第5話 保健室☆パニック
女の子での学園生活を始めて、早十日。
僕はすっかり、女の子として、この学園生活に慣れ始めていた。
……ああ。
なんだか、自分で言ってて、すごく空しい。
でも、やっぱり、まだ慣れないものとかがある訳で……。
例えば、そう。
今のこの状況とかが、そのひとつでもあります。
「あれ? 伊藤さん、着替えないの?」
既に、体操服に着替え終わった女子生徒から、声がかかる。
風見学園の体操服は、なぜか、女子生徒はブルマと決まっている。
はぁ〜、なんでブルマ……?
今の時代でブルマって、なんて希少かつマニアックなんだろうか……。
あぅ……。
やっぱり、こんなの僕、着る事ができませんよ。
さすがに、まだ僕にも男の意地というものが残っています!
はぁ〜……、鬱だ。
そのうち、精神的な病気で、うっかり病に陥りそうだ。
「伊藤さん! 早く着替えないと、体育の時間遅れるよ?」
他の女子生徒は着替え終わって、体育館へと向かったので、更衣室には僕と彼女しかいなかった。
「あ、……う、うん! さ、先に行っててくれるかな? “私”、ちょっと体調崩しちゃって……」
……“私”。
僕は学園にいる間は、自分の事を「私」と呼ぶようにしている。
さすがに、高校生にもなって、自分の事を「僕」と呼ぶ女の子はいない。
僕が男の子だった事が、バレないようにするためにも、色々と身近な所から変えなきゃいけないと思ったからだ。
それにしても、……やっぱり慣れないものだなぁ。
“私”って……、はぁ〜。
「伊藤さん、大丈夫? 最近、結構多いけど……」
「ああ、……うん。でも、大丈夫だから!」
「そう? ……ならいいんだけど」
「ありがと、佐倉さん」
僕は苦笑しながら、彼女にそう言った。
佐倉 唯さん
この学園で、初めてできた女の子の友達だ。
すごく優しい子で、何かあるたびに心配してくれる。
僕の知っている人の中で、数少ない良識のある人だ。
こんな良い女の子と友達になれた事に、本当に感謝したい。
ありがとう、神様……!
「もう時間だから、佐倉さんは先に行ってて!」
「え……? でも……」
佐倉さんは、僕の顔を見て、心配そうな表情をする。
「保健室に行くだけなら、一人でも大丈夫! だから、佐倉さん、先に行って。もうすぐ、チャイムが鳴るし、このままだと遅れちゃうよ?」
「……わかったわ」
佐倉さんは、渋々と納得するも、まだ僕の事を心配してくれているのか、僕の方をチラッと見た。
そして、思い残したような顔をしながら、更衣室を出て行った。
僕は佐倉さんを見送った後、保健室へ向かった。
もちろん、僕の身体には怪我なんてないし、どこも悪くない。
……しかし。
やっぱりまだ、ブルマを穿くという事に抵抗感が残っていたのだ。
佐倉さん、本当にごめんなさい。
心配をかけてもらっているのに、こんなくだらない理由で授業をサボっちゃって……。
「はぁ〜」
なんだか、彼女の信頼を裏切っているみたいで、自分に嫌悪感を抱いてしまった。
「はぁ〜……」
もう一度、深いため息をついてしまう。
そういえば、最近、ため息をつく事が非常に多くなっている。
もちろん、ため息の原因は、主に兄さん絡みだ。
だが、少なくとも学園では、兄さんはあまり関与していないので、やっぱりこれは自分の責任なのかもしれない。
いや、責任じゃなくて、僕のワガママだな……。
やっぱり、ブルマを穿かなきゃいけないのかな……。
はぁ〜。
保健室へと着く。
「失礼します」
ドアをそっと開け、一言入れてから、保健室へと入る。
入った瞬間、保健の相崎先生と目があった。
「あら、“また”、貴方ね……。何? 今度はどうしたの?」
相崎先生は呆れた顔を浮かべては、苦々しく言った。
「あ〜……えーと、また、体調が悪くなっちゃって……」
あはは、と苦笑いする僕。
相崎 真弓先生。
保健室の先生をしており、体育の時間をサボる際、お世話になっている先生だ。
「はぁ、“また”……ねぇ〜……」
軽い溜め息をついた後、先生は疑っているような眼差しを僕へ向けた。
……さすがに体育の時間を立て続けに五回も休むと、それはもう確実にバレてしまうだろう。
あぅ……。
