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  Gifted. 作者:chappy
chapter3 白浜空港@和歌山県①
 田中次郎が山の上で初心を取り戻していた頃、
紀伊半島の西南部、和歌山県の南紀白浜空港に向けて、
木野田という男を載せたMD¦81が高度を下げ始めていた。
JAL1381便である。
晴れ渡った陽光を反射させながら、百人に満たない乗客とわずかな乗員を
乗せた旧型の旅客機は、翼に午前中の空気を最大限に溜め込みながら
降下し続けている。
羽田空港からのわずか一時間余りのフライトは、間も無く終わりを告げるのだ。

 主翼の後方窓側に座る男は何の変哲もなく、
他の乗客と彼を区別するものは、
彼を知る人間だけが認識できる僅かな特徴に過ぎない。
彼の名前を知る者からすると、
『木野田』
という名前がその珍しさから彼を特徴付けているのだが、
一人旅のこと、機内にそれを知る者はいない。
むしろ名前が彼を印象付けて来たことが、
容姿や能力をアピールする必要性をこの男から奪ってしまい、
その平凡性を助長してしまっているのだった。
そうやってあくまで特長もなく、人々の記憶に留まらない木野田だったが、
彼は今、自制するのが難しい程に感情を昂ぶらせていた。
あと数年で齢五十を数えるこの男は、
長年の夢まで残り数分という興奮を抑えるのにもがいていたのである。
仕事上で訪れたことはないが、
学生時代に仲間と毎年の夏を過ごしたリゾート地、南紀白浜。
そこは木野田にとって、夢の場所であり続けた。
温暖で自然が豊かであり、美しい海に囲まれ、山海の食材に恵まれている。
彼の大好きな温泉が湧き、その泉質と湯量は名湯に名を連ねる。
よそ者にでさえ温和な人柄の人々。
今ではさすがに変わったかもしれないが、バイクや自転車は、
鍵を付けたままで停めてあったものだ。
盗難、という発想がそもそも存在しないというのは、
利己主義の蔓延する都会では考えられない、温かな共同体の存在を物語っていた。

ここには、東京には存在しない平和と協調がある。
卒業後の人生では味わえなかった、仲間と馬鹿騒ぎした楽しさの余韻もある。

そして、彼にしてみればたった一つの恋と、それを失った想い出。
現地の高校生で、木野田と同じ「海の家」でアルバイトをしていた和美という女性は、
結果的に彼がこれまでに愛した只一人の女性になった。
一年間の遠距離恋愛と、和美が東京の短大に入ってから共に暮らしたニ年間。
合わせてもたった三年間の燃え上がるような恋は、
歳月とともに木野田の心の中で磨かれ、
何にも替え難い想い出となった。
彼が社会人になってからも、浮いた話が無かった訳ではない。ところが、
和美を愛おしく思った気持ち、
常に彼女が傍らにいた充実感、
それらを超える恋心が芽生えることはなかった。

和美を失った傷。
都会の幻影に夢を抱いた和美が、短大の卒業で味わった現実。
東京に居場所を見つけられないまま、失意の中で白浜に帰ることになった時、
彼女は木野田への愛情をも失ったのだと言った。
地方に色濃く残る血縁関係のしがらみ、それが彼女に理不尽な要求を突きつける。
相反するようで、彼女の中に共存する地元への郷愁。
それらに押し潰されていく和美を、この手で支えられたら。
「夢に向かって生きればいいよ。」
「そうはいかないものなの。」
年下の和美の方が、大人びて見えたものだ。
無力な自分と、彼女から夢を奪った世の理不尽。
それらが悔しく、憎かったが、諦めるしかない木野田を置いて、和美は去った。

