に嵐や日照りがおきたら、君ならどうする」
「……教会に行ってお祈りをささげる、のでしょうか」

 クラリスは先の話をうかがうように答えた。

「そうだな。天界の聖者ミシャルに祈って、悪い精霊の怒りをしずめてもらうんだ。そうした考えはミシャル教特有の考え方だと思われがちだが、実は他教でもあたり前のように行われてるんだ」
「そうなのですか」
「はるか昔から、人は木や空気に精霊が宿ってると信じている。だから、種の滅亡を呼ぶ天災から逃れるため、人は精霊たちと対話する必要があった。それが、まじないのはじまりといわれ、転じてエレメントや魔術のはじまりだといわれるんだ」
「エレメントは、火と水と、あとはええと……」

 一生懸命に思案するクラリスに、ルカはそっとため息をついて言葉をつなげた。

「エレメントとは、土、空気、水、火の四元素のことを指す。そして、エレメントは基本体であるエーテルに四つの特性、つまり熱、冷気、乾き、湿気を加えることで四元素のそれぞれになるのだ。実はそうした魔道や神学の概念がいねんも、まじないや精霊の考え方からきてるらしいんだ」
「はあ、難しいお話ですね」

 クラリスはルカの博識に少しあきれているようだった。自分の趣味につい没頭してしまったと、ルカもはっと気づいた。

「では、そろそろ話を戻すか。今では古くさくなってしまったまじないを主とする呪術だが、よく邪術じゃじゅつと混同させられてしまう場合が多い」
「邪術ですか?」

 クラリスはまた首をかしげる。その如才じょさいない仕草がとてもかわいいと、ルカは思う。それからルカは、自分とクラリスの間の地面に『邪術』という文字を人さし指で書いた。

「邪術とは読んだ通りだ。よこしまな術、つまり良くない術を大まかに邪術というのだ」
「ああ、なるほど」
「古くから伝わるまじないの中には、悪魔に魂をささげるような危ないものもあるという。その邪術が転じてのろいの術となり、人をのろい殺す邪術、つまり呪術と呼ばれるようになったという。……いろいろと言ってみたが、私も呪術といったら邪術を想像してしまうからな。邪術も相当根が深いんだろうな」
「ルカ様も私と同じなんですね」

 自分にそっと賛同してくれるルカに、クラリスは頬を少しゆるませる。

 それから、ルカは右手に持っているゲーティアの魔術書に目をとめる。それは銀色の文字や六芒星から妖しい光を放って、静かにたたずんでいる。

「その、ゲーティアですか? には、呪術がつむがれてるのですか?」

 しみじみとゲーティアの表紙を見つめるルカに、クラリスがつぶやく。ルカはゲーティアをそっと地面に置いて、腕を組んだ。

「ゲーティアに書かれてるのは、六星魔術ろくせいまじゅつという古代から伝わる呪術だ。六星魔術の正式名称は、ペスタ六星魔術という」
「ペスタって、あの地下にあるといわれる魔界のことですか?」
「そうだ。六星魔術は魔界ペスタから伝わったといわれる忌々しい術でな、一方で古代から伝わる邪術の流れを組んでいるともいわれる。とにかく謎めいた、いかがわしい術なんだ」
「その、邪術がそもそも魔界から伝わったのではないですか」

 クラリスの鋭い見解に、ルカは思わず目を見開いてクラリスを見つめた。

「なるほど。邪術がそもそも魔界から伝わったもの、か。そういわれれば、確かにそうだな。どうしてこんな単純なことがわからなかったのだろうか」
「フフッ。博識なルカ様でも、わからないことがあるんですね」

 クラリスは少し得意げだった。ルカは眉をひそめた。

「……邪術とは、主にのろいの言葉や呪符でもって生き物を殺したり、また悪魔や天変地異を呼びおこす術なのだそうだ。六星魔術はその代表で、『アニミズム』という邪教徒たちが使うのだという」
「アニミズム、ですか?」
「アニミズムとは、アニマ、つまり霊魂を崇拝すうはいする人間たちをいうが、今では邪教徒を指すな。邪教徒は悪いアニマにとりつかれるから、そう呼ぶのだそうだ」
「は、はい」

 また難しい単語を聞いて、クラリスは辟易へきえきした。ルカは子供っぽく、してやったりという顔をした。

「アニミズムは反社会的な集団だからな。だからこのゲーティアも、有名なわりには世に出まわっていない。こんなものが出まわったら、ここディオーネ王国なんて簡単に滅ぼされてしまうのだからな」
「はあ……。でも、この間は死霊の騎士様のことで大騒ぎでしたね」
「そうだ。あのデュラハンのときのような騒ぎが、国家単位でおきてしまう可能性があるのだ。実に怖ろしいことだとは思わんか?」
「それでルカ様は、ずっとそのゲーティアを見ておられたのですね」

 クラリスは両膝をかかえながら、ルカが持つゲーティアをじっとながめていた。ルカもいっしょにゲーティアのその黒い表紙を見つめていると、やがてオルフェリン家の次男アゼルの顔が浮かび上がってきた。

 前に黒いローブを着た妖しいやつと会って、ゲーティアをただでもらったんだ。

 黒いローブ、という言葉が妙に引っかかる。以前に、似たような存在と会ったことはなかったか。

 ルカはゲーティアの禍々しい六芒星をにらみながら、頭の奥底へ追いやられてしまった記憶をずっと探していた。

 そんなとき、後ろの方でガサガサとこすれる物音が聞こえた。


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