「伊藤さんは授業を休みたいの?」
「はい、休みたいです」
「あら……、即答ね。それに偉く元気な声だし。……まぁ、いいわ。右端のベッドが空いているから、そこ使って」
「あ、ありがとうございます」
僕はホッと、息をつく。
なんだかんだ言っても、授業に返さずに僕をいつも保健室で休ませてくれている先生に深く感謝した。
……もしかしたら、先生は僕が仮病で休んでいる事に気がついているかもしれない。
「アタシはちょっと用事があるから、職員室に戻るわ。授業が終わるまでには帰ってくるから、安静にして寝ていなさい。……わかった?」
最後に念を押すように言われる。
「わかってます」
と、まるで当たり前のように僕がそう言うと、先生は苦笑して保健室を出て行った。
先生が出て行った後、僕はベッドへと向かい、座った。
窓からは、眩しい日差しが入り込んでいて、とても寝れそうにない。
「はぁ……」
僕はかったるい嘆息をつきながら、カーテンを閉めようとした。
しかし、運動場で男子が体育の授業を受けていた所を発見して、それに気をとられてしまう。
今日の男子体育の授業内容はサッカーのようだ。
今、2つのチームに分かれて試合を行っている。
……なかなかの接戦だ。
どちらも点は取れてなく、お互い同点のまま、後半戦へと移行する。
後半戦では、お互いのチームメンバーは総替えになっていた。
その中に、海斗がいた。
キックオフのホイッスルが鳴ると同時に、海斗のチームが先制ボールを味方に向けてパスした。
相手チームがボール目掛けて、突進してくる中、海斗のチームはパスを上手く使い、上手にかわしていく。
そして、その中で海斗にパスが渡った。
相手チーム二人が、ボールを貰った海斗に迫り来る。
味方はパスを要求しているが、その味方が相手選手にマークされていて、この状況ではパスしようにも出来ないだろう。
相手チームの二人は、もう海斗の目前まで迫っている。
――危ない!
そう僕が思った瞬間、海斗が動き出した。
ボールを真上に上げて、相手二人を楽々と交わす。
交わした後、ドリブルしてゴールを目指していく。
次々と迫り来る相手を巧みにかわしながら、相手チームを翻弄していく。
……ボールの裁きがありえないくらい上手い。
自分の思い通り、自由にボールを動かせているように見える。
「海斗、すごい……っ」
いつの間にか、僕は手に汗を握る程、その試合を観戦するのに熱中していた。
……正確には試合ではなく“海斗”にだが。
そういえば、海斗って昔からスポーツだけは誰にも負けた事がなかったっけ……。
僕も体を動かす事は得意な方だ。
だけど、海斗にスポーツの勝負を何回挑んでも、一度も勝てなかったな。
多分、スポーツ、……体を動かす事に関しては本当に類希ないセンスの持ち主だ。
「まぁ、……勉強は普通より下なんだけどね」
僕自身が言った言葉に、思わず苦笑してしまう。
海斗は最後の一人を抜き終えると、ゴールに向かって力いっぱいのシュートを決めた。
まるで、風を切るように放たれたボールは、ゴールに向かって弧を描くように飛ぶ。
ゴールキーパーは海斗のシュートを受け止めようとボールに向かってジャンプするが、一歩届かずに見事ゴールが決まった。
それと同時に、相手味方チームから、歓声が湧き始める。
「ナイス! 椿」
「すげぇよ! どうやったら、あんな動きが出来るんだ!?」
海斗の周りに味方が集まり始める。
「あははっ、普通に蹴り上げただけだって!」
笑いながら答える海斗に、「いや、お前の普通は異常なんだよ!」と、味方に突っ込みを入れられ、その場にいた男子全員が笑う。
「つーか、そんなに凄いのにどうして部活に入らないんだ? お前なら、多分すぐにレギュラー入りだぜ?」
そい言って、海斗の隣にいた男子生徒が海斗の頭をクシャクシャと掻き回す。
「いや、俺さ。部活とかあんまり興味ないんだよ」
「うわ、もったいねぇ〜っ!」
男子生徒は笑い上げて、更に海斗の頭をクシャクシャに掻き回した。
――……本当にもったいない。
外から聞こえてくる会話を聞いて、僕もその男子生徒と同じ意見だった。
どうして、海斗はあんなに運動神経がいいのに、部活に入らないのだろう?
