「よかったのですか? あんなことをいってしまわれて」
馬をはしらせながらブラモアはクラリスに言うが、クラリスはムッと腹をたてて、口をとがらせる。
「ルカ様があんなに非情なお方だったなんて、知りませんでしたわ! 私はルカ様を見そこないました!」
「何を言ってるんですか。ルカ殿はクラリス殿を心配されて、あのように止めに入られたんですよ。ただ、それを正直に告白できないだけなんですよ」
「それでしたら、そうと直接言えばいいじゃないですか!?」
クラリスの率直な答えに、ブラモアはたまらずに苦笑した。
「ハハッ! クラリス殿。男というのは、そういう生き物なのでありますよ! ルカ殿を見ていると、そうした男の感情がよく伝わってきます。いやあ、かくいう私も、かつてはルカ殿やクラリス殿のような甘い青春の時代がありました。若いというのはいいですね」
「ほっといて下さい! どうせ私は、何も知らない若輩者ですわ!」
ブラモアのたわごとに、クラリスは珍しく声をあらげた。
クラリスとブラモアは屋敷の森を駆けて、右手の分かれ道に入っていく。朝の森の中は上空の暗雲のせいで日の光が通らず、中もすっかり暗くなっていた。
クラリスが訪れてから、ネルトリンゲンに晴天の朝日が降りそそいだことは一度もない。
そのうす暗い森の道を、クラリスとブラモアは駆けていく。だが、しばらくして、あたりから白い霧が出てきた。それは前を進むごとに濃くなっていき、まるで訪問者の視界を白いカーテンでおおっているようだった。
クラリスは馬の足を止めて、その足もとの黒い影を見つけた。下馬して四角い影に近づいてみるとそれは木の看板で、『Witch House』と珍妙にも行き先を自己紹介していた。
「ブラモア様。これが、うわさの濃霧なんですか?」
クラリスは、濃い霧のせいで見えずらくなったブラモアに言う。すぐにブラモアから返事がきた。
「はい。この霧は、奥へ進んでいくほどに濃くなっていくのです。魔女エルは邪術でこの霧を発生させて、私たちのような侵入者を拒んでいるのです」
「ですが、エル様にお会いしてデュラハンの召喚をやめていただかなければ、またランベイル様のように犠牲者が出てしまいますわ」
「……ひとまず、先へ進んでみましょう」
ブラモアは手づなを引いて、濃霧の先へ駆けていく。クラリスも急いで騎乗して、ブラモアの後に続いていった。
ひとり屋敷にとり残されてしまったルカは、オロオロと二階の廊下を歩いていた。
さっきまで部屋でくつろいでいたのだが、何ごとも手につかなくなってしまった。だから、ルカは仕方なく屋敷を散策していたのだった。
二階の中央部分はつつぬけになっていて、手すりごしに一階のロビーを見わたすことができる。ルカが一階のロビーに目を向けると、執事のアランといとこのモリアンスが何やらやりとりをしていた。
「何だって! ランベイルの義兄貴が死んだって!?」
二階のつつぬけに驚くモリアンスの声がひびきわたる。アランは白いハンカチで額の汗をぬぐって言った。
「はい、申しあげにくいのですが。ですので、まことに失礼ですが今日のところはお引きとり下さい」
「へっへっへ。ついに死霊の騎士の崇りが降りちまった、てことかい。それはとんだ災難だったな。……まぁ、ランベイルの義兄貴も、人のよさそうな顔をして金にがめつかったからなァ」
アランの苦々しい表情をくみ取って、モリアンスはしらじらしくいった。それから、右手に持つ小さい木箱をアランに差し出した。
「これをジェシカ姉さんにわたしてくれ。こたびの災難、まことに哀れむところありってな」
いつもよりも優しいモリアンスの態度にアランは顔をしかめたが、その差し入れを大人しく受け取ってモリアンスが帰るのを待った。
「見舞いの品ですか」
モリアンスの姿が見えなくなったところで、ルカは一階へと降りた。アランは浅くうなずいたが、すぐに表情が険しくなった。
「これは悪い予感がします」
「はて。それはどういう意味ですか?」
アランのいぶかしい姿にルカは疑問に思ったが、アランはそれには応えず、やがて一心不乱に木箱のつつみをやぶりはじめる。それは無口で静かなアランとは思えない、とても荒々しくて乱暴なそぶりだった。
そして、アランは木箱のフタをはがした瞬間、それを両手からポトリと落とした。
茶色の透明な床に落ちた木箱から、白い花びらが宙に舞う。花びらはロビーを流れる空気におどらされて、春のあたたかさと、ほのかな香りを屋敷に運んでくれる。
そして、花びらにしきつめられた木箱の中から、ノラ猫の無残な生首が姿をあらわした。
そのころ、クラリスとブラモアは霧に立ちこめた森の道をさまよっていた。二人は、諸悪の根源に面会せんと意気ごんで濃霧の中を何度もはしったが、魔女の館はいっこうに姿を見せてくれなかった。
木の看板のところからしばらく走ると、どういうわけかそこに戻ってしまい、むなしくふり出しに帰ってしまうのだった。
それでも、クラリスはめげずに霧の無限回廊を駆けたが、その熱意と誠意を魔女はくんでくれなかった。
「やっぱりダメだ!」
看板のところに五回も戻されて、ついにブラモアの意気がくじけた。そこをクラリスが力強くなぐさめた。
「ブラモア様、あきらめてはいけませんわ! 魔女様にお会いできるまで、何度も挑戦するしかありませんわ」
