第3話 望郷の皇子、故国の皇太子
第3話 望郷の皇子、故国の皇太子
北国のもうすぐ初秋近い夕暮れ。
あの後、御前試合を飛び出したセネリオは、一人誰もいない小高い丘の上にいた。
側にあるのはポプラの大木と、そして付き従う『天馬』姿の『聖獣』のみ。
御前試合を行っていた頃から、時は大分経っていた。
その証拠に空は、美しい快晴の『蒼』から彼の『天馬』の鬣と尾と同じ紅緋色の美しい空に変わっていた。
あれから―――『翡翠宮殿』を飛び出して、『仮』王太子セネリオは物思いの中だった。
ポプラの大木に背を持たれて座り、その側に心配そうな『聖獣』がずっと寄り添っていた。
黄昏は人の心を一層愁いさせる。
セリーもまた……今まで封じてきた感情を零していた。
そんなセネリオの物思い。
それは本日最後の対戦者が発した一言から始まった。
――――【寝取られ皇太子】。
(はぁ……どうやら既に他国にまで『あの事』は広まっていたらしいな。忌々しい事だが、もう既に止める手立てがないのか……くそ!!……此ればかりは……人の醜聞というものは……)
そして、セネリオはふと空を見上げる。
(この黄昏の空は、あの時の……あなたの瞳のようです…兄上……)
そう、思い浮かぶはあの出来事。
『―――何故こんな非道を働いた?何故こんな所業を彼女に行った?……何故だ!?何故そんな事をしたか!?答えろ、父上ーーー!!!』
初めて見た…『あなた』の嘆く姿を、そして父に逆らう姿を……そして『あなた』は【囚人】となった。
――――「セネリオ殿下、もうすぐ式典が始まります。式会場においで下さい。陛下のお目出度い華燭の典ですよ」
――――「イヤだ、誰が行くモノか!!」
――――「セネリオ殿下、そう我が儘な事を…確かに『新しい母君』の事を快く思われないのは仕方がない事かと思いますが……」
――――「ふざけるな!!『あの人』を嫌いな訳ではない!!」
――――「殿下……」
――――「『あの人』を…『あの人』を『母上』などと呼べるか!!そしてあんな【クズ】の…あんな恥知らずの…『男』の式典など!!私は絶対出席などしない!!帰れーーー!!」
何が…目出度いのだろうか……?
――――「ウルサイ!!ウルサイ!!誰か、あの花火を止めてくれ!!あの楽の音も止めてくれ!!」
――――「う、わあああーーーー!!……誰か…誰か…この【式典】を止めてくれ……兄上の……兄上の為に……!!」
フィンダリアに『新皇后』が誕生したその日。
あの日、私の兄上は大切な婚約者を失った。
兄の愛するあの女性は……よりにもよって父の『新皇后』になった――――
そして――――
『セリー、紹介するよ。この子が今日から私たちの……新しい【弟】だよ』
そう言い切れるまで、『あなた』はどれほど泣きましたか?
『あなた』の側にいるのが、見るのが苦しかった。
公式の場で…皇帝『夫妻』に膝を折る『あなた』の手が震えているのを――――
公式の場で…皇帝『夫妻』が踊る姿を見つめる『あなた』の顔を――――
辛くない訳がない!!
その証拠に、『あなた』は全然笑っていない。
例え表面上は『笑顔』でも、『あなた』の心は泣いていた。
例えどんなに『穏やか』な…『人当たりが良い御仁』と云われていても……『あなた』は変わってしまった。
少しずつ…ゆっくりと……あなたが変わっていく……その事を分からない訳はない!!
