第六話:アルノルト准男爵
「ティナ、もう少しで本村につく。しっかりつかまってろ」
「はい! クルト様」
俺は馬に乗り本村までの道のりを駆けていた。
一応、馬車もあるが直接馬に乗ったほうが、早いし馬も疲れない。開拓村に二匹しかいない馬だ。労らないといけない。
後ろにはティナが居て、俺の腰に手を回してぎゅっと抱きついている。
気のせいでなければ、たまにティナが俺の背中に頬ずりをしている。まったく、甘えん坊な子だ。
このペースならすぐに着くだろう。
◇
昼を過ぎた頃、ようやく本村にあるアルノルト准男爵の屋敷についた。
屋敷は煉瓦造りの二階建てで、貧乏貴族には見合わないほど立派だ。
俺が家の中に入ると、使用人たちが出迎える。たいていは畑仕事がつらくなった老婦人たちだ。
彼らを採用するのは体力がなくなり畑仕事が辛いものたちに、食い扶持を用意するためだ。
ティナが俺の後ろで小さくなっている。彼女はこの屋敷にあまりいい思い出がない。
軽く使用人たちに挨拶をしながら、屋敷を歩き、二階にある父の執務室の前に来ていた。
小さくノックする。
「クルトです。開拓の進捗を伝えに参りました」
「入れ」
父の声に従い扉をあけ、俺だけ中に入る。ティナは扉の前で留守番だ。
「父上、お久しぶりです」
「よく来たな。クルト」
父は、重厚な椅子に腰かけて、穏やかな表情を浮かべていた。
彼は鍛え抜かれた巨大な体躯を持ちながら、同時に理知的な輝きを瞳に宿していた。
父のことは尊敬している。彼は頭が固いところはあるが、領民に慕われるいい領主だ。
俺はにこやかな表情を浮かべ父の前まで歩いていき、報告書を提出する。
父はそれを受け取り、机に資料を広げはしからはしまで目を通す。
「ふむ、開拓は素晴らしく順調なようだ。わずか三年でここまで開拓し税を納める余裕まであるとは。私がやっても、税を納められるのは五年後とみていたよ。今年は開拓の援助金と治めた税はとんとんだが、この分だと来年からは黒字になる。いやはや驚いた」
「開拓村のみんなが頑張ってくれたからです」
「人をやる気にさせることは難しい。ましてやこの少ない予算だ。領民にまともな褒章も出せなかったにも関わらずよくやっている。そして、やる気を出させたとしても、正しい努力になるように彼らを導くこともまた難しい。クルト、お前は優秀な息子だ。おまえに任せればアルノルト家は、より大きく豊かに発展するだろう」
「この報告を疑わないのですか?」
「もちろん、疑っている。今だから伝えるが、おまえの村に監視役を放っている。その報告とおまえの報告は完全に一致している。監視役もおまえを絶賛していたよ。実力だけでもなく人格もすぐれ、よく慕われている理想の名主だと。私に対する報告も過不足なく簡潔かつ正確だ。そのことも評価している」
手放しに誉めてくる父。その言葉を素直に喜べない。
続く言葉を想像できてしまうからだ。
「だからこそ惜しい。……お前に領主を継がせてやることができないのが。アルノルト家ではなく、他の家に産んでやれていればと思う」
そう、俺にはアルノルト家にもっとも求められる才能がひとかけらもなかった。
「父上、領主を継ぐのが誰かは決まっておりません。選定の儀は来週のはずです」
来週の選定儀で俺か弟のヨルグ、どちらが領主になるかが決まる。
「そうだったな。まだヨルグが継ぐと決まったわけではなかったな。すまない」
その可能性は極めて低い。だが、それでも目指し続けていたかった。
「クルト、おまえに伝えないといけないことがある。お前が開拓した土地に明日、辺境伯の視察が入る。準備をしておけ」
「それはなぜ?」
「おまえのところが一番、新しい開拓村で、なおかつ成果が出ている。視察をさせるには最適だ」
辺境伯は、アルノルト家も含めたこのあたり一帯の貴族をとりまとめる大貴族だ。
定期的に配下の貴族たちの働きを確認しに領地にやってくる。
父の本分は新たな農地の開拓。そういう意味であれば俺の開拓村は好ましいだろう。
「そして、クルト。今までご苦労だった。選定の儀が終わり次第、本村に戻ってこい。もうあの開拓村を治める必要はない」
「なっ!? それはどういうことですか」
「今回の視察だが、私はヨルグがおまえの開拓村を作り上げたと辺境伯に伝える。ヨルグのほうが次期領主に近いからだ。辺境伯に次期領主の優秀さを強く印象付けておきたい。あの村を見せれば、ヨルグの覚えもめでたくなるだろう。ヨルグもそろそろ実務に手を出す時期だしな。あいつの手腕では一から村を開拓するのは無理でも、軌道に乗った村なら、手ごろでいい経験になるだろう」
怒りで、目の前が真っ赤に染まる。
気が付けば、思い切り両手を叩きつけていた。
「ふざけるな! 約束が違う! 俺が今まで、いったいどんな想いで、どれだけの苦労を重ねて、あの村を作り上げてきたと思っているんだ!!」
生まれて、はじめて父を怒鳴りつけていた。
