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失恋ソング
作:灯夜


 ドアの向こう……小さな部屋の中央の背中は、思いっ切り不機嫌そうだった。

『失恋ソング』

 フローリングの床に、葵があぐらをかいてテレビを見ていた。
 裸足で歩く床は、まだ少し冷たい気もしたけど、彼女はそんな事を、ちっとも気にしていないみたいだ。
 ま、ジーンズに、サイズが二つ分は大きそうな、厚手のパーカーを着ているので、気にするほどのことじゃ無いのかもしれない。
 僕の方も、特に考えるのを後回しにして、学ランを脱いで壁のハンガーに掛けていく。学ランは嫌いじゃないんだけど、どうにも窮屈で、ジーパンにワイシャツ、いつもの格好に着替えていく。楽だし、結構気に入っている、何より、ファッションとか考えるのが苦手な僕にはちょうど良い。
 状況的には、あまり好ましくないのかもしれないけど、葵は背中を向けてるし、それに僕は男だから、見られてそこまで困るって程でもないし、それに何を言ってもいまさらな気もする。
 家が近所だから、なし崩し的にとはいえ、もうずっと、こんな近すぎる距離に居たんだから。
 着替え終わった所に、カリッと、何かを噛み砕く音がして、甘い香りが漂ってきた。
 振り返ってベッドに腰掛け、葵を観察してみると、肩甲骨に掛かるぐらいの癖っ毛は、見事にめちゃくちゃにハネていて、パーカーは昨日脱ぎ捨てたまま、羽織ったみたいで、ヨレヨレだった。周りには、封の開いたキャンディーの瓶に、放り投げられた鞄、はみ出した教科書、ビリビリに破かれた包装紙。
 後ろ手に放り投げられる、キャンディーの包み紙。
 そして、リモコンをテレビに向ける腕、暗くなるバラエティーの画面。テレビ横のラジカセとスピーカーに、這う様に近付く葵。繋がれたのは、彼女愛用の音楽プレーヤー。
 流れ出す、高い女性アーティストの歌声。

 その曲を、僕は勝手に『失恋ソング』の通称で呼んでいた。

 その理由なんて、非常にシンプルアンドイージー。
「聞いて」
 言いながら、くるりと振り返った葵と、目が合う。真正面からぶつかった視線、大きな瞳が少し赤い。服だけじゃなく、葵自身も少しヨレていた。
「イヤだ」
 ベッドで、真似するみたいにあぐらをかいてから、僕はそう応えた。
「あのね……」
 僕の答えなんか、最初から聞く気がないみたいで、そのまま語りだす葵。
「ぜったい、面倒事だ」
 呟くようにぼやいた台詞は、案の定、スピーカーの歌声にかき消された事になっていた。
「バレンタインデー」
「一ヶ月前だな」
 壁掛けのカレンダーを指さして答える。
「今日」
 葵は、微動だにせずに、ポツポツと単語だけを話している。
 しおれている方が、普段よりも可愛く見えるのは、やっぱり性格で損しているんだな、と思う。
 何というか、もう展開が読めて「ああ」と、そっけなく答える。
「……振られたのー!」
 葵は、涙目で叫んだ。
「あはははは」
 すかさず、笑い声を上げて仰け反る僕。壁にもたれかかって、ケタケタと笑い回る。
「笑うな、このヤロー!」
 バタバタと、両手を振り回して暴れる葵。
 僕は、ひとしきり笑ってから「ちなみに、ソレって」と、封の開いた、ちょっと高級そうなガラス瓶と、その中の可愛らしい包み紙にくるまれたキャンディーを指差す。
「ホワイトデーのお返し。別れ話だったのに、こういうとこだけ律儀なのが、余計にイラっとさせんだよ〜」
 中のキャンディーを二〜三個掴んで、投げつける葵。
 硬いキャンディーは、ぶつかるとちょっとイタイ。思いっ切り力を込めて、投げられたからかもしれないけど。
「袋入りの百円のじゃないだけ、きっと、愛が入ってるんだよ」
 僕にぶつかって、シーツの上に落ちたキャンディーを、一つ摘まんで、リボンみたいになっている包み紙の両端を引っ張って、中身を口に放る。
 ゴミは丸めて、葵の額へシュート。
「そういう問題か!」
 葵は、投げつけられた、丸めた包み紙を、掌で弾きながら、突っ込みを入れる。
 それに、また、ケタケタと軽そうに笑って「大体、イベントに乗じて、ってのが、浅はかだと思わない? 毎度、似たような失敗してさ」と、僕は言った。
「だって、だって――!」
 葵は、慌てて、目の前で手を振り回したけど、言い訳が思い付かないらしく、結局は、口をつぐんだ。
 それを、ニヤニヤ笑いで見守ってから「この、寂しんぼ」と、枕を投げつける。
 ポスンと、音を立てて、葵の顔にぶつかる枕。
 それをそのまま抱きしめて、数十秒顔を埋めてから「茶化すなー! バカー! 泣くぞ、このヤロー」と、葵は枕を投げ返す。
 だけど、顔は真っ赤なまま。

