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午前三時の回復魔法

作者:28号
 治癒術。それは傷をいやし、病を駆逐する回復系魔法の総称である。
 魔物とそれを統べる魔王達によって人の世が乱れた昨今、国を一歩出れば命の危険が伴うアイゼの大陸では約50万人の治癒術師が日夜消えゆく命を救うために魔法を唱えている。
 そして私はそんなたくさんの治癒術師の中の一人だった。
 容姿も魔力も平凡で、高位治癒術も3つしか使えない。
 治癒術師協会の会員ランクも並のBから上がった事もないし、多分上がる予定もない。
 なにせ私がでた治癒術の学問所は酷く小さかったし、協会にコネがある友人や仕事仲間もいないからだ。
 だが一方で何処にでもいる平凡な治癒術師であるにもかかわらず、私は人から普通ではないと言われる。
 その理由は二つ、そしてそのどちらも私自身とは全く別の所にある理由であった。
 一つ目は、私の数少ない友人の中に「伝説」という二つ名を持つ男がいること。
 そしてもう一つは、私の勤める診療所がひどく変わっていることだ。
 半年前にうっかり履歴書を送ってしまったその職場は、この大陸で唯一深夜も火を消さない診療所。
「24時間年中無休、深夜も患者を受け入れます(旅の勇者も大歓迎)」
 という看板が目を引くそこが、私の今の職場だった。





午前三時の回復魔法






「紙で指を切った」
 そう言って手を差し出す友人に、私がむけるのは侮蔑の表情である。
 しかし彼はそれに反応を示すことなく、小さな切り傷のある人差し指をズイと前に突き出す。
「こんなのツバつけとけばなおるわよ」
「お前それでも医者か」
 こんな切り傷でわざわざ医者にかかるお前に言われたくない。
 それも深夜の0時に、町はずれの診療所までやってくるお前にだけは言われたくない。
 けれど彼はそんな私の苛立ちに気付く様子もなく、人差し指を差し出し続けている。
「じゃあ、消毒液でもかけとくか」
「それですむなら自分でしている」
「なら自分でしてよ」
「俺は、お前の回復魔法で治して欲しいんだ」
「嫌よ、こんな傷に魔法なんて使いたくない」
「でも凄く痛いんだ」
 そんなこと、これっぽっちも思っていなさそうな無表情で、彼はもう一度「痛い」と告げる。
 もうすぐ30になるというのに、この男は表情筋の使い方が未だにわかっていないようだ。
 顔の作りが整っているとはいえ、もう少し愛想良くしないと一生友達が増えないぞと、言ってやりたくなる。
「ただ紙で切っただけでしょ?」
「でも、最近怪我をしてなかったから」
 だからこんな傷でも痛く感じるのだと、彼は言いたいのだろう。
 口数が少ない彼の言葉を脳内補完しつつ、けれどやはり納得もできなくて、私は彼を軽く睨む。
「でも先週、西の竜王からお姫様を奪い返してきたんでしょ?」
「あのときは無傷だった」
 今まで何百という数の人間を食い殺してきた竜の王を前に無傷とは、やはりこの男はただ者ではない。
 些細な傷ばかり見せに来るから忘れそうになるが、彼はこの世界でその名を知らぬ者はいない、有名な勇者様なのだ。
 一定の武勲を立てれば誰もが勇者になれる昨今、町にはたくさんの勇者と勇者見習いが溢れている。 
 その数は膨大で、治癒術師の数より勇者の数の方が多いくらいだ。だから勇者を前にしても大した感動はないのだが、それでも彼だけは別だ。
 その他大勢に埋もれぬ勇気と実力と実績を兼ね備えた彼は、今や頭に「伝説」がつく正真正銘の勇者なのである。
 今まで倒した魔王の数は10人。同じ数だけ国を救い、それ以上の人々を彼はその剣で守ってきた。
