クリスティーアを離れたルカとクラリスは、ルカの祖国のリエージュにむけて馬をはしらせていた。すると、それまで雲ひとつなかった晴天の空に灰色のぶ厚い雲が南の方からやってきて、空がたちまち暗くなってしまった。
クラリスは夜のように暗い空を見あげた。
「不吉な空ですわ。私たちの旅立ちを天界のミシャル様は祝福してくれないのかしら」
それからクラリスは、胸もとにかかったデルタ(Δ)の形のペンダントをにぎって、ため息をついた。デルタは大陸の国教にあたるミシャル教会のシンボルだった。
となりで馬の手づなをにぎるルカは、かかさずクラリスを皮肉った。
「空がくもるのは、天界の神々が怒ってるからではない。空の気象があれてるからだ。天界にひとりしかいない聖者ミシャルが、大陸の小粒にすぎない私たちをいちいち監視してるわけがないだろ?」
「それはそうですが……。ルカ様は、あの空を見ても何とも思われないのですか?」
クラリスはルカの言葉にちょっとムッとして言った。ルカは苦笑した。
「空がくもっただけで神が怒ったと思うなんて、君はロマンチストだな。人間に喜怒哀楽があるように空にも表情というものがあるんだから、昨日も今日も晴れるとは限らないだろ?」
「天は神の象徴です。天の様子をうかがって、その日の運勢を占う人たちもいるっていうじゃないですか。ルカ様はミシャル教の信者様なのに、とても現実的なことをおっしゃられるんですね」
クラリスの思わぬ反論に、なかなかうまい返しだなとルカはひそかに感心した。そして、静かに目をつむった。
「……千年前のグラン帝国の時代、暗黒の七芒星から五柱の魔王が召喚された。魔界の闇が世を満たし、地上は暗黒色に染まる。天界から落ちた一つぶの涙のしずくは、やがて人の形をなして聖者ミシャルが降臨した。……ミシャルは使徒たちと天使の軍団を率い、魔王たちを魔界ペスタへと追い返し、地上に悠久の調和がおとずれた」
クラリスは馬の足を止めて、きょとんとしていた。
「ミシャル教の創設に関わる有名な一節だ。地上の終焉と開祖ミシャルの活躍を謳ったものだ。教会の司教たちは、ほんとうにあった出来事だと口をそろえてるがな」
「ルカ様の口からおとぎ話が出るなんて、ちょっと意外ですわ。ルカ様もおとぎ話を信じてらっしゃるんですか」
「まさか。こんな世迷い言を私が信じるわけないだろ。君がミシャル教の信者だとか言うから、それらしいことをしゃべってみただけだ。ほら、さっさと行くぞ」
その言葉に、クラリスは慌てて手づなを打った。
ルカたちの前面に、草原の高台に続く坂道が見えてきた。坂道はとてもゆるやかで、馬の足でなくても登るのは簡単そうだ。が、とたんに横から風がふきつけてきて、その強風にルカとクラリスは思わず押し飛ばされそうになった。
「ここは、どのあたりなんですか」
クラリスは顔を左腕で隠しながらルカに聞いた。
「クリスティーアを離れてずいぶんたつから、隣国のポメラニアのどこかだろう。この様子だと嵐が近そうだから、ここらで宿を探した方がよさそうだな」
風の強さにルカも舌打ちした。
強風のふきつける高台に何とか登りきって、クラリスは馬上から高台の下を見下ろしたが、天気が悪いせいか、高台の下は暗くて何も見えない。
クラリスは消沈してうつむくと、そこに大きく丸い石が置いてあった。その石は手前に花がそえてあって、小さくまとまった石碑のように思えた。
「あら。こんなところにお墓がありますわ」
クラリスは下馬して、足もとの石碑をまじまじと見つめた。それはとてもこぢんまりとしていたが、石はきれいにみがかれていて、花びんにそえられた花もまだ替えられて日がたっていなさそうだった。
「どうした。何か見つけたのか」
立ち止まってしまったクラリスにルカはため息をついてから、仕方なく下馬する。
「だれかを祀ったお墓のようですわ。きれいに手入れされてるのを見ると、とても大切にされてるみたいですね」
クラリスは石碑の管理人の優しさにとても感心した。
