クラリスたちが出かけた後のオルフェリンの屋敷は、とても静かだった。屋敷にはジェシカやマルクたちがいるはずなのだが、だれも自分の部屋から出ようとしなかった。
夜の暗い廊下には、ロウソクの小さい炎だけがユラユラとゆれていた。
(クラリスめ。勝手なことを)
ルカは勝手に外出していったクラリスにイラついていたが、そうとはいわずに黙ってメタトロンのグリモワを読んでいた。
だが、クラリスが今後もオルフェリン家の揉めごとに首を突っこむというのなら、何か対策を考えなければならない。
ルカは、オルフェリン家のこじれた問題になるべく近づきたくないと思っていた。――遺産の相続、首を狩るデュラハンの出現、魔女の横行と三拍子がそろえば、今後の惨状は目に見えている。
なのに人のいいクラリスのことだから、そんなことはおかまいなしにどんどん足を踏み入れてしまうだろう。しかし、クラリスは親友クレアモンドからまかされた大事な存在なのだから、放っておくわけにもいかなかった。
「まったく、しょうがないやつだ」
と、そこへ、
「何がしょうがないんだい?」
いきなりにそう声をかけて入室してくる者がいた。ルカはすぐにメタトロンを閉じて、また右足を立てて立ちやすい姿勢をとった。
扉の向こうの暗い廊下からゆっくりと入ってきたのは、次男のアゼルだった。アゼルは朝のときと同じように、ニヤニヤしながらルカの顔を見ている。
「これはアゼル殿。どうかされましたか?」
「フン! ちょっと退屈してるンでな。話の相手になってくれよ」
「私のようなオカルト好きに話しかけても、楽しいことなんてありませんよ」
ルカは適当に言ったが、アゼルはそれを気にする様子はない。アゼルの興味が、テーブルの上に置かれたメタトロンのグリモワに集中していたからだった。
アゼルは興奮しながら言った。
「これ、ホンモノか? メタトロンは聖印術の全てを記した魔術書なんだろ?」
「ええ。よく知ってますね。アゼル殿も魔術がお好きなんですか?」
「まぁな。メタトロンは修道院の奥にしかないと聞いてたけど、あんた、こんなものをどうやって盗んできたんだ?」
そうしゃべるアゼルに、初対面の嫌味なイメージはなかった。アゼルは、まるで新しいおもちゃをわたされた子供のように、メタトロンとそれをもつルカに興味しんしんだった。
ルカは口をとがらせた。
「盗んできたとは、さすがに失礼じゃないですか? これは、れっきとした方から正式にいただいたものですよ」
「ふぅん。まぁ、そんなことはどうでもいいや。……ところであんた、マルクの頼みを断ったってほんとうか?」
アゼルは適当に言ってから、やっと本題を切り出してきた。ルカは目を丸くした。
「もう知っておられたんですか。いやはや、みな様の期待を裏切って面目ありません」
「とぼけンなよ。あんたもメタトロンを持ってるくらいだから、例のデュラハンが偽者だってことくらい、見ぬいてンだろ?」
アゼルは目をつりあげてルカをなじる。だがルカは両手を広げて、『さあ』と言葉をもらした。
「私は他国の人間なので、余計な手出しをしない方がいいと思っただけですよ。アゼル殿こそ、どうしてデュラハンが偽者だと思われてるのかな?」
「知れたことを。モーリスの野郎が近所に住んでいる、それだけで立派な証明になっちまうんだよ」
「はあ。そうですか」
アゼルは、それからも果敢にルカを責めたてたが、ルカがとぼけてしまうものだから、やがてアゼルは舌打ちして席を立った。
「……ひとつ、忠告しておいてやるぜ。あんたらは雇い主のマルクやブラモアを信じきってるみたいだが、気をつけた方がいいぜ。アイツらも裏では何を企んでるか、わからんやつらだからな」
そう吐きすてて、アゼルは部屋を出ていった。
そのころモーリスの屋敷では、しらじらしい談笑が宴席でとびかっていた。
モーリスは、ずる賢い悪者の仮面をつけてアマルガンたちをねぎらっていたし、アマルガンたちもまた、何ごともなく笑っていながらも、目の前の食事には手をつけていなかった。
その、うわべだけの宴会のはしっこで、クラリスは静かに両者を見くらべていたが、しだいに腹のあたりが痛くなってきた。クラリスは堪えきれずに席を立って、後ろのテラスに行って外の空気を吸った。
(どうして、仲良くできないのかしら)
