第七話:マグロのタルタルステーキ
「コースに適した魚料理を即興で作るだなんて無茶な課題だということはわかっているの……でも、あなたなら、受けてくれると思ったわ。制限時間は三〇分でいいかしら?」
初めて体験したコースに合わせた魚料理。それもレシピの考案、調理時間込みで制限時間三〇分。それはひどく難しい。
レシピを考える時間がほとんどないし、調理自体もこの時間内であればひどく限定される。
ただでさえ、もともとコースとの相性を考えないといけないという縛りがあるのに……まったく無茶を言ってくれる。
「やってみせましょう。しばしお待ちを。ただ、ティナ……連れの協力が入ります。彼女は俺の助手です」
ティナはこの場にはいない。
ヴォルグやクロエ等といった使用人組は別室で食事をとっているのだ。
「あの使用人ね。わかったわ。厨房に向かうように伝えさせるわ」
「任せます」
別室に居たティナと途中で合流し厨房に向かう。
要求されているのは、魚料理。
それも、コース全体のバランスを考えたものだ。
あとに、牛テールシチューという重いメニューが来るため、脂肪分が高いものは使えない。
さっぱりとした赤身をメインにした料理になるだろう。
◇
「今日のコース料理に使ったマグロの身の余りを使わせてほしい。脂肪分が少ない赤身がいい。できれば腰回りの肉をくれ」
俺は厨房に入ると、新たな魚料理を作るため、コックたちに声をかけるが、反応が鈍い。
遠巻きに見るばかりで近づいてもこない。
一応、出しっぱなしになっている、切り身を取ったあとの、骨と皮はある。
しかし、まともな切り身はなかったので、欲しいものを要求した。
反応がないので、もう一度繰り返す。
「レナリール公爵の指示で魚料理を作る。材料を使わせてほしい。彼女から、俺の指示に従うように聞いているはずだ」
そう言っても返ってくるのは敵意の視線ばかりだ。
どうやら、本格的に嫌われているらしい。
どうしたものかと考えていると、一人のコックがトレイにマグロの切り身を載せてやってきた。
「すみません、準備に手間どりました。どうぞアルノルト次期”準男爵”」
準男爵のところに男がアクセントを置く。
それを聞いた他の男たちが嘲笑を浮かべる。
準男爵は貴族としての格が低い。ようするに俺を馬鹿にしているのだろう。
「ありがとう。これで美味しい料理を作るよ」
とは言っても、ここで逆上しても仕方ない。
穏便にしよう。
俺は、受け取った切り身を一瞥し、そのままゴミ箱にぶち込む。
「クルト様!?」
厨房に居たコックたちは目を見開き、一緒に居たティナまで驚いた声をあげた。
「ティナ、このマグロの切り身は残念なことにダメにされてる。これでは、まともな料理は作れないよ。ひどいことをする。これじゃ死んだマグロも浮かばれない」
俺はティナに微笑みかける。
まったく、やってくれる。
俺に渡されたマグロの切り身は、わざと布もかけずに出しっぱなしにして、乾いてしまっている。
ご丁寧にも、表面にわずかに塩を振り、水気を抜くのと同時に旨みのあるエキスも流れださせていた。
こんなものを使えば、旨みのないぱさぱさな料理しかできない。
「でも、クルト様、それを捨ててまともな魚料理なんて」
「できるよ。材料はここにあるじゃないか」
テーブルの上に置きっぱなしにされている、切り身を取ったときに残った、魚のあら。いわゆる皮と骨だ。
「こんなの、ほんとなら捨てる部分じゃないですか」
「ティナ、このマグロは最高のマグロだよ。どこをとっても最高の料理になる。ただ、使いこなせる料理人が居ないだけだ」
それは強がりではない。骨の大きさから逆算するに二〇キロほどの小ぶりなマグロだが、餌場に恵まれ、よく運動されており、非常に良質。
このマグロは、どこの部位でも最高の料理が作れる。
そう、最上級の赤身を超える旨みを秘めた部位が、この捨て置かれている骨と皮の中に隠されている。
「……こんなので最高の料理が作れるなんて、さすがですクルト様」
ティナが安心して微笑んでくれた。
さて、料理に取り掛かろう。
その前に一つ、けじめをつけないといけない。
「レナリール公爵家の料理人たち」
俺を罠に嵌めようとした連中たちがぴくりと震える。
「同じ料理に携わる者として、俺の存在が気にくわないのも、今回の件が君たちのプライドを傷つけたのもわかる。……お前たちがわざとダメにしたマグロを俺に渡したことをレナリール公爵に告げ口するつもりはない」
仮に俺が同じ立場ならけしていい気はしなかっただろう。
「だがな、こんな小細工をせずに料理人なら料理で戦え。そして、どんな理由があろうとも、食材を玩具にするようなことをするな。おまえたちは料理人失格だ。技量じゃない、心が終わっている」
俺の言葉を聞いて、料理人たちが押し黙り、そして拳を握りしめ下を向く。
それは屈辱を受けたことに対する怒りではなく、料理人としての道を外した自分への怒りでもあるのだろう。
◇
「レナリール公爵、料理が完成しました」
制限時間を十分ほど残して俺とティナは食卓に戻った。
「早かったわね。あなたの料理、楽しみにしているわ」
レナリール公爵が微笑む。
俺が指を鳴らすと、使用人たちが俺の作った皿を運んでいく。
「これは、なんて綺麗なの!」
真っ白い皿の中央には、ペースト状のマグロ肉を集めた赤い円。そして皿のふちにはエメラルド色のソースがあしらわれていた。
他にも付け合わせとして用意された小さな山が並んでいる。
「この料理はマグロのタルタルステーキと申します。生のマグロを包丁で叩いたものにいくつかの素材と調味料を混ぜて練り上げました」
