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ヤサシイココロ

作者:要徹
『まもなく、一番乗り場に列車が参ります。黄色い線の内側まで、お下がりください』
 どこの誰とも知らぬ女性の声が、列車の到着を知らせる。
 今日の空はどんよりと曇っており、太陽光はわずかしか地上に届かない。そのせいか、分厚い雲のような感情が私をすっぽりと包み込んでいる。
 私は、かれこれ三十分前からこの駅で列車を待っていた。ずっと立ち続けていたせいか、足が棒のようになっている。普段ならば、十数分で列車が来るのだが、今日は違った。原因は人身事故。誰かが線路に侵入したということらしい。こんなことが、月に一回……いや、週に一回は起こる。実に不思議なものだ。
 先程のアナウンスから間もなく、列車が轟音と共にホームへやってきた。そして、ゆっくりと停止し始める。私は扉が開く前に、どこか席が空いていないものかと、車内を見回したが空いている席はどこにもなかった。
 人身事故により、列車が遅れているためだろう。小学生から社会人の人まで、多くの人がその列車に乗り合わせている。皆が険しい顔でいる。
 空気の抜ける音がすると、扉が左右に開いた。
 私は、扉前にいる人々をかき分けて通路側へ行き、吊革に手を掛けた。なんだかんだで、通路側が一番落ち着くのだ。扉の傍にいても押しつぶされるだけで、何の得もない。
 目の前の七人掛けの席には、小学生が五人――そのうち四人は女の子だ――と、サラリーマン風の男が二人腰かけていた。
 ふと、座席の右側に腰かけている小学生女子の手元を見てみると、『六―二 一班班ノート』と書かれたノートを持っていた。女子生徒は、ノートを見ながら笑っている。実に楽しそうな光景だ。これは、交換日記のようなものだ。私が小学生か、中学生の頃にもやらされたことがあるのを思い出す。
 人間、このような経験を通じて優しい、立派な大人になっていくものだ。彼女たちには、今のこの貴重な時間を大事にしてもらいたい、と思った。
 そしてその後、私の目の前の席に座っている少年の方へと目を向けた。
 その少年は、『中学入試』と書かれた参考書を熱心に読んでいた。この少年は小学六年生くらいだろうか。少年が参考書を眺めている姿を見ていると、なんとも言えない気分になる。
 おそらく親の独りよがりな考えのせいだろう。遊び盛りの少年を机に張り付けておくなど、私には考えられなかった。受験戦争という戦火に、我が息子を放り込むのだ。そして、その先に待っているものは幸福な人生とは限らない。戦いの果てに、一体何があるというのだろうか。勉強なんかよりも、子供の頃にしか出来ないことこそ、今のうちにやらせておくべきなのだ。勉強なんて、後々嫌でもやらなければいけない時がくる。
 ――勉強ばかりさせていると、優しい心が育たなかったりするんだよな。
 私は彼の未来を憂い、小さくため息をついた。
 そんなことを考えているうちに、次の駅へと到着した。また、様々な人間が乗り降りしている。その乗客の中には、かなり老齢と思われるお婆さんがいた。
 そのお婆さんは人をかきわけて、私の隣の吊革に掴まった。お婆さんはかなり辛そうな顔している。だが、このお婆さんに誰も席を譲ってやろうとはしない。それどころか、ある者は目を瞑って知らんふりをしている。やつらの目はただの飾りものなのだろうか。
 私が少し苛ついていると、さっきまで参考書を読んでいた、私が優しい心なんて育たないと考えた少年が立ち上がり、どうぞ座ってください、と言った。
 なんて心の優しい少年なのだろう、と私は思った。勉強ばかりしている子供も、捨てたものじゃない。むしろ、勝手な妄想で人の心を決めつけていた私の方が優しくなかった。私は、自分の未熟さを恥じ、ほろりと涙を流した。

 そして、私は少年の言葉に感動しつつ、彼の座っていた席へと腰を下ろした。
 電車内で席を譲ろうとして
「あ、次の駅で降りるんでいいです」
 と断られた時は、何とも言えない切ない気分になりますよね。
 私はそういう時、
「ぼくも次で降りるんですよ。奇遇ですねぇ」
 だなんて言って、言葉通り次の駅で降車し、何で自分はここで降りているんだろう、と訳の解らない後悔に浸ったりします。もちろんですが、私の目的地はもっと先です。要するに、先の行動は照れ隠しなんです。
 だって、断られてもう一度座り直すのって恥ずかしいじゃないですか。
 そんなどうしようもないシャイボーイ(?)が私なのです。

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