クラリスが懊悩しながら手すりに両手をのせていると、グレースが娘のレイチェルの手を引いてやってきた。クラリスはグレースと目が合うなり、あわてて頭を下げた。
「さ、先ほどはお見苦しい場面を見せてしまって、みな様に恥をかかせてしまいました。すみません」
クラリスは怖いグレースに怒られると思ってビクビクしていたが、グレースは意外にも苦笑しているだけだった。
「いいのよ、気にしなくて。あんなのは、いやらしい叔父の挨拶みたいなものだから。嫌なやつでしょ?」
「いえ、そんな……。モーリス様のお言葉にも一理ありますから」
「あら! クラリス様って心が広いのね。私だったらすぐに義弟のアゼルに頼んで、やつを呪い殺してもらうわよ」
グレースは、富豪に嫁いだ女性らしからぬことを言った。
それからグレースは自分のドレスの裾を引っぱって、その陰に隠れている娘のレイチェルを見た。レイチェルはピンクのかわいいドレスを着ていて、まるでお人形さんみたいだった。
「あらま。この子ったら恥ずかしがってるのね。ほら、レイチェル。クラリス様に挨拶しなさい」
グレースは苦笑して言ったが、レイチェルはロングスカートの裾をかたくにぎったままで、とても前に出てこなさそうだった。その人見知りしている様子が、ちょっとかわいい。
「フフッ。かわいい娘様ですわ。よろしくね。レイチェルちゃん」
クラリスはかがんで、レイチェルに軽くおじぎした。
グレース親子と入れ替わりに、今度はモリアンスがテラスにやってきた。相かわらず、クラリスの身体を見てニヤニヤしながら。
クラリスはすぐに危機をさっしたが、モリアンスは入り口をふさいでクラリスを出そうとしなかった。
「な、何ですか!?」
クラリスは力いっぱいに声をはってみたが、その声はふるえていた。モリアンスは、待ちかねたクラリスとの対面に鼻息をあらくしていた。
「オーオー。何でか知らんが、ずいぶん嫌われてるみたいだな。安心しなよ。あんたをとって食ったりしねぇからよ」
そう言いながらもモリアンスはうす汚い笑いをうかべて、少しずつクラリスに近づいてきた。クラリスは思わず叫んだ。
「これ以上近づかれたら、人を呼びますよ!」
「おいおい。まだ何もしてねぇのにひでェじゃねぇか。仲良くやろうぜ」
モリアンスは必死なクラリスをからかっていたが、それからすぐにクラリスにつめ寄って、彼女と密着した。クラリスは両手をとられて、身動きができなくなってしまった。
「な、何をなさるのですか!?」
「……魔術を知ってるだなんて、法螺をふくんじゃねぇよ。アマルガンが雇ったのはもう片方の赤いローブの方で、あんたはただの付き人なんだろ?」
「ち、違いますわ! 私だって、魔術の心得くらいありますわ」
「だったら、あんたのいう四元魔術とやらで、今すぐにでも俺を焼き殺してみろよ。じゃなきゃ、あんたは俺の言いなりになっちまうぜ」
モリアンスはクラリスの強がりを跳ね返して、いよいよ息を荒くした。そして、クラリスの大きく柔らかそうな胸に手をのばして犯そうとした。
が、そこでモリアンスの表情がゆがんだ。
クラリスの後ろに、突然に大きな影があらわれていた。それは外の夜の闇よりも深い、とても黒く大きな影だった。
モリアンスは、おそるおそる影の出ている先を見あげた。そして、腰をぬかした。
「で、出やがったぞォ!」
モリアンスは動物のおたけびのように叫ぶ。それに、クラリスもまた後ろにたたずむ精霊にふり返って、思わず言葉を失った。
テラスの外にいたのは、鉄の鎧を着た勇ましい騎士だった。騎士は灰色の凶馬にまたがって真紅のマントをまとい、背後の月光を受けて長い影をのばしている。
だが、騎士の首には頭がついていない。その首もとからドス黒いけむりが立ちこめていて、首から先を隠していた。右手に持った長剣の先から赤い血がしたたり、さらに左手にかかえた男の生首が、断末魔の叫びをあげているように、恐怖におののいていた。
「どうした! 何があったんだ!?」
それからすぐにアマルガンやモーリスもテラスにとんできたが、庭の奥にたたずんでいる死霊の騎士の姿に、ともに口を開いて唖然とするしかなかった。
うわさ話の上の存在だと思われていた死霊の騎士は、それから踵を返して暗闇の彼方へと消えていった。
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