第五話 戸籍
深夜三時、俺はソファに腰掛けてタバコを吸っていた。
ベッドで眠りについている愛子の寝顔を尻目に俺は家を出た。これから愛子殺害のための道具を購入するためだ。殺害と言っても本当に殺すわけではない。犯人に死んだと思わせるだけだ。これから愛子を軟禁する。内側からドアを開けられなくするための簡単な南京錠でもあればいい。俺は車に乗り込むと、街へ車を走らせた。
買い物はものの三十分ほどで戻ってこられた。南京錠にロープ、そしてナイフを購入した。事件にでもなって調べられたら、すぐに足が付きそうな三点セットだが実際に使うのは南京錠だけであってほしいと俺は心の中で願う。
部屋へ戻り、愛子の姿を確認すると、早速、南京錠を取り付けた。ドアの内側、天井付近に二つ、外側はドアの一番上と一番下に二つセットした。
日が昇ろうとしている空を感じながら、その夜は内側の南京錠に鍵を掛けて、俺はソファで眠りについた。
――――――
「いつまで寝てんのよ! 早く起きて」
俺は愛子の声で目を開けた。明るい光が目に入り、思わずもう一度、目を閉じる。
「何時だと思ってんのよ」
再び浴びせられる愛子の声に俺はゆっくり片目を開けて時計を見ると、まだ七時だ……。いつもの俺は早くとも精々起きるのは十時なのに……。
「まだ七時じゃないか……」
「朝ご飯作ったんだから、起きてよぉー」
愛子は、駄々を捏ねる様な甘い声で俺に訴えてくる。俺が目を開けると愛子の顔は、素早く俺の顔に接近した。髪を後ろで束ねたその表情は可愛く、俺の胸は鼓動を早くしていた。
これまでの出来事の事とは裏腹に、なんて平和な朝なんだと、どこか拍子抜けすら感じる。まるで同棲でもしているようだ……。
「ね、起きて」
「はい、はい」
俺の体を軽く揺らし始める愛子に相槌を打ちながら、気だるい体を持ち上げた。
「冷蔵庫にあったもので作ったからね」
愛子はニコニコしながら俺の隣に腰掛けた。ソファの前のテーブルにはスクランブルエッグとソーセージ、あとは食パンが並べられている。俺は普段、気の向いた時しか自炊しないため冷蔵庫の中には大した物は入ってはいない。テーブルに並んでいるものは冷蔵庫の中身、殆どと言っていい。
簡単に出来る料理とは言え、美味しかった。予想を裏切る美味しさに、俺は愛子を見直してしまっていた。それと言うのも昨日の『救世主』発言からこの子は、変わった子だと自分の中で決め付けていたからだ。それと、親父と関わる人間にこれまで真っ当な人に出会った事がなかった事もある。
俺はこれから愛子を軟禁する。愛子に気付かれぬように、いかにも自然に愛子をこの世から抹殺する。
「愛子……この家から出るのは危険だから、しばらくの間はここに居てもらうよ。それと誰が見ているのか分らないから、カーテンはいつも閉めて窓際には立たない。分かったね」
「はい」
愛子から素直な返事が聞けたが、素直すぎて不安を感じた。俺は警戒しすぎなのだろうか。自然と張り詰める緊張感が体から涌き出るのを感じていた。
『トゥルルルルルル……トゥルルルルルル……』
「なんだよ、こんな朝早くに」
俺は箸を置くと、面倒臭く電話の受話器を取った。電話は姉の夫の健太からだった。
「隆君、すぐにでも会ってくれ。真奈の荷物を片付けていたら気になるものを見つけたんだ。隆君にも見てもらいたい」
「なにを見つけたんだ」
俺が問うと、健太は言葉を詰まらせた。
「電話じゃちょっと…… 直接見てほしい、頼むよ」
慌てた気持ちを無理やり押さえ込んでいるような、落ち着きの無い話し方で健太は訴えていた。俺は家の近くの公園で落ち合う約束を健太と交わした。
「いってらっしゃーい」
俺は愛子の声に拍子抜けした。愛子は自分の世界を生きているように感じてしまう。だがその声は、俺の心に張り詰めた糸をほんの少し緩めてくれ、心のゆとりを与えてくれていた。
