序章
「随分と汚れてしまったもんだ。」
東京新宿・歌舞伎町。
不夜城と呼ばれるこの街で、僕はいつものように朝を迎えた。
手櫛でちょっと髪を整えてから、ありがとう、の台詞を店内に言い残して、
通りを歩く人々に合流する。
駅が近付くに従って、朝の空に特有の霞を伴なった清潔感が、
朝帰りの人波に独特の倦怠感を押し退けていく。
一日の始まりを告げる街に溶け込めずにいた僕は、
路上からネオンの落ちたビル郡を見上げて一言。
「何やってんだ、俺……」
毎度の如く自嘲気味に心の奥底から漏れた独り言は、
その余韻を吟味する間もなく、怒涛の予定に埋没していくのだろう。
そんな生活に、ちょっと疲れた自覚がある。
今年で三十二年生きてきたことになる。
会社に入ってから十年。
そろそろ立ち止まって、自分自身を見つめ直す時期なのかもしれない。
と言うのも、唐突に子供の頃に遊んだ山に登ってみたくなったのだ。
大都会を離れて、自然の中に身を委ねることで、
僕なりの初心を取り戻したいと感じた。
思い立った僕は、ラッシュ前の中央線で東京駅に向かい、
あれこれ考えて立ち止まってしまう前に、新幹線に飛び乗った。
これでもう今日は、会社には行けない。
休む理由をでっちあげなきゃ。
ずる休みというのは、何歳になってもドキドキするもんだが、
サボる理由は無難に越したことはない。体調不良でいい。
実は昨日から熱っぽかった、ということにしておこう。
ノートパソコンを取り出して、その旨を上司と部下にメールした。
たまにはいいでしょ、
と自分に言い訳しながら、目一杯リクライニングを倒す。
ふう、と息を吐き出すことでやっと人心地付き、
携帯にあの娘からのメールが届いていないかを確認。
〝新着メールはありません〝
というメッセージから、何度となく味わう絶望感。
僕はいつまでも、ただメールを待っているだけなのだろうか?
いつも通りにがっかりしながらも、
急速に眠りに落ちようとする意識の中で一人ごちた。
「俺の初心って、何だっけ……」
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