 多分、葵も、何かに焦ってる。
 それもそうだ、受験が終わって一年後、慣れ始めた途端に次の受験の選択を迫られて、何か振り出しに戻っているような感覚、覚えるっていう事の単純作業を繰り返す毎日。何か……掴めそうで掴めない、教科書の枠外の曖昧な答え。毎日を過ごしている中で、何かが足りない、欠けているという感覚。
 そして、それを、葵の場合は、恋愛の中で探しているんじゃないかと思う。
 だけど、それを上手く説明出来ずに、でも誤解されたくなくて、赤面してるんだろうな。

 そんな葵を見て、僕は、また、少しだけ笑った。

「そういえば、いつもその曲だよな」
「うん」
 暴れ疲れたのか、葵は、返事をしながらも、コテンと、そのまま横に転がった。
「何か、理由があるの?」
 いつか聞いてみよう、と、前から思っていたのだけど、実際に問いかけたのは、これが初めてだった。
「いや……特には」
 寝転んだまま、気だるそうな声が返ってくる。どこかポーっとした真顔で、そう言った言葉の裏側に、本音が隠れているとは思えない。
 何か、深い理由でもあるのかと思っていたので、少しテンポが乱された。
「まったく……第一、毎回それだと、区別つかなくなるだろ、何回目の恋人との思い出か、とか」
「へ? 別に、別れた相手を懐かしんで聞いてるんじゃないよ」
 凄くキョトンとした顔で、葵は答える。
「そうなのか? いや、失恋した時にしか聞いていないし、そうなのかなって、思ってただけだけど……ちなみに」
「ヒミツ」
 言葉を遮る様に、目の前に突き出された掌。
「秘密だよー」
 葵は、楽しそうな、勝ち誇った笑顔で、そう繰り返した。
 それを、少し真顔で見つめてから「ふーん」と、素っ気無く答えると、会話は終わりとばかりに、僕はベッド横の本棚から、漫画を抜き取って寝転がる。
 葵は、しばらくはじっとしていたけど、結局痺れを切らした様で、もぞもぞと立ち上がって、ベッドの縁まで這って来た。
「聞いてよ!」
 肩を掴んで、揺さぶる葵。
 本当に、予想を裏切らないヤツだと思う。
 結局、話したいんじゃないか。
「イヤだって、面倒だなあ、もう」
 左手で払って、そう言い放つ。
 すると、その手をつかまれて、右手の漫画を取り上げられ、僕を引っ張って起き上がらせられた。
「この曲聴いてる時って、司と一緒の事が多いじゃない……多いんだよ。それで、こうしてじゃれてたり、まったりしてたり、ふざけ合ったり、二人で過ごしてる時の事、思い出してるんだけどなー」
 照れながらも、嬉しそうに話す葵。
 こっちの反応を窺うように、覗き見る視線。
「ふーん」
 壁に背中を預けて、そう短く僕は答えた。
「何だよー。素っ気無いの」
 葵は、そう言いながら、僕の脇腹をパンチして、口を尖らせる。
「いや、だって……なぁ」
 分かるだろ? と、頭をかきながら、視線を送る。
 それを受ける表情は、焦りの色が、また少し出て来ていて「でも、でもさ、この際、司も有りかなー、とか、思ったりしてるんだけどな」と、両手を意味も無くバタバタ振り回して、誤魔化す様な苦笑いのあと、上目遣いに視線をぶつけて来た。
 きまりの悪そうな、やっちゃったミスを誤魔化しきれずに開き直った、みたいな顔。
 ちょっとだけ、ボーっと見詰めていると、居心地悪そうに、コロコロと表情を変えていく。それが、どこか微笑ましくて、額を指でピンと弾いて、からかって見たくなるのを堪えながら「僕が?」と、聞き返した。
