第十一話:ヘルトリング公爵
いろいろばたばたしているうちに前日の夜になってしまった。
ファルノとフェルナンデ辺境伯は各所への挨拶に忙しそうだ。
フェルナンデ辺境伯はその地位の高さだけでなく、実力者として認められている。
こういう場では面会者があとを絶たないだろう。
気持ちを落ち着けるために、ティナとクロエと共に庭園に出て夜風にあたっていた。
風が心地よい。
「ティナもクロエも今日はお疲れさま。本当に助かったよ」
俺の自慢のチョコレートケーキ。チョコレートケーキの王様と呼ばれているものを改良した自信作。
そのチョコレートケーキを、四大公爵に提供する分以外については、今日作り置きを終えた。
その際、彼女たちの力を借りている。
絶妙な火加減はティナの火の魔術を借り、クロエの水魔術のおかげで、ジャムづくりなどの工程がかなり楽に進んだ。
もちろん、コースの仕込みも完璧だ。
たった一つ、当日の朝届くものを除いて。
「クルト様の力になれてうれしいです!」
「もともとそのために来たんだしね。役に立てて良かったよ」
二人は少し照れながら、返事をくれた。
「でも、残念です。クルト様のお料理全部美味しそうなのに食べられないなんて」
「えらい人たちの食事会のコースだもん。仕方ないよ。クルトに無理言っても悪いしね」
俺は微苦笑する。
表向きはそうなっている。だけど、そのあたりは融通を利かせてもらっていた。
「安心してくれ。明日全部終わったあと、俺たちだけで食事会をする許可をとっているよ」
レナリール公爵は、話が分かる人だ。二つ返事で許可をくれた。
「うわあ、楽しみです」
「うん、わたしも期待しちゃう。いくらクルトでもこんな贅沢な料理、領地に戻ったら作れないだろうし」
確かにその通りだ。
今回は予算を一切気にせずに、金で手に入るものは最上のものを使っている。
プレッシャーはかかるが内心楽しんでいる部分も間違いなくあった。
三人で月を見上げる。
綺麗な満月。本当に今日はいい夜だ。
月に見惚れていると足音が聞こえ、そちらを向く。
「ちっ、先客がいたか」
贅沢だが品のない服に身を包んだ、恰幅のいい中年の男が現れて悪態をつく。のしのしと早足で俺たちが居る庭園に入った。
後ろには、彼の使用人らしきものたちが、酒と軽食が入ったバスケットを抱えている。おそらく、月見酒でも楽しみに来たのだろう。
月の綺麗な夜に立派な庭園だ。俺たち以外が来ても不思議じゃない。
ただ、この夜の静けさが台無しだ。
文句を言ってもしかたないので、ティナとクロエに目配せをして部屋に戻る旨を伝えた。
「俺たちのことは気にしないでください。そろそろ戻りますから」
そう一言伝えて男に背を向ける。
しかし……。
「みすぼらしい恰好だな。下級貴族か?」
俺は内心で舌打ちする。
今の俺は、フェルナンデ辺境伯にもらった服ではなく、自前の服をまとっていた。
あの服は窮屈だから着てこなかったが、失敗だった。
「私はクルト・アルノルト。次期準男爵です」
「槍のアルノルトか。公爵の屋敷に準男爵ごときが招かれるとはな。レナリール公爵の格も落ちたものだ」
男の態度に少し苛ついてきたが表には出さない。
貴族社会では階級がものを言う。態度からすると相手は圧倒的に格上の貴族だろう。よほどのことがない限り喧嘩を買うわけにはいかない。
「私のようなものを招いてくださったレナリール公爵には心より感謝しております。それでは私どもは用がありますのでこれにて」
一礼しその場を後にしようとする。
だが、目の前の男はまだ話があるのか口を開く。
「まあ、待て。わしはクランリット・フォルデール侯爵だ。おまえは見どころがある。誠意を見せるようなら、便宜を図ってやってもいい」
「誠意ですか?」
「そうだ。おまえの使用人の女二人を置いていけ。わしでも滅多に見ないほどの上玉だ。それに狐獣人とエルフとは、また面白い、一度試してみたかった。どんな声で鳴くのかのう。人よりも壊れにくいと聞くしな。楽しめそうだ」
ティナとクロエを、ぎらついた目で舐めまわすようにクランリットは見る。
ティナはキツネ尻尾の毛を逆立たせ、クロエはエルフ耳を震わせた。
「申し訳ございませんが、彼女たちは私の家族同然の存在です。家族を差し出すわけにはいきません」
「貴様、たかだか準男爵の分際で、この侯爵であるわしの話を断るつもりか」
「はい、そのつもりです」
実際、彼の言う通り、侯爵に準男爵が逆らうことはありえない。
恐ろしく打算的なことを言えば、俺にはレナリール公爵と、フェルナンデ辺境伯の後ろ盾がある。……とはいえ、よほどのことがない限り余計が問題を起こしたくないのは確かだ。だが、これは”よほどのこと”だ。
