マルクのふところから、黒い本が転がり落ちる。それは、中央に銀色の六芒星が描かれていた。
ルカはその漆黒の本――魔術書ゲーティアを拾いあげてから、マルクに向きなおった。マルクは両手と膝をついて泣いていた。
「マルク殿。悲しんでるところで申しわけないが、私の最後の疑問に答えてもらってもよろしいか」
「はい」
マルクは頬に流れる涙をふいて、やがて力なく立ち上がる。その切ない背中から、恐ろしい殺意はもう感じられない。だが、ルカは厳しい表情でマルクに迫った。
「あなたは先ほど、先代メリオン殿の残した遺産を汚い財産と言ってたが、それはどういうことですか?」
そのひと言に、暗い地下室がしんと静まり返る。アゼルとグレースは額に汗して顔を見合わせて、ブラモアとアランもがく然と表情を険しくしていた。
「ルカ様。死霊の騎士様が無事に帰られたというのに、どうしてそんなことを聞かれるのですか?」
そんな中、無知なクラリスは一人のんきに言った。ルカは右手を腰にあてて、ぐったりした。
「……クラリス。これまで宮殿の奥で何不自由なく暮らしてきた君には、お金のことなんてわからないだろうが、一代で貴族をしのぐほどの財を築くというのは、ほぼ奇跡に近いんだよ。それと、みなさんへの失礼を承知の上で言ってしまうが、物の流れのないネルトリンゲンの田舎街で、薬草をせっせと売ったところで高が知れてる。そう簡単に儲かれるはずがないんだ」
「そうなのですか?」
「つまり、だ。先代メリオン殿の偉業には裏があるのだ。そしてその真実こそが、オルフェリン家の今回の騒動をまきおこしてしまった。……そうですね? マルク殿」
ルカはクラリスを置き去って、またマルクを問うた。その言葉にマルクはしばらく沈黙していたが、やがて目に力を取り戻して言った。
「私たちの秘密をお教えしてもかまいませんが、きっとルカ殿はショックを受けますよ」
「おい、マルク! 止めろ!」
マルクの決意にアゼルが喚く。だが、マルクは鋭い目つきでアゼルをにらみ返した。
「アゼル兄様。兄様もほんとうはわかってるんでしょう? われわれの行いが、聖者ミシャル様のいつくしみに満ちた教えに背いてることを……。ルカ殿はきっと、われわれの悪事を見かねたミシャル様が遣わせた使徒だったのです。もはや、隠し通すことはできませんよ」
その強い言葉に、アゼルは無念と罪悪感を同時につのらせたような、複雑な表情で悔やんだ。
ルカとクラリスは、オルフェリン家の人々にかこまれて屋敷を出ると、裏手の細道を歩いていく人の行列に続いた。
裏の細い林道には左右に雑草が生いしげっていて、歩くたびに草の葉が足くびを刺激する。それは、道というより森の中の雑草をふみ倒してできた通路で、オルフェリンの関係者でなければ決してわからない、まさに秘密の財宝への一本道だった。
ルカは草をかきわけ、木の枝の下をくぐりながら、その道なき道をひたすら歩いた。
しばらく歩いて両足のふくらはぎに疲れを感じはじめたころに、人の背を越す木のような雑草が生える場所に着いた。そこは、ところどころに木の杭が打たれていて、さらに杭は赤いロープで結ばれている。
赤いロープは、背の高い雑草の生える広大な畑を取り囲んでいて、血のように鮮明な色がルカの瞳を焼きつける。わざとらしく私有地だと言い張っているように見えた。
「これですよ」
マルクは、私有地から飛び出す草の一枚を茎からむしり取って、ルカに手わたす。それは緑色の紅葉のような形をした葉っぱだったが、葉先は五枚もあって、また紅葉よりも少し長い。だが、魔界に生息するマン・イーターとかとくらべると、まるで変哲のないただの雑草だった。
だが、ルカは歯ぎしりしながら緑色の紅葉をにぎりつぶした。
「そうか、そういうことだったのか……!」
「ルカ様?」
ルカの険しい表情に、クラリスが不安げに見あげる。そして、マルクが言った。
「これが、わがオルフェリン家に百万の富を築かせた禁断の果実です」
「禁断の……果実?」
マルクのいわくつきな言葉を聞いて、クラリスはさらに当惑して首をキョロキョロさせる。そのわきでルカは何度も首をふって、目の前のいまいましい現実を拒否しようとした。
ルカは恨めしく思いながら、マルクの言葉を続けた。
「この草は、一年のうちに根をはる一年草でな。その種をよく肥えた土地にまけば、すぐに苗が出て人の身長を越すくらいにまで成長するという。そして、十分に成長したら茎ごと伐採して、葉や花を乾燥させるんだ」
