飛行機の事故の発生は、宝くじの一等が当たるより低い確率らしい。
それが初フライトだったらもう運命という以外言葉が見つからない。
夫婦と、その子供の兄妹。
僕は知っていながら引き止めることができなった。できるはずもない。
だって僕は猫だから。
猫にしては珍しい一人っ子だった。野良に生まれて、野良に育った。
そこは何も知らない子猫が生きいくていくのには厳しすぎる世界。それでも生きてこれたのは、僕には不思議な力があったから。
僕は未来を見ることができた。
そこに危険があると分かれば、そこを避けて通れば良い。そうして生きてきた。
でも、この力のせいで僕はいつも一人(匹?)ぼっち。同族は僕に気味の悪さを感じて近寄ろうともしなかった。
そして、それが一番だと思っていた。自ら選んで何もいない道を選ぶようになっていた。それは間違いなく安全だった。
僕が歩く道はいつも静かだった。
それが当たり前で、それでよかった頃。
その前の日に歩きすぎたためか、その日は草むらで昼間まで眠りこけていた。もちろんそこには誰も来ないと知っていたから。
誰も来ないはずなのに、僕はいきなり頭を撫でられた。目を覚ます。人間の子供だった。男の子。
怖さよりも驚きの方が大きくて、思わず距離を取った。
そのまま逃げてしまうこともできたのに、僕は止まって振り返る。
男の子もすぐに追いかけてきたりはしなかった。
不自然な距離を挟んで、僕らは向き合った。
男の子が先に動いた。ゆっくりと、足音すら消して僕に一歩一歩近づいてくる。
僕は逃げれなかった。見えなかったから。まるで男の子が幽霊であるかのように、未来が分からなかった。
男の子の小さな手が、もっと小さい僕の頭の上に置かれた。
それは幽霊ではない確かな温もり。今考えれば僕に触れたのは、僕の母猫以外でその男の子が初めてだった。
たっぷりと撫でた後、男の子がいきなり僕を抱きかかえた。そして歩き出す。
僕はどうしていいのかわからず身を縮める。もしかすると、どうなってもいい、という気持ちもあったのかもしれない。
その頃の僕は疲れていた。
そんな僕の気持に気がついたのかは分からないけど、男の子が腕に少し力を込めた。
男の子の前に、女の子がいた。
男の子より一回り小さい、男の子の妹。
妹が、男の子の腕の中にいる僕に恐る恐る手を伸ばす。
僕が何もしないことがわかると、女の子が僕を抱いた。
男の子に比べると大分危なっかしく、抱かれているほうにしてみれば気が気ではなかった。
それでも、一生懸命抱いてくれた。
男の子と女の子が、僕を抱いて歩いた。
男の子とその妹、その腕に抱かれた僕。
その前に、男の子と妹のお母さんが立っていた。長い髪を後ろで束ねたきれいな人。
でもその時は両手を腰に置いて仁王立ち、怒ったような顔で兄妹を見下ろしていた。兄妹は今にも泣き出しそうな顔で母親を見上げる。
この時も、僕はお母さんが次に何を言うのかわからなかった。妹が腕に力を込めて、少し痛かった。
お母さんがあきらめたように息を一つ吐いた。
「しょうがない。ちゃんと面倒見るんだよ」
お母さんの一言。
男の子と妹が歓声を上げて家に駆け込む。
僕がその家に始めて入った瞬間だった。
夜には仕事から帰ってきたお父さんにも会い、僕はこの家族と暮らすことになった。
逃げ出そうとは思わなかった。
何もしなくてお腹一杯食べられたのは初めてだった。
夜になって、僕は男の子と妹といっしょに眠った。
夜中に布団をかけ直しに来てくれたお母さんが、指先で僕の頭を撫でた。
「これからよろしくね」
母猫以外の誰かと眠るのは、これが初めてだった。
次の日になると、これまでどおり未来を見ることができた。
次に何が起こるのか、手に取るように未来がわかった。
でも、どうして昨日未来を見れなかったのかはわからなかった。
この家族と暮らして一年が過ぎた。
体が大きくなって、最近毛づくろいするのに時間がかかるようになった。
体以外にも、自分が変ったと感じることがある。
近所の猫たちと交流を持つようになって、僕にも同族の友達ができた。
力を使うことが少なくなった。今の生活が平和すぎるというのもあるのだろうけど、今思えば昔は事あるごとに力を使っていた。事がなくても使っていた。そうしなければ生きていけなかった。
それを考えれば今がどれだけ幸せなことか。
最近はお母さんが怒るかどうかに使うくらい。それも今では力なんかつかわなくてもわかるようになった。
