本編ではおなじみの「悲話」。セリーの側から、そして【裏の話】です。
第5話 夜想哀愁話
第5話 夜想哀愁話
夜遅く、セネリオの部屋に入ってきたのは彼の従姉妹姫のフレデリカだった。
「リーケ……」
呆然と呟く皇子に、その美しい年上の従姉妹は、優しくも憂いを込めた表情で声をかけた。
「セリー……夜分遅くにごめんなさいね」
「あ…いや、君なら良いよ…。何か私に用かい?」
「……貴方と話がしたかったの、色々と……」
「……それは今でないとダメなのかい?こんなに遅い時間に話す事かい?君は…未婚の女子なんだよ。確かに私は君より年下だが…『男』だ」
「あ…、ごめんなさい。でも貴方は明日旅立つと云っていたから…その前にと思って…」
恥じらいのある王女は、顔を赤らめて再度訪問理由を告げた。
そんな従姉妹姫に好感を持ったセネリオは、やれやれとため息混じりに答えた。
「…もうしばらくは此処にいるよ。『やっかいな事』になったからね……」
「セリー?」
フレデリカは訝しんだが、セネリオは苦笑して答えた。
「―――いや、こっちの話さ。…さて、良いよ、分かった。でも此処じゃなんだから………」
セネリオは寝台から下りると、隣接しているテラスにフレデリカを案内した。
流石に寝台の側では憚られたのだ。
故国のフィンダリアではまだ『夏』でも、ここ北国シレジアでは初秋の夜。
昼間との寒暖の差があるので、まずはその話が話題になった。
「寒くないかい、リーケ?」
「私は大丈夫よ」
故国の気候に慣れている王女は微笑んで答えた。
その笑顔を受けてから、セネリオは今日の出来事から口にした。
『御前試合』の事である。
その時の最後の試合について謝ったのだ。
「ごめんよ…今日は君に嫌なモノを見せてしまった」
人が一人『殺された』のだ、しかも目の前で、通常ならあり得ない一瞬にして『灰』と化したのだ。
うら若い乙女には酷な事であったろうから。
「セリー…」
「本当にごめん…」
フレデリカは首を振って、「気にしないで」と答えた後訊ねた。
「ねぇセリー、良ければ教えて?あなたがあの最後の対戦相手に云われた言葉の訳を……あなたが激怒した訳を…」
―――父王からは概略しか聞いていないフレデリカ。
皇太子妃であったはずの王女が、いつの間にかに皇帝の『正妃』になったという話。
人の醜聞の範疇である。
だから真実を知りたかったのだ、セネリオの口から。
その事を問われたセネリオは目を見開いた。
そんな事を聞かれるとは思わなかったのだ。
「フレデリカ……?」
「お願い……」
「…………………」
セネリオはその後フレデリカから視線を反らし、しばらくの間無言のまま外を見ていた。
しかしフレデリカは静かに待った、そのままで。
この従兄弟が心を開いてくれるのを…………
やがて、彼はポツリと呟いた。
「兄上は…婚約した姫君を奪われたんだ……だからあいつは兄上を『あんな言葉』で侮辱したんだよ……」
「どうしてそんな事に?」
「あのクズが…皇帝が奪ったんだ……。自分の息子の花嫁をね……」
「!!」
「兄上の婚約者は、『東』のカルドラの大姫だったんだ。とても綺麗な、そして優しく聡明な人だった。君みたいにね……。そう、もし兄上の婚約者があの人でなければ、私はすぐにいびり出していたよ。それ位素敵な人だったんだ―――だから兄上も好きになった、愛し合ったんだ。『政略結婚』だったけれども、とてもお似合いだった……」
そうしてセネリオは語り出した。
自分の兄皇太子とその姫君の事を―――
とても仲の良い『皇太子夫妻』になると目されていた矢先、兄皇太子が遊学の為に不在の間に、父である皇帝がその姫君に―――
「―――『姉上』は父に手篭めにされたんだ……そして子供が出来てしまったんだ。皇帝の子がね……」
「!!」
【寝取られ皇太子】
ようやくフレデリカもその意味が分かった。