 そんな彼と私がどうして親しいのかというと、実はこの私、下っ端ではあったが魔王を倒す旅に同行したこともある元旅の仲間なのである。
 彼との付き合いが始まったのは、彼がはじめて魔王を倒す旅に出たときの事だ。
 ここより北にある小さな町で暇をもてあましていた私を、彼が仲間に加えたのである。
 彼の同行者には私以上に魔力と外見のレベルが高い治癒術師の姫君がいたが、旅の仲間は多いに越したことはないと思ったのだろう。
 あのころは私も若く、魔王退治にもやる気があったのですぐさま契約し、私は彼の連れとなった。
 正直そのときは途中で解雇される気満々だった。そもそも自分のような下っ端治癒術師を雇う男が本気で魔王を倒すと思えなかったし、せいぜい街を2つか3つ移動しただけで旅の仲間は解散すると思っていたのだ。
 まあ実際はそのままあっけなく魔王を倒した上に、この男にせがまれるまま7年ほど彼の旅に同行するはめになったのだが。
 ちなみにこの話をすると、人々は私に賞賛の目を向ける。
 だが残念ながら、私が褒められるようなことは何もない。何せ彼は、竜王を前に無傷で帰還した男である。つまり、彼は怪我も全くしないので私の出番はほぼ無いのだ。
 宿屋のベッドの角に小指をぶつけた、とかどうでも良いことで呼び出されたりはする物の、私が魔法を使うのは、もっぱら仲間のためと言うより訪れた先で出会った怪我人達のためである。
 そんな日々を過ごすうちに時は流れ、私も気がつけば26。
 仲間として旅に同行する意味を相変わらず見いだせなかった私は、そろそろ一所に落ち着き旦那の一人でも見つけたいと思い、今はこうして東の国リンドルで雇われ治癒術師をしているのだ。
 とはいえうっかり所属することになったこの診療所は特殊な場所なので、結局落ち着くどころか私の日常は相も変わらず慌ただしい。そしてもちろん彼氏の一人も見つける暇はない。
 だからこそこうして、私はこの男を構ってしまうのだろう。
 例えそれが深夜だとしても。
「エイナ、傷が痛い」
「やっぱりここは消毒液で……」
「嫌だ、エイナの魔法が欲しい」
「でも魔力が勿体ないでしょ」
「だからわざわざ仕事終わりに来たんだ。もう患者はいないだろう」
 確かにいないけれど、ようは気分の問題だ。
 けれど彼は一歩も引かない。その上おあずけを喰らった犬のような切なげな顔をするから、私はついつい甘やかしてしまうのだ。
「じゃあ今日は特別ね」
 指先に魔力を込めてから、私は彼の指を持ち上げる。
「女神の加護と癒しを」
 魔力を呪文で増幅させ、私は指先に宿った癒しの魔法を傷口に移す。
 すると小さな傷はあっという間に消え失せ、彼は満足そうに微笑んだ。
「もう痛くない」
「うそつき」
「怪我をしないので気付かれにくいが、俺は本当に痛がりなんだ」
「その言い訳も聞きあきたわよ」
 指に宿った魔力を拭い、私は彼の手を放す。
「さあ、痛みが消えたなら帰りなさい」
「その前にお礼がしたい。だから夕食を一緒に食べないか?」
 相も変わらず話を聞かない勇者様は、唐突にそんな提案まで持ち出してくる。
 まあ食事に誘われるのはいつものことだし予想の範囲内だが、それでも話を聞かない彼に対して、素直に頷くのは癪だった。
「こんな時間に開いている店なんてないでしょう?」
「俺が作る。エイナが好きなシチューでも何でも作る」
「あんた、本当に器用な勇者ね」
「料理はエイナにだけだ」
 そんなことを息を吐くように言うから、私はいつもいつも断れないのだ。
 彼が誰に対しても紳士的で優しい言葉をかけるのは知っている。だけどそれでも、私はついつい彼の言葉に喜んでしまう。
 彼は気付いてないけれど、私はもうずっと昔から彼が好きだった。