(だって…たった『二人きり』の『兄弟』なんですよ――――兄上……)
そんな物思いに沈む少年である『主』に、僕である『彼女』―――『聖獣ヘスペリス』は話しかけた。
<主……もうそろそろ日が沈みます、一度お帰りになった方が宜しいのでは?>
話しかけられたセネリオは、しばらく無言だったがやがて応えた。
「何処に……帰れば良いんだい……?一体…何処に帰れば良いんだろうね……『ヘスペリス』……?私はね……」
セネリオの方がそう『聖獣』に聞き返した。
それはまるで自嘲するようにであった。
<主……>
「―――そうだろう?だって、私にはもう帰る処はないんだよ…此処は私のいるべき場所ではない、そして祖国は…フィンダリアにも…私の居場所はないんだ……」
<………………>
「―――『君』も分かるだろう?もう帰る事は出来ないんだ……兄上とエリーの場所には……もう、戻れない……」
<主…………>
「―――あの『二人』の妨げにだけはなりたくない。私が帝国を出れば済む事なのだから……」
それは哀しいセネリオの決意。
『ヘスペリス』はその事を思い、哀しく俯いた。
そんな『彼女』に気付いたセネリオは、まだ瞳は寂しさを残していても微笑した。
「ごめんよ『君』の所為じゃない。『君』と出会った事はとても嬉しい事だったんだ。だからそう、悪いのは『宮廷人』さ……」
<主…………>
優しく『天馬』の体躯を撫でて、そうセネリオは声をかけた。
少しだが、彼の心の整理はついた。
そうすると、いつものように振る舞えるようになった。
「……辛いけど諦めなきゃいけないんだ、そう『エリーの事』は……そして幸せになって欲しいんだ、兄上とエリーには。……きっとあの二人なら良い『皇太子夫妻』になれるさ。私の大好きな二人なんだからね……!!」
<主……>
「―――今度こそは、本当に今度こそ兄上には、幸せになって欲しいんだ……『姉上』の事は忘れてね……」
<是…我もそう思います。ですが今日の所は一度『翡翠宮殿』に戻りましょう>
「ああそうだね、伯父上達に迷惑をかけた。いくら兄上を侮辱したヤツだったとは言え……殺して…しまったからね。相手の遺族の事もあるし、一度謝罪は必要さ。……そしてこれが済んだらもう、シレジアを離れよう。これ以上この国にいては又、伯父上達に迷惑が掛かるかも知れないからさ」
<是!!では明日にでも立ちましょう!!>
すっかり立ち直った『主』に、『ヘスペリス』はすぐに乗り気になった。
セネリオも破顔した。
「フフ、そうだね……今度は何処に行こうかな?」
そこには夕暮れ時のその空を見上げ、明日への旅立ちに希望を馳せる少年の顔があった。
やがて、セネリオは『天馬』に飛び乗り伯父一家のいる宮殿まで戻る事にした。
全ての決意を打ち明けて旅立つために。
しかし、それは遂に実行される事は無かった。
何故なら、この時もうシレジア国王の『作戦その2』が発動していたのである。
既に彼の運命は最早シレジアと共にあったのだ。
そうセネリオの知らぬ所で……それはフィンダリア帝国で起こっていた。
同じ頃のフィンダリア帝国の帝都パレス。
その中央に位置する巨大な宮殿、フィンダリア皇帝の在する城。
この夜、そのフィンダリアの皇城は賑やかな喧噪に包まれていた。
それは皇帝主催の晩餐会が開かれていたためである。
その晩餐会には多くの者が出席し、この帝国の華やかさを象徴していた。
―――シレジア王国とフィンダリア帝国の位置関係について触れておこう。
この二国、緯度こそ離れているが、経度はそれ程無く時差は一時間強ほどの時差である―――
さて、そんな賑わいを避けるように、一人の若い青年が会場から離れた一室で、窓際に座り闇を深めつつある夜空を見ていた。
その青年は陽光を思わせる金の髪、翠玉の瞳の持ち主で、その優しい際立った容貌は、その人物の為人を周囲に親しみ易く思わせた。
そんな彼は、このフィンダリアで2番目に高貴とされる人物である。
フィンダリア帝国皇太子、その名をマチス・レオナートというセネリオの同母の兄であった。
夜空を見上げ、何か沈思していたその皇太子にもう一人同年代の青年が声をかけた。
「『リオン』様……こんな所にいましたか?」
声をかけられた皇太子は、その青年を見遣り破顔した。
「『ラインノール』か……、君も会場を抜け出してきたクチかな?」