セネリオの過去の出来事の経緯はまだ続いた。
語る彼の表情は、とても辛そうにフレデリカには見て取れた。
「―――そんな中、兄上は帰ってきた…フィンダリアに。そして帰国してすぐに父を殴ったんだ。今まで公衆の面前でそんな暴挙に出なかった温厚な人が、その為人から宮廷では『春風』と言われていた人が…初めて感情を爆発させたんだ。本当に悔しかったんだよ、哀しかったんだよ!!一番大切な人を傷つけられて!!でも、私はまだ子供で何も出来なかったんだ……!!」
「セリー……」
この時の気持ちが蘇ったのか、セネリオは感情が高ぶった。
そんな彼に、フレデリカは心配げに声をかけた。
やがて落ち着きを取り戻したセネリオは、再び語り出した。
「―――兄上が『坎の塔』と云ってフィンダリアの『獄門塔』に入れられた時も、私は何も出来なかった……兄上もそして『姉上』も助けて上げられなくて……。その内に『姉上』の故国から、カルドラからフィンダリアに抗議が届いたんだ」
「それは……?」
「『姉上』はね、『次期皇帝の正妃』として嫁いだのに、『現皇帝の子供を身ごもってしまった』から…これは一体どういう事なのかと…。『次期皇后』との約束だったのに、『現皇帝』の『愛妾の一人』に貶めたのかと、カルドラ国王が…激怒したんだ」
「それであなたの『姉君』はどうなったの?虜囚となった兄君は?」
「―――『姉上』は『新皇后』になった。……今までフィンダリアには『皇后』はいなかったからね。まぁ、現皇帝の『正妃』の序列上なら『第三正妃』なんだけどね。―――でも、そのお陰でカルドラ国との和解が成立したよ」
「『皇后』がいなかった?」
フレデリカは不思議に思った。
その疑問にセネリオは苦笑して答えた。
「ああ……、帝国じゃ『正妃』だからと云って直ぐには『皇后』にはなれないんだ。大昔からの『皇室典範』が効力を発揮していてね…、色々とややこしいんだけれど、要は慣例なんだ。昔の帝国の皇后は『一族の皇女』でないといけなかったんだけれど、それ以外の女性を皇后にする時の『基準』さ。【皇帝の『子』を持った『正妃』が皇后を名乗る】というものなんだ」
―――血族結婚の一族。
この時、「ああ!」とフレデリカは思い出した。
セリーはクスリと笑って続けた。
「そして今の皇帝…父の『正妃』は、これまで二人いた。まず兄上…フィンダリア皇太子と私の母であるシレジア王国出身の『第一正妃』と、ガイア大陸の『大華五ヵ国』の『西』ことアグストリア諸国連合の宗主国アグストリア出身の『第二正妃』。『第一正妃』は既にもう死んでいなかったから問題ない、だが今も健在な『第二正妃』を差し置いて『姉上』は『皇后』になった」
「『第二正妃』には子供はいなかったの?」
「いたさ、『阿呆トニー』が。いや、私の異母弟の第四皇子を産んでいた」
「問題は…無かったの?『第二正妃』は…その事を怒らなかったの?自分の方が早く皇帝の『正妃』だったのにって……?」
「ははは、それはすごくもめたさ。あの『第二正妃』が癇癪起こした時は、これ以上ない程滑稽だったさ」
その後、一笑したセネリオはこう語った。
「―――だけどねリーケ、要は『第二正妃』本人の意志ではなくてね…その背後の『国』なのさ」
「!?」
「アグストリアを上手く丸め込んだんだ、私の『兄上』が……フィンダリア皇太子がね」
「どうやって?」
「今のアグストリア王になった『新王』は、有名だろう?」
「ええ……確か『ジャン・カーレル』というお名前の王様で、あまり良い評判は聞かない方ね」
―――現在のアグストリアの新王をジャン・カーレルという。
この男は近隣諸国で『貪欲』『陰険』『嫉妬深い』の三拍子揃った王として既に有名であった。
フィンダリア帝国第二正妃の年の10才離れた同母弟でもある。