「クラリス殿は、『マリファナ』というものを聞いたことがありますか?」
「マリファナですか?」
マルクの問いに、クラリスは首をかしげた。
「マリファナの別名は、乾燥大麻といいます」
「では、この葉っぱは大麻の葉っぱなのですか」
「ええ。大麻は麻の一種で、麻といえば服や糸の繊維として使われてますね」
「でしたら、この葉っぱで服でもつくられてるのですか?」
クラリスの間抜けな問いに、ルカは首を横にふった。
「マリファナの煙は、気分を高揚とさせるみたいでな。たばこみたいに火をつけて煙を吸うと、まるで天界に召されたかのような気持ちになれるのだそうだ」
「ですが、その煙には人を強く引き止める力があるので、やめるのがとても難しいのです。マリファナは喫煙をやめた人間に幻覚を見せて、強引に喫煙にもっていかせるので、喫煙者は心をむしばんでしまうんです」
「は、はい……」
ルカとマルクの二重攻撃に、クラリスは早くも知恵熱を出していた。クラリスはルカの袖を引っ張った。
「あ、あの……つまり、どういうことなんですか」
「……つまり、この麻薬を使って、人の命と引き換えに金を荒稼ぎするという、とんでもない悪行を彼らはしていたということだ」
ルカのはっきりとした口調に、マルクはうつむいた。
「父メリオンは、叔父様にすすめられて麻薬の密売に手をそめてしまったのですが、ずっと罪悪感にさいなまれていました。父は、酒に酔ってはだれかに向かって懺悔をしてました。きっと、麻薬づけになった人たちの幻を見てたのでしょう。そして、父が突然に財産の……いや麻薬の独占にはしったのも、麻薬の密売をやめようとしない叔父様を見かねた上の処置だったんです」
すると、大麻の青々としげる草から、うっすらと先代メリオンの姿が浮かびあがった。メリオンは机の上につまれた札束の前で、ずっと苦痛に頭をかかえている。そして、麻薬に人生を奪われた人々の怨嗟の声にかこまれて、何度も頭をかいて苦しんでいた。
その姿は、商才に長けた名士でなければ、一家の大黒柱でもない。たくさんの人生を奪った大罪におびえ、何度も神に告解しているひとりの罪人でしかなかった。
ルカは、目の前の草をじっと見つめた。
「先代メリオン殿が遺産の相続人にマルク殿を指名したのも、罪のつぐないのあらわれだったんですね。ご兄弟の中で、あなたはもっとも善悪を知ってる方だ。そのあなたに、麻薬の密売を止めてもらいたかったんでしょうね」
ルカの要言を、マルクは横で目をつむって聞いていた。そして、それから決然と目を見開いてルカに向きなおった。
「ルカ殿、お願いがあります」
「何か」
ルカも神妙な面持ちでマルクと向き合う。
「このたびのオルフェリン家の不幸の始まりは、ひとえにこの麻薬の密売にあります。どうか、あなたの魔術でこの麻薬畑を焼き払って下さい」
「な、何だって!?」
それを、横で沈黙していたアゼルとモリアンスが喚く。彼らは奇声を発してマルクに飛びついた。
「ば、ばか野郎! いきなり何を言い出すんだ! そんなことをしたら、俺らはこぞって路頭に迷う羽目になるんだぞ!」
「そうだ! 後先を考えずに愚かなことをするんじゃない!」
アゼルとモリアンスは、これまで争っていたことなんて忘れて、息をぴったりとあわせていた。だが、ルカは彼らを無視して、マルクに言った。
「そのくらいなら、お安い御用です。ですが、一度火をつけたらもう後戻りはできません。よろしいですね?」
「はい。よろしくお願いします」
マルクの念押しを受けて、ルカは小さくうなずいてから小声で呪文をとなえた。
ルカの両手につつまれる小さな空間から、やがて赤い炎が召喚されると、それはゆっくりと落ちて大麻の葉っぱの上に乗っかった。
それから、火はまたたく間に燃えひろがって、大麻の畑がブッシュ・ファイアとなって赤く燃えた。人々を長年にわたって苦しめてきた大麻畑は、地獄を焦がすような業火となって黒く毒々しい煙をたちのぼらせていた。
だが、しばらくして山火事はやがて白い光を発して、神々しい聖火に変化していった。それはまさに神の恩寵のようだと、ルカは柄になく思った。
一連の騒動がかたづき、ルカとクラリスはオルフェリン家に別れを告げた。そして、ネルトリンゲンの街々を背にゆるやかな坂をのぼって、ポメラニアの高台にたどり着いた。
