第二十話:ピナルの実
精霊の里に向かうと決めてから、一度家に戻り素早く身支度を整えた俺とティナは即座に開拓村を出た。
道案内を兼ねて、金髪碧眼のエルフのクロエが先導している。
馬車は使わない。
精霊の里は、俺達が現在進行中で開拓している森のずっと奥にあるらしく、まともな道がない。
魔力で身体能力を強化できる俺とティナなら走ったほうが速いのだ。
「もう少しペースを落とす? クルトもティナもついてこれる?」
先頭を走るクロエが問いかけてくる。
「俺は大丈夫。ティナも大丈夫か?」
「はい、クルト様の後ろに居るおかげで楽できてますから」
ティナが明るい声音で返答する。
ティナはさきほどからぴたりと俺の背中に張り付いている。
速度が増すと空気抵抗は殊の外大きくなる。例えば時速四〇キロだと空気抵抗に対抗するために運動エネルギーの半分を消費するほどだ。
ティナは俺を風よけにすることで体力の消耗を抑えているのだ。
「クロエこそ大丈夫か? 正直、空腹で倒れたばかりで心配なんだが」
「心配ありがとう。でも、大丈夫。ティナの作ってくれたミルク粥が美味しかったし、それにエルフは森だと元気になるんだ」
俺は苦笑する。
その足取りを見ていると強がりでないことはわかる。
エルフはほぼ例外なく魔力持ちで、魔力に慣れ親しんでいるらしい。
実際、その魔力運用は神がかっており、あれなら消費は少ないだろう。
三人で、森の中を駆け抜ける。
エルフほどではないが、俺もティナも森には慣れ親しんでおり、多少疲れるが問題ない。
もし、ファルノを連れてきていたら大幅に遅れていただろう。
しばらく走っていると、クロエが背嚢から、まるく薄紅色の果実を取り出して投げてきた。
「疲れてきたでしょ。栄養と水分補給。これを食べると疲れが吹き飛ぶよ」
俺は受け取った果実をティナに渡す。すると、もう一つクロエが投げてきた。
クロエが美味しそうに果実にかぶりつく。
甘い香りが漂う果物はどう見ても桃だった。
「ありがたくいただくよ。食糧を持ってたのにどうして生き倒れたんだよ」
「これは、お薬と交換するためにもってきたものだからね。精霊の里で人間が喜びそうなの、このピナルの実しか思い浮かばなくて。何度か、食べようかと思ったけど手を付けられなかったんだ。わたしが食べた分、みんなを助けられる薬が減るって考えたら怖くて」
クロエは複雑な笑みを浮かべる。
そういう事情か。
この子は少し抜けているが、いい子なのは間違いないだろう。
俺は桃にしか見えない、ピナルの実にかぶりつく。あまりにも甘くいい香りで我慢の限界だった。
口のなかに甘酸っぱい味が広がる。
歯ごたえも心地いい。むっちりとしてしっかり歯を押し返し……あるところでぷつんと切れ、果汁が溢れだす。
疲れたからだにピナルの実の味が染み渡った。
懐かしい味だ。前世の実家で育てていたモモの品種、数あるモモの中でも最高級と言われる白鳳によく似た味。
肉質は緻密で果汁がとても多い。甘みが強く、酸味は控えめ。食べた時に果汁がぼたぼたと滴る勢いだ。
これなら、俺の得意菓子が作れるかもしれない。
前世では、海外に留学しながらいくつかコンクールで受賞している俺の得意菓子は、故郷山梨の果実を使った洋菓子だ。
このピナルの実があれば再現できる。
「どう、美味しい?」
クロエが自信ありげに振り向いてくる。
「最高の果物だ。この世界でこれほど美味しい果物は食べたことがないよ」
少し、言い返したくなったがこれほど素晴らしい果実を食べれば素直に認めるしかない。
振り向くとティナも果汁で口をべとべとにして、それでも飽きたらずに手についた果汁を舐めている。ずいぶんと気に入ったようだ。
俺の視線に気づいたティナは顔を真っ赤にして手を後ろに隠した。
ただの素材でそこまで喜ばれるとお菓子職人としての立場がない。
今度、このピナルの実を使って生よりもうまいお菓子を作ろうと、内心で誓う。
「このピナル、私が育ててるんだ」
クロエは得意気に胸を張る。
エルフの作る果実が素晴らしいというのは、物語で聞いていたがこれほどとは思わなかった。
なにせ、地球の果物は何十年間もの間、品種改良を積み重ね、どんどん美味しくしてきた芸術品。
それに比べると、こっちの世界の果物はどれも物足りなさがあった。
だが、クロエの渡してくれたピナルの実はその旨さに匹敵する。
この果実を得るためなら、俺はなんでもできる。
「クロエが作ったんだね。それはすごい。他にも果物があるのか?」
「うん、あるよ。たくさんとれるのはパプルかな」
「どんな果物だ」
「えっとね、紫色の皮に包まれた小さな実がいっぱいくっついてるの。皮を向くと緑色の実が見えるんだ」
それはどう聞いてもぶどうだ。
ももと、ぶどう。
前世が山梨県民の俺にとっては両方共ソウルフードみたいなものだ。期待がさらに湧き上がる。
「クロエ、もし俺が流行病を解決できたら、エルフの里で採れた果物の十分の一を毎年贈ってくれないか?」
とりえあず、条件をふっかける。
断られるのを前提の条件だ。
できれば継続的に恩恵を得られるのがいい。ただ、さすがに収穫量の十分の一はぼりすぎだろう。
「うん、いいよ。そんなのでいいんだ! 最終的には長が決めるけど、ぜんぜん問題ないよ」
「……ちょっと待て。わりとすごいこと言ったと思うよ」
「そうかな? いつも精霊の里じゃ食べきれずに三割ぐらい肥料にしてるし。一割ぐらいならぜんぜん。むしろ助かるぐらい」
あっけらかんとクロエは告げる。
こんな素晴らしい果実を三割も肥料にしているだと!?