あれから四半世紀。
あの時に味わった諦めの境地が、この男のその後の人生を決めたと言っていい。
大学の専攻にも適っていたが、人との係わり合いを避けるべく、研究職に進んだ。
結局は、没交渉で躍進できる仕事などあるはずもなく、
地味に研究を続けることになる。
派手さはなくとも、研究に没頭する男。
出世競争からも人間関係からも、半ば切り離された彼が生き残る、
つまり研究を続ける為には、彼ならではの特徴が必要だった。
そういう動機を意識していた訳ではないが、淡々と仕事をこなし続けた結果、
彼は極端な完璧主義者となった。本人にその自覚は無いのだが、
周囲の人間は木野田の緻密さに、
木野田は周囲のいい加減さに、
互いにあきれ返る関係が築かれていった。
そんな木野田を拾う者が現われたのは、数年前だったか。
その人は、久しく埋もれていた〝野心〝を木野田に植えつけた。
そしてその野心が、白浜に回帰する夢を与えたのだった。
そんな折、和美が今もこの地にいて、海辺で旅館を営んでいるらしいことを、
インターネットで偶然に見つけた。
これが決定打になった。
実は、今でも和美を愛している。
勿論、今の彼女には家族もいることだろう。
或いは、といった期待が無いと言えば嘘になるが、
たとえ話すことすらできなかったとしても、
再会を夢見ることを誰が責められるだろうか。
それが、自分を拾ってくれた人間を裏切ることだとしても。
落ち着いたら、いや、まず始めに、和美に会いに行こう。
そう考えることで、冷静さを取り戻した木野田の眼から、ギラついた興奮が失せた。
そう、ここには彼の想い出が詰まっていて、心の故郷なのだ。
そして今、その夢の場所に降り立とうとしている。
夢が成就しようとしている。だ
から、敢えてこの地への移動には飛行機を選択した。
これまでの都会的だが孤独な平凡と、これからの血の通った人間らしい生活。
この地に足を着けることが、両者の分岐点になるのであり、
それを演出するために、空から舞い降りるという手段を選んだのだ。
勿論、不安もある。
夢を実現する直前なら誰にでも訪れる様な不安だけではない。
自分の裏切り行為は、このまま見逃してもらえるものか。
それとも何らかの追っ手が、目前に迫った夢を絡め取ってしまうのだろうか。
このテの不安は、これからもずっと付き纏うに違いない。
しかし、まっとうなことをしていては、ありきたりの人生にしかならない。
長年の夢の地での充実した生活を得る為に、
ちょっとした不安と付き合い続けなければならないとして、
臆することはないじゃないか。
木野田がそんなことを考えている間に、エンジンが甲高い吸気音を轟かせ始め、
窓からは斜めになった地面が見えてきた。
そして見事な腕前のパイロットは、車輪が地面を掴むその瞬間を優雅に演じて見せたが、
逆噴射の轟音が容赦なくい機内に入り込むのを抑えることはできない。
後方にエンジンがある機体とは知らなかった木野田が、前の方の席にするんだったな、
と後悔する間もなく、急激な減速Gが立ち上がった。
空に留まることや音速に近い速度といった、本来は人間が立ち入らない領域から、
乗客と乗員が帰還したのである。

その時、足元から
 ドン 
という衝撃音が響いた。
着陸態勢に入った機体から車輪を出した時の音と似てはいるが、
それよりも確実に大きな音と衝撃が機体を振動させた。
あと数秒で地上を走る車並のスピードになるこの段階で、
乗務員ですらこんなことは経験したことがないはずだ。
考える間もなく、今度はもっと大きな衝撃が機内を襲った。
その衝撃は、降下着陸中で誰もがシートベルトを締めていたにも関わらず、
座席から投げ出されるのではないかと思う程であった。
キャビンには手荷物が飛び交う。
大きな激突音と、天井のキャビネットから落下散乱する荷物、乗客の悲鳴。
それらが瞬時に機内を満たした。
多くの人が飛行機の事故という生命に直結する事態を嘆き、
そして絶望を感じていたが、
木野田は衝撃に体を弄ばれながらも、他人事のように冷静に事態を見守っていた。
「これが答えか。」 
木野田の感想である。
彼が夢の実現と引き換えにしたこと。これがその代償なのだろうか。
「まさか、こんなこと。奴等にだってできることじゃない。」
常識的に、彼が何をしでかしたとしても、相手が何者であったとしても、
こんなに多くの無関係な人々を巻き込むことはないだろう。
仮にもし、多くの犠牲を承知の上で彼を抹殺するつもりであったのなら、
その何者かは、もっと確実なタイミングで仕掛けていたはずだ。


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