 葵は、無言で、こくりとうなずく。
 真正面から、射抜くように見つめる葵と、たっぷり十秒は見つめあって「いやー……無いだろ、ソレは」と、苦笑いを浮かべる。
 グルグルと表情を変えてから、どこか恥ずかしそうに「何でだよ!」と、叫ぶ葵。
「それは……ほら、あれだ」
 ジト目で見詰める葵の視線を受けて、それでも上手い例えが見つからなくて、訳も無く辺りを見回し「失恋ソング」と、呟くように、そう僕は言った。
「何だよー、それ」
 さっきほどの元気は無く、それでも『あくまで冗談なんだからね』と、言いたげな、取り繕った余裕を貼り付けた顔。
 それを見て、ちょうど流れてきた、サビの部分に、右手でタクトを振る真似をしてみる。
「傷心担当?」
 僕は、顔中に軽そうな笑いを浮かべて、首を傾げた。
「聞き返すなよな」
 ポスンと、軽く胸に当てられた、葵の拳。
「一番の恋人じゃないから、ちょうど良い。そんな場所に置かれたら、息苦しくなって、逃げ出すかもよ?」
「ライクとラブの違いってか」
 そっぽ向いて、皮肉めいた笑みを浮かべる葵。
「そこまで大きくないって。ん〜、付き合うのボーダーラインを超えても、恋人とかにならない好き……かな?」
 ひとしきり難しい顔をしてから「ワケ分かんない」と、憮然としてそう言った葵に「僕にとっては、乙女心の方が難解だって」と、それだけを答えた。
 ちょっとだけしんみりとして、それを後押しするように、柔らかく消えていったメロディー。次の曲が始まる前に、手を伸ばして電源を落とした葵。
 窓の向こう、ゆっくりとかげっていく西日と、紫色の空。差し込む光に、キラキラと舞う、小さなホコリの粒子があって、やんわりとした暖かさの空気に、わずかに太陽の残り香を感じた。
 ほのかな沈黙に包まれて、秒針の一つ一つの、生きた鼓動が聞こえる気がした。
「司は、アタシに、都合良く使われてるなー、とかは思わないワケ?」
 ゆっくりと、その沈黙を揺らした声。
 多分、そうなんだろうな、とは、思っている。
 でも、それは結局、僕にとっても同じことが言えるわけで。
 だからといって、お互いに、そういう損得勘定みたいな、都合の良い相手、ぐらいにしか思っていない訳でも無くて……。
「さあ?」
 そう、僕は首を傾げて笑う。
「さあって……」
 葵は、どこか困ったような真顔で、固まってしまう。
「どうなのかな? 今後の課題ってヤツさ」
 ポンポン、と、彼女の頭に手を乗せて撫でる。
 その扱いに顔を赤くして抗議する仕草に、目を細めた。


 無理して伝えたい気持ちなんて無い。
 未熟な感情は、まだまだ発展途上。
 見切り発車の、恋人なんて線引きで、そこを止めてしまいたくなんて無い。
 それに、少し際どい今の関係に不満も無いし。
 同じようなモノを見て、違う選択肢を選ぶ僕らは――未だに、好きのテンポがバラバラなまま。
 二人のテーマは、失恋ソング。
 まだ、しばらくは……。


いかがでしたでしょうか?
ホワイトデーですので、この位の甘さのほうが、丁度良いかな、と思い、書いてみました。
今後の創作活動に活かしていきますので、ご意見、ご感想など御座いましたら、宜しくお願いいたします。













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