第七話 逃走
俺の背後から駆け寄ってきた足音は勝だった。
「愛子をどうするつもりだ!」
俺は、勝を厳しい目で睨み付けて言った。
「勘違いするな。私は、愛子を助けたんだ。京子にさらわれそうになっていたんだ!」
勝はそう声を荒げて、大げさに両腕を広げて言った。
「嘘をつくな!」
俺の目は厳しさを増した。
「嘘じゃない! お前は何もわかってない! これを見ろ!」
そう言って勝はスーツの上着のポケットから封筒を取り出した。俺はひと目見て、その封筒がなんであるかを悟った。きっとその茶封筒の中身はアノ手紙だと。
「これが何か分かるだろ。お前のところにも届いているだろ。これは京子の仕業だ!」
再び勝は声を荒げた。
俺は母、京子と茶封筒を結びつける接点を知る由も無い。事実としてあるのは、俺の家から愛子を連れ去ったのは、目の前にいる勝だと言うことだ。悪あがきにも、勝がその場しのぎの嘘をついたとも考えられた。
勝はジリジリと俺に近づいてくる……。俺は勝から目を離さずに無言で炯眼した。すると俺の視野、勝の背後十メートル程の倉庫の物影から人が現れた。
俺が目線を移すと、それに気付いた勝は咄嗟に身を翻す。俺と勝……二人の目線の先にいたのは、京子だった。なぜここに京子がいるのか? 俺の後をつけてきたのであろうか。周りを気にせずに一心にこの現場へ向かったことは隠しようの無い事実、自分の不警戒さに苛立ちを覚えた。
「あなた……。ここで何を?」
京子はその場で立ち止まると、勝に問う。その表情は冷静で、落ち着いているように見えた。勝は不意をつかれたかのように、驚き止っている。京子が姿を現した事にそれほど驚く事が不思議にも思えた。京子はジッと勝を見つめていたが、ほんの一瞬、俺に目を移した。
「隆! 大丈夫なの? この人にかかわっては駄目よ! 早く逃げなさい!」
俺の思考は停止していた。一歩も動かずにその場に立ち尽くしていた。逃げてどうなる。愛子はここにいる。視界に映る二人のどちらも俺は信用できなかった……。
次の瞬間。
『ドンドンドン!』目覚めた愛子が俺の姿を見て激しく窓を叩いた。そして、京子は足早にこちらへ向かって走り寄ってくる。それを止めるように勝は京子の前へ体を張った。
その光景は、まるで早回しのコマ送りでも見ているように瞬間的に展開され、俺は激しく首を左右に振り、二つの状況を目を見開いて凝視していた。
「うう!……」
勝が京子の体に寄り掛かっていた。その左手は京子の肩の衣類を強く握り締めている。勝の背中で京子の体は隠れ、何をされたか分からない。だがそれは、すぐに分かった。勝の背中は徐々に崩れるように沈んでいき、京子の姿が現れた。その右手には、血まみれのナイフ……。右手にも血が付着し、衣類も血に塗れている。
勝は渾身の力で京子の腰の辺りを両腕で抱きかかえる様にしがみ付くと、大声を上げて叫んだ。
「愛子を連れて逃げろ!」
車内の愛子は、急いで車のドアロックを解除した。足元が落ち着かずに倒れるようにして飛び出してきた。俺は愛子を抱きかかえるように受け止めると、愛子の手首を掴み、脇目もふらずに走り出した。愛子は足を空回りさせるようにして懸命についてきた。
その場を少し離れると、道端に乗り捨てられた自転車が見に入ってきた。急いでその自転車に二人乗りして、俺は目一杯の力で漕ぎ出した。港を遠く離れると段々と落ち着きを取り戻してきた。
「ふぅー……」
溜め息はいつもの癖だ。無理やりにでも落ち着こうとしているのが自分でもわかった。
京子が愛子の命を狙っているのであろうか……。勝は愛子の身が危険なのがわかって俺のところからさらう様にして愛子を連れ出したのだ。きっと京子がどこに愛子がいるのかを知ったことを知って強行したのだろう。そうなると、一連の騒動の犯人は京子になる。でもなぜ京子がそんなことを……。そんなことを考えているよりも今は安全な場所へ愛子を移動させることだ。あの二人の事を考えている余裕などなかった。
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