猫の僕でもわかるのに、僕以上に怒られている男の子と妹は未だに初中怒鳴られている。人間の成長は時間が掛かるものだ。
あと、夕飯は力で献立を見てしまうより、出てきて初めて知る方が楽しいし、おいしい気がすることがわかった。これは一番の発見だ。
平和だった。
でも、かつて平和でない日々を送っていた僕は、この日がいつまで続くのだろう、なんて思ったりすることもあった。
そして、それはあまりにも唐突だった。
お日様が昇るお昼前、気持ちよく昼寝をしていた。
ユメを見た。
いつもの家、なにも変ったとこはない。
それなのに、だれもいなかった。ただ静かで、僕一匹だけだった。
ユメの中の僕はそれが当たり前で、それを知っていて、それを受け入れていた。そしてずっと一匹だった。
そんな怖いユメ。
ユメから覚めた僕は、久しぶりに力を使ってみた。
そして、ユメと同じものが見えた。
一日、一日と時間が過ぎていくと、具体的にわかるようになってきた。
家族旅行。飛行機。事故。
映像が流れ込んできた。力を使わなくても。
それでも、僕にはなにもできなかった。だって僕は猫だから。
時間は迫るように過ぎてゆく。
ゆっくりと早く、早くゆっくりと。
そして、その日はやってきた。
僕はご近所さんの家に預けられた。
「お土産かってくるからねー」
妹がそう言って僕を撫でる。
そして、四人はタクシーに乗り込んで空港へ向かった。
特別なことなんてないただの別れ。
タクシーを見送った後で、僕はそのご近所さんの家には行かず、自分の家に戻った。
お母さんがしっかりと戸締りをしていったため中には入れなかった。
僕は家の戸の前で丸くなる。
僕は、また一匹だけになった。
どうやら眠ってしまっていたようで、目を開けても真っ暗だった。
大きく伸びをして体をほぐす。だんだんと目が慣れてくる。
空に見えるのは月一つ。静かな夜だった。
たぶん明日になればたくさんの人がここにやって来る。悲しいことだがそこに僕の家族はいない。
そして、すぐにだれもいなくなる。その後はわからない。
それまでにはここを離れようと思う。
ただもう少しだけここに居たい。僕はもう一度だけ家を眺めた。
夜を切り裂くようなヘッドライトに、ブレーキ音。
突然の光に僕は目を細める。
一台のタクシーが家の前に止まった。
男の子、妹、お母さん、お父さん、が順番にタクシーから降りる。
「あーあー、着いちゃったー……」
「しょうがないでしょ。飛行機事故で今日は全便欠航なんだから。私達だけじゃないの」
「それにしてもツイてないな。今日一日待たされて終わったようなもんだ」
「つかれたー。……あれ?」
妹が家の前にいる僕に気がついた。すぐに他の三人も僕を見た。
僕は動けなかった。暗闇なのに四人の姿がはっきり見えた。
それは僕が見た未来とは違う現実。何がなんだかわからなかった。
「わー。あたし達の帰り待っててくれんだー、えらい子。ねぇ、お母さん。あたし達、早く帰って来てよかったね。じゃなかったら何日も待たせちゃうところだったね」
妹が僕を抱き上げる。
そしてみんなが妹の言葉に頷いて、僕を撫でてくれた。
「よし。じゃあ明日は一緒に海にでも行っておいしい物でも食べようか。日帰りだけど」
お父さんの言葉に男の子と妹が歓声を上げた。
みんなの声、温もり、全てが本物で、ちゃんと生きていることがやっと感じられた。
うれしくて、安心して、そんな感情全てが僕の中で溢れていた。
いつもは落っこちそうになる妹の腕の中、僕は初めて全体重を預けても怖くなかった。
「重くなったねー」
妹が楽しそうに言った。
真っ暗だった家に明かりが灯った。そして、僕は再び家の中に入ることができた。一匹だけでなく、四人の家族と一緒に。
見えた未来が違っていたのはそれが初めてだった。原因なんかわかるわけもない。
でもそれが最後の一回になった。なぜならこれを最後に力を使うのはやめてしまったから。
未来なんてものは不確かで、常に動き続けているような物なんだと思う。僕に見えたのは、たぶんその中で一番可能性があったこと。もしかすると、ただのユメだったのかもしれない。
この前久しぶりに力を使ってみようと思った。だいぶ使っていなかったせいなのか、どうすればいいかすっかり忘れてしまっていて、結局何も見ることができなかった。
かわりに、男の子と妹が僕を呼ぶ声が聞こえた。
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