アゼルは、二階の廊下の窓から空をながめていた。空は相変わらず、うすい灰色をしている。アゼルは、ギラッと空をにらめつけて舌打ちした。
陰うつな曇天は、死霊の騎士が出現しはじめてから、ずっと続いている。ここしばらくネルトリンゲンの街に、まぶしい日の光は差していない。
アゼルは悶々とした気持ちを胸に秘めて、一階の別室へ向かった。部屋の中央には貴族ご用達の大きなベッドがあって、そこに長女ジェシカが横になっている。
ジェシカはアゼルの顔を見ると、すぐにそっぽを向いた。
「何か用?」
ジェシカの無愛想な言葉に、アゼルは失笑した。
「実の姉弟だってのに、ずいぶん冷たいモンだねぇ。姉さんが心配だから、見舞いに来てやったんだよ」
「何よ、しらじらしい。私がここに運ばれてから何日も経つっていうのに、今さら恩着せがましく見舞いに来て何を頼もうっていうの? 私は、あんたなんかと話すことなんてないわ。さっさと出ていって」
「まぁ、待ってくれよ。俺だって、昨日はアマルガンの野郎に毒を盛られて、あやうく死にかけたんだぜ。かわいい弟の悩みのひとつくらい、聞いてくれたっていいだろ?」
「かわいい弟だなんて、聞いてあきれるわね。あんたなんか、今すぐにでもこの手で絞め殺してやりたいくらいよ」
ジェシカは、冷笑するアゼルにかまわず言い返す。だが、ゆったりとした口調に殺意はない。アゼルもまた、売り言葉に買い言葉だということをわかっていたので、ジェシカの脅迫を受けても表情を変えなかった。
アゼルは、ベッドのかたわらの椅子に腰かけた。
「……モーリスが死んだってよ」
アゼルは脅すように言ったが、それを聞いてもジェシカは顔色ひとつ変えない。相変わらずそっぽを向いていて、窓からのぞく庭の草や花をながめている。
アゼルはつれない相手に舌打ちすると、すらっと立ち上がって窓ぎわに立った。
「モーリスのやつは、首を切られてなかったようだ。妙だと思わないか? これまでの嫌がらせじゃ、ことごとく犠牲者の首がなくなってたのに、今回だけは違うんだ」
「あんた、何が言いたいの」
犠牲者、という言葉にジェシカの眉がくもる。すると、アゼルはふり返ってにやついた。
「今回の殺人こそ、ほんものの死霊の騎士による仕業だってことさ。あんたらは、これまでの首なし死体を見てデュラハンの仕業だと思ってたみたいだが、そんなのはモーリスが考案した浅墓な見立てにすぎない」
「じゃあ、だれかがほんとうにデュラハンを召喚したっていうの?」
ジェシカのテンポのいい問いを聞いて、アゼルはしきりに哄笑する。精霊を知らない無知なジェシカを見るのが楽しいのか、アゼルは実の姉を汚い奴隷を見る目でさげすんだ。
「デュラハンは、六星魔術の書ゲーティアに記された精霊だ。当然、モーリスやモリアンスみたいな低俗な連中に召喚できるわけがない。やつを召喚するには、えんえんと続く呪文を暗記して、さらに魔界の悪魔と対等に交渉できなければいけないんだからな」
「だから、それはだれなのよ」
「さぁな。けど、考えてみろよ。ここらでデュラハンを召喚できそうなやつなんて、例のルカっていう魔術師と、魔女エルぐらいしかいないだろ?」
「しらじらしいわね。……あんただって、一般人にしちゃ異常なほど魔術にくわしいでしょ?」
ジェシカの反問を聞いて、アゼルは気味悪く口もとをゆがめた。
一方、ルカたちは林道を駆けていた。邪術の霧がなくなった後の林道は他愛もない一本道で、少し走ると一軒のあばら屋に着いた。あばら屋は腐りかけた木でできていて、今すぐにても倒れてしまいそうだ。三角形の屋根から突き出た煙突から、紫色の毒々しい煙がはき出されていた。
「だれッ!?」
突然の招かれざる客人の訪問に、室内から女性の声がひびく。かたわらにいた黒猫もただならぬ空気を察してすぐに窓の手すりに飛び乗り、小さく黒い身体をブルブルと小きざみにふるわせる。あばら屋の主もまた、毒液を調合する手を止めて、戸口へとふり向いた。
「貴様か。ネルトリンゲンを無駄に疲弊させてる魔女というのは」
