第三話:始まりのハニークッキー
苦労して採取した蜂蜜がぎっしり詰まった水瓶を抱えて俺とティナは開拓村にある家に戻ってきた。
俺たちの家はみすぼらしい掘っ建て小屋だ。
新しい土地を開拓するにあたり、住居は、急ぎで、しかも数を作る必要があったので開拓村の家々はどこも似たようなものだ。男爵家の長男だからと言って贅沢はできない。
だが、それで十分だった。
雨風が防げ、そしてティナが一緒に居る。それ以上は望まない。
「ふう、やっと家に着きましたね。水瓶、すっごく重かったけど、幸せな重さです!」
「そうだね。ぎっちり蜂蜜が詰まっている証拠だから」
俺たちは笑い合う。
これから毎年のように安定してたくさんの蜂蜜が取れる。三年間の努力がここで報われた。
来年はもっと蜂も花も増やしていこう。養蜂は俺の夢のためにはじめたことだけど、金にもなる。極稀に南にある大きな街に行くが、そのときに蜂蜜が商店に並んでいたのを見る限り、それなりに良い値段がついていた。
そのまま売ってもいいし、お菓子にして特産品として売りだせば、もっと儲けが大きくなるだろう。
「さあ、今日の蜂蜜を使ってお菓子を作るよ。お腹も空いたし、時間がかからないものを用意しよう」
「手伝いましょうか?」
「それは駄目」
「くすっ。やっぱりお菓子だと手伝わせてくれないんですね。わかりました。待っている間に家事を片付けちゃいます」
ティナが微笑んで立ち去っていく。
日々の食事はティナにまかせているが、お菓子だけは譲れない。
最初から最後まで、全て自分でやらないと気がすまないのだ。
粉の計量、かき混ぜる回数と力加減、焼成時間と火力、ほんの些細な誤差がお菓子作りでは致命傷になる。
それも、気温、湿度、食材のコンディション。それらの微妙な違いで最適解が変わる。人にはとても任せられない。
「さて、はじめようか」
クッキーを作ることにした。あまり彼女を待たせたら可哀想だ。クッキーならさほど時間がかからない。
まずは石のかまどに薪を入れて火を灯す。かまどがあたたまるまでに時間がかかるのでこれを最初にしておくのだ。
外から、カンカンと音が聞こえてくる。ティナが薪を割ってくれている。
頑張ってくれているな。彼女の頑張りに報いるお菓子を作れないと。
小麦粉の入った袋を取り出し、底に網を張った容器でふるいにかける。
小麦粉は、じつは一粒一粒の大きさが微妙に違う。小さな粒の小麦だけを使うことによって、ダマになりにくいし空気を含ませることができる。
それを二回。網に残ったものは、きっちり小麦の袋に戻す。お菓子には適さないだけでちゃんと食べれるので捨てるわけにはいかない。
そうして、ふるいにかけたあとの小麦をボウルに移す。
蜂蜜をぺろりと舐める。糖度を確認。75度ぐらいだ。これなら蜂蜜と水の混合比は9:0.7だろう。それがクッキーにはベスト。杓で水を掬って蜂蜜に混ぜる。一流の料理人は両腕がセンサーになる。スプーンや杓で掬っただけで正確な重さが1グラム単位でわかる。
適度に水で薄めた蜂蜜を舐めてみる。仕込みは上々。
「いい味だ。やっぱりあの花を選んだのは正解だった」
改めて蜂蜜の出来に満足した。
蜂蜜の味は、蜂の種類はもちろん、彼らの餌にした花の蜜の味でがらりと変わる。基本的に蜂は一度採取した花から蜜を採り続ける。なので、ある程度吸わせる花の蜜を選ぶことで味がコントロールできるのだ。
ラズベリーを選んだのは、多年草で年に二回花が開き、病気に強いだけではなく、蜂蜜が癖がない味になり、たいていのお菓子に使えるからというのが大きい。
……実験として遠くはなれた位置に、とある用途に最適な味になるように別の花の蜜を吸わせた蜂の巣箱も用意しているが、それはまた今度だ。
「さて、バターはまだあったはず」
棚の一番下に置いてあるバターを取り出す。
開拓村でバターは貴重品だ。村に居る数少ない家畜であるヤギ。その乳から作ったバター。
毎日村全体に行きわたる量がないので、採れた乳を各家に交代で配っている。
その乳を俺がバターに加工して保存してある。
