第26話 心は万里を駆ける(5)
第26話 心は万里を駆ける(5)
愛―――
ああ、愛する人と結ばれるなら、それ程幸せな事はないでしょう。
共に喜び、辛い事、苦しい事を助け合って乗り越えて、幸せを作っていく関係。
それはいつも愛する人の側にいて―――
そして何時かはその人の子供を産んで、その人の為に生きて行きたいと。
それは女なら誰しも望む事でしょう?
しかし世界はそう皆が同じように歩む訳ではない―――全ての恋人達、夫婦達が円満な世界を築く訳ではない。
あれ程、愛し合った男女がその気持ちを失い、憎み合う事があるように―――。
そして愛し合いながらも引き離される事もあるように―――そう、愛する人と生き別れる事もあれば、死に別れる事もある。
それは時には家族、友人等の周囲の強い干渉であったり、または権力者の圧力であったりと、あるいは病や戦争で、愛し合う者の一方が先に命を落として―――
ねえ、セリー……私達は、憎み合って別れた訳ではない。
周囲から反対されて、強制的に引き裂かれた訳でもない……
お互いが元気なのだから、勿論死に別れた訳でもない。
ただ―――
そうね、もし運命の輪というものがあるのなら―――
そこからきっとほんの少しだけ、私達が重ならないようになったのね。
だけと、だけどね、セリー……
今でも私は貴方を愛しています……
この心だけは今でも捨ててしまう事が出来ないから。
貴方に愛された綺麗な思い出だけを、何時までも持って……
私は花のように枯れて逝くのでしょうか……
『彼』を一目見たエレインは、一驚の後ゆらゆらと座っていた椅子から立ち上がり、そしてそのまま茫然と立ち尽くした。
そんな…貴方が此所にいる…。
会えないと思っていた人が…愛しい人が此所にいる…!!
帰ってきてくれたの!?セリー!!
その時、彼女の瑠璃色の瞳には、確かに『彼』の姿があったのだ。
それは喩え幻でも、ずっと彼女が求めていた人の姿であった。
白き鷲姿の聖獣ヘスペリスをその肩に乗せ、この聖獣と共に現れた皇太子リオンを見て、エレインはこう叫んで彼に駆け寄った。
「セリー!!」
刹那の間、その名で呼ばれた男は、一瞬目を見張ったが、直ぐにそれを否定しようと彼女の名である「エレイン」と呼ぼうとする。
しかしその前に彼は、エレインに抱きつかれた。
「セリー!!セリー!!」と何度も弟の愛称で呼ばれ、リオンは困惑を隠せない。 一方そんな二人の様子を、皇后クラヴィアもまたどうして良いか判らずに、ただ事の成り行きを見守っていた。
やがて、エレインの興奮がやや落ち着いたのを見計らって皇太子リオンは、自らの躰に抱きつく従姉妹に静かに語りかけた。
「エレイン……」
「!!」
その呼びかけ。
その違いにやっと、そして「はっ」と気付いたエレインは、抱きついていた男の躰に埋め込んでいた顔を、そうっと上げて本当の『彼』の姿を認識した。
「リ…リオン……?」
「……もう気が済んだかい、エレイン?私は、弟と違うだろう?」
「………そうね、ご免なさいね。血迷ったわ……」
顔を曇らせたエレインは、そう言うとリオンの躰から自らの身を離して半歩距離を取った。
そうして改めて従兄弟である皇太子と、そして彼が連れている聖獣を交互に見遣り尋ねた。
「リオン、何故その聖獣がここにいるの?一体どうして?」
エレインの疑問も無理無い事だった。
四年前、あれから処刑を免れる代わりに主共々国内に立ち入る事を許されなくなった炎の聖獣、それが何故ここにいる?
しかも主を連れずに単身で、彼の命令で伝令として来たのか?