 一緒に旅をしてときからずっと。勇者の仲間とはいえ、ただの雇われ治癒術師である私と今や伝説の勇者とまで言われるようになった彼が結ばれることはないとわかっているのに。
 何せ彼には大陸中の国王から「ウチの姫と結婚してくれ」と言われているし、金持ち貴族から毎日のように見合い写真が送られてくるらしい。
 つまり、仕事のしすぎで肌も荒れた26の女を恋人にする必要など、どこにもないのだ。
 だからこそ新しい彼氏を作ってすっぱり諦めようと、私は彼の仲間をやめたのだ。
 けれどどうも、彼はあまり友達づきあいが上手くないらしい。
 私が抜けた途端旅の仲間は解散し、彼はあろうことか「知り合いはエイナだけだから」とこのリンドルを活動の拠点に選んでしまった。
 お陰で休みが出来ると彼は診療所にこうしてフラフラやってくるため、せっかくの決意は正直揺らぎつつある。
「いつものアパートにいるの?」
「来てくれるか?」
「あと15分で仕事終わるから、そしたらね」
「わかった。じゃあ先に言って準備している」
 そう言うと、彼は治療費と称して金貨一枚を置いていく。あれくらいの手当ならただで良いのに、彼は無駄に律儀なのだ。
 そして私も、少ない実入りの所為で生活費が切迫していので、ありがたく貰っておく。
「魔法をありがとう」
 そう言って出て行く彼を見送って、私は金貨を白衣のポケットに入れた。
 それから彼が去った診察室の扉を開け、私は外を確認する。
 日によってはこの時間でも多くの患者が並んでいるが、今日は人っ子一人いない。
 久しぶりに時間通りに帰れること、そして彼のシチューが飲めることに内心ほくそ笑んでいると、唐突に背後からイヤらしい忍び笑いが聞こえてくる。
 この診療所には全部で3つの診察室と急患用の処置室があるが、医師や看護師が素早く行き来できるよう、それらは全て繋がっている。
 それを隔てているのは薄いカーテンで、忍び笑いが聞こえてくるのはそのカーテンの向こう。つまり医師か看護婦しか立ち入れない場所からである。
 この時間、診察室にいるのは私を除けばただ一人。
 そしてその相手の顔を思い出した私は、笑い声を無視することを即座に決定した。
 だが勇者同様、私の周りには空気を読まない自分勝手な輩ばかりが揃っている。
 無視していると、案の定笑い声と共にカーテンが大きく開かれた。
「愛されているのぉ」
 そう言って飛び出してきたのは、しわがれた声と顔を楽しげにゆがめたクソジジイである。
 そしてクソジジにもかかわらず、彼はよりにもよってこの診療所の院長だ。その上更にたちが悪いことに、このクソジジイは私の治癒術の師でもある。
「覗きは感心しませんよ」
「我が弟子の恋路を応援して何が悪い」
 昔から相当の変わり者だったが、それは今も健在だ。年の割に妙に若者ぶるし、人の恋を茶化してくるし、隙あらば私を含めた女性治癒術師の着替えを執拗に覗こうとまでする。
 勿論そのたびに手痛いお仕置きをくらっているが、それでもやめないという手のかかるクソジジイなのだ。
 けれど一方で、彼の魔法の腕は超がつくほど一流でもある。
 そして着替えを覗くのと同等かそれ以上の情熱を、治癒術に捧げている点は尊敬している。
 その気持ちは自分でも思うほど強いらしく、だからこそ私はここにいるのだろう。
 深夜にも関わらず明かりを消さない、この不思議な診療所に。
「それで、これからデートか?」
「食事だけです」
「二人で食事は立派なデートだ」
「でも彼の家だし」
「ならもっと親密だ」
 そう言う師の顔に呆れつつも、それが事実なら良いと考えてしまう自分が悔しい。
 だがそんなおごりがいけなかったのだろう、あと10分で上がりの時間だというのに、慌てた様子の看護婦が、急患の到来を告げに来る。
