chapter28 価値観の錯綜
次郎が子供の頃に遊んだ山に登った日、
木野田が白浜の地に飛んだその日、
そして、白浜地区が音信不通になった日、
それから三週間が経っていた。
この時を境に、これまで協力的だったマスコミが、
態度を一変させる。
『取材班は、白浜の封鎖地区への取材を強行しました。』
午後十一時。夜のニュース枠をフルに使う意気込みが、
画面を通して伝わってきていた。
『当局からの発表だけでは、
確実なことは申し上げられません。
何らかの伝染病も危惧される為、
最善の装備を整えた取材班は……』
地方の国立大学、その教授が監修したという防疫装備を纏った
取材班が、夜の闇の中を進むところから、ⅤTRが始まった。
『我々は、極めて深刻で重大な真相に迫ってしまったのです。』
ドラマ仕立てである。
暗視カメラの捕らえる独特な映像
~全体に紫かかり、取材班の目が異様に光る~
が、ドラマ性を助長していた。
浜崎の一味に加わった次郎と徹。
当初の彼らの役割は限定的である。
指導者でも研究員でもない彼らに与えられた任務は、
【配布】である。
完成したウィルスばらまき、浜崎のシナリオに従って
人々に感染させるのだ。
シナリオでは、まずは浜崎と的場が関わる仕事、
その範囲で配付することになっていた。
浜崎の意思を継承したウィルスは、
明確な目的意識を感染者に与え、
超人的な集中力を発揮させるだろう。
その結果としての仕事の成果は、
過去に例を見ない成功例となるはずだ。
浜崎が関わる仕事全てに、
そういう成果をもたらそうというのだ。
第一段階に求められるのは、
浜崎の仕事の成果を突出したものにすること。
不特定多数をコントロールするには、
自分達にカリスマ性が必要と考えたからで、
カリスマ性を持つに足る実績を創り出すのだ。
次郎も徹も的場のことは余り知らないが、
浜崎は既に充分な実績を持っていると思えた。
しかし浜崎の考えでは、量も質も、
もっと圧倒的な結果が必要らしい。
「配付って言ってもさ……」
方法を考えていた次郎は、
自分が関わっていないプロジェクトの現場に、
どうやってウィルスを持ち込むか、
という問題に直面していた。
集中して考えることができず、ただ、途方に暮れる。
『筑』で飲んだ後、久美子を送ってから自宅に帰り着くまで、
〝認め合う〝という彼女の言葉に、人生観を揺さぶられていた
からかもしれないが、早々に行き詰ったことになる。
白浜への強行取材のニュースが流れたのは、そんな時だった。
『病院と同様に、この家にも人はいなようです。』
全く灯りの点いていない一軒屋で、防護服を纏った
アナウンサーが呼び鈴を鳴らしていた。
隣もその隣も、カメラが追う範囲の家々からは、
おおよそ人の気配がしない。
『赤い光が見えてきました。消防署ですね、あれは。』
そこも同じだった。
海岸のリゾート地区、
そこに並ぶホテルや旅館、
それらにも一人として人間の姿はなかった。
白浜地区の人間は漏れなくウィルスに殺され、
死体は既に救援隊が回収していたので、生死を問わず、
幾ら探しても人がいるはずはない。
この事実を知らないマスコミは、手当たり次第に人の姿を追った。
『どこかに避難したのでしょうか。』
しかし、学校や役所等、大勢の人間を収容できそうな施設も、
全てが沈黙していた。
最後に映し出された、幅が2メートルはあろう木に
【民宿 かずみ】
と掘り込まれた看板が、人の気配が全く無いのに明るく証明に
照らし出されている光景が、何とも異様な空気を伝え続けていた。
諦めたように、画面がⅤTRからスタジオに切り替わる。
『我々が取材した中で、確認できた人間はこれだけです。』
キャスターが手にしていたのは、
白浜空港のC130輸送機の写真。
超望遠で撮影された木目の荒い写真には、
取材班と同じく防護服を纏った者達が写っていた。
次いで、地図上に示された取材班の行動範囲がアップになる。
