デュラハンが長剣をかかげて、ルカに襲いかかる。ルカは左に飛んで、コシュタ・バワーの果敢な突撃を紙一重でかわした。コシュタ・バワーの首が隅に置かれた甲冑にぶつかり、甲冑は物々しい音を立てて床にくずれた。
首を持たないデュラハンはすぐに踵を返して、ルカを踏みつぶさんと襲いかかってくる――!
(こんなやつと真っ向から立ち向かえというのか……!)
ルカはコシュタ・バワーの蹄にひかれそうになりながら、目の前の無理難題に絶望したかった。
ルカは立ちなおしてから、すぐに首を横にふった。それから、右手に包んでいる六芒星のアミュレットを動かして、銀色に輝く聖印を描いた。
聖印は矢の形を成すと、すぐに空気の中へ消えていく。そして、ルカの両手の上に長い一本の矢が召喚された。
「アロー!」
ルカは大喝してから、その長い矢を放った。矢は、空を裂くような速さで飛び、デュラハンを射抜こうとする。
ルカとデュラハンとの間は、数歩の距離しか離れていない。精霊といえども、この至近距離で矢をかわせるはずがない。
「ああ!」
暗い地下室にクラリスの悲鳴がひびく。
ルカが放った聖なる矢は、デュラハンを射る寸前でぐにゃっと曲がった。それから、矢は空間に溶けるように円を描いて、デュラハンの目の前からなくなってしまった。
デュラハンは勢いよく手づなを引いた。すると、愛馬コシュタ・バワーは前肢をばたつかせながら、大きな声でいなないた。その、なくなってしまった首のつけ根の前から発せられた恐ろしい声は、ルカを身震いさせた。
凶刃を光らせるデュラハンの前で、ルカは腰もとのパラッシュを抜いた。ルカは早くなる鼓動をおさえながら、静かにデュラハンの攻撃を待った。
そして、デュラハンが再度手づなを引くと、コシュタ・バワーはルカを目がけて突っこんできた! ルカは左にかわしながら、コシュタ・バワーの首に斬りこもうとした。
「くっ!」
パラッシュが回転しながら、地下室の中を飛ぶ。ルカの右手はコシュタ・バワーに弾かれて、ルカはパラッシュを落としてしまった。はげしく打撲した右手から、じんじんと痛みがこみ上げてくる。
「うわアアぁ!」
ルカがかがんでいる後ろから、好色男モリアンスの悲鳴が聞こえてきた。ふり向くとモリアンスはガーゴイルの石像の下にいて、目の前のデュラハンに恐れおののいている。
デュラハンの持つ長剣は、ガーゴイルの頭をまっ二つに裂いている。その下で、モリアンスは涙を流しながら失禁していた。
コシュタ・バワーの蹄の音が、地下室にひびきわたる。デュラハンの放つ瘴気に恐れる人間たちは、デュラハンの一指挙動を恐れ、息をひそめている。
デュラハンは、ガーゴイルの石像から長剣を抜いた。ガーゴイルの頭からぱらぱらと石の破片が落ちて、床を汚していた。
(来るのか……?)
デュラハンはゆっくりとふり返って、右手をおさえながら前のめりになっているルカと対峙する。表情のないデュラハンの気は察しずらいが、彼はゆっくりと長剣を持ちかえて、その身体から放っている瘴気を強くしている。
デュラハンは馬の足を動かさずに、焼きつける瘴気を放ってくる。それは、彼の恐ろしくも勇ましい上体を包んで、明かりのない地下室をさらに黒くしはじめる。
「お、おい。何がはじまるンだよ」
部屋奥の魔法円が描かれているあたりで、しゃがんでいるアゼルが声をあげた。デュラハンの黒い瘴気は、アゼルの目にも焼きついているようだった。
不気味にも静かになるデュラハンを前にして、ルカは攻めあぐねた。今のデュラハンは隙があるように見えるが、無鉄砲に突撃してもよいものだろうか――?
ルカは、アゼルの足もとに転がるパラッシュにそっと目を向けた。――その一瞬の隙に、鉄槌で突かれたような激痛がルカの胸の中央を突いた。
「かはッ……!」
「ルカさまァ!」
クラリスの泣きそうな悲鳴と同時に、ルカの左手からアミュレットがこぼれ落ちる。口から突然に鮮血が飛び出て、ルカは急いで口と心臓をおさえた。
(ま、まずい……!)