「街道を巡回中の騎士団から伝令です。西の山で毒竜にやられた勇者のご一行が、まもなく搬送されてくると」
 その上看護婦の言葉を聞く限り、相手は団体さんである。
 西の山は毒を扱う竜の巣窟になっており、勇者達の格好の腕試しの場になっている。だが危険も多く、少人数での探索を行う者はまずいない。
 少なくて6人。下手に勇者同士が徒党を組んでいたならその倍はいる。
「どれくらいで来る?」
「5分ほどです。伝令の騎士の報告によると、重度の裂傷が7名、軽度の魔力汚染が4名だそうです」
 あと全員もれなく毒状態ですと言われ、私は重い腰を上げた。
「今日の当直って誰?」
「キキルだな」
 師の言葉に、お喋りだけが得意のそそっかしい妖精族を思い出し、私はため息をついた。
「残業代お願いしますね」
「デートは良いのか?」
「帰っていいなら帰りますけど?」
 私の問いかけに、師が申し訳なさそうな顔で私の白衣の裾を掴んだ。


◇◇◇      ◇◇◇


「うわわわわ、何ですかこの団体さん!」
 やってくるなり酷く耳障りなキーキー声で叫んだのは、本日の当直治癒術師キキルである。
 妖精族である彼は見た目は10そこそこの子供だが、これでも今年20になる一人前の治癒術師だ。
 とはいえこの特殊な診療所に未だ不慣れなため、いつもいつもこの手の患者を診ると取り乱す。
 確か、前は妖精族の住む北の森林部で、日に一人患者が来るか来ないかという、小さな診療所に勤めていたらしい。それと比べたらここは驚きと血にまみれた地獄だろう。
「魔力汚染があと4人来るからさっさと支度して」
「じゃあさっさと回復魔法かけてベッドあけましょうよ」
 という馬鹿な発言に苛立ちながら、私は一番重体な勇者の前に彼を引きずっていく。
「腹部に裂傷及び左右の大腿骨損傷。脈拍呼吸共に微弱。あげくドラゴネ反応まであるのに回復魔法をぶっ放すわけ?」
「どっドラゴネ反応って…その…何でしたっけ?」
 口ごもる彼に呆れつつ、私は素早く説明を始める。
「胸部に見られる紫色の斑点よ」
「えっと、ドラゴネイト毒素が原因のやつですよね」
 ようやく頭が仕事に切り替わったのか、キキルは手際よく脈を計り瞳孔を確認する。
 だがその場をすぐに任すのは不安だったため、私はもう2つ3つ彼に質問をしてみることにした。
「毒素が人体に与える影響にはどんな物があるか、覚えてる?」
「回復及び強化系魔法を妨害です」
「それに加えて肺機能を低下させ呼吸不全を引き起こすのも覚えてるわね?」
 私の説明にキキルは大きく頷くと、背中の羽根を使い患者を処置できる位置まで飛び上がる。
「まず、毒を外に出さないと駄目ですよね。胸部に反応有りって事は心臓だから…」
「ちなみにこいつは北の山の毒竜に喰らった物よ」
「毒霧ですか?」
 頷けば、キキルは右手に風を生み出す魔力を、左手に毒を消す浄化の魔法を宿す。
「なら毒がたまってるのは確実に肺です。なのでまずは、口から魔法を送り込んでまず毒素を排除。そのあとでまず腹部の裂傷を回復魔法で一気に塞ぎます。骨折の方は状態にも寄りますが、酷くないようなら治癒能力を高める持続型回復魔法をかけて様子見ですかね」
 説明する言葉にはまだ不安な色があったが、彼の判断は正しかったので、私は上出来だと彼の頭を撫でた。
 するとキキルはようやく緊張が解けたらしく、患者の口から直接魔法を流し込む。
 その途端、患者の胸にあった斑点がすっと消えていく。
 同時に、私は腹部の裂傷にかざしていた手から、肉体の損傷を瞬く間に治す高位の回復魔法を放った。
 高位魔法の発動には高度な呪文と魔力を有するが、下っ端とはいえ勇者と共に長い旅をしていた自分にとって、これくらいは朝飯前のことだ。