エレインの驚きとその問に答える為に、皇太子リオンは憂いを持ちながらも、敢えてその事を口にしなければならなかった。
「君と君の聖獣の力をどうしても借りたくて、遙々シレジアからやって来たそうだ、色々君も心思う事があると思う、だけど私からも頼む、どうか『彼女』の話だけでも聞いてやって欲しい……」
それが彼、リオンがエレインを探して王華殿を訪れた訪問理由でもある。
正体の分からぬ毒物によって、生死を彷徨っているという弟セネリオの命を救う力。
その最後の頼みの綱が教母エレインだったのだ。
従姉妹にして教母と言われるエレインは、薬術に精通した女性であった。
昔から花や薬草を育てるのが好きで、そして育てた薬草を使って薬を作る事に長けていたのである。
これは幼い頃、エレインが体の弱かった実母を少しでも健康にしたくて、同じように当時地の聖獣を従えていた大伯母に、彼女が習って習得したものだった。
後に大叔母の様に、自らの聖獣を持ったエレインは、帝都パレスと自身の奉領地パヴィアに医療院という施設を創り、そこに訪れた貧しくも難病に苦しんで助けを乞う国民の為に薬を作るようになる。
それ故にエレインの『教母』という名の尊称は、ただ単に聖獣を持った聖皇女というもの以上に彼女の存在を高める物となった。
今のフィンダリアで彼女を慕わぬ国民はいない、美しく、公務に熱心な事で知られる現皇后クラヴィアと並び評される程の人気を持つ女性だった。
そして、エレインの作りし薬は万能薬として知られていた。
地の聖獣の『力』の込められた薬、それは決して不老不死の薬ではなく、また全ての病を完治させ、人の寿命を完全に支配するだけの力はない。
だが、多くの病人の病を癒し、そして既に手遅れな死病に冒された病人の苦痛を取る為のものである。
そしてこれは毒も然り。
この時、皇太子リオンの言葉にエレインは、そのまま沈黙してしばし思い詰めた。
おそらく様々な葛藤が彼女に芽生えた事だろう。
けれどもやがて、その思いとそして新たに生まれた躊躇いを隠せぬまま、それでもゆっくりと彼女は瑠璃の瞳を目の前の従兄弟の肩に留まる白鷲に向けた。
諸処の事態が起こった末に、4年の時を経て再会した皇女と……そして皇女の恋人であった男の僕。
静寂が僅かに流れた後、その静けさを破ったのは聖獣ヘスペリスの方からであった。
≪エレイン皇女……貴女には、我が主が大変な迷惑を掛け、そして非常に辛い目にあったと思う。だが…どうか、どうか我が主を助けて欲しい―――≫
「助ける……?」
思わぬヘスペリスの懇願に、エレインは戸惑いつつもその話に耳を傾けていった。
ヘスペリスが語るのは、この王華殿に訪れる直前に皇太子リオンと、そしてその場に偶然居合わせたラインノールに対して説明した事と同じだった。
セネリオが毒に倒れた事、そして彼のいるシレジアではその毒に対しての対処方がないという事。
やがて、話に耳を傾けるエレインは見る間に顔色を変えていき、ワナワナと震える手で口を抑えた。
一方の聖獣ヘスペリスは、常になく、感情が高まった声を出し懇願していった。
≪―――我らには、もう貴女以外に縋る術はない。地の聖獣がその力で持って生やした薬草と、それを使って貴女が作る妙薬を求める事しか!!厚かましい頼みだとは重々承知。たが我も、そしてシレジアの民達もまだ主を失いたくはない!!ましてやこのような形など許せない!!だからどうか…!!≫
主を助けて欲しい!!
黄昏乙女のその声は、エレインの中にある心に深く響く物だった。
それはかつて…彼女が封じ込めなければなかった愛を揺さぶり起こす。
あの人を救うために―――。
エレインに否やはなかった。
「あ…アリサノス!!アリサノス!!」
悲鳴同然の女主人の呼び掛けに、直ぐに聖獣アリサノスは大地に潜んで隠形していた姿を見せた。
≪はい≫
人型の近衛武官姿となって現れた聖獣に、エレインは今度は『彼』の体躯にしがみつき矢継ぎ早に言い立てた。
「アリサノス、私をシレジア迄、セリーの元迄今すぐに連れて行って!!お願いよ!!」
≪是…≫
短い返答、だが皇女エレインへの忠誠心は大地のごとく堅いアリサノスである。
エレインはそんなアリサノスに更に願った。
「急ぐの!!セリーが危ないの!!彼を助ける為に出来る限り早く着きたいの!!」
≪では、この背にお乗りを≫
人の姿から天馬に変化した聖獣に、エレインは広いとはいえまだ室内でその背に飛び乗り騎乗するや、皇太子である従兄弟に叫んだ。
「リオン、今度は私の方がシレジアに行くわよ、止めないで頂戴!!」
リオンはやれやれと思うが、他に手がないので気の逸る彼女をそのまま行かせる事にした。