「三年前、約束してくれたじゃないか! 各村であまった人員だけを使って、荒れ地を開拓し立派な村を作り上げる! その代わり、領主を継げなくても、村の名主としてこの領地においてくれると! 父上はそれを了承した!」
それは遠い日の誓い。
自分がおそらく領主になれないことはわかっていた。
領主になれなければ、弟を補佐するか、領地を出ていくかしかなくなる。
どっちもごめんだった。世界一のパティシエへの夢が遠のく。
だから、一つの村を率いて領主に税を納める名主になる道を選んだ。
村を豊かにし、お菓子の材料を作り、特産として売り出していく。そうしてお金が手に入ればさまざまな材料を買い集め、もっとたくさんのお菓子を作り、さらに富を集め、やがて世界一のお菓子を作る。
そのために、村を豊かにしたし、養蜂なんてものをはじめた。他にもさまざまなものを準備をしている。
それなのに、俺の村が取り上げられてしまえば、努力が全て無になる。
「確かに私はそんな約束をした。だが、クルトはやりすぎた。あそこまでのものを作りあげてしまえば、利用しない手はない。あの村は捨て置くには魅力的すぎる」
「そんな理屈!」
「悔しいのであれば、領主になればいい。それができないから利用される。おまえの村はおまえのものではない、アルノルト家準男爵領の領主のものだ」
話が終わりだとばかりに父は背を向けた。
こぶしが白くなるほど握りしめる。
「父上、再考を。ヨルグにあの村が導けるとは思えない。破綻するのが目に見えている」
「一人では無理だろうな。あれは凡人だ。お守りをつける。失敗しながら学べばいい」
「……失礼します」
「午後になれば中庭に来なさい。選定の儀の前の手合せは今日で最後になる。クルト、奪われるのがいやなら勝ち取れ。繰り返すが、おまえが領主になればいい」
……それができないから! 喉から出かかった言葉を飲み込む。
これ以上、食い下がっても無駄だろう。
絶望を感じながらこの場を後にする。
扉を出た瞬間、ティナが駆け寄ってきた。俺の顔を見て何かを察したのか。
何も言わずに俺の手をぎゅっと握る。
ささくれた心が、少しだけ癒された。午後まで時間がある。少し外の空気を吸おう。
そんなことを考えながら屋敷の外に向かう。
嫌なものが目に入った。ヨルグ……俺の弟だ。
中肉中背。肌は白く、ロクに鍛えている様子も見えない。
アルノルト準男爵領では比較的裕福な本村で、親の威光を背に遊びまわるごくつぶし。
「兄さん、話は聞いたかな?」
「なんのことだ」
「兄さんが作った村を僕がもらうって話だよ。なかなかいい村らしいね。今後は僕が直接治めるから、もっといい村になるよ」
ヨルグの言葉で殺意が沸きあがる。
隣を歩いていたティナが前に出る。
「あの村はクルト様が作り上げた村です! あなたなんかに!」
ティナが怒声をあげる。
俺のために、俺以上に怒ってくれている。そのことが嬉しい。
「へえ、可愛い子じゃないか。あのみすぼらしいかった餓鬼が、こんなになるんだ」
ヨルグはティナの顎に手を添える。
ティナはきっとした表情で睨みつける。
「気に入った、飼ってやってもいいよ。村と一緒に、この子ももらってやる。兄さんの中古だって言うのは気に食わないけど、我慢してあげるよ」
「お断りです!」
「なんで、怒るんだ? 喜べよ。僕なら兄さんより贅沢させてやるぞ。都会で買った服や、お菓子だって僕なら手に入る」
「……つまらない人。クルト様の弟だとは思えない」
ティナがヨルグの手を払いのけた。
ヨルグは怒りの表情を浮かべてこぶしを振り上げる。
俺はティナをかばい前に出てこぶしを受け止める。
「いい加減にしろヨルグ。振られたから殴るなんてみっともない」
「なんだい、兄さん。領主である僕に逆らう気? 僕が僕の領民をどうしようが、僕の勝手だろう」
「もう領主気取りか? まだ決まってない」
「もう決まっているよ。わかっているだろう? まあ、今日の手合わせで、また思い知ると思うけど」
「それでも、選定の儀は来週だ。そのあとにしろ」
「わかったよ。なら、領主になったあとたっぷりと楽しんでやる」
捨て台詞をはいて去っていくヨルグ。自室に戻るのだろう。
「もう一つ訂正だ。ティナはものじゃない。一人の人間だ。領主になっても自由にできると思うな」
「人間を、おもちゃにできるのが貴族の特権だよ。兄さんは固いな」
こいつはダメだ。領主にしてはいけない。
ティナの手を引いて屋敷を出る。彼女の手は震えていた。
「すまない。ティナ」
「クルト様が謝ることじゃないです。悪いのはあの人です」
「そう言ってもらえると嬉しいよ。それと、怒ってくれてありがとう。少し救われた気がした」
ティナの言葉はあぶなかっしいが嬉しかった。
なんとしてでも、あの村とティナを守りたい。
俺は心の底からそう思っていた。
午後からの手合わせは、ただの手合わせではない。ある意味、選定の儀のリハーサルと呼べるものだ。俺は、いつも以上に気合いを入れていた。