「大人しくしてるんだぞ、お前は居ない事になっているんだから、誰か着ても相手するなよ」
「はーい。あ! これ持って行って!」
何かを思い出すように愛子が差し出したのは携帯電話だった。
「私は二つ持ってるから、一個持ってって。そっちのアドレスに愛子って入ってるから寂しくなったら掛けてね。私が掛けちゃうかも……てへ」
愛子は、はにかみながら俺を見つめていた。俺は携帯電話の存在をすっかり忘れていた。自分が持ち歩いていないために気付かなかったのだ。
「言い忘れていたけど、携帯電話がかかってきても出ちゃ駄目だぞ、メールも駄目、それとそこの電話も駄目だ」
俺は指差し確認するように、愛子の携帯電話とデスクの上に置かれた電話を指差した。
「はーい」
愛子はニコニコと笑顔で俺に手を振っていた。俺は携帯電話を受け取ると、家を出た。玄関のドアと南京錠に鍵を掛け終わると、階段を駆け下りて郵便受けを何気にあける。郵便受けは新聞が挿してあるだけで手紙は入っていなかった。
俺は車に乗り、レンタカーを返し終わると、指定した公園へ向かった。指定した公園はさほど広いものではない。公園らしく滑り台や鉄棒、砂場などがある。外側が高い木で覆われていて、日中は日陰の範囲が広い。
俺は公園に着いて辺りを見渡した。木陰になっているベンチに健太は座っていた。公園にはその他、人の気配はない。公園どころか、公園周りの細道にもひと気はなかった。
健太は俺に気付くと、俺に向かって無言で軽く手を上げた。俺もそれに答えて軽く手を上げて近づいていった。
「ありがとう、隆君…… 来てくれて……」
健太の表情はどんよりと暗く沈んでいる。顎に薄っすらと見える無精髭が、どことなく疲れを感じさせていた。俺は健太の隣に腰掛けると、タバコに火を点けた。
健太は一度、大きく溜め息をついてから、肩にかけていた薄っぺらな鞄から一枚の紙を取り出した。
「いつのものかは分からないのだけど……」
そう言って健太が取り出したのは、戸籍抄本だった。俺はその中身に驚愕した。家族の欄に目を移すと、そこには父、勝。母、奈保。奈保?……。俺の知らない名前だった。俺の母親の名前は京子……。さらに驚かされたのは子供の名前だった。
長女、真奈。次女、愛子。愛子?……。これはどう言う事なのだろうか……。愛子とは、大山愛子なのだろうか……。
そして俺の存在はどうなるのだろうか?……。京子と勝の関係は?……。
「これは、いったい……」
俺は言葉を失って、ただただ書類を炯眼するだけだった。頭の中は、色々な可能性を模索していた。
「これを見て、京子さんに電話したんだけど繋がらないんだ……。それどころか、家に行ったら誰も居ないし、病院にも入院してなかったんだよ」
健太の言葉は俺の耳を掠めるだけだった。俺の耳は集中力を失い、まともに音を拾わない。
「隆君……。聞いてくれているかい?」
健太は俺を気遣って、片手を俺の肩へやさしく添えた。精神的ショック状態にある俺の様子を無言で見守っていた。健太は俺を宥める様に話し始めた。
「母親が違った事は真奈も最近知ったのじゃないかと思う。前から知っていたのなら、きっと俺に話してくれていたはずだから……。奈保さんと愛子って子がどこの誰かは分からないけど、隆君は京子さんの子だよ」
そう言って健太はもう一枚の抄本を見せた。それは最近の物で奈保と愛子の名前は無かった。京子と隆に代わっている。過去、家族に何があったと言うのであろうか……。
俺は自分の存在を否定された様で、気持ちの整理がつかずにいつまでもベンチに座り込んでいた……。
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