中学の時もそうだったし、……海斗は時間に捕らわれる事が嫌なのかな?
「――ッ!!」
歓声のほとぼりが冷め始めた直後、海斗が何か苦痛の声をあげて、地面にしゃがみこんだ。
「おい、大丈夫か?」
「ああ。……シュートした時にきつく蹴り上げたからかな。足を捻ったみたいだ」
「おいおい……、保健室に行った方がいいんじゃないか? 俺、先生にちょっと事情を話してくるよ」
一人の男子生徒が、体育の中島先生に向かい、事情を話している。
そして、話し終えたのか、海斗の所へと戻っていく。
「椿、先生から許可をもらってきたぞ」
「そうか。ありがとな、谷山」
谷山と呼ばれた生徒は海斗のお礼に対して、ニコっと笑う。
「気にすんな! つか、きつかったら、一緒についていこうか?」
「いや、大丈夫。そこまで痛くないし、向こうで湿布でも貼ってもらえば、すぐに治るよ」
「そうか……。なら、気をつけてな!」
「ああ。それじゃあ、行ってくる」
海斗は、谷山君が「おうっ」と言うのをちゃんと聞き終えると、ゆっくり歩きながら、運動場から出て行った。
「ふぅ……」
僕はカーテンから、離れた。
……海斗達のやりとりを見ていたために、さすがに見過ごす訳にはいかない。
「海斗、足捻ったんだよね……。……仕方ないか」
そうぼやきながら、湿布と包帯を探していく。
勝手に保健室を調べた事がバレてしまったら、絶対に相崎先生に怒られるだろうな。
……あの先生、怒ったら怖い、と生徒達の間でも噂になっているし……。
「はぁ〜……」
この事がバレて、自分が怒られる所を想像して、ため息をつきながら探していく。
「あ……、これかな?」
ガラスケースの棚の上に包帯セットらしき物があるのを見つけ、それを取る。
後は湿布だ。
――……湿布は確か、冷蔵庫の中だっけ?
僕は棚から少し離れた場所にあった冷蔵庫へと歩いていく。
そして、冷蔵庫を開けて、中を調べてみた。
……案の定。
冷蔵庫の奥の方に、何個も重ねてあった湿布の入った箱があった。
その中から、一枚だけ取る。
これで一応の準備は整った。
……後は海斗が来たら、すぐにでも――
――コン、コン!