なんてもったいない。
そして、失敗したと気づいた。
そうと知っていれば、初めから三割要求していたのに。
そんなことを考えながら精霊の里への旅路は続く。
◇
日が沈みはじめていたので野営をしていた。
クロエの話では明日の早朝出発すれば夕方には着くらしい。
魔力持ちが二日かけて着く距離。意外に近くて驚く、よく今まで気づかなかったものだ。
未開拓の地だからだろう。数年たって開拓が進めばどこかで気づいたかもしれない。
焚き火を起こして湯を沸かす。
いかに森になれた俺たちでも、森の夜は怖い。それに魔力もかなり消費し、体力も心もとない。しっかりと休んで回復するのだ。
「便利だな、水の魔術」
「私から見たら、土と火の魔術もすっごく便利だけど」
ティナの火の魔術で焚き火を起こし、俺の土魔術で即席の石の鍋を作って、そこにクロエの水魔術で水を注いだ。
火・土・水の属性魔術の使い手が揃うと大概のことはなんとかできる。
「エルフって、水属性が多いのか」
「水と、風が半々って言ったところだね。逆にルナールはほとんどが火で、たまに土かな」
「ルナール?」
「キツネ耳の人たちのことをルナールって精霊の里じゃ呼んでるんだ。ティナみたいな」
人の里だと、獣耳と獣尻尾が生えている人種はまとめて、獣人だ。
ルナールという呼び名は初めてきいた。
「エルフとルナール以外の人種も居るのか」
「うん、結構居るよ。うさぎ耳のバニファに、犬のコボル。人間以外の色んな種族が集まったのが精霊の里なんだよ」
「人間以外か……」
「人間は他の種族の土地や命を奪うからね。一緒には暮らせない。そう、教えを受けてるの。クルリナ姉様が、生き倒れて看病してあげた人間と駆け落ちしてから余計に人間嫌いな人たちが増えたかも」
それはある意味、当を得ている。
人間はよくも悪くも貪欲だ。そして、後半の言葉が気になる。
「ティナの父親は精霊の里に行ったことがあるのか」
「うん、わたしが小さいころ、森で生き倒れていたのを、クルリナ姉様が拾ってきた。わたしとクルリナ姉様に外のお話をいっぱいしてくれたから覚えてる。精霊の里のことが外に漏れないように殺そうって意見もあったけど、クルリナ姉様がかばって、精霊の里を口外しないことを条件に怪我が治るまで里に居ることを許したんだ」
そういう事情か。
ティナの父親はいったいどんな仕事をしていたのだろう。
ティナは、育ちがいい。それは言葉遣いや仕草をみればわかる。両親にそれなりの教養がないと、こうは育たない。
「もしかして、俺が精霊の里に入るのは危なかったりする?」
「普通ならね。でも、今は緊急事態だから。クルトの安全はわたしが保証するよ」
それなら安心だ。
一瞬、始末されるのではないかと懸念していた。
「むしろ、危ないのはクルトよりティナかも」
「へっ?」
焚き火にあたっていたティナが首を傾げる。
「私が危ないんですか? もしかして人とのハーフだから?」
「それは問題ない。ハーフの場合、どっちかの特徴しか受け継がないから、ティナは完全なルナールだよ。でも、ティナはクルリナ姉様の娘だから、あの人が……」
そこまで言いかけてやめた。
「気になるから続きを言って欲しいんだけど」
「まっ、まあ、その、なるようになるよ」
クロエがぼかす。
だいたい想像はつく。おそらく、ティナの肉親絡みだろう。
もしかしたらティナを引き留めようとするかもしれない。
「クルト様」
ティナが俺の顔を見上げ、服の裾をぎゅっと掴む。
「大丈夫だよ」
俺はティナの頭をなで、彼女のやわらかい髪とキツネ耳の感触を楽しむ。
そのときが来れば、そのときだ。
ティナが俺を選んでくれればなんとしてでも連れ戻すし、もし、彼女が求めるなら、仲間が沢山居て肉親が居る精霊の里に送り出そう。
ティナのことは好きだし、離れるのは寂しい。
だけど、ティナの気持ちを無視するつもりはない。
それに、精霊の里を選んだとしてもいつでも会えるのだから。
そうして、夜が更けていった。
いよいよ明日、精霊の里にたどり着く。
新たな果物との出会い、病気との闘い、ティナの肉親との出会い。
様々なものが待ち受けている精霊の里に。