『我々が取材できたのは、
閉鎖されている地域の全てではありません。』
自衛隊と警察の封鎖の眼を盗んで進入したということで、
進入した場所、恐らく脱出した場所も同じ所だろうが、
そこは伏せられていた。
南紀白浜、紀伊半島から瘤のように突き出したその地域。
地図上のコブは実際には広大であり、網羅した訳ではなかったという。
『これだけの情報で全てを判断するのは、
拙速というものです。
しかし我々は、封鎖地区の中について、
最悪の事態を想像しています。』
目を伏せるキャスターの仕草などなくとも、
〝最悪の事態〝
という言葉が意味するところは、視聴者に伝わっていた。
「これって、まさか……。
浜崎さんのウィルスと関係ないよな。」
そんな疑問が、次郎の頭をよぎった。
「そんなはずはない。
計画には不要なプロセスだ。
テロリストでもあるまいし。」
そうやって疑問を打ち消す次郎だったが、
釈然としないシコリが脳裏の片隅を占めていた。
対策本部の面々がこの報道番組を見たのは、
対策本部用の部屋の中だった。
ここ三週間、ろくに帰宅もできず、
殆ど眠ることもなかった。
彼らのそんな忙しさを支えたのは、
白浜の人々の霊前に誓った、
真相究明への思い入れである。
同時に、国民の生命と安全を守る為に最善を尽くすという、
使命感に突き動かされてのことでもあった。
それが今、安易なマスコミに妨害された。
少なくとも、彼らにこの報道はそう映った。
「この放送を何とかできんのか!」
スタッフとともに対策本部に詰めていた、
関係省庁の役人が大声でまくし立てた。
たまたまそこにいた官房長官は、
非常事態宣言を発令しなかったことを後悔した。
報道に介入する法的根拠が無いことが、
如何にも悔やまれる。
報道マンの良心を頼り過ぎたとは、詰めの甘さも甚だしい。
「これで、更に忙しくなるな……。」
自らの甘さ、そのツケは、自ら償うしかないのだ。
浜崎はこの番組を、一人自宅で見ていた。
「木野田の奴め!」
確かに、木野田の裏切りが無ければ、
このような事態にはならなかっただろう。
「あの男を暴走させた責任は、俺にもある。」
二度と同じ過ちは繰り返すまい、
という誓いを新たにしたが、
すぐに彼の頭は今後のことで占められた。
この報道で、公安が極端な行動に打って出る可能性がある。
疑惑が有ろうが無かろうが、
関係者全てに強制捜査が入るかもしれない。
そうなれば、的場は対象になるだろう。
自分も可能性がある。
三浦はどうだろうか。
「全員が対象になるかもしれないな。だが、対策は充分だ。」
様々な事態を考慮してきたのだ。
たとえ公安に踏み込まれたとしても、
ウィルスに関連する情報やアンプルは、
もう安全な場所に隠してある。
研究の為に、最後まで手元に置いていた三浦でさえも、
既に必要な特性をウィルスに持たせることに成功した。
自分の意思を継承し、
既に蔓延したウィルスを排除する特性を持った個体。
そんな理想の個体を、三浦は見事に完成させていた。
そして、それを三浦から回収して、
資料とともに秘密の隠し場所に移動させた。
つまり、計画が洩れるとすれば、仲間が口を割った時だけだ。
「大丈夫なはずだ。」
目的意識を共有し、同志の誓いを立てた連中だ。
万一にも間違いはあるまい。
そこで、浜崎の顔が歪んだ。
「木野田だって、同志だったじゃないか。」
計画の実行を急いだ方がいい。
公安をさえも、自らの意思に従順にしてしまえばいいのだ。
そこで浜崎の形相に、悪魔の色が加わった。
「ウィルスの配布が終わったら、
その後の計画は見直すことにしよう。」
計算機のような浜崎の頭脳が、新たなプロセスを考え始めた。
そして一言。
「仲間がいるから、裏切りが心配になる。」
的場も自宅にいたが、テレビは見ていなかった。
書斎で手紙を書いていた。
白浜にいた数万もの人々。
何の落ち度もないのに死んでいった彼ら。
その無念は、計り知れない。