先代アグストリア国の王が急死であったことから、当時このジャン・カーレルが実の父親を【毒殺】して王位に就いたのではないかともっぱらの噂が各国で持ちきりだったのだ。
その事をフレデリカも知っている。
何故ならこの国王は、フレデリカの求婚者でもあったのだ。
勿論シレジア国王はこんな評判の悪い男など、娘婿にすることは論外。
『求婚状』が届くや、その『求婚状』を持ってきたアグストリア国の使者に【断り状】ごと突き返したという。
「その国王が、フィンダリア新皇后誕生にどう関わるの?セリー?」
フレデリカは疑問をそのまま口にした。
セリーは意味深に笑った。
「ふふふ、新国王とさ【取引】をしたんだ」
「どんな?」
「それは内緒」
「あら、ずるいわそこまで話して。教えてセリー」
「ダ~メ、秘密」
悪戯めいた皇子はそれでも口を割らなかった。
それでもフレデリカは聞きたかった。
「いいでしょう?ねぇ、教えてセリー?」
「教えな~い♪」
「セリー!!」
思わずムキになった従姉妹姫に、セネリオはびっくりした。
―――やがて、クスリと笑ったセネリオは、ほんの少しだけ従姉妹姫にヒントを与えた。
「兄上が『アイツ』に【取引】を密かに持ちかけた時、『アイツ』はまだアグストリアの【国王】じゃなかった」
「!?………それって………?」
「……この意味がわかる?」
「まさか……」
―――フィンダリア皇太子が、前アグストリア国王を暗殺した!?
すっかり蒼白になったフレデリカに、哀しい遠い目をした少年は呟いた。
「……兄上が手を汚したのは、それが【最初】だった…………」
「!!」
「……それが【真実】だよ」
沈黙が流れた……
フレデリカは、一体どのような方法でフィンダリア皇太子が一国の…しかも大国の国王を暗殺したのかを聞くのを躊躇った。
噂では『毒殺』されたのではと云われてはいるが……?
――― 一体どうやって!?
セネリオはそれ以上の事は話そうとしなかった。
やがて沈黙を破った彼は、兄の動機の方を語り出した。
「全ては『姉上』を皇后にするために……『東』と和解し、そして『西』と不必要な戦禍を作らないように……自分を犠牲にする事でそれを成し遂げた……」
「………………」
「そして『アイツ』は『新王』となった。だが本当に欲深いヤツでさ、【裏取引の事】はさもなかったように、新王になるやすぐに自分の姉の『立后』について提唱してきた。だがもう一方で、しっかりと『第三正妃』が『皇后』となる事を認めてやるから『賠償金をよこせ』ときたもんだ。フィンダリアとしてもこれ以上もめるのはやっかいだったし、『アイツ』の要求通りに帝国が用意した一国に嫁ぐ皇女並みの持参金を渡して、ようやくケリがついたと云うわけさ」
「そうだったの……」
「……もっとも『金』の話は後日談でね、兄上の耳に入る前に…宮廷人が皇帝と一緒になって片付けた外交政策さ。……たく、本当にあいつらは情けない!!既にあの時『姉上』は皇后になっていたんだぞ!!今更そんな不当な要求など、さっさとつっぱねれば良かったのに……!!正直に兄上に相談すれば良かったのにさ!!」
「セリー…?」
「……まぁ、兄上の耳に入らなかったお陰で『アイツ』は…今も生き延びているけれどね。―――もしあの時知っていたなら…兄上は、恐らく許さなかったはずだからね……」
そう言ったセネリオの瞳は、怪しい揺らめきがあった。
フレデリカは疑問を出して少し話題を変えた。
「セリー、その時も貴方の兄君は…まだ『獄門塔』に?」
「兄上は『弟』が生まれるまで、一度も『坎の塔』から出る事は無かったよ」
「!?」
「驚いた?」
「ええ……でも【出る事は無かった】と云う事は、収監されていたわけではないの?」
「君は鋭いね……」
セネリオは感歎した。
「そうだよ、兄上は直ぐに塔を出ても良いという【恩赦】が出ていたんだ。カルドラへの和平案を考えた事による【恩赦】というモノがね。だが―――ずっとそこにいた」