白金の髪、片眼鏡を付けた細身のいかにも秀才美青年文官に見える貴公子は、知性溢れる藍鉄色の瞳を和ませて僅かに微笑した。
「ええ、そうですね。五月蠅くて適いませんよ、会場は」
その幼なじみにして腹心の言葉に、皇太子は微笑して同感した。
「―――全くだね、こういう事は全部『セリー』に任せておきたいよ。あの子なら誰とでも和気藹々(わきあいあい)してくれるからね」
第三皇子の愛称名が出た時、ラインノールは遠い目をした。
「リオン様、セリー様が居なくなって…ここは寂しくなりましたね」
「………………」
皇太子は応えなかった、むしろ今までの沈思を深めた感さえ合った。
それに気付いたラインノールは直ぐさま切り出した。
「しかし、もうそろそろ…セリー様をお探しになった方がよろしいのでは?いくら何でも『武者修行』にしては、少しお戻りが遅いのでは?それにあの『聖獣』を連れているとは云え―――」
「手紙がね…あったんだ。後から…遂さっき見つかったんだ……私とエレインの結婚を薦めていたよ。あの子なりにね……」
「リオン様!?それは……!?」
言葉途中で中断されたラインノールは、その皇太子の言に驚いた。
続ける皇太子の言葉には苦渋があった。
「あの子は…私のために帝国を出ると書いていたよ……」
「…………!?」
「私の地位を脅かしたくないとね、だからフィンダリアを出ると……そして『皇帝陛下の勧めた結婚をして下さい』と……ね」
「その相手があの『エレイン様』…何ですか?」
ラインノールは表情を困惑させた。
理由は『エレイン様』を、彼はよ~く知っているからであった。
そんな『エレイン様』の名は、エレイン・アレクサンドラ・パヴィア=フィンダリアと言う。
現皇帝の皇弟の子であり、母方でも先々代の皇帝の縁を持つ生粋の『皇族』。
つまり、皇太子とセネリオの従姉妹。
そして数少ない『聖獣』に選ばれた皇女であった。
その困惑顔は更に皇太子にも伝導した。
「……あの子は何も判っていないよ。あのエレインが私と一緒になると思うかい?」
「……難しいですね。貴方と結婚したら毎日『聖獣大戦争』ですか?腐ったトマトや、ジャガイモの雨が降り、雷が鳴り響き……」
「云わないでくれ、考えただけで気が滅入る」
はぁーと、皇太子はため息をついて片手で顔を覆った。
「エレインは、セリーの方を愛しているんだよ。昔は私より仲の良い従姉妹同士だったけれども、今は…ハァー、そうあの子のためなら何でもするのが『エレイン』なんだ」
「確かに、セリー様と組んであの異母弟御方を痛めつけていましたからね。それこそ腐ったトマトや、ジャガイモ等をエレイン様が大量に用意して、セリー様が『聖獣』に跨り『空』から落としたり……」
「―――そうだね、あの『喧嘩』を止めるのも一苦労だったからね……」
つくづく苦労の多い皇太子であった。
同情していたラインノールは、やや経って思い出したように話し出した。
「そう言えば…規模が縮小したとはいえ、まだ残りの異母弟御方は、未だに派手な事をしているようですが……?」
そう問われた皇太子は、クスリと嗤った。
「もうこの私が仲裁する必要があると思うかい、ラインノール?」
「成る程、言うなればセリー様の為だったという事でしたか―――」
「【馬鹿】は相手にしない方が得策だよ」
「確かに、セリー様が居られない以上不要ですね。派手な【喧嘩】を更に過熱させて、その内【勝手に殺し合って貰った方】がよっぽどいいと云うわけですか?」
冷笑を浮かべてラインノールは皇太子に真意を問うと、皇太子はその言葉には答えなかった。
唯、僅かにほくそ笑んだだけであった。
しかし、明哲なる識者として名高いこの腹心には、もうそれだけで充分主君の考えは分かった。
「―――そうでしたか、貴方様のお考えに至らず、申し訳ありませんでした」
「君が相手だと話が早く通って楽で良いね、ラインノール」
「それ程でも…、さて実は会場の方に辟易していたのも事実ですが、私は貴方様を探していたんですよ、リオン様」
その言葉に皇太子は注意を払った。
「私を?何かあったかな?」
「とある『筋』から、貴方様に『縁談』を勧めてこいと云われましてね……」
少しため息をついて、彼ラインノールは皇太子に伝えた。
それを聞くや皇太子はやれやれと云わんばかりに口を開いた。
「またそれか、いい加減にして欲しいのだがね。別にもう結婚する必要など無いのだよ、私はね」
「―――やはりお気持ちは変わりませんか?」