紫紺色のとんがり帽子をかぶった魔女エルは、戸口に立って偉そうに言う赤ローブのルカを見てうそぶいた。
「ええ、よく知ってるわね。……けど、私はあなたを招いた覚えなどなくてよ。なのに、よく私の仕こんだ無限回廊から抜け出せたわね」
ルカもまたエルの豪語を鼻で笑い返した。
「無限回廊とは、また大層な名前だな。あんなものは、人の目をごまかす程度のしょぼい悪戯だろう。それを、私がわざわざ嵐まで呼んで片付けてやったというのに、貴様は気づきもしなかったのか?」
「ごめんなさいね。私はそもそも男に興味がないのよ。だから、あなたが私の横でいくらがんばっても、私は永遠に気づかないと思うわ」
エルは皮肉をいいながらも、ルカの傲慢さに敵意を募らせる。一方で突然にあらわれたルカを疑問に思っていたが、彼の後ろでうつむくクラリスの姿を見て、その理由を理解した。
「あら、そういうこと……。この男は、かわいいお姫様が仕向けた飼い犬ってわけね」
「先日の晩はクラリスが世話になったな。クラリスは私のかわいい一番弟子なんでな、主人の私からも挨拶に行かなければ礼を欠くだろ」
「あなた、さっきから何を言ってるの? 私は、そこのお姫様と面識はあるけれど、あなたの不必要な礼をいただくようなことはしてないわよ」
エルは追いつめられながらも、平然とあざ笑っていた。ルカもまた負けじと一歩をふみ出し、口を切った。
「貴様、同業者にとぼけても無駄だぞ。貴様らが得意とする外道な魔女術には、姿を変える変化の術があるんだろう?」
「変化の術ですと!?」
ルカの後ろでジッとしていたブラモアが、ルカの言葉を聞いて声をあらげる。それから、となりで不安を募らすクラリスと顔を見合わせた。
「ルカ殿、変化の術ということは、つまり……」
「これまでに何度か目撃されたデュラハンは、そこの魔女が変化の術をつかって化けた、いつわりの精霊だったんです」
「ルカ様、どうしてそう断言できるんですか? 私たちを襲った死霊の騎士がほんものだったという可能性も、あるのではないんですか?」
ルカのいきなりの意見に、今度はクラリスが異論をとなえた。それに、ルカはふり向いて答えようとしたが、そこで魔女エルが不意に語り始めた。
「……クレシダ大陸中央のべレット半島、つまり私たちが住まうディオーネ王国をずっと北上すると、険しい山々がつらねるデステモーナ山脈にぶつかるわ。そのデステモーナ山脈を東へ進むと、『死の山』と呼ばれる生き物の生息できない場所があるという言い伝えが、古くからあるのよ」
「死の山ですか?」
「ええ。そこは冥府の入り口といわれていて、かつて地上を滅ぼした五柱の魔王の一人、断罪者アンドロマリスが住んでると信じられてるのよ」
エルはテーブルの上の毒液を、そっと持ち替えた。
「魂の救済と断罪を行うアンドロマリスの配下のひとり、デュラハンは死期の近い人間の前に現れて、死を予言する魔物だというのよ」
「……ほんもののデュラハンは、欲深い人間の首を狩ったりしない。デュラハンは、冥界の王アンドロマリスの命令を受けて死すべき人間の前にあらわれて、死の告知を行うのだ。そして、デュラハンが魔術師によって召喚された場合、対象の首を狩るのではなく、相手の心臓を止めて呪い殺すのだ」
ルカが言葉をつなげると、エルは目を細めてルカを見つめた。
「あら、よく知ってるわね。あなたもまあ、なまくらじゃないみたいね」
「ばか者がッ! こんな常識、魔道に身をおく人間ならば、だれでも知ってるだろうが。デュラハンが殺戮王ガラシャの僕だなんて、ばかばかしいにも程がある。魂の守護者と畏れられるアンドロマリスが、デュラハンに無益な殺生をさせるわけがなかろう」
ルカは、ずっと秘めていた想いが打ち明けられて、少し気分がよかった。一方、後ろのクラリスとブラモアは互いに顔を見合わせて、開いた口を閉じることができなかった。
「ルカ様は、最初から死霊の騎士様の正体がわかっておいででしたから、マルク様の申し出を断られたんですね」
クラリスの沈んだ顔に赤みが戻ってきた。
