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  水鏡の術師 作者:ミミズ
1章 謀略の花嫁
9話 あてのない旅
 小鳥のさえずる声が山林にひびきわたる。優しくふく風が木々の枝をゆらして、静かに音をたてる。朝日は東の山間からのぼり、地上に明るい光をそそいでいる。

 ルカは川ぞいの太い木の根によっかかってどろのように眠っていたが、耳もとで鳴く鳥の声で目をさました。昨日は魔物の夜襲を受けまいと、かわいい顔で目をつむるクラリスの横でルカは目を光らせていたが、どうやら本人も気がつかないうちに眠ってしまったらしい。

 疲労と寝不足のために、まぶたは重く身体も気だるかったが、上の木漏こもれ日を見てルカは息をはいた。寝おきの髪を手ぐしで軽くととのえて、横で眠っているクラリスに声をかけようとしたが――

(あれ)

 ルカの目先にクラリスの姿はない。ルカの頭は一瞬にまっ白になったが、すぐにはっとして飛びおきた。身体をおおっていた紫色のマントがひらひらと地面に落ちる。

 ルカは急いでそれを拾って肩にはおり、木の枝にかけた剣帯を腰にしめる。目前の丸太の木橋をどたどたと足早にかけた。

(まさか賊に連れさられたのか――!?)

 ルカの背中に気持ちの悪い冷や汗がたれた。

「クラリス殿! クラリス殿お!」

 ルカは大声で叫びながら、細い山道をかけあがる。眉間にすじを浮かべ、うとうとと睡魔すいまに負けた自分の迂闊うかつさをくやんだ。

 山道をひた走り、木々のないはげた山の中腹に着いたところで、ルカは白いローブを着た女の子を見つけた。

「ルカ様。おはようございます」

 クラリスは何ごともなく、くったくのない笑みを返した。

「……クラリス殿。賊に連れさられたのかと思って心配しましたよ」

 ルカが肩で息をする。クラリスはきょとんとした。

「ごめんなさい。ルカ様があまりにお疲れのようだったので、起こしてしまっては失礼だと思いまして。それより見て下さい」

 クラリスは、山の中腹から見える景色を指さした。

 その先に広がっていたのは、生いしげる森と草原にかこまれた小さな村だった。高い山から見下ろす村の家々は豆のように小さくて、また静かにたたずんでいる。
 村の中央に白い土へいの城があり、その前後左右を茶色い家がまばらにたっている。さらに、その外側を四角形に区ぎられた畑が広がり、村の下には水車がゆっくりと回転していた。

「驚きましたわ。クリスティーアの近くにも、こんなすばらしい場所があったんですね」

 眼下の村々をクラリスがしみじみと見つめる。ルカはむくりと起き上がり、村の風景をながめた。

「宮廷の中でずっと生活してたら、この風景を見ることはできなかったんでしょうね」

 少し思いつめるような表情でクラリスは言った。

(どこにでもありそうな貧村だが……)

 ルカは右手の人差し指で頬を掻いた。

「各地を巡回じゅんかいすれば、こことはまた違った美しい景色を見ることができますよ」
「そうなのですか!?」

 クラリスはすぐにふり向いて、ルカの顔をまじまじと見つめた。その素直なしぐさがとてもかわいいと、ルカは思った。

「ことが済み身ぺんが落ち着かれましたら、クレアモンド殿や臣下たちを連れて国内を巡回されたらいいでしょう。きっと、宮廷の中にいてはわからない大事を大自然が教えてくれますよ」

 ルカの言葉にクラリスがうつむく。ルカの様子をうかがうように見あげて、かわいらしくほほえんだ。




 ルカはクラリスを連れて山道を下った。地理に不慣れなので行くあてに困ったが、ひとまず先ほどの村に行くことを目標にしようというルカの意見に、クラリスが従った。

 中腹から続く山道はうねうねとへびのように曲がりくねり、ルカたちを簡単に下山させてくれない。道を進むたびに右手の景色は隠れていき、巨木と雑草がしげる森林の中へと誘われてしまう。