 彼自身の回復はしなかったものの、修羅場に立ち会うことは多かったので持久力は身に付いている。
 高位回復魔法だろうとなんだろうと、1回くらいじゃ汗もかかない。
「さすが、姉さんの回復魔法は凄いッスね」
「褒めるのは良いから奥の患者の毒も抜いてきて。あと廊下の患者はまだ透視魔法かけてないからお願いね」
「えー、俺あれ苦手なんですよぉ」
「だからこそやんなさいよ。あんたが視覚化した画像、いっつもブレブレでホント酷いんだから」
 苦手ならなおさら場数を踏みなさいと言えば、キキルは慌ててすっとんでいく。
 口うるさい所はあるが、自分の非に気付けばそれをすぐ挽回しようとするのは彼の良いところだ。
 処置や魔法の発動も早いし、彼自身には言わないがキキルは私以上の治癒術師になるとこっそり思っている。
「ぎゃーー! 姉さん! この人心臓止まってる!」
 まあ、まだまだ未熟な点の方が多いが。
「患者を不安がらせるようなこと言わない! 今すぐ人工呼吸して、それでも駄目ならレベル2の電撃魔法を胸にくらわせなさい!」
 それでも駄目なら1ずつレベルを上げろと怒鳴れば、雷の魔法特有の肌を刺すような魔力の高揚を隣のベッドから感じる。
 しかしその直後、放たれた雷の魔法はどう見ても威力が強すぎる。
 とはいえ隣の患者は、筋肉の鎧で武装した大柄の格闘家だった気がするので、まあ死ぬことはないだろうが。
「姉さん、戻りました!」
「じゃ今すぐ毒を消して!」
 それから側にいた若い看護婦を捕まえて、残りの患者がいつ運ばれてくるか尋ねようとした。
 だがその直後、看護婦の方が私の肩を掴んできた。
「大変ですエイナさん!」
 という声を聞いた時点で嫌な予感がしていたが、ここで逃げ出すことは勿論出来ない。
「酒場で『ゴブリンの肩肉』を食べた男達が、診療所の外に押しかけてきてるんですがどうしましょう!」
「何でそんな物食べたのよ」
「珍味だという話を聞いたとか」
「珍味どころか猛毒なんだけど」
 呆れつつ外をうかがえば、大の男10人ほどがバケツを片手に吐きまくっている。
 このまま放置したいところだが、ゴブリンの肩肉がこのまま消化されると非常にまずい。
「今すぐ胃洗浄する。水の魔法と透視魔法が使える子をかき集めてきて」
 私の言葉に若い看護婦が駆け出すのを見送ってから、私はその場をキキルに任せると男達の側へと向かった。
 ゲロまみれの男の体を支えながら、私は長い夜を覚悟した。


◇◇◇      ◇◇◇


 予想通り、満身創痍で運ばれてきた勇者と集団食中毒患者を捌き終わった時には、すでに深夜3時をすぎていた。
 普段は当直治癒術師の他に、師の弟子である研修中の治癒術師がいるのだが今日に限って彼らは隣町の学会に出向いているのでいない。
 故に完全に抜け出るきっかけを失った私は、結局5人の心肺蘇生を行い、19人に高位回復魔法をかけることになった。
 そうこうしているうちに時間は過ぎ、そして気がつけばもう真夜中と朝の境目である。
 今日は朝の9時から診察を行っていたので、さすがの私もクタクタだ。
 体力と違い魔力は回復が早いとは言え、最後の高位魔法10連発がさすがにきつかった。
 お陰で私の足はフラフラで、ついにキキルから「そろそろ帰らないと姐さんが死んじゃいます」と更衣室に押し込まれた次第である。
 明日はまた10時から昼の診察があるし、あと1時間もすればキキルより5倍は頼りになる師の弟子が来る時間だ。
 もう帰る。絶対に帰る。例え急患が運ばれてきても絶対に帰る。
 治癒術師失格だと言われそうな決意を胸に私が素早く荷物をまとめていると、そこにふらりとやってきたのは師だ。
 一瞬私の着替えを覗きに来たのかと思ったが、どうもそう言うわけではないらしい。
