その日の夜、ルカは都ラスの宮殿に入った。入り口では白い化粧をした美女たちがルカを向かえて、重たいマントをとってくれた。
クレアモンドの案内にしたがい、宮殿の奥の部屋に入る。鏡のようにすき通った床の上に宴席があって、牛や鶏肉がたくさん盛られていた。サラダやワインもならび、豪華な食卓がルカの食欲をそそった。
「さ、早く座って下さい。今日は心ゆくまで飲みましょう」
クレアモンドは席につくなり蓋のコルクを抜いて、ワインの口を差し出した。ルカはワイングラスを右手に持って、注がれてゆくワインの深く紅い色に見とれた。
「リエージュ伯爵はお元気ですか」
ワインを一服してから、クレアモンドがそう尋ねてきた。
「私の父ですか。最近は病気がちで毎日寝こんでますよ」
「それはお気の毒に。では、リエージュを治めてらっしゃるのは、兄のケイ殿ですか?」
「ええ。今ではわが者顔で仕切ってますよ。ま、私には関係ない話ですがね」
ルカはグラスを置いて、目の前の牛肉にかじりついた。うまみを閉じ込めた背あぶらが舌を刺激して、酒の味をしばらく忘れさせようとする。
「そうか。ルカ殿はドロテニア侯に仕えてらっしゃるんでしたね」
「そうです。リエージュなんて、ドロテニアに比べたら大したことありませんよ」
クレアモンドもグラスを置いて、左わきの野菜をつまんだ。
「ドロテニアといえば、南方随一の大国。今や、中央の諸侯たちも覆すほどの力を持ってるとか」
「そんな大それたものではありませんよ。ドロテニアはしょせん、南の地方国家ですから」
「ルカ殿も言い方がうまいですね。謙遜して私を油断させるつもりなんでしょう? しかも、ルカ殿はその大国に宮廷魔術師として仕えてらっしゃる」
「……宮廷魔術師と言えば、聞こえはいいですがね。今じゃ、ただの外回りですよ」
ルカは左手のワインをぐいっと飲みほす。クレアモンドがボトルの口を出して、グラスにワインを注いだ。
「ドロテニアの方とうまくいってないんですか」
「ええ。みなの輪をみだす私は、邪魔者らしいですからね」
「邪魔者だなんて、そんな――」
「この間、村で虫の魔物が大量発生しましてね。騎士団の手に負えなかったので、私が魔術で巣を焼いたんですよ。そしたら、そう言われてしまったんですよ。……全く、私の何が気に入らないんだか」
ルカは肩を落として、左わきに置かれたサラダをつまんだ。
ルカは十五歳まで中央のフリージアで勉学して、帰国後にドロテニアへ仕えたが、先輩の騎士たちと対立することが多く、生活はあまりうまくいっていない。
ふところの財布の中をのぞきながら、クレアモンドの依頼を断ることはできないな、とルカはつくづく思った。
小一時間がすぎて、ふたりが初めて出会ったときの話に華が咲いた。
「しかし、あのときは死ぬかと思いましたよ」
「フス平原の戦いですか。あの戦いは大変でしたね」
「ええ。何せカテリーネ公の兵団(軍)は、われわれの五倍ちかくもあったらしいですからね」
「そんなにあったのか。私はあの戦いが初めてでしたが、左右を敵の大軍に囲まれたときは、ほんとうに死ぬかと思いましたよ」
ルカは、空になったクレアモンドのグラスにワインを注いだ。
四年前、中央のフリージアで王位継承問題が浮上し、都エスピナを中心として戦争が起きた。戦争は各地の諸侯たちが参戦し、フリージアと遠いドロテニアやクリスティーアまでも兵団を派遣することとなった。
ルカとクレアモンドは、エスピナ東部のフス平原の戦いで共に戦い、やがて交流をもつまでに至っている。
クレアモンドはまっ赤な顔で笑った。
「ルカ殿。私の前でそうやって謙遜しなくてもいいですよ。あの戦いは、ルカ殿が召喚されたサマランドラが決め手となって、われわれは勝利できたんですから。……死ぬかと思っただなんて、ほんとうは少しも思ってないんでしょう」
「それはあなたも同じでしょう。負けたふりをしてカテリーネ公の兵団をおびき寄せたのは、あなたの策略だったじゃないですか。私は、あなたの指示に従って火を起こしただけですよ」
「ははっ。私たち参謀は国の影を生きる存在だからな。自ら功績を自慢したりはしないさ。そうしなければ、敵に策を気取られてしまうからな」
「つまり、あなたは私をうまく利用したということか。あなたも全く人が悪い。あの一件で私はドロテニア侯に気に入られ、ますます先輩方に嫌われてしまったんですよ」
ルカも顔を赤くそめながら、クレアモンドをにらめつけた。クレアモンドは右手を降って降参した。
「あぃや! ルカ殿のすばらしい力にほれて利用したことは確かだ。ゆるしてくれ」
「そう言っておきながら、またあなたは私を利用するつもりなんだろ。全く、都合のいい話だな」
ルカの頭は、少しぼんやりとしていた。クレアモンドもいい気分になってきたのか、戸口に向かって両手を叩いた。
「せっかくの宴会だというのに、辛気くさくていかんな。……これ、だれかいるか」
クレアモンドの合図に、薄着の侍女たちがぞろぞろと入室してきた。裸に近い衣装を着る彼女たちは、妖えんな音楽と踊りをルカに見せてくれる。
クレアモンドはしばらく侍女たちに見とれていた。頬をゆるめて、ルカにふり向いた。
「話は変わるが、君はいまだに独身を貫いてるようだが、結婚はしないのかい?」
結婚、という言葉にルカの顔色がとたんに白くなっていく。
「独身を貫いてるのは、あなたも同じでしょう。結婚なんて、別にしなくてもいいじゃないですか」
ルカはなみなみに注がれたワインをいっきに飲みほす。横に座っている侍女が、空いたグラスにワインを注いだ。
クレアモンドは右手で頭を掻いた。
「いやあ、遠くから出向いてもらって、私のわがまままで聞いてくれたんだから、金品の礼だけでは味気ないと思ってね」
「縁談でしたら、お断りします」
目をつむるルカのとなりで、侍女が「まあ!」と声をあげた。クレアモンドも唖然と目を丸くした。
「……人は生まれて十五歳で成人して、すぐに子供をもうける者もいるというのに何とも時代遅れな。相手の方はまたとない高貴なお方なんですよ」
「自分をたなにあげないでもらいたい。それだったら、あなたが娶ればいいでしょう」
「いや、それはできない。私はクリスティーア侯から別の誼をいただいてるんでね」
クレアモンドはうつむいて、頬をゆるめる。グラスを手にしてワインをぐいっと飲みほすと、となりの侍女がすぐにワインを注いだ。クレアモンドはまっ赤で、「君い、やめたまえ」と叫んだ。
「それは、よかったですね」
クレアモンドと侍女のやりとりをながめながら、ルカはそっとつぶやいた。
◆国紹介◆
フリージア=物語の舞台のディオーネ王国の王家。国王は高祖フリードリヒの名を継承する。
カテリーネ=フリージア王家の血筋を分ける大国。四年前にエスピナの戦いを引き起こした。爵位は公。
クリスティーア=1章の舞台。王国東部に位置する小国で、鉄鉱資源が豊富。爵位は侯。
ドロテニア=ルカが仕える国。王国南東部の温暖な土地を支配する。オレンジと魚が特産物。爵位は侯。
リエージュ=ルカの祖国で、ドロテニアの配下。病に伏す実父エクターに替わり、異母兄のケイが政務を執っている。爵位は伯。
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