「失礼します!」
ノック音が二回聞こえた後、扉を開き、海斗が現れた。
本当にちょうど、いいタイミングだ。
「……あれ? 蛍、お前もどこか悪いのか?」
海斗は話しかけながら、僕が座っている椅子の前側の席へと座りこむ。
僕は頷きながら、返事をする。
「う、うん。……ちょっと、体調を崩しちゃってね」
僕の答えに、海斗がじっくりと目を見つめてくる。
何故だか、海斗の顔はニヤニヤと笑っていた。
「……本当は、女子の体操服を着たくなかっただけじゃないのか?」
「う……」
思わず、顔をしかめてしまう。
あまりにも図星だったために、言葉が出ない。
うぅ、……鋭い奴め。
「ほ、ほら! そんな事は置いといて……、足捻ったんだよね?」
これ以上、この話を続けられると、海斗にもっとからかわれると思った僕は、すぐに海斗の怪我の話へと切り替えた。
「え? あ、ああ。……なんで、知っているんだ?」
「えへへ、そこの窓から外を眺めていましたから」
「ちぇ、蛍にドジった所を見られてしまったか」
海斗が子供みたいに少し拗ねた顔を見せたので、僕はつい笑ってしまう。
「ほら、足見せて。湿布貼ってあげるから」
「ああ」
海斗が長ズボンの裾を捲り上げる。
見たところ外傷はなく、腫れているところも特に見当たらない。
どうやら、本当にただ足を捻っただけのようだ。
捻挫や骨折じゃなかったので、ひとまず安心した。
「どこが痛いの?」
「ここ……かな」
海斗が指差した箇所に少し触れてみる。
「ここ……?」
「っ……!」
触れた瞬間、海斗が顔を歪ませたので慌てて、手を離す。
「あっ、ごめん。……痛かった?」
「ああ……、少しな」
海斗の言葉を聞きながら、湿布のペーパーを剥がしていく。
「……ん。それじゃあ、湿布貼っていくから、じっとしててね」
「ああ、よろしくな」
湿布をゆっくりと慎重に痛む箇所へと貼っていく。
「っ……ぁー……!」
「海斗、……痛む?」
「い、いや、凄く冷たくてさ。ちょっと、びっくりしただけ」
「そっか。ならよかった」
湿布を上手く貼り終えた後、張った箇所に取れないよう、包帯を丁寧に巻いていく。
「きつくない?」
「ああ、大丈夫だ」
海斗は、大丈夫だ、と言いながらも少し痛むのか、我慢している顔をしていた。
昔から、我慢強いというか強情というか……。
「なぁ、蛍」
「ん? 海斗、何?」
「最近さ、蛍、バイト始めたのか?」
「あ、うん。そうだけど……」
海斗の質問に、僕は顔をキョトンとして、答えた。
海斗の言うとおり、僕は五日前から、前に広告でアルバイトを募集していた喫茶店『ARMA』のウェイトレスとして、アルバイトをしていた。
「どんなバイトなんだ?」
海斗が興味津々な顔をして、聞いてくる。
……アルバイトに興味があるのかな?
「え〜と、一応ウェイトレスかな? ほら! 僕、今女の子だしね」
「へぇ〜……。場所はどこで?」
「近所にさ、ARMAって喫茶店があるよね? そこで働いているよ」
「そうなんだ」
「うん。……はい、包帯完了」
先と先の結びを終えて、手当てを終了する。
「ありがとな」
海斗は礼を言って、ズボンの裾を下ろし、立ち上がる。
「どういたしまして。あ、……感謝しているなら、この礼は代金で支払ってもらいま〜す」
冗談めかしながら、僕は笑う。
「ばーか、そんなの絶対に払わないって」
海斗が素っ気のない声で言いながら、僕を呆れて見る。
「……ケチ」
僕がボソッとそう呟くと同時に、海斗がこちらを軽く睨んだので、これ以上は止めておく。
「はぁ〜。それじゃあ、俺はもう行くよ」
そう言うと、海斗は扉に向かって、のそのそと歩き始める。
だが、歩き方があまりに不十分に見えたために、海斗が戻るのを僕は止めに入った。
「まだ手当てしたばかりだし、少し安静にしなよ」
僕も立ち上がり、海斗の腕を引っ張って、足を止めさせる。
「これくらいなら、大丈夫だって……!」
海斗は笑った顔を見せる。
……しかし、その顔には明らかに痛みに我慢しているように見えた。
「保健室で少し休みなさい」
僕が少しきつい声を出して、海斗に言う。
握った腕にギュッと、力を込めながら。
「大丈夫って言ってるだろ?」
海斗は僕の言い方に少し不快に感じたのか、怒った口調で言い返してくる。