「今日は悪かったね」
 本当は小言の一つでも言ってやりたいところだが、師の顔は本当に申し訳なさそうだったのでやめた。
「さすがに老師だけじゃあの数は裁けないでしょう」
「キキルがもう少し落ち着いてくれればいいんだがなぁ」
「1年前まで、治療と言ったら回復魔法か治療魔法の連発しか知らなかったんです。仕方ないですよ」
「それは君も同じだろう」
 そう言って笑う師の言葉を、要領が良いだけですと曖昧に誤魔化す。
 深夜も開かれた診療所。と言うだけで十分珍しいが、ここにはもう一つ他の診療所にはない特徴がある。
 それは師の編み出した、黒魔術治療と言う物だ。
 基本的に治癒術師が行える回復は2種類しかない。傷の再生を飛躍的に高める基本回復術。そして毒や麻痺などを治す状態回復術だ。
 だが師曰く、人の体とはたった2種の魔法だけで癒せるほど単純ではない。そして体に害をもたらす物も、たった2種類の魔法で癒せるほど甘くはない。
 一般的に毒と言っても、消化不全を引き起こす軽度な物から、呼吸を止める物、臓器を腐らせる物と言ったように幅広い種類がある。
 そしてそれらを駆逐するには、適切な箇所に適切な処置を施すことが一番重要だ。
 それを見定め、必要とあらば攻撃魔法として用いる水や雷を生み出す黒魔術をも治療に取り入れるというのが、師の編み出した新しい治療法なのだ。
 実際、彼の治療は適切で回復効果が高く延命率も高い。
 少し前までは毒竜の毒霧と言えば確実に死に至る恐ろしい技だったが、風の魔法を組み合わせるという斬新な治療のお陰で、今では手順さえ誤らなければ回復は容易い。
 逆に斬新すぎて治癒術協会からはあまりいい目で見られていないようだが、その延命率の高さはリンドルの国王も認めており、故にあの手の重篤患者はみなこの診療所に運ばれてくるのだ。
 そしてそのあまりの多さに昼間の診療では捌ききれなくなったため、現在この診療所は24時間態勢で稼働している。
 とはいえ治癒術師が足りているとは言えない状況故、こうして時間外労働を強いられることは珍しくない。
「エイナには本当に頭が上がらんな」
「わかってるなら給料上げて下さい」
「来年は上げるよ」
「それ去年も言ってました」
 私の言葉に師は誤魔化すように虚空を仰ぐ。それに呆れつつ、私は時計を見て、それから白衣を脱ぎ捨てた。
「それかもう少し医師の数を増やして下さい」
「春にはもう少し弟子を増やすから、少しは楽になるはずだ」
「使える弟子にして下さいね」
 せめてキキル以上にと言えば、自分もそう願っていると師は項垂れた。


◇◇◇      ◇◇◇


 結局、着替えを終えて診療所を出たのは、深夜4時近くになっていた。
 思わずため息をついたのは、今更ながらに彼との約束を思い出したからである。
 さすがにこの時間はもう彼も寝ているだろう。急な仕事で約束をすっぽかすことは珍しいことではないが、だからこそ私は気が重かった。
 謝れば彼はいつも許してくれる。だけど彼は勇者ではあっても怒りを知らない女神様ではない。
 いつか呆れられるのではないか、愛想を尽かされるのではないか、私は約束を違えてしまうたび、そんな不安に縛られる。
 彼と私はもう旅の仲間ではなく。そしてそれを選んだのは私のはずなのに、未だ側にいる彼に期待する気持ちは消えてくれない。だからといって自分に素直にもなれない。
 そして一番たちが悪いのは、何だかんだ言って今の生活を心の底では気に入っていることだ。
 睡眠時間をロクに取れないほど忙しくても、やっぱり私は自分の手と魔法で、人の傷を癒やす仕事が好きなのだ。そしてそんな忙しい日々の中で、時折彼が些細な傷を見せに来てくれることが、私は嬉しくて仕方がないのだ。