僅かな憂いを含みつつも、冷静な声がラインノールから発せられた。
窓際の皇太子、リオンは呟くように告げた。
「私は…結婚はしないよ……その資格もないからね…」
その皇太子の言に、一拍の後、ラインノールは否定した。
「何をおっしゃいますか!!フィンダリアの皇太子たる御方が!!」
「『彼女』を不幸にした私にそんな資格はない!!」
「!!リオン様……」
ラインノールの言に、やや興奮した皇太子が言い放った言葉。
その言葉の真の意味を知る、皇太子の幼なじみにして数少ない理解者であるラインノールは言葉を詰まらせた。
―――やがて皇太子は言葉を選んだ。
「世嗣ぎなら『セリー』がいるよ。従姉妹である『エレイン』と一緒になってもらってね…後もう少ししたらそうするつもりだ。その後の私は、隠棲でもするさ。あの子に補佐なんて必要ない気がするしね……それこそがこの帝国の理想像だよ」
それは皇太子である彼が、皇太子位を返上する意志を示した時であった。
「リオン様…あなたが独身を決めたのは……?」
「臣下に下る者に『跡継ぎ』は不要だ。だから『正妃』は持たない」
僅かの微笑を浮かべて、皇太子リオンは幼なじみの青年に告白した。
「そう、必要はないんだ『妻』も『子』も……」
「リオン様……」
余り似合わぬ腹心の気遣う表情を見て、皇太子―――リオンは表情を明るくした。
「そんな顔をするな、もう決めた事だ。宮廷人に云われたからではない。今夜この宴の席にでも改めて『発表』しようかな?私の退位と…そして次期皇太子の推薦に、それから新しい皇太子妃の事を―――丁度人がたくさん集まっているからね」
「本気なのですか?」
現実主義、感情を余り出さない貴公子と定評あるラインノール。
しかし今の彼の表情は…「そんな事は云わないで下さい!」とそう物語っていた。
「云っただろう?それが『たった一つの冴えたやり方』さ。醜聞甚だしい『私』よりも、まっさらな『新皇太子』の方が良い。きっとね―――」
「ですが、セリー様の事はどうするのですか?言うなれば故国を捨てたように、出奔したのですよ?」
その言葉を受けて、静かに皇太子は語り出した。
「私が退位すると宣言したら、自ずとセリーは帰国するよ―――それこそ私に会うために。だからあの子が帰国したら、その時に全てを託してしまえばいい。この地位をね……」
「リオン様……しかし、他には…?貴方の憂いはまだあるのに……!?」
『憂い』―――そう、ラインノールが云った時、流石に皇太子も顔を曇らせた。
だが、それを一瞬で振り払った。
「―――私の心残りは『皇后』と…後はもう『ジュリアス』だけさ。あの二人を見守っていく事が出来れば…私はそれで良い。セリーなら、きっとあの『二人』を手厚く保護してくれるだろうから……私は隠棲出来るよ……」
「リオン様……」
そんな悲壮感溢れるやり取りを交わした皇太子は、その後窓際から立ち上がった。
すると―――
「皇太子殿下――――!!!」
彼を捜し求めるフィンダリア帝国侍従長ムーンランジュが、息を切らして、しかも血相を変えてやって来た。
「どうしたんだい、ムーンランジュ?」
平静に穏やかさを保った皇太子は、慌てふためく侍従長に訳を訊ねた。
側にいたラインノールも耳を立てた。
息を切らしながらも侍従長は、もうこれは一大事と云わんばかりであった。
「もう…一大事でござ……一大事でございますよ、リオン様!!」
「……落ち着きなさい、一体何ごとだ?」
「そ、それが……」
「それが?」
「セ、セリー様が……」
「?セリーが…?弟がどうしたんだい?」
思わずラインノールと顔を見合わす皇太子。
そうしてようやく呼吸を整えるや侍従長は、大発言をした。
「セリー様が、何と『正式な』シレジア王国の『婿養子になられた』と!!『王太子』になられたと!!たった今シレジア王国の使者よりその報が入りました~~!!」
(へ?)
数分前の悲壮感は何処へやら、フィンダリア皇太子殿下、並びにその腹心にして、後年の財務尚書になる青年は瞬間的に、目をぱちくりさせた後大絶叫した。
「ハレルヤ~~~!!」と。
シレジアとフィンダリアの時差はイメージ的には東京~香港間くらいでお願いします。作者。
ログイン不要の作者への気軽な応援をお願いします!!
+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。