第一話 茶封筒
ある日、俺のもとへ一通の手紙が届いた。
いつものようにアパートの階段を上がり、部屋へ入ると、極有り触れたその茶封筒をいつもの様に乱暴に机の上に放った。俺はソファへ腰をかけると、無意識に天井を見上げていた。
「はぁー」
自分でも自覚している悪い癖か、溜め息がついつい出てしまう。
毎日、たいした変化も無い日常に飽き飽きしていた。タバコを口にくわえて火を点けると先程、放り投げた茶封筒へ目をやった。
『松岡 隆 様へ』と書かれたその封筒は、どこにでもある普通の封筒だ。こんなものを見ていても何もおもしろくは無い。
だが、俺はその中身を見て顔をしかめる事となった。
『大山 愛子 を殺しなさい 年齢二十歳、住所――』
馬鹿馬鹿しい。誰が好き好んで人を殺す?見ず知らずの名前だった。続けて内容は。
『一週間以内に実行しない場合は、あなたの家族がどうなっても知りませんよ』
「悪戯か……」
またまた馬鹿馬鹿しいと俺は感じていた。実行しないと、どうなると言うんだ。
俺は、三年前に地元の高校を中退し、なかば勘当同然の状態で家を出ていた。幼い頃からカメラが好きだった俺は、カメラマンになる夢を叶えるため、親の反対を押し切り、田舎を離れて町で一人暮らしを始めた。今年で二十歳だ。
前なら、風景写真を撮ったり、店の宣伝写真を撮ったりしていた自分だったが、今では堕落し、芸能人のスキャンダルなど、非人事的行為を重ねている。ある種、犯罪まがいの事も行っている。そんな俺だから、この種の嫌がらせも珍しいことではなかった。
もし、俺が真に受け、同い年の愛子さんを殺しでもしたら、それこそ犯罪者だ。刑務所に入ることになるだろう。
そんな手紙は、ゴミ箱へサヨナラした。
いつしか時は経ち、手紙が届いてから一週間が経っていた。手紙の事をすっかり忘れていた俺だが、思わぬことを耳にすることとなった……。
――――――
『トゥルルルルル……トゥルルルルルル……』
「うーん……電話か……」
カーテンの隙間から光が差し込む朝、俺は電話に起こされた。携帯電話を持っていない俺への連絡方法と言えば、鳴っている固定電話と手紙の類いくらいだ。
重い体にムチを打ち右手を受話器へ伸ばす。
「あい、松岡」
「真奈だけど……母さんが車にひかれて……」
姉さんの声だった。話によると母が車にひき逃げされて、入院したらしい。
「ひき逃げって、犯人は?」
「詳しいことはわかってないの、市民病院にいるから隆も着て……お願い……」
落ち着きが無く、泣き出しそうな声で訴えていたが、姉を宥めて病院へ行くのを断った。今の自分では、母に会わせる顔がないからだ。
「俺は行けないけど母さんを頼むよ。それと、なにかあったら電話して」
気が咎めた面はあったが、俺は行くことを拒んだ。
一週間前に届いた手紙のことを思い出し、眉間にしわを寄せる。落ち着いてはいたが無意識にタバコに火を点けて考え始めた。
「家族がどうなっても知りませんよ……か……まさかな……」
俺の家族は四人家族で父、母、姉、俺で両親との関係は最悪な状態。でも姉とは悪い関係ではなかった。去年、姉は結婚した。式に俺は出席しなかったが、遅れて電話で祝福し、その時この電話番号を教えた。あれから半年して、かかってきた電話がアレとはなんとも皮肉なものである。
知らせがないのは、良い知らせとは良く言ったものだ。両親はともかく、姉の身に何も起きなったことに少し安心していた。
――――――
数日後、見覚えのある封筒が届いていた……。
『松岡 隆 様へ』
「また来たのか?……」
明朝体で書かれた文字には、なんら感情を感じさせない。手紙の中身を見なくとも、内容は大体の見当がついた。また誰かを殺せと言う内容だろう。
動揺を隠せずに部屋へ入ると乱暴に中身を出す。
『あなたのお母様がご無事で何よりです。これは警告です。隆 様が実行されない場合、あなたの家族の命は保障できません』
俺の頭の中は今より前の一週間が過ぎった。殺人命令とも取れる手紙が届き、実行しなかったため母がひき逃げされた事実は偶然ではないだろう。手紙の主が犯人であることも明らかだ。
『大山 愛子 を殺しなさい 年齢二十歳、住所――』
再び、同じ内容の手紙だ。頭の中は困惑し、それでも落ち着こうとソファに座り、タバコに火を点ける。
「あなたの家族が……ってことは俺には危害を加えないのか?」
こんな考えが浮かぶ自分を自嘲する。
警察に知らせたらどうだろうか。俺の知る限り警察なんてものは事件性が認められなければ動かない。現時点では偶然とされて相手にされない事が予想できた。
閑散とした部屋で葛藤する。家族を守るために人を殺めるのか。それとも、むざむざと家族を殺されるのを待つのか。
決断ができぬまま四日が過ぎていた……。
仕事も覚束ない。打開策を考える日々が続いた。
「もう限界だ……大山 愛子……」
開き直って、愛子の住所へ足を急がせた。足取りは俺の心とは裏腹に、意外にも軽いものだったが、鼓動は加速しているのを俺は感じた。
その夜、住所に書かれた家に着くと、陰から家の中を覗く。一軒家の一見洋風を思わせる二階建ての家だった。
仕事柄、いつもデジカメを持ち歩いてはいたが、まるで、大山愛子の盗撮犯だ。
しばらくすると二階の明かりに若い女性の姿がチラつく。
小柄な可愛らしい女性だ。
「あれが大山愛子か?」
確信はあったが、いざとなると勇気が持てずに胸が不規則に鼓動していた。仕事なら何の迷いもなく押すシャッターがなかなか押せない。自分が殺すかもしれないその女性の姿を写真に収める行為が不気味にも感じた。
俺は意を決して震える手を押さえ込んで何枚かカメラに収めると、その場を後にした。
なぜ、カメラに収める必要があったのか自分でも分らなかったが、カメラマンの性だろうと自分で納得していた。殺す相手をしっかり見ておきたい感情が生まれていたのかもしれない。
部屋へ戻り写真を現像すると、殺人を犯す気は遠のいていた。写真に写っている子の人生を奪っていいはずが無い。殺す勇気が無いわけではなかった。人として殺人を犯す所業がやってはならぬことと俺は判断した。それよりも犯人を捜すことだ。
手掛かりとなるのは手紙しかなかったが、その手紙から犯人を捜すことはできず期限の一週間がまた過ぎようとしていた……。
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