 だが一方で忙しさは増し、年も取り、その上睡眠不足で肌はがさがさだし髪の枝毛も増える一方だ。
 そんな女の側に、彼は一体いつまでいてくれるのかと考えるたび、私の心は重く沈む。
「シチュー食べたかったな」
 ぼそりとこぼれた独り言に無性に悲しくなりながら、私は自分の家があるアパートへ向かおうとした。
 だがそのとき、唐突に私の前に人影が立ちふさがる。
 こんな時間に外に出ている輩といったら夜盗のたぐいだろう。
 そう思うと同時に炎を発動させる魔法呪文を唱えた直後、慌てた声が私の魔力を四散させる。
「エイナ、俺だ」
 それは、今夜はもう会えないと思っていた男の声で。途端に、私は体の力が抜けてしまった。
「どうしたのよこんな時間に?」
「待っても来ないから」
 彼の言葉に私は慌てて謝罪する。
「ごめん、急な団体さんが来ちゃって」
「わかってる、だから来た」
 そう言うと、彼は何の躊躇いもなく私の手から荷物を攫う。
「お腹空いてるだろうと思って、迎えに来た」
「でももうこんな時間だし。あなた明日からまた遠征じゃないの?」
「だからこそだ」
 さり気なく手まで取られて、私はもう逃げ場がなくなってしまった。
「シチューが残ってしまうだろ」
「捨てればいいのに」
「エイナのために作った物は捨てられない」
 町の街灯に照らされた彼の顔は酷く優しくて、だからうっかり泣きそうになってしまった。
「そう言うこと、息吐くみたいにするっと言わないで」
「事実を口にしたらまずいのか?」
「あんたの事実は私にとって毒なの」
 そしてその毒は、未だに解毒の仕方がわからないからたちが悪い。
「毒か……、なんだかそれも悪くないな」
「喜ぶ所じゃないわよ」
「でも毒だったらエイナに解毒の魔法をかけて貰える。俺は、エイナの魔法にかかるのが好きだから、だから毒で良い」
 どういう発想だと呆れつつも、何故だか堪えていた涙がうっかりこぼれてしまった。もちろん、彼に気付かれる前に拭ったが。
「解毒したらあんたは消えるのよ」
「俺はしつこいから、そう簡単には消えない」
 繋がれた上に指まで絡められて、私はもう今度こそ降参した。
「もういい、あんたの好きなようにしなさい」
「じゃあ家に来てくれ。ご飯を食べて、少しだけ話がしたい」
「下らない話だったら寝るからね」
「じゃあ俺はソファで、エイナはベッドで、昔野営した時みたいに一緒に、寝っ転がりながら話そう」
「話ながら寝ちゃうかもよ」
「それでも良い」
 エイナと一緒なら良いと言う言葉に、私は返す言葉を見失った。
 そんな私の動揺を知ってか知らずか、彼はおもむろに私と繋いでいた手を持ち上げた。
「あと、実は料理してるときに指を切ったんだ。だからあとで、魔力が戻ったら回復してほしい」
「わざと切ったんじゃないの?」
「わざとやるならもう少し大きい傷にしてる」
 そう言う彼に呆れながらも、私は彼と繋いだ掌に魔力を込める。
「女神の加護と癒しを」
 そしてそのままぎゅっと握ってやれば、魔法は絡んだ指を伝い、彼の傷を優しく癒やした。
「やっぱりエイナの魔法が一番好きだ。それに呪文を唱えているときのエイナは、凄く綺麗だ」
 何気ない言葉ではあったが、夜勤明けの治癒術師の体力を0にするくらいの一撃は秘めている。
「あんたって、本当に毒ね」
 思わず項垂れた私に、私の毒は穏やかに微笑んだ。
 その微笑みは忌々しいほど優しげで、だから私は治癒術師の癖に、この毒を消すことが出来ないのだ。


 午前三時の回復魔法【END】
※7/12誤字修正しました(ご指摘ありがとうございました)

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