「ほんとうにこの道でいいのかしら」

 クラリスが不安げにつぶやいた。

「道がわからない以上、迂闊に道をそれるわけにはいきません。この道があってるのかはわかりませんが、ここは大人しく従うしかないでしょう」

 ルカは冷静にクラリスをたしなめたが、彼の脳裏にも焦りと苛立ちがこみ上げてきていた。

 魔物たちはほとんどが夜行性だから、昼間に遭遇することは少ない。だから、日没までには森を出なければならない。馬さえあれば、半日で山のふもとまで下れるのだろうが、ガルムたちの食料になってしまった。

 現状の口おしさにルカの苛立ちは今にも爆発しそうだった。地面を踏む足音はあらく目尻はきつねのようにつりあがり、あたりの邪魔な木を蹴飛ばそうとも思った。

 そんな時にルカの腹から、ぐうっと音がなった。後ろにいたクラリスは、突然の音にくすくすと笑った。

「申しわけない」

 ルカは恥ずかしくなって、まっ赤な頬を指で掻いた。

 クラリスはルカの素直な姿にほほえみながら、道ぞいの切りかぶに座った。腰に下げた巾着きんちゃく袋をとって口を広げた。

「もしものためにと、父上が私によこした干し肉があります。ルカ様、お腹を空かせては力も出ないでしょうから、お食べ下さい」

 クラリスは細く切られた干し肉をとってルカにさし出したが、ルカは右手をふって受け取らなかった。

「クラリス殿のお命をつなぐ貴重な食べ物を、私などがいただくわけにはいきません」
「そんな……! 私の方こそルカ様の足手まといになってるのですから、懸命に戦ってくださっているルカ様にめしあがってもらわなければ、私は父とクレアにあわせる顔がありませんわ」
「しかし」

 ルカは二の言葉に困ったが、クラリスの強い言葉に仕方がなく肉を受け取った。クラリスは、ルカが干し肉を食べているところをうれしそうにながめていた。




 ルカとクラリスは、行き先の見えない長蛇ちょうだの道をひた歩いた。彼らはいよいよ森林の奥に入りこんだようで、頭上の日は木々の葉っぱがつくる天井にふさがれている。

 前後も木、左右も木。うっそうと生える木々にかこまれて、ルカはしばし霧中むちゅうに迷いこんだと錯覚してしまう。

「あら! こんなところに、きれいなきのこがありますわ」

 横に置かれている丸太に赤い茸が生えている。血のように赤いかさにまっ黄色の水玉もようがついている。クラリスは喜んで茸に手を伸ばす。

 その手をルカがあわててつかんだ。その瞬間、まだら茸からピンク色の粒――胞子が吹き出した。

「きゃっ! 何をなさるのですか!」
「クラリス殿! これに近づいてはいけません。こやつらはスポアといって、魔物の一種なんですよ」
「えっ、そうなんですか」

 魔物という言葉にクラリスが青ざめる。

「このスポアは近づいた生き物に胞子をまいて、繁殖はんしょくするんです。ですから、この胞子を吸いこんだが最期、あなたの貴重なお身体はこやつらにむしばまれて、死をよぎなくされてしまいます」
「まあ、それはほんとうですか」
「残念ながら、ほんとうです。でも、彼らがみずから襲ってくることはありませんので、こちらが用心していれば心配ありません」

 ルカはひとまず胸をなで下ろしたが、クラリスの無知には閉口してしまう。彼女も肩を落として、うなだれた。

「ごめんなさい。私、ルカ様の足を引っぱってばかりですね」
「仕方ないですよ。クラリス殿は、これまで宮廷の外を出たことがないんでしょう?」
「えっ……?」

 意外な温言だったのか、クラリスは口もとをゆるめたが、すぐにはっとして口を閉ざしてしまった。ルカもまた、すぐにきびすを返して細道を歩き始めた。

 その後の二人は話すこともなく、黙々と村を目指して歩いていた。山道は少しずつ傾斜けいしゃがゆるくなり高度も少しずつ下がってきているのだろうが、二人の足どりは軽くない。


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