「……大丈夫じゃないから。顔に明らかに我慢しているのが出てるよ」
負けじと僕も言い返す。
「我慢なんかしてない。本当に大丈夫だって言ってるだろ……っ」
「我慢してる。それに……授業に戻ったところで見学しかできないよ?」
「それは……そうだけど……」
僕の言葉に理があったために、海斗が口ごもりだす。
「だろ? だから、この時間はここにいなさい」
「……はぁ、わかったよ」
海斗が降参して、扉へ向かおうとした足を引き返す。
それを見て、僕も海斗の腕を掴むのを止めて、手を離した。
「やっぱり……、口じゃあ、蛍には敵わないな」
「……別にそんな事ないと思うけど」
「そんな事あるよ、……くっ……!」
再び、海斗が痛そうな顔を浮かべる。
無理に歩いたせいか、痛みが増してきたのかもしれない。
「ほら、手を貸すよ」
「……悪いな」
海斗の手を持ってやり、先導してゆっくりと手を引いてやる。
そのまま、ソファーへと手を引いて、海斗をソファーの上に座らせる。
怪我の箇所を見てみると、包帯がもう取れかかっていた。
「ホント、無理しすぎなんだよ」
「……悪い」
海斗は先程とは正反対で、今度はあっさりと謝っている。
「はぁ〜……もう」
包帯を巻き直しながら、僕はため息をついた。
本当に調子狂うなぁ〜……。
海斗って、いつもこうだから、この対応には困ってしまう。
海斗は、自分に非があると判ると、すぐにしょぼくれてしまうのだ。
「これでよしっと……!」
巻き直しが終わると、僕もソファーへと座った。
隣の海斗は、黙ったまま、自分の足を見つめていた。
なんだか、その姿を見るだけで痛々しく思える。
「いきなり落ち込むなよ。ほら〜、元気だしなよ!」
僕は海斗の肩を軽く揺さぶりながら、話しかける。
だが、海斗は聞いているのか聞いていないのか、わからないまま、顔は上の空だ。
ずっと、足ばかり見ている。
……仕方ない。
「ていっ!」
僕は海斗の額に手を近づけて、思いっきり力を込めたデコピンを喰らわした。
バチンッと、意気のいい音がなる。
「っ〜〜〜!」
僕のデコピンは結構痛かったらしく、海斗は額を手で押さえながら、僕の方を見た。
「な、何するんだよ!」
「だって、返事がなかったし」
「返事をしないからって、いきなりデコピンかますなよ……! はぁ……、なんか蛍、壮士さんに似てきたな」
「いやいや……あんなアホな兄さんと一緒にしないでくれ」
僕の言葉に、あははっ、と笑う海斗。
……どうやら、デコピンのおかげか、すっかり元気になったようだ。
良かった、良かった!
「さて……蛍」
いつもの元気な顔に戻った海斗が、僕に満面な笑顔を見せる。
……不気味なくらいに。
「な、何? 海斗」
僕がそう聞いた瞬間、海斗の口元がニタッと、嫌な笑みを浮かばせていた。
……ああ、あの嫌な予感がしてきた。
「デコピンの仕返しとして……とりあえず、脇こちょばし百秒な!」
「ちょ、待て! 海斗、落ち着いて!」
「ふっふっふ……!」
海斗が嫌な笑い声を上げながら、僕に迫ってくる。
「ひぃ……っ、く、来るな〜〜〜っ!」
僕は迫ってくる海斗から逃れるために、海斗を突き放すように後ろへ強く押す。
だが、今の僕は女の子。
押す瞬間に、海斗に両腕を掴まれて、そのまま、ソファーへと押し倒される。
「きゃあ……っ!」
ソファーへ、強く押し倒されて、声が出てしまう。
幸い、ソファーのクッションが利いていたために痛みはなかった。
海斗は僕の肩の傍に手をついて、僕の体に上乗りするような状態でいる。
「いってー……!」
足に負担を掛けてしまったのか、海斗が痛がる素振りを見せた。
「だ、大丈夫……?」
僕は心配そうに聞いてみた。
……って、自分が危うい中、海斗を心配する僕って一体……。
「あ、ああ……平気だ……、……ぁ……」
何故だか、海斗の言葉が途切れていく。
その目が大きく開かれ、眼孔が細くなり、頬に少し赤みが増してきている。
「……どうか……した?」
「いや、その……えーと……」
海斗の顔色を見ながら、不思議そうにする僕に対して、海斗は口ごもるように言う。
「ん? 何……?」
「お前、……いや、俺が悪いんだけどさ。この体勢を見て、気づかない……のか?」
「へ……?」
僕と海斗のお互いの体勢を改めて、よく見てみる。
……海斗は何を言っているんだ?