「分かった目を瞑るよ……セリーを宜しく頼むエレイン、それからヘスペリスも気を付けてお帰り、そして君にも頼むよ、これからも弟を宜しく頼む」
≪是、感謝するエレイン皇女!!そして世話になった皇太子、主の事は後は我らに任せよ≫
謝辞を言い終えた白鷲は、勢いよく羽ばたくと天馬に跨るエレインと共に、室内からテラスに移動し外にでるや空を駆ける。
その時、テラスまで移動しシレジアに旅立つエレインを見送るリオンは、一つ老婆心を披露した。
「ああ、でもね必要以上に長居は駄目だよ。一応弟はもう既婚者なのだからね」
この台詞にエレインはカチンと来た。
「貴方にだけは言われたくないわ!!この間男!!」
このエレインの反撃に、今度はリオンがかつての過去を思い出し、苦虫を噛んで言い返した。
「……ああ、私も君にだけは言われたくないよ。あんな事を仕掛けた当人にね!!」
それを聞いた天空にいるエレインは、天馬に乗って遠ざかりながらも顔を赤くして「もうしないわよ!!」とまるで捨て台詞のように叫んだ。
その声がはっきりと聴こえた皇太子は重いため息を吐いた。
あんな事―――。
リオンが口に出したこの事件、これはかつてのリオンの不覚であり、そしてエレインにとっては、愛するセネリオを失った寂しさと彼恋しさのあまりでついしてしまった事。
同時にそれはリオンにとっては、密かな愛人にも実弟にも絶対に知られたくない出来事でもある。
あんな事―――。
最もこれはエレインの側にも言えた事で、もう絶対にしないと彼女が心に堅く誓った事だ。
大切な友人の想い人を一時の気の迷いとはいえ、肉体関係を持った事への罪悪感からである。
別に体の相性の善し悪しではない。
無論、皇太子に対しての配慮でもない。
あんな事―――。
この事件、実はリオンが数時間前に使用した『催淫花』と深い関わりがある。
そもそもこの花は、教母エレインが聖獣アリサノスに頼んで作った特別な花。
エレインが欲しがり聖獣咲かせたこの花の使用目的、その最初の標的は、何を隠そう、この皇太子リオン本人であった。
恋人の人肌が恋しかったエレイン皇女様は、恋人の代わりにその兄にそれを無理矢理求めたのだ。
言うなれば逆レイプ……流石聖獣アリサノス印の花、その効果は絶大で(?)、あれよあれよという間にエレインの主導で始まり、後にリオン主導で完了……。
かくて『催淫花』によって発情し、最後は互いに愛する相手に手が届かないジレンマ故か、イトコ同士ではなく『男』と『女』として過ごした一夜。
やがて明くる朝、花の効能が消えて理性を取り戻した二人は、気まずさ全開でこんな会話を交わす事になった……
「……最悪な朝だよ、隣で君が裸で寝ているなんてね」
額を抑え、頭痛を堪えるようにリオンが言うとすかさずエレインは反論した。
「最悪ですって……?ちょっと、私のような美人と夜を過ごした後でそれを言うの!?」
「―――君が美人か醜女かの問題じゃないだろう!!何故こんな事をした!?」
何時になく険しいリオンに対し、エレインは唸った。
「〜〜〜〜私だって今もの凄〜く後悔しているわよ……!!いくらセリーが私ではない女と結婚してね、寂しかったからと言ってね……ああ、やっぱり貴方はセリーじゃない事が良く分かったわ!!」
「当たり前の事を言わないでくれ!!セネリオの身代わりにされた私の気持ちはどうなる?」
「何よ!!今更童貞じゃあるまいし、今まで一体何人お相手したのよ!?いい事?隠したって貴方が手馴れていたから分かるわよ!!それにこういう事はね、女の方が勇気が必要だったのよ!!」
「〜〜〜〜それこそ不要な勇気だろう!?よくも私を一夜の抱き男にしたな!!」
「貴方こそ私を抱きながら『不倫相手』と呼んでいたクセに!!お互い様でしょ!!」
…………ああもう絶対にお断り、冗談じゃない!!
お互いそう思って、リオンが不覚を取った憤りと、セネリオとクラヴィアそれぞれに抱く気まずさで、怒気を込めてこう言えば、エレインもそれに負けじと言い返し、終いには互いの聖獣を使ってかつてラインノール曰く、『聖獣大戦争』を繰り広げた二人であった……
あんな事―――。
本来なら多少なりとも甘い余韻があるはずが、お互い恥辱と悔恨しか残さぬ一夜となった出来事。
(ああ、本当に『あんな事』は金輪際あれっきりの事にしてくれ……)
心の中でそうぼやき、こうしてリオンはあっという間に北の大国シレジアへと旅立った従姉妹皇女を見送った。
「副タイトル~心は万里を駆ける」はこれにて終了。
セネリオ中心話が、いつの間にかに周りの方へと波及していく……外伝だから良しとして下さい。
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