「でも、ルカ様はいじわるですわ。それでしたら、私だけにでも打ち明けてくれればよかったのに」
「話すタイミングがなかったんだよ。すまない」
「いいえ。私の方こそ、ルカ様にあたってしまって。……ごめんなさい」
クラリスは顔を赤くして、とても恥ずかしそうにしていた。そんなかわいい姿につられて、ルカも顔から火が出そうな気がした。
そんなお互いの様子が、ちょっとおかしかった。
「だが、ほんもののデュラハンがいずれ出てくるだろうとも思っていた。精霊を侮辱する者は精霊に殺されるというからな。私がマルク殿の依頼を受けていれば、こんな面倒な問題にならずに済んだのかもしれないな」
ルカは、自身の考えぬいた答えにあやまちがあったことを悔いた。
「私はデュラハンなんて召喚してないわよ」
それから、エルは先制とばかりに言い出す。それをブラモアが否定した。
「これまで散々悪事を働いておいて、今さら逃げさせはせんぞ! デュラハンを召喚する人間は、貴様くらいしかいないのだからな!」
ブラモアは右手の杖をかまえて、じりじりとエルにつめ寄る。エルもまた右手に持っている毒液を沸騰させて、ルカたちにふりかけようとしている。死霊の騎士の議論が終わって、エルの館の中はピリピリと緊張の糸が張りつめ始めた。
だが、ルカは興奮するブラモアを制した。
「ブラモア殿! お待ち下さい。やつの言葉は、恐らくうそではありません」
「ルカ殿! ここまで来て何を言い出すんですか!? よりによって魔女に肩入れするなど……気は確かですか!」
ブラモアはいつになくすごい剣幕でルカに叫ぶ。ルカは慌ててブラモアの右手をおさえた。
「まあ、落ち着いて聞いて下さい。私があなたたちをここへ連れてきたのは、これまで見てきた死霊の騎士が偽者だったということを知らせたかったためです。……それと、やつの使う魔女術に、魔界の精霊を召喚するような高度な術はないんです。精霊の召喚は、私の使う四元魔術か、六星魔術と呼ばれる呪術でしか行えないんです」
「では、ほんもののデュラハンを召喚しているのは、だれなんですか!?」
ルカの真っ向からの異論に、ブラモアは狼狽して怒りの鉾先を失ってしまった。
それを見て、エルはクスクスと笑った。
「……私は、魔術師のあなたが召喚してるんだと思ってたわ」
「そんな! ルカ様が、そんな卑怯なことをするわけがありませんわ!」
エルの妖しい言葉を、クラリスがすぐに否定する。だが、ひそかなお気に入りのクラリスに反論されて、エルはむしろ頬を赤くした。
「ああ、やっぱりあなたは、私の予想していた通りの子だったのね。人を少しも疑わないで、そうやって純粋に信じられるだなんて、もう、何てかわいらしいのかしら」
「えっ……?」
エルの突然の告白を受けて、クラリスは首をかしげる。彼女の危機を察して、ルカがすぐに前へ出て間をさえぎった。
「デュラハンを召喚してる犯人でないにしても、貴様がモーリスの悪事に加担して、ネルトリンゲンに不要な混乱を招いたことに変わりはない。大人しく縄につけ」
言い終わってから、ルカも首もとのアミュレットを外して臨戦体勢に入る。それを見て、横で緊張しているブラモアもまた杖を持ち替えて、一斉に身がまえた。
だが、エルは余裕の表情でうすら笑った。
「嫌よ。私には、まだやりたいことがあるんですもの。こんなところで捕まるわけにはいかないわ」
言下に、エルは右手の毒薬を床に投げ捨てた。毒薬は床に叩きつけられるとガラスの容器が砕けて、飛び散った液体からモワモワと紫色の毒霧を発生させる。
ルカは袖で鼻と口を隠して毒の吸引を防ごうとしたが、毒の混じったうす紫色の空気は、わずかなすき間から体内へと入ってくる。はっきりしていたルカの視界が、少しずつぼやけてくる……。
(これは……。しま……た……)
意識がもうろうとしてくると、次には身体中の力がぬけてきて、ルカはしだいに意識を失ってしまった。
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