それから、左右の花びんのまん中にゴールドのペンダントが供えられているのを発見した。それは、同じくゴールドのチェーンでつながれていて、とても高価なものに思えた。ペンダントトップは丸くて、中央をかざるサファイアが青く美しい輝きをルカに放っていた。
それからルカとクラリスは高台を降りて、ポメラニアの盆地に入っていった。これまでの林道から木々がなくなって、やがて左右に広大な麦畑が見えてきた。
さっきまでの強風もいくらか勢いがおさまってきていた。ゆるやかになった風は、ところどころに建てられた風車の羽をくるくると回していた。
さらに馬の足を進めていくと、やがて赤い屋根をつけた家々があらわれてきた。それらは一様に赤い屋根をつけていて、白い外壁と相まってメルヘンチックな景色をつくりだしていた。
「美しい街ですわ」
クラリスは、その夢のような街の景色に感激の言葉をもらした。
だが、その横でルカは顔をしかめた。街がとても閑散としすぎていて、不気味な気配をただよわせていたからだった。何しろ、まだ夕暮れ前の時間なのに、ひとりとして人が出歩いていないのはおかしい。
「……まるで滅びの街だな」
そのひと言にクラリスは嫌な顔をした。
「ルカ様。変なことを言わないで下さい。滅びただなんて、縁起でもありませんわ」
「でも、静かすぎるだろう。この時間でだれも外を出歩いてないなんて、普通じゃないぞ?」
「それは、今日のお天気様が悪いせいですわ。街の人たちは雨が降ると思って外に出られないんですよ」
「なるほど。その言葉には一理あるな」
――お天気様とは言わないだろ、とルカは思ったが、そこはあえて指摘せずに適当にうなずいた。
それから二人は、不気味なほどに静かな街へと入っていく。ふたりは馬に乗っているので、馬の足がカッポカッポと音をたてて街の人間に気づかれてもよさそうだが。街のどまん中を歩いても、まるで反応はない。
その気味悪さに追いうちをかけているのが、街にいっさいの傷跡がみられないということだ。盗賊や魔物たちに襲われた後とかであれば、人がいないことにも納得いくが。
そう思っていた矢先、
「これは魔術師様。このような辺境に何のご用ですかな?」
突然の呼び声に、ルカとクラリスはビクッとふるえた。それからすぐにふり向いた。
その先にいたのは、ひとりの紳士だった。彼は茶色のハットをかぶって、上唇にチョビヒゲを生やして、いかにも裕福そうな感じに見えた。着ているのは黒のタキシードで、右手に短い杖をついて、とても落ち着いた様子だった。
ルカとクラリスは下馬して、両手を合わせて礼した。
「初めまして。私は巡回者のルカと申します。となりにいるのは私の従者でクラリスといいます」
「クラリスと申します。お会いできて光栄ですわ」
ふたりの丁寧な挨拶に、紳士はあわてて帽子をとった。
「これはこれは、ご丁寧にありがとうございます。私はオルフェリン家に仕えるブラモア・ブランデゴリスという者です。……ルカ殿、クラリス殿、ここネルトリンゲンに来ていただいて、まことにうれしく思います」
「ブラモア殿と申されるのですか。高貴な身分の方とお見受けしますが、あなた様の仕えるオルフェリン家とはここの地主ですか?」
ルカはかしこまって聞いたが、それにブラモアは苦笑した。
「オルフェリン家を知られないところを見ますと、ほんとうに旅のお方のようですね。外で立ち話も難ですから、これからそのオルフェリン家にご招待しますが、いかがですか?」
「はあ。それはありがたいのですが、私たちがいきなり訪問したらオルフェリン家の方々にご迷惑なんではないですか?」
ルカはいちおう警戒して言った。が、ブラモアは人のいい笑顔で返した。
「それなら問題ありませんよ。オルフェリン様のお屋敷はとても広いので、ご心配にはおよびませんよ」
そういうと、ブラモアはきびすを返して後ろの街道をゆっくりと歩いていった。
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