体勢って……。
だから、僕は海斗に押し倒されて、僕の上には海斗が……。
……あれ?
「あ……えーと……」
僕も今のこの体勢、状況に気づき始める。
海斗の顔を見ると、頬の辺りが真っ赤に変わっていた。
そんな海斗の様子につられてしまい、僕も意識して恥ずかしくなってしまう。
「あ、その……! いや、これは……一応男だし、別に問題は……! でも、体は女の子で……えと、えーと……!」
混乱して、自分でも何を言っているのかわからなくなる。
というか、すごく言葉があやふやだ。
あぅ……。
この状況って他人に見られたら、非常にまずくないか?
もし、先生に見られたりしたら、職員会議ものになるだろう。
早めのうちに離れておかないと……!
僕はすぐさま、海斗から離れようとする。
海斗も同じ考えだったのか、僕から離れようとした。
だが、足が不自由な状態なのでどう動けばいいのか迷った顔つきだった。
それは僕も同じだ。
下手に海斗の足に刺激を与えられない。
お互いの動きが噛み合わないまま、返って変に動く事で、さらに危ない体勢へと変わっていく。
「ちょっと……海斗! なんで、そっちの足が寄ってくるの?」
「お前だって、どうして俺の腕にしがみつくんだよ。これじゃあ、離れられないだろ」
体勢は複雑化していた。
僕の足に海斗の足が絡み、お互いの顔がもう目前にある。
「ッ……ぁ……こ、こんなとこ……見られたら、絶対に怪しまれる…よぉ……っ」
「ば、ばか! そんな変な声を出すなよ」
「だ、だって……っ! 海斗の足が変なところに当たって……っ……! か、海斗! お願いだから、う、動かないで……っ!」
「そ、そんな事言われても、俺だって、この体勢は……っ!」
怪我した足が痛むのか、海斗が苦しそうな声で言う。
一方、僕は海斗の足に責められていた。
絡み合う足がくすぐったくて、海斗の腕を掴んだ力が強まってしまう。
「はぅ……っ、か、海斗……っ」
「ちょ、そんなに腕を掴まれたら、力が出な……――っ!」
海斗の腕がピクピクと震えている。
「っ……蛍!」
海斗が僕の名前を言った瞬間、海斗の腕がソファー崩れ落ちる。
そして、支える部分を失った海斗の体は、真っ直ぐに僕へと落ちていく。
あまりに突然だったので、僕は目を瞑ってしまった。
「ん……」
何か暖かい感触が口元に触れた。
すごく柔らかい感触が唇を包み込んでいく。
……この感触は、一体?
目をゆっくり開けていくと、海斗の顔が目の前にあった。
「っ……!」
海斗は声にもならない声を出して、驚愕した表情で僕を見ていた。
唇が熱い。
少し動かすだけでとろけるような柔らかい感触が形を変えていく。
例えるなら、マシュマロみたいだ。
……なんだか、すごく、心地よい気分に浸ってしまう
――あ……れ? これって?
柔らかい感触がだんだんと遠のいていく。
遠のいていくにつれて、それが何だったのかが、わかってしまった。
「あ……えぇ……っ! か、海斗?」
「…………」
僕の驚く声に黙ったまま、海斗は僕をじーっと、見つめていた。
頬は真っ赤に、唇は少し震わせている。
その仕草に、僕は思わず目を逸らしてしまった。
なんというか、今一瞬、海斗が子犬のように見えたのだ。
直視していたら、間違いなく心がおかしくなっていたと思う。
頬をつねってみる。
……痛い。
紛れもない、本物の痛みだ。
ああ……、神様。
これは一体、どういうおつもりなのですか?
どうして、こうハプニングが次から次へと巻き起こるのですか?
「ぁ……あぁ……」
紅潮していた頬がさらに火照っていくのを感じる。
どうやら……。
どうやら、僕は……。
――海斗とキスをしてしまったようです……。
「っ………!」
海斗から目を逸らしたまま、そっと両手で口元に触れてみる。
……唇には、まだ熱さとあの感触が残っていた。
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