突然に止まりかけている心臓を必死におさえながら、ルカは床にうつ伏した。すぐにかけつけてくれたクラリスに身体を支えてもらっているはずなのに、その手や身体の感触がほとんど感じられない。
徐々にうすれていく意識を懸命に保って、ルカは床に転がるアミュレットに手をのばした。そして、右手でアミュレットをしっかりとにぎり、なくなりかけている力をしぼって、ルカは聖印を描いた。
「……ディ、ディフィー……ト」
発声の直後に聖なる印形は姿を消した。すると、ルカの胸をしめつける激痛が、少しずつ和らいできた。消えはじめていた意識もやがて鮮明になってきて、ルカはクラリスの肩を借りながら力なく立ち上がった。
「ルカ様、だいじょうぶですか」
「ああ……。だいじょうぶだ」
気がつくと、ルカの額には脂汗が流れていた。
それからも、デュラハンは引っ切りなしに暴れていた。魔術師のルカの力でもって止められないのならば、屋敷の住人でデュラハンを止められる人間はいない。
呪師だったマルクも、執事のブラモアやアランも、デュラハンの突撃を前に成すすべなく逃げまどっていた。
「ルカ様! このままでは、私たちは殺されてしまいますわ!」
「そんなことはわかってる! だが、どうしたらいい……!」
クラリスの泣き寝入りが、とてもわずらわしかった。ルカは、血のついた口を袖でごしごしとぬぐってから、背後の柱の影に隠れているマルクに叫んだ。
「マルク殿! 退去の呪文をとなえるんだ!」
「た、退去の呪文……?」
マルクはふるえる声を返してきた。ルカはかまわずに言葉を続けた。
「召喚の呪文で呼び出された精霊は、呪師が退去の呪文をとなえれば魔界へと帰っていく! マルク殿、今すぐに魔法円の中央に立って、デュラハンを退去させるんだ!」
「し、しかし、ルカ殿、魔法円はデュラハンに踏みつぶされて、もう残っておりません!」
「何だとッ!?」
マルクの頼りない声に、ルカの苛立ちが脳天を突き破りそうだった。部屋奥につくられていたはずの禍々しい魔法円は、立てかけていたロウソクが倒れて、円も白い砂でまみれてしまっていた。
「ルカ様!」
横からのいきなりのクラリスの悲鳴に、ルカはわれに返った。ふり返ると、眼前にコシュタ・バワーの蹄が迫ってきていた。ルカは横に飛んで、クラリスを押し倒すようにして馬の蹄をかわした。
ルカは急いで立ち上がって、デュラハンの背中をにらめつけようとした。――そこで、あってはならない光景を目の当たりにしてしまった。
「レイチェル!」
グレースの悲鳴の向こうで、幼女レイチェルは目に涙をいっぱい浮かべている。その、小さな身体を覆う、黒い影。デュラハンは、恐怖で手足を動かせないでいるレイチェルの前に立って、そっと長剣をかかげた。
その、まっすぐな刀身が、淡いロウソクの光に照らされて恐ろしく輝いた。
「リストレイン!」
ルカは即座にZの文字を宙に描き、激昂した。すると、発声とともに銀の輪っかが幾重にもあらわれて、デュラハンの両腕、胸、腹、そして馬の身体までをきつくしばりあげた。
だが、デュラハンの動きにはあまり変化がなかった。彼は聖印術の縄に苦しむ様子はなく、足もとのレイチェルに剣がふり下ろせないで地団駄を踏んでいるだけにしか見えなかった。
左手ににぎったアミュレットが、すごい力で引きこまれていく。デュラハンはまるで漁師の釣り竿にかかった大魚のようで、ルカの持つアミュレットは見えない力で強く引っ張られた。
ルカは腰を落として両足で踏んばり、デュラハンの強大な力を引っ張りかえす。そして、左手をぷるぷると緊張させながら、じわじわと痛む右手をたてて礼の形をつくった。
ルカは、静かに祈祷を始めた。
「汝、デュラハンよ。汝は魔界をすべる神々の栄光によりて、われの眼前を訪れた者なり。われは、汝の神がさだめた混沌の世界へ退去を許可する。汝が主アンドロマリスにわが意思を通じ、必要なときはすみやかにあらわれるように……」
ルカはゆっくりと退去の呪文をとなえて、デュラハンに整然とした意思を示した。興奮するデュラハンはかかげた剣をすぐに降ろさなかったが、やがてルカの強烈な精神力を感じとり、少しずつ力を解いていく。強くふるえていたルカの左手も、しだいに引っ張られなくなっていった。
ルカはアミュレットを首もとの鎖にかけた。すると、デュラハンを拘束していた銀の輪が消えて、彼はゆっくりとルカにふり向いた。
「お、おい……」
アゼルが不穏な声をもらす。固唾を飲むあたりに見守られて、ルカはデュラハンと正面に向き合った。ルカは背筋をのばしてデュラハンを見つめ、両手を合わせて丁寧におじぎした。
新たな主となったルカを見届けると、デュラハンは背を向けて、部屋の奥へと歩きはじめた。そして、奥の壁に溶けこんでいくようにして、デュラハンは暗闇の奥へと姿を消していった。
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