「そうはいっても、前にアゼル様とマルク様ときたときも、今日みたいにずっと森の中をぐるぐると走らされたんですよ!? この霧が憎っくき魔女エルの仕わざだっていうことはわかりきっていますが、やつの邪術が解けないかぎり、私たちはやつと同じ土すら踏ませてもらえないんです……!」
「では、この邪術を解くにはどうすればいいんでしょう」
クラリスは率直に聞いてみたが、ブラモアはわざとらしく大きなため息をついた。クラリスもまた馬の足を止めて考えてみるが、すぐに知恵熱を出してしまった。
「……この霧は、魔術の力で発生させている擬似的なものだと、アゼル様がおっしゃっておられました」
見かねてブラモアがそう助言した。クラリスは首をかしげた。
「擬似的なものといいますと、魔術で再現させてる偽物の霧ということですか?」
「はい。この霧は魔女が住み着いてから急に発生しだしたもので、ネルトリンゲンの森で霧が発生しているのはここだけです。自然界の法則を無視していますから、魔女術によるものと断定して間違いないと、お二人が口をそろえておりました」
「そこまでわかっておいでなら、霧のカラクリも解けるんじゃないですか?」
「それが、そう単純にはいかないのです。……次男のアゼル様は魔術にとてもおくわしくて、たくさんのグリモワやタリスマンとかをもっておられます。ですが、そのアゼル様でも魔女の仕組むこの霧の正体だけは解けなかったのです」
「そうだったんですか……」
聞きながら、クラリスは以前のアゼルとマルクのやりとりを思い返した。
「ルカ殿でしたら、この霧をどうにかしてくれるんでしょうけどね」
「ルカ様は、どうして力を貸してくれないんでしょうか」
クラリスのぼやきに、ブラモアは重い頭をもちあげて言った。
「われわれの遺産相続問題に、巻きこまれたくないだけじゃないですか」
「いえ。ルカ様はそんな無責任な方ではありませんわ。ルカ様は、かつて私たちを助けて下さったお方なんですから」
「そうだったのですか。だとしたら、クラリス様のおうちになく、われわれにのみ含むところがあるのではないですかね」
「含むところですか」
ブラモアのつぶやきを聞いて、クラリスは顎に手をあてて考えた。
ランベイルの死をいたみ、魔女との面会を強く望んでいたクラリスだったが、霧の魔女術の前にまんまと門前払いをくってしまった。それでも、クラリスはあきらめずに森を五里霧中に駆けたが、やはり魔女エルの館にはたどり着けなかった。
やがて観念したブラモアの制止を受けて、クラリスは悄然と帰路へふり返った。
すると、
「だれかと思ったら、この間のお姫様じゃない」
突然のかわいらしい声に、クラリスとブラモアはビックリして後ろをふり向く。そして、声のする頭上をあおいで二人は唖然とした。
見上げた先にいたのは、まぎれもなく人間の女性だった。彼女は紫紺色のとんがり帽子をかぶって、同色の丈の長いローブをはおっている。右肩には不吉な黒猫まで乗せて、あからさまに魔女ですと主張しているみたいだった。
魔女は宙に浮く箒に腰かけて、フワフワと気持ち良さそうに霧の上に浮いていた。
「あなたが魔女のエル様ですか!?」
「ええ、そうよ」
まさかの対面にクラリスの心はおどったが、対して魔女のエルは面倒くさそうに相づちだけうつ。
それにしても、ネルトリンゲンを騒がす悪名高い魔女ということで、クラリスは魔女エルをバケモノじみた存在だと思っていた。言うなればヴァンパイアとかダーク・リッチとか、人間とは決定的に違う魔界の生き物に近い存在なのだとクラリスは思っていた。
だが、初めて見た魔女の印象は、不気味に浮遊こそしているが、容姿は成人女性そのもので、それもかなりきれいな方だ。
彼女の小さい両肩にかかるブロンドの毛先は内巻きのかわいいカールだし、肌もとても白い。むしろ全身をおおうダークな服の色あいが、その透明な肌を引き立たせているように見えた。
「エル様! これ以上、オルフェリン家の方々に迷惑をかけるようなことはお止め下さい!」
「あら、そんなつまらないことをいいに私の庭を何周もしてたの?」
「えっ……?」
魔女エルはクラリスに反問すると、魔法の箒をあやつってクラリスの後ろにまわり、そのスベスベとした頬をさすった。クラリスは、突然の生あたたかい感触に声をあげた。
「キャ! 何をなさるんですか!?」
「フフッ、私の思った通り。かわいい子ね」
「冗談は、お止め下さい!」
エルの奇行にクラリスは馬上であばれる。何度も手づなを引いてしまったので、馬が困っていなないていた。
エルはクラリスの素直なしぐさにほほえんで、やがて空へ戻った。それから、エルは見下げながら言った。
「……あなた、人間の争いごとには不慣れなんでしょう。これ以上、アイツらには関わらない方がいいわよ」
「そんなこと、敵のエル様には関係ありませんわ!」
「あらら、敵とは心外ね。昨夜は危ないあなたを見かねて助けてあげたのに」
「えっ?」
エルの謎かけにクラリスは首をかしげる。そんな姿を見て、エルは意地悪く笑った。
「今夜、またあなたに会いにいくわ。それまでに答えを考えておきなさいな!」
困惑するクラリスをうっとりとながめてから、やがてエルは霧の中へ消えていった。
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