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  エメレトン 作者:ミミズ
13 クラリスの迎え



 お昼すぎから降り出していた雨は、時間とともに弱々しい夜雨となって、オルフェリンの屋敷を濡らしている。はげしかった雷もひいてきていたが、雨雲はいぜんとして上空にとどまって離れない。

 勢いこそ治まってきたものの、小雨は春の夜を冷す。オルフェリン家の人たちも今夜は外出しない方がいいと、だれも部屋から出てこなかった。

 クラリスはひとり寝床にくるまっていたが、心は焦って落ち着かず、とても寝つけそうにない。だが、悩みをルカに打ち明けることもできず、クラリスはひとり途方に暮れていた。

 ――ひと言、謝罪の言葉を口にすればいい。ルカだって、そこまでの性悪しょうわるではないのだから。だが、それはできない。

 しかし、何の能力も持たないクラリスでは、ずる賢いモーリスや魔女エルを倒すことなんてできない。また挑んでも、体よく返されてしまうに違いない。

 クラリスははじめて感じる、行きどころのない悩みと焦りにすっかり押しつぶされてしまいそうな気がした。その気持ちを少しでも冷そうと、クラリスはそっとベッドからおき上がった。

「ルカ様に全てを打ち明けて、事後策をうかがいましょう。……もう、それしか方法はありませんわ」

 クラリスは窓から差しこむ月光を背に受けて、ひとりつぶやいた。

 ――そこで、月夜のおぼろげな光に、不意に黒い影が差した。それは広々として部屋をおおい、クラリスの寝室を黒一色に染めあげる。

 クラリスは、背後のただならぬ気配に呼吸が止まるかと思った。それは、はじめて死霊の騎士を見たときの感覚にとても似ていた。

 クラリスは、恐る恐る後ろをふり向いてみた。が、その瞬間、彼女の身体はメドゥーサににらまれたように硬直してしまった。




 ガラスの割れる音と叫喚が真夜中の廊下ろうかにひびいて、ルカは飛びおきた。そして、その悲鳴が間違いなくクラリスの声だったことに、ルカはがく然とした。

 ルカは明かりの準備も忘れて、廊下の窓を照らす月明かりだけを頼りに、となりのクラリスの寝室へ飛びこんでいった。

「クラリス!」

 ルカは次の言葉も忘れて部屋に飛びこむが、室内の恐怖と奇怪をきわめた状況に、思わず口をつぐんだ。

 何と、部屋の中央にたたずんでいたのは、あの死霊の騎士――! ヤツはガラスの破片の散らばる床の上にたたずんで、全身を夜雨に濡らしながら青くてつく冷気を発している。左手には男の生首をかかえて、凶馬コシュタ・バワーにまたがり、かつかつとひづめの音をたてていた。

 そして、クラリスはベッドから寝転げて、凶馬の足もとで縮こまっていた。ルカは急いで駆けよって、クラリスの細い身体を抱いた。すると、ルカの両腕にガタガタとふるえが伝わってくる。

 そこで、ルカの頭はまっ白になった。ルカは死霊の騎士を下からにらめつけて、突如として怒り狂った。

「人の寝静まったところを襲う、不とどきな悪魔め! そこになおれ! 私が大天使メーメルに代わって処断を下してくれる!」

 ルカは目をつり上げて大喝するが、首のないデュラハンに困ったり恐れたりしている様子は見えない。

「ルカ殿! どうされましたか!?」

 やがて、廊下の奥からブラモアとアマルガンがやってきた。そしてデュラハンの姿を見て、二人もルカと同じように身体をかたまらせた。

 アマルガンが冷や汗を流しながら言った。

「ルカ君! コイツは……」
「今回の黒幕。下劣な忌み子モーリスの僕に成り下がった、死霊の騎士です……!」

 ルカは、相手がうやまうべき精霊だったことを忘れて、吐き捨てるように言った。

 それから、固唾かたずを飲んで見守るアマルガンたちの前で、ルカは静かにふところのアサメイを抜きとった。そして、その刃先を光らせて、実体のない悪霊に飛びかかろうとすきをうかがった。

 ――だが、死霊の騎士はすぐにきびすを返して、部屋の大きな窓に飛びこんだ。ヤツはガラスの突き破られた窓から、どこかへと姿を消してしまった。

 まさかの敵前逃亡を目のあたりにして、ルカの怒りが最高潮に達した。

「チィ! 逃がすか!」
「ルカ殿、お待ち下され!」

 怒鳴って部屋を出ていくルカに、ブラモアとアマルガンもあわてて後に続いた。




 ルカは勢いよくロビーを飛び出した。それから急いで左右を見わたす。夜の庭は風がふいてとても寒く、動物や虫たちの声も聞こえない。屋敷を囲む草木は雨水に濡れているだけで、ここに死霊の騎士が降りてきただなんて、とても想像がつかない。

 やがて中庭の冷たい風に冷されて、ルカはわれに返った。ふと右手に目を向けると黒のアサメイの刃が光っていたので、深呼吸をしてからそれをしまった。

「ルカ君! 死霊の騎士は見つかったか」

 焦燥にくれるルカの背に、アマルガンの低い声がひびいた。ルカは何度か頭をふってから、アマルガンに言った。

「申しわけありませんが、取り逃がしてしまいました」
「そうか。それは残念だったな。だが、君たちが無事でよかった。君が珍しく怒っていたのを見たときは、私もどうなるかと思ったがね」
「すみません。私としたことが、あんな安い挑発でわれを見失うだなんて……。私もまだ未熟者のようですね」
「ハハッ。それは気にしすぎじゃないのか?」

 アマルガンは大笑いしていったが、その後ろでブラモアがため息をついた。

「やはりこれは、先代メリオン様の崇りなんでしょうか」

 それを聞いて、ニコニコしていたアマルガンの表情が変わる。アマルガンは目を見開いて怒鳴った。

「ふざけるな! こんなもの、叔父おじのいたずらに決まってるだろうがッ!」
「しかし、アマルガン様。私たちに死霊の騎士を倒す手立てはありません。これ以上、犠牲者を出さないためにも、どうかほこをおさめて収拾にあたられた方が……」
「お前まで何を言い出すんだ! それでは、モーリスに父の遺産の全てをやれというのか!? 私はそんなこと、断じて認めンぞ!」

 アマルガンは、弱気なブラモアの肩をひっぱたいて、屋敷の中へ入っていった。ブラモアもまた、主の強情に悄然とため息をついて、トボトボと後に続く。




 ――その一部始終を、モーリスとモリアンス親子が木かげに隠れて、ジッと見つめていた。そしてアマルガンの怒声を聞いて、あくどい親子はこみ上げる優越感と笑い声を我慢できずにいた。