翌朝、ルカは朝食のときにランバードに暇をつげた。だが、ランバードは首を縦にふらなかった。
「クリスティーア侯へ出した早馬がまだ帰ってきません。せめて、それまでお待ち下さい」
と、彼は返した。
それから、ランバードはクラリスにごちそうしようと意気ごんで、早々に城を出ていった。ルカは彼らを見送ってから、城主のいなくなった城内をユラユラとさまよった。
「ルカ殿。お待ち下さい」
それをリデルがよび止めた。
「リデル殿。どうかされましたか?」
「その、まだ城の地下を紹介してなかったので、これからどうかと思いまして」
どうやら、昨日にあき足らずにこの男はまだ自慢をしたいらしい。ルカは、ニコッと笑顔を見せて言った。
「せっかくですが遠慮します。私はクラリス殿のただの付き人ですから、こう何度も厚遇を受けるわけにはいきません」
「いや、しかし、それでは私が父から叱られてしまいます」
リデルはポケットからハンカチをとり出して、額をぬぐった。ルカは苦笑した。
「ラヴィア卿は私に対して気を遣いすぎなんですよ。そもそも私のような他人は、そこらに放っておけばいいんです」
「そんな、滅相もありません。ルカ殿はあのご高名なアンダルシア侯の配下ではないですか。そんなお方を放置したなんてことがばれたら、私たちはアンダルシア侯に滅ぼされてしまいます」
「ほほ、これはまたおおげさな。私はそのようなことをしにラヴィアに来たわけではありませんよ」
ルカは、のんきに笑ってみせた。それから、言葉を続けた。
「なるほど。リデル殿のお立場も辛いようですね。それでは、ラヴィア卿が帰宅されたら私から言い含めておきましょう。それでいいですね?」
「はあ。ルカ殿がそこまで申されるのなら、仕方ありません」
リデルは肩を落として、とても残念そうにしていた。
ルカはひとり、あてもなく城内をブラブラと散歩した。そのまま二階にあがって、廊下の窓からチラッと外をながめた。
あたたかい日のあたる城外の広場は、とてものんびりとしている。何かと口うるさい城主がいなくなって、広場では騎士たちが優雅に紅茶を飲んでいる。二階のそれぞれの部屋からも、城内の人たちの陽気な笑い声が聞こえてくる。
ミシャル教ひと筋というランバードの意向からなのか、配下たちは騎士でありながらも馬術や剣術の鍛練をしようとしない。腰にかかったロング・ソードの鍔が、寂しい光を放っている。
「ルカ様」
ルカが教会のシジルの展示されたパネルを見ていると、背後からクラリスの声が聞こえてきた。
「おや、クラリス殿。どうかなさいましたか?」
「いえ、特別に用事というわけではないんですが。……ルカ様こそ、こんなところで何を見ていらっしゃるんですか?」
クラリスはルカのとなりにきて、壁にかかったパネルをのぞきこんだ。
「ああ、これはシジルといって、神や天使をあらわす印形なんですよ」
「印形ですか?」
クラリスはきょとんとした。
「シジルは、神や天使たちのほんとうの名というべきものなんですよ。ほら、中央に白い線でかかれた三角形があるでしょう。あれが聖者ミシャルの名をあらわすシジルです」
ルカは説明しながら、デルタ(Δ)に似たシジルを指した。ミシャル教はたて長の二等辺三角形をその象徴としているが、それは聖者ミシャルのシジルから由来している。
「ああ……! あの三角形はまさにミシャル教のシンボルと同じですね」
「ええ。ミシャル教のシンボルは、それ自体が聖者ミシャルの名をあらわしてるんですよ」
「そうだったんですか。初めて知りましたわ」
クラリスはルカの説明に感じ入ったようで、しみじみとシジルをながめていた。
だがルカは顔を険しくして、腕を組んだ。
「ところでクラリス殿。さっきまでリデル殿と一緒だったんじゃなかったんですか?」
「えっ」
その言葉にクラリスは悄然と肩をおとした。
「リデル様は、悪いお人ではないんですが、その、何といいましょうか」
「また、求婚でもされたんですか」
そのひと言に、クラリスは口をつぐんでしまった。それでも、育ちのいいクラリスは他人の悪口がいえないのだった。ルカもため息をついた。
「リデル殿にも困ったものですね。……ですが、やっかいになっている手前、むげに断るわけにもいきませんし」