「優しくしてやれば、つけあがりおって。わしの顔に泥を塗ることは許さぬ。おい、おまえたちあの男を軽くのして、女をさらえ」
背後に控える使用人たちに物騒な命令を飛ばす。
だが、恐れはない。
達人はあの中にはいない。俺一人でも容易く返り討ちにできるだろう。
思考を戦闘用に切り替える。そんなときだった。
「随分と、騒がしいね。せっかくこんなに綺麗な月の夜なのに。なんてもったいないことをするんだい?」
青髪の美青年が現れた。
年齢は二〇代後半ぐらいだろう。シンプルで気品のいい黒く豪奢な服が恐ろしいまでに似合っていた。
「これは、ヘルトリング公爵、このようなところにおいでになるとは」
中年の男が急に狼狽し小さくなり、ぼそぼそとしゃべる。
ヘルトリング公爵。その名前には聞き覚えがある。
彼は俺が料理を振る舞う四大公爵の一人。そして、戦争を望む貴族派の筆頭だ。
「フォルデール。僕は何をしているかを聞いたんだよ」
「この男が、たかが準男爵のくせに私に侮辱を!」
青筋を立て、俺に指を突きつけてフォルデール侯爵は叫ぶ。
「ふむ、それは本当なのかい。クルト・アルノルト次期準男爵」
俺の名前を呼ばれて、一瞬、動揺してしまう。
なぜ、ヘルトリング公爵は俺の名前を知っている?
盗み聞きはありえない。会話が聞こえるほど近くに居れば俺が気付かないはずがない。
だとすれば、元から知っていた。公爵が次期準男爵を? それもまたありえない。……いや、レナリール公爵の動向を徹底的に調査すれば、俺のことにもたどり着く。この男はどこまで知っている?
動揺を飲み込み、俺は口を開いた。
「フォルデール侯爵が私の連れに、売春婦のまねごとをするように強要したので断りました。フォルデール侯爵は私が断ったことが許せなかったようで、実力行使に出ようとされたところに、ヘルトリング公爵が現れました」
「なるほど、フォルデール。それが君のいう侮辱かい? そのことが許せず、君は部下にアルノルト次期準男爵を襲わせようとしたと」
「そっ、そうです! 準男爵、いえ、準男爵ですらない、ガキごときがわしの、わしの!」
「そうか、フォルデール。君は運がいい」
次の瞬間だった。ぽんと肩を叩くような気軽さでヘルトリング公爵はフォルデール侯爵の肩に手を置いた。フォルデール侯爵の肩から鈍い音がして変な方向に曲がる。
それだけでフォルデール侯爵の肩の骨がへし折れたのだ。
「ひっ、ひいいぃ、わしのわしの肩ぁぁぁぁああ」
「大げさだな。たかが折れただけじゃないか。レナリール公爵の庭を汚すわけにはいかないから折るだけで済ませたけど、本当は腕を切り落としたいぐらいだ」
上品で、貴人の風格を漂わせながら、残虐さがにじみ出る笑み。
「フォルデール侯爵。もし、本当に彼を襲っていればこの程度じゃすまなかったよ。あのフェルナンデ辺境伯は彼のことを娘の婚約者にするぐらいに評価している。そして、彼はレナリール公爵のお気に入りでもある。君ごとき、アリみたいに踏みつぶされただろうよ。だいたい、槍のアルノルト。それも歴代最強のアルノルトに喧嘩を売るなんてどうかしている」
歴代最強のアルノルト。これは表面的な情報では絶対に出てこない言葉。俺のことを調べているとは予想したが、その予測以上に俺のことを知っている。
いったい公爵なんて雲の上の存在が、なぜそこまで俺のことを気にかけているのだろう。
「アルノルト次期準男爵、部下が迷惑をかけた。どうかこれで許してほしい。あとで君の部屋に詫びの品も届けさせていただくよ」
「いえ、ヘルトリング公爵が止めてくださったので、問題はありませんでした。感謝します」
「そう言ってもらえると嬉しい。だが、詫びは必ず送る。これはけじめだよ。それとね、僕は君が作る料理、楽しみにしているんだ。今日はゆっくりと眠って体調を整えてくれ」
そう言って彼は去っていく。
そんな彼を見つめながら、ティナが口を開いた。
「あの人、怖いです。口調は柔らかいけど、冷たくて空っぽで」
「私も好きじゃないかも。纏ってる魔力が、とげとげ」
二人ともそれぞれの感性で、彼を拒絶する。
彼女たちの感覚はかなりするどい。
あの男は警戒したほうがいいだろう。
俺たちは、腕を押さえられて使用人たちに介抱されているフォルデール侯爵を放置したまま部屋に戻った。
あの男に料理を振る舞う。
そのことが少しだけ怖くなった。
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