「―――どうして?」
「見たくなかったんだよ、父と姉上の『華燭の典』…結婚式をね」
「………………」
「始めはその『華燭の典』が終わるまでと云っていたんだ……だけどその『華燭の典』が終わっても兄上は塔を出なかった」
「どうして……?」
「分からない………私に会ってくれなかったから………」
セネリオの声色が哀しみを帯びたモノに変わる。
「ずっと……私に会ってくれなかったんだ……。私だけではなく兄上は誰にも会わなかった、どんなに他の者が塔から出て下さいと懇願しても、決して出て来なかった………。 ただ一人面会を許可したのは、兄上と私の幼なじみの『レイ』だけだったよ。私はどうしても兄上に会いたくて、毎日…ずっと毎日面会に訪れたのにね……」
「セリー……」
心配げに自分を見つめる従姉妹に、直ぐにセネリオは彼女の方に向き微笑した。
「ああ、でもね…ちゃんとしばらくしてね、兄上は私に会ってくれたよ。私が兄上のいる『塔』の外で2週間ぐらいずっと野宿して、それが元で体を壊してしまった時にね。『こんな無茶はするな』と怒られたけれど、嬉しかったよ。本当に嬉しかったよ、やっと兄上の声が、姿を見る事が出来たから……。もっとも私は高熱にうなされていたんだけれどね、ハハハ……」
『嬉しかった』と云いながら笑う少年。
しかしその『笑い』が…何故かフレデリカは、笑っているように見えなかった。
セネリオは再び回想していく。
「兄上が塔から出たのは、年が明けて『弟』が生まれた時だったよ……」
「弟君?」
「そう、フィンダリアの第五皇子『ジュリアス・アウグスタス』。正真正銘の『皇后』から生まれた『嫡子』だね」
「貴方は…その『弟君』は名前で呼ぶのね、何故?」
そう、フレデリカは不思議だった。
今まで彼が異母兄弟の名をまともに呼ぶのを聞いたのは、この2ヶ月一緒に過ごしてこの時が初めてだったのだ。
「―――兄上が…とっても可愛がっているんだ…その『弟』をね。
…自分の愛した女性が心ならずも産んだ子だけれども…それでも『子』に……「『”弟”に罪はないだろう?』って、そうはっきりと兄上が言った訳ではないけれども、まるでそう言っているように思えるんだ。だってね、その『弟』の名前は兄上が付けたんだ……」
「貴方の兄君が?」
「そう、兄上が昔考えた自分の息子に付けようとしていた『名前』。そんな大切な名を貰った『弟』なんだ……だからさ、名前で呼んでやるんだ。この『弟』だけは……」
―――セネリオが兄を語るとき、その瞳は優しくも…もの哀しい。
話を聞いていく内に……
フレデリカの中で少しずつ、『それ』は芽生えてくる。
今まで、何か『決め手』に欠けると思っていたモノに、それは類似していく。
重なっていく。
だから、もう一つ―――聞きたかった。
「セリー……最後に教えて、貴方は…本当はどうしてシレジアに来たの?」
「フレデリカ……?」
「本当にお母様の故郷を見てみたかっただけ?本当にそれだけ?」
「そうだよ、それは嘘じゃない」
「………………」
本当にそうだから、セネリオは微笑して素直に答えた。
だがそれでは納得していないフレデリカに気付き、そして彼は補足した。
「シレジアに来た『理由』は本当にそれだけさ……、ただフィンダリアを…祖国を出ようと決めて最初に来たのがシレジアだね」
「祖国を出る?」
「そう。私は祖国を出て、もう戻らないつもりだったのさ。兄上の為に……」
「何故?」
セネリオは静かに目を閉じて告白した。
「兄上の地位を脅かしてしまったからだよ……」
「!!」
今度はフレデリカの方が目を見開いた。
同時にセネリオの肩に留まっていた『鷲』が俯いた。
まるで哀しんでいるように…………
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