「はい。私はこれまで男性から求婚を申しこまれたことなんてないので、こういうときにどうすればいいかわからないんです」
クラリスは困惑を通りこして、もはや悲痛な様子だった。これでは、いずれクラリスがまいってしまう。何か手を講じなければと、ルカは思った。
「あの、話は変わるのですが、ルカ様はご結婚されていないと聞いてますが、ほんとうなんですか?」
クラリスは廊下に用意された椅子に座ってから、いきなりたずねてきた。ルカもつられて向かいの椅子に座ったが、思わぬ問いに目を丸くした。
「それを、だれからお聞きになられたんですか?」
「クレアからですよ」
「ああ! なるほど」
間のぬけたルカの答えに、クラリスは首をかしげた。
「ルカ様のように頼りになるお方でしたら、恋したう女性はたくさんいらっしゃるんでしょうね」
クラリスは少し悲しげに言ったが、ルカはすぐに右手をふってそれを否定した。
「いやいや。それは断じてありませんよ。クラリス殿は私を買いかぶってるんですよ。私みたいなオカルト好きを好む女性なんて、この世にいるわけがありませんよ」
「そんなことありませんわ! ……私は、ルカ様がとても素敵なお方だと思います」
その言葉を聞いて、ルカは空いた口がふさがらなかった。ルカは返答に困って、頬をかいた。
「ルカ様はご結婚されないのですか?」
「ええ、まあ。独り身の方が、気は楽ですから」
「そうですか」
「自国の兄妹から口うるさく言われてますから、そのうちにはと思ってますが。なかなか思うようにはいきませんね」
そういって、ルカは消沈して頬づえをついた。それにしても、クラリスは恋愛の話がとても好きなようだ
クラリスはテーブルから身を乗り出して、ルカに聞いた。
「ご兄妹様はご結婚なさってるんですか?」
「ええ、結婚してますよ。異母兄は子供までいます」
「異母兄……?」
クラリスがきょとんとする。
「異母、つまり母が異なる兄です。私の兄はケイと言いまして、血が半分しかつながってないんです」
「ああ、そうなんですか。お母様が違うということがあるんですね」
「クラリス殿のお父様に、妾はいないのかな? 妻をたくさんはべらせる貴族なんて、たくさんいますがね。私は、父の二番目の妻から生まれたので、妾の子になるんですよ」
「妹様もお母様が違うんですか?」
「いいえ。妹のパーシヴァルは実妹ですよ。気が強いので、怒ると手がつけられなくなりましてね」
「フフッ。ご兄妹様がいらっしゃるって、いいですね」
言いながら、クラリスは少し残念そうな顔をしていた。
すると、一階のロビーの扉がいきなり押し開けられた。そして、外からランバードが額に汗を流しながら城内に躍りこんできた。
ルカはすぐに階段を降りて、ランバードに駆けていった。
「ラヴィア卿、どうかされましたか?」
ルカの言葉を聞いて、ランバードは息をととのえてから言った。
「ルカ殿、大変でございます! サンタレムのモードレットが、盗賊を連れて私の村を襲ってきたのです!」
「何ですって!?」
予期しない言葉にルカもがく然とした。
「私は、これから臣下を集めてやつらを討伐しにまいります。ルカ殿はクラリス様を……。ええい! こうしてはおれん!」
「ラヴィア卿! お待ちください!」
後ろのクラリスを忘れて、ルカはランバードの後を追った。
◆天界レーゲンの天使たち◆
聖者ミシャル=物語の舞台のクレシダ大陸の国教にあたる、ミシャル教の開祖。六百年前の紀元一年に天界から降臨し、ペスタの魔王たちを封じた。慈愛と平等を司る。
大天使グロリエル=天界の北門を守護する四大天使のひとり。土と勤勉を司る。学問の神として知られる。
大天使ラズリエル=天界の南門を守護する四大天使のひとり。空気と美意識を司る。芸術の神として知られる。
大天使アリエル=天界の西門を守護する四大天使のひとり。水と恋愛、豊穣を司る。唯一の女性の天使。
大天使メーメル=天界の東門を守護する四大天使のひとり。炎と勝利を司る。戦争と勝負ごとの神で、圧倒的な武力を誇る。
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