chapter39 室長の奥の手
浜崎は、ほんの二十分程度で洞窟から出てきたが
県警の狸は未だ戻っていなかった。
浜崎の追跡か、洞窟の調査か。
狸が装備の準備に戻ってしまっていたので、
車の無い一郎は浜崎の追跡は諦めざるを得ない。
一郎は携帯電話を取り出し、
浜崎の追跡を部下経由で兵庫県警に依頼した。
そして、自らは洞窟の調査の為に狸の帰りを待った。
「狸め、何をゆっくりしていやがる!」
苛立つ一郎だったが、
そこに現れたのは、狸ではなかった。
現場の経験が少ないとはいえ、
一郎も公安の捜査官である。
一般の人間とは周囲を警戒する力量が違う。
そんな一郎をしても、声を掛けられるまで
人の接近を察知できなかった。
「あちらで室長がお呼びです。」
気付かぬ内に、背後を取られたという不覚。
そんなことを考える間もなく、
即座に振り返った一浪の視線の先には、
スーツ姿の男が立っていた。
明らかに素人ではない。
一般的に人間は、意識の有無や強弱はあるにせよ、
自分の存在を周囲に主張するものである。
しかし、それとは一線を画す男の佇まいは、
気配をコントロールする術を知る者だけが持つ
独特のものだ。
かといって警官や捜査官のように、
周囲を威圧すべくコントロールされた気配とも異質で、
存在することに違和感も主張もない。
言わば、空気になる技術。
一郎は、この手の人種を知っていた。
現代の日本から忘れられた者達。
そう、軍人である。
頻発する在日米軍兵の犯罪を〝調整〝した時、
海兵隊の軍人に接したことがあった。
人を殺すことを生業とした海兵隊の隊員と、
スーツに身を包んだ目前の男。
両者が一郎の中で重なり合い、
この男が軍人の素養を持っていることを確信させた。
そして、内調の室長がここに来ているという。
この状況から導き出される答えは、明らかだ。
「あんた達が出張って来るとはね。」
一郎の言葉に耳を貸すこともなく、
一郎を室長の元に誘導する男。
彼は、公安職員でさえ、
殆どの者が接触したことも見たこともない、
特殊な部隊に籍を置く。
実在が証明されたことはなく、にも関わらず、
その暗躍が疑われることもない。
法治国家の限界を、闇の中で解決するという非合法部隊。
内調の奥の手。
こんな輩が現れたからには、
室長も待ったなしの覚悟を決めたのだろう。
ここまで一郎が考えを巡らせた頃、
男の足はワゴン車の前で停まった。
どうぞ、とスライドドアを開ける男をその場に置き、
一郎は車内に入り込んだ。
「これは何だ?」
室長が洞窟を指差しながら問う。
「県警の警部も知りませんでしたが、防空壕跡のようです。
詳しくは今、部下が調べています。」
「そうか。浜崎はこの洞窟の中か?」
「いえ、既にここを離れています。
浜崎の追跡は県警に依頼しました。」
「ここには、何があると思う?」
「ウィルスに関する全て。内部を調査する為に、
県警の増援を待っているところです。」
「悠長な……」
「は?」
「県警の増援は、お断りすることにしよう。」
室長の携帯電話が県警上層部に繋がり、
数秒で話が済んでしまった。
改めて、内調室長という権威の巨大さを知る一郎だったが、
自分だけで事を運ぼうとしている室長の意思をも知った。
「では、洞窟に入ってみるか。」
「待ってください。危険です。防疫装備も必要ですし、
浜崎の一派が中に潜んでいるかもしれません。」
「浜崎は、防護服を着ていたかね?」
ワゴン車から室長が出て行き、
一郎も先ほどのスーツ姿とともに後を追った。
再び一郎が洞窟の前に戻った時、
〝奥の手〝部隊は、既に洞窟内に展開しており、
隊長と思しき武装した男に迎えられた。
「ターゲットが立ち寄った場所は、こちらです。」
洞窟の中に入ってみると、
そこには無限と思われる空間が広がっていた。
「内部に人間はいませんので、
抵抗の危険はありません。」
はじめから誰もいなかったのか、
それとも〝沈黙〝させたのか。武装したテロリストの
殲滅をも視野に入れた装備と訓練を受けた部隊。
たとえ浜崎一派が警備していたとしても、
戦車と水鉄砲といった戦力差に圧倒されただろうし、
用意したトラップは瞬く間に看破されたに違いない。
闇に葬られる命。
そんなことが許されるものか、
と感情を昂ぶらせた一郎だったが、
硝煙や血の匂いが全く感じられないことに安心した。
浜崎は、ここに人を配置していなかったのだ。
胸を撫で下ろしたい気持ちを何とか抑えたところで、
〝奥の手〝隊長が立ち止まった。
「ここから先は、暗く狭くなっています。
お気をつけください。」
隊長が照らすライトの先には、
柱の中に隠された梯子が浮かび上がっていた。
「この広い洞窟の中で、どうやって浜崎の足跡を……」
思わず口を開いた一郎に、室長が淡々と応える。
「人間というのは、どうあがいても痕跡を残すものだ。
体温は触れる物に伝わるし、
息をすれは炭酸ガスが吐き出される。」
室長が首を振った先には、様々なセンサーと接続された、
小型のパソコンを抱える隊員がいた。最新の科学装備が、
既にこの場を去った浜崎の動きをトレースしたのだ。
「お宝は、ここか。」
柱の中の梯子を降り、
秘密の部屋に一人辿り着いた室長が一人ごちる。
〝大本営の亡霊達よ、
我こそが正当な後継者であることを知れ。〝
そんな呟きは、
室長の後から降りてきた一郎には届かなかった。
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