そして、彼らの親兄弟、家族、恋人、友人が事実を知った時、
その怒りは如何程だろうか。
浜崎は、何事にも犠牲は付き物だと言う。
世の中を是正するという目的を果たすことが、
唯一の懺悔だとも言った。
確かに、それはそうだろうし、
常に前だけを向いている浜崎らしい論調である。
前だけでなく、後を見ることの重要性も知る的場としては、
白浜の事件を〝ツケの支払い〝だと考えていた。
先の大戦の責任。
それを放棄し、隠蔽し続けた戦後日本の無責任が、
自国民にツケを払わせたのだと。
彼の中では、木野田でさえも被害者の一人であった。
的場は、こういった浜崎との思考の違いが、
互いをバランスさせていると考えてきた。
しかし的場は、浜崎が暴走していることに気付いてしまった。
次郎と徹に計画を明かした時。
同志の誓いを新たにした的場だったが、
浜崎にとって、自分もまた道具に過ぎないことを察知したのだった。
浜崎の次郎や徹を見る目。
その視線を受ける者には、暖かく、そして疑いようの無い
信任の色が見える。
的場もそんな浜崎の視線に、強い友情を感じてきた。
だが、第三者として見た時、
浜崎の背中が、虚栄に満ちていたのだ。
〝背中に嘘をつかせることはできない〝
というのは、的場の年代にもなると自明の理である。
自分と親友の会話をしている時も、浜崎の背中は、
友に向けるものとは違った感情を現していたに違いない。
「田中次郎がウィルスに感染したのは、偶然ではあるまい。」
浜崎が感染させたのだ。
感染の様態、感染者の反応、その後の行動、それらを確認する為に。
「人体実験! 旧日本軍と同じじゃないか!」
的場の反応を予想した浜崎は、巧妙な言い回しで、
次郎への感染ルートを不問に付したのだ。
そしてこれは、まさに氷山の一角、陰謀の一部でしかないと思われた。
浜崎の背中が、的場にそう思わせる何事かを語っていた。
「道具でしかない俺に、
浜崎の暴走を止めることはできるか?」
方法は一つしかなかった。
白浜の事件が起こった時から、
事が一段落したら責任を取ろうと思っていたのだ。
「ちょうどいい。」
命の償いには、命を以って充てるべし。
そんなことで解決するような話ではないことは、
的場にも分かっている。
では、どうすればいい?
何処からも、そして、誰からも答えは現われやしない。
自分で解決することである。
「動かない道具は、使えまい。」
彼が書いていた手紙、
その宛先は妻であり、子供達である。
手紙というより、それは遺書であった。
徹は自宅で、インターネット上から報道の第一報を知った。
慌ててテレビをつけた時には、現地のVTRは終わっていたが、
ネットを検索すれば、放送された内容はすぐにアップされていた。
誰もいない町、家、施設。
それらが何とも恐ろしく見えるのは、暗視カメラの独特の画像が、
ネット上にアップされるに当たって画質を落とし、
更に異様性を助長したからだろうか。
自分の家族がここにいたとしたら。
隣の部屋で眠る妻や、
いずれは生まれて来るだろう我が子が消息を絶ち、
状況が最悪の結果を予感させる事態。
そう考えると、恐ろしさとともに怒りが込み上げてくる。
しかし徹には、白浜の事件も大方のニュースと同じく、
人為的な必然であるように思えていた。
歪んだ世の中が、人の理性を歪める。
歪められた理性を持つ人間が、まともだと言えるだろうか?
白浜の事件が悲劇であることは迷いようもないが、
理性を狂わされた人間がいる限り、悲劇は必ず起こるだろう。
そして、繰り返されるに違いない。
再び悲劇が人々を襲う心配のない世の中、
それを実現することこそ、
亡くなったであろう白浜の人達の供養になるはずだ。
そして、自分達はそれをやろうとしているし、
できる段階に達している。徹は
「俺たちが、あなた方を供養させて頂きますよ」
と念じた。
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