「聞いたことがない料理ね。さっそくいただくわ」
その言葉と同時に、レナリール公爵はマグロのタルタルステーキに手をつける。
「なんて、濃厚なマグロの味、生臭いかと思ったけど、全然そんなことがないわ。それどころか、いい香り。混ぜているもののせいかしら?」
レナリール公爵は次々に、俺の料理を口に運んでいく。
「付け合わせのソースも是非、お楽しみください」
俺がそういうと、彼女は皿のふちにある緑のソースをつけて食べる。
「なるほど、よりいっそう爽やかになるのね。いいソースだわ。口の中がさっぱりするし、心なしかお腹が楽になったわ」
「消化を助ける効能があるハーブで作ったソースです」
これはわずかに残った油のしつこさを消すのと同時に次の料理をよりよく楽しんでもらうための気配りだ。
横目でフェルナンデ辺境伯とファルノ、そしてベナリッタ料理長の様子を見る。
みんな、ちゃんと俺の料理を気に入ってくれたようだ。
「堪能させてもらったわ。さて、ジャッジをつけましょう。……ベナリッタ料理長、あなた自身が判断しなさい。今日のコースの魚料理、あなたの料理と、このマグロのタルタルステーキどちらが上か」
レナリール公爵の指示を受け、ベナリッタ料理長は唸る。
壮年の男は、その体を震わせ、そして絞り出すように声を出した。
「……私が指示して作った料理よりも上でしょう。この男に任せれば、四大公爵を招いての食事会は大成功間違いなしです」
その言葉を聞いて、ファルノがパーッと笑顔を浮かべた。
「ありがとうございます」
俺は頭を下げた。
この判断をするには、かなりの自制心と勇気が必要だったはずだ。
もしかしたら、料理人たちが俺に嫌がらせをしたのもこの人のためだったのかもしれない。
「合格よ。クルト・アルノルト次期準男爵。さっそくだけど、この料理について教えてくださらない?」
「はい、この料理はマグロの赤身を包丁で叩いたものに、複数の刻んだハーブ、玉ねぎ、そしてマグロの骨からとった良質のスープをゼラチンで固めて冷やしたもの、それに少量のオリーブオイルを混ぜて練り、形を整えたものです」
料理方法は至ってシンプルだ。
玉ねぎとハーブで生臭さを消すと同時に味を深め、ゼラチンで固めたマグロの出汁で旨みを補強する。
短時間で出汁を取り、ゼラチンで固めるためにティナの力を借りた。
「素晴らしい料理法ね。確かにその方法ならマグロの赤身の味を最大まで引き出すことができるわね。でも、疑問なのはそもそものマグロの赤身が美味しすぎるってことよ。この街ではマグロはよく食べられているわ。私は最高のマグロを食べてきた。その私ですら、これほど美味しい赤身は食べたことがないわ。ねえ、料理長、今日仕入れたマグロは特別なものかしら?」
レナリール公爵の問いに、ベナリッタ料理長は首を振る。
「いつも通り、ただの最上のマグロです」
レナリール公爵家では常に最高級のものを仕入れているが故の回答だろう。
「なら、どういうことか説明してくださるかしら?」
「今回の赤身は、骨にこびり付いた肉です」
「骨?」
「ええ、そうです。どんな肉でも骨の周りの肉が一番おいしい。今回提供したのは腰の骨にこびりついたマグロの肉をスプーンでかき集めたものです」
例えば、スペアリブ、例えばフライドチキン。どれも骨周りの肉を楽しむ。美味いからだ。マグロも例外ではなく骨周りの肉が一番うまい。それも腰周りの筋肉が発達しているところは別格だ。
あの場にあったマグロの中でもっともうまい赤身は、切り身をとった残りで捨てられる運命だった。
……ちなみに日本ではネギトロと呼ばれる。
とは言っても、市場で出されるネギトロは、クズの赤身に油を足した、本当のネギトロとは似ても似つかない劣化品でしかない。本物のネギトロは最上の赤身を上回る。
「……ぷっ、あはは、そう、骨にこびりついた肉ね。それは、私が食べたことがないはずだわ」
「不快に思われますか?」
「いいえ、嬉しい驚きだわ。そう、あなたに求めているのはこれよ。私たちでは考えもしない新しい発想! この調子で本番も頼むわね」
「ええ、ご期待に応えてみせます」
俺と、レナリール公爵は微笑み合う。
そして、指を鳴らした。
すると、もう一皿使用人たちが料理を運んでくる。
「これは?」
「時間が余ったのでデザートを用意しました。とは言っても、今日は私の試験ということもあり、いつも以上に食事をされているので、あっさりとしたものを」
それは、透明なグラスに盛られた、桃に似たピナルのシャーベット。
生のピナルをすりつぶしたものに、角切りにした果肉、少しの砂糖と酒を加えて空気を入れながら固めただけの簡単なもの。
「あら、冷たくて、甘酸っぱくて美味しい。これなら、するする入ってしまうわ。こんなの初めてよ! やだ、止まらない。……こんなものを即興で作れるなら、お菓子のほうも期待以上にやってくれそうね」
エルフの村でとれた最上のピナルの旨みをシンプルに引き出したお菓子。だからこそ美味しく食べられる。
甘酸っぱくて冷たいシャーベットは、最上級のデザートだ。
しかも氷菓なんてものは、この時代には存在しない。
目新しさもある。
「ええ、本番のコースはもっと素晴らしいものを用意しますよ。俺が考えているのは、コースすべてが、最後のデザートに奉仕するコース。最後のデザートを最高に楽しませるためのコースです」
俺のもっとも得意とする至高のチョコレートケーキ。それを美味しく食べさせるために前菜から主菜まで全て計算づくのコースを作るのだ。