必要な量だけ取り出して、火の近くで温める。
冷たいままのバターだと、うまく小麦粉と混ざらないし、かと行って暖めすぎるとバターの風味が落ちる。このさじ加減が重要だ。
一緒に、蜂蜜と水を混ぜたものを温める。せっかく適温にしたバターに冷たい液体をぶち込んだらもともこもない。
「さて、準備は完了」
いよいよ、お菓子作りだ。
まずはバターと蜂蜜と水を混ぜる。そして、粉を入れて手でこねる。
クッキーの生地を作るときに重要なのは、ねり過ぎないこと。ここで必要以上に混ぜると、体温で溶けすぎたバターは風味を失うし、粘りによりグルテンができ、さっくりとした食感が失われ、せんべいみたいなのっぺりした固さになる。
短時間でダマを作らずに、しっかりと馴染ませる。クッキーは簡単なようで奥が深い。イメージとしては切るという感覚だ。
「ちょっと、休憩をするか」
この生地を暗所で三〇分ほど寝かす必要がある。
生地を寝かしている間、領主である父に向けて、開拓村の進捗報告をしたためる。
これは、村の名主としての義務だ。進捗を定期的に報告しないといけない。
「こんなものか……さて、ちょうどいい時間だ」
進捗報告が終わった頃にはクッキーの生地がいい具合になっていた。
まな板の上にクッキーの生地を置く。
それを麺棒で薄く伸ばさないといけない。薄さはこの小麦の質だと四ミリが適切だろう。これは使う材料しだいでかわる。
注意が必要なのが、クッキーの生地は触れば触るほど味を落す。
例えば、型抜きをした後、残った枠を再び練って伸ばすがその工程でも、生地が練られたことにより、グルテンが形成されさっくり感が落ちる。
たまに丸めてから潰すという、手法が見られるがあれはクッキーに対する冒涜だと思っている。
原則として、クッキーに触っていいのは薄く伸ばすこの1回のみ。それも焼きムラができないように、完璧に均一な厚さに。失敗は許されない。
「よし、うまくいった」
伸ばした生地を石庖丁で正方形に切り分ける。
本当は鉄の調理器具が欲しいが、まだまだ鉄は貴重で高価なのでこれで我慢だ。
切り分けたクッキーの生地は等間隔に石の板に並べる。
そして、切り分けたクッキーを乗せた石の板を十分に温まったかまどに入れる。
クッキーを焼成する際の適温は一七〇℃。この時代だと薪の出し入れでその適温を維持し続けないといけない。
恐ろしい手間だ。一瞬も目も離せない。
クッキーが焼きあがるまで十分程度。
俺は、全神経を火に傾けた。
◇
「ふう、出来た」
クッキーが焼き上がったころには汗びっしょりになっていた。
こんな簡単なお菓子を作るのにも、この世界の文化水準では苦労する。
だが、その苦労に見合う物が出来た。
クッキーをかまどから取り出す。
綺麗なキツネ色に焼けたクッキー。バターの香ばしさと蜂蜜の甘い蠱惑的な香りが混ざりあたりに広がっていく。
「うわぁ、いい匂いです」
背後から、いきなり声をかえられて驚く。
いつのまにかティナが後ろにいた。
「びっくりした。いつの間に」
「薪割りが終わったので、だいぶ前に戻ってきましたよ。かまどとにらめっこするクルト様をずっと見てました」
「声をかけてくればよかったのに」
「むう。クルト様、お菓子作っているときに声をかけたら怒るじゃないですか」
「それもそうか」
一ミリの手元の狂いが味をぶち壊すお菓子作りの最中に声をかけられたら、怒るな。
「それに、真剣な顔のクルト様がかっこ良くて、見ていたかったんです」
「そう言われると、恥ずかしいな」
俺がそう言った瞬間、きゅうぅっと可愛いお腹の音が聞こえた。
ティナのほうを見ると、顔を真赤にして、キツネ耳がぱたんと垂れていた。
「そっ、その、クルト様、ごめんなさい。あっ、あまりに美味しそうな臭いがするものだったから」
俺はそんな彼女が可愛くてくすりと笑う。
「いや、いいよ。それだけ俺のお菓子を楽しみにしてくれたってことだから。さっそく食べようか」
俺の問にティナは目を輝かせ……。
「はいっ!」
元気な声をあげた。