クラリスは下馬すると、腰をかがめて足もとにたたずむ小さな石碑を見つめた。石碑の前には今日も黄金のペンダントが置いてあって、その中央から青く寂しげな光をはなっている。
クラリスは、ポケットから対のペンダントをとりだして、その横に置いてあげた。すると、ペンダントは仲良さげに光をはなち始めた――ように見えた。
クラリスは、石碑に両手を合わせて祈った。
「私たちは、オルフェリン様のお屋敷へ案内される前にアリシア様を見つけましたが、それは偶然ではなかったのですね。アリシア様は、愛してやまなかったマルク様のお辛い様子がわかってたから、私たちをお屋敷へ導いたのでしょう?」
クラリスはアリシアの墓に向かって、ひとり言をいった。ルカは馬上でその様子をながめていたが、クラリスをからかったりしない。ルカもまた静かに下馬すると、アリシアの墓に礼をした。
「ルカ殿、クラリス殿。このたびは、ほんとうにありがとうございました。お二人は私たちオルフェリン家を救っていただいた、まことの救世主です。このご恩は、私の一生でもっても返しきれません」
二人の見送りにきたブラモアは、これまた大げさに感謝の言葉をのべた。ルカはたまらず苦笑した。
「一生とは、また大きく出ましたね。私たちは人道にもとづく行動をしただけですから、あなた方が気にする必要はありませんよ」
ルカもまた相変わらず冷たく言い返す。その変わらぬ様子に、ブラモアもしきりに笑みをもらした。
「そう言うルカ殿も、相変わらず素直じゃありませんねえ。ルカ殿がひと声をあげれば、私たちは金一封でも二封でもさし上げるというのに……。せめて、次の宿代だけでももらったらいかがですか?」
「そういうわけにはいきませんよ。クラリスはともかくとして、私はもともと、あなた方の依頼を断った人間ですから。それに問題の解決を遅らせて、たくさんの犠牲者まで出してしまいました。私の力がおよばず、みな様に大変なご迷惑をかけてしまいました」
「そんな、やめて下さいよ! ルカ殿に悪口なんて言ったら、今度こそ私にバチがあたってしまいますよ。……あ! 何なら、クラリス殿がお金をもらっていかれますか?」
「ええっ!?」
思わぬ言葉にクラリスが変な声をあげると、ルカとブラモアは手を叩いて笑った。
ブラモアに続いて、いっしょに見送りに来てくれたグレースが前に出た。が、彼女の顔は真剣で、ブラモアの冗談がまるで耳に入っていないようだった。
「ルカさん、ブラモアの言う通りです。お二人が屋敷に訪問して下さらなかったら、屋敷の中は今ごろ、死体に埋もれてたことでしょう。私からも、亡き夫にかわってお二人にお礼を申し上げます」
「ありがとうございます。しかし私は、アマルガン殿をまんまと死なせてしまいました。私は、あなたに何と声をかけたらいいかわかりません。まことに、申しわけありませんでした」
ルカのたび重なる謝罪に、グレースは悲痛な様子で首を何度もふった。
「……いいんですよ、ルカさん。私は、夫が麻薬の密売をしてるかたわらで贅沢な暮らしをしてたんです。私がいつも身に着けてるアクセサリは、麻薬づけになった人々のなけなしの金で買ったものです。私はそれを悪だとわかってたのに、贅沢な暮らしにおぼれて思いあがってたんですから。……死霊の騎士はきっと、そんな私たちの悪事を知って、天界の神から遣わされたんですよ」
「そうですか」
グレースの強い意思を感じて、ルカはそれ以上何も言わなかった。
それから、グレースのロングスカートの影から、娘のレイチェルがひょこっと出てきた。レイチェルはクラリスにできる限りの笑顔をつくって、小さくおじぎした。
「お姉ちゃん、ありがとう」
初めて見るレイチェルの無邪気な姿に、クラリスは涙を流して彼女を抱きしめていた。
今生の別れを惜しみながら、ルカはさっそうと馬にまたがった。ふと空を見あげてみると、かなたの暗雲から一条の光が差しこんでいる。
雲を差す聖なる光は、やがて二条、三条と筋をふやして、かなたの暗雲を黄金色に染めあげる。そこから、金色に輝く天使たちが四枚の翼をひろげて、優雅に舞い降りてきそうな感じだった。
――2章 死霊の騎士 終わり。
3章 異宗の暗影へ続く。
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