第二十話:決着
決闘場で向かい合う俺とヨルグ。
五分もすれば父が現れて、選定の儀の開始を告げるだろう。
観客席は異様な盛り上がりで、誰もが戦いの結果を予想している。
そのほとんどは、ヨルグの勝利を信じて疑っていない。
「兄さん、僕は兄さんが大嫌いだ」
ヨルグが憎しみを込めた目で俺を見ている。
彼の言葉は観客席の騒音でかき消され、俺にしか届いていない。
「奇遇だな、俺もおまえのことが嫌いだよ」
今まで、こいつにはさんざん不快な目に合わされてきた。好きになんてなれるはずがない。
「僕はね、兄さんがずっと、ずっと羨ましかった。兄さんは小さいときから、なんでもできた。兄さんが二ヶ月で文字の読み書きを覚えたのに、僕は三年かかった。兄さんが2日で出来た計算ができるようになるまで、二年かかった。兄さんが一ヶ月で覚えた槍の型を覚えるのに僕は半年だ。いつもいつもそうだ。僕は兄さんがあっという間にできたことが、いつも出来なかった。みんな口をそろえて、クルト様なら……って言うんだよ」
また、懐かしい話を。そのころはまだこいつにも可愛げがあった。
今まで、こいつを殺さなかったのはそのときの記憶があるからかもしれない。
「兄さんはみんなから愛されていた。父さんも母さんも、エリスも、アンナも、ロベルトも、みんなみんな兄さんだけを見ていた。何ひとつ、僕は何一つ兄さんに勝てなかった。……槍の才能に目覚めるまでは」
小さなころはヨルグに槍でも勝っていた。
おそらく、槍の技能に奴が目覚めたことで逆転したのだろう。
「槍で兄さんに勝ったら、世界がひっくり返ったよ。気持ちよかったなぁ。みんなが僕のことを愛してくれた。兄さんじゃなくて僕を見てくれた。だけどね、兄さん、まだみんな陰口で言うんだよ。僕は槍しか取り柄がないって、僕じゃアルノルト家に未来がないって、……兄さんに槍の才能があればって!! いくら頑張っても変わらないんだよ!」
ヨルグの憎しみは殺意にかわる。
それがこいつが、ぐれて努力を放棄した理由か。
「今日だって、そうだ! 辺境伯も、その娘も、兄さんに夢中だよ! 未だに、アルノルト家を一歩出れば、僕なんて、クソで、兄さんをみんなが求めるんだ! いったいどうすれば、兄さんじゃなくて僕を見てくれるの!?」
ヨルグはまるで駄々っ子のように喚き散らす。
もはや、哀れだ。
「俺が知るか。どうして嫌いな奴の質問に答える必要がある」
「冷たいな兄さんは。それに僕のことが嫌いなんて嘘だよね? 兄さんが僕に本気の感情を向けたのってさ、馬小屋であの餓鬼を襲ったときくらいだったよ。兄さんは僕に興味が無いんだ。兄さんにとって僕は虫だよ。たかってきたら払うだけで、このアルノルト準男爵領で兄さんが一番僕を見てくれない!!」
なかなか言い得て妙だ。
俺はこの弟は、害を加えない限りは放置すると決めている。
「なんだ、構って欲しかったのか?」
「そうかもね。僕は兄さんをずっと追いかけてた。でも、それも終わりだよ。僕は兄さんになるんだ。兄さんの大事なもの全部奪えば、兄さんになれる、兄さんの村と兄さんの大事な女をもらって、僕が兄さんになる!」
こんなふざけたことを言いながらヨルグの目は本気だった。
なるほど、冗談ではなく本気でこんな夢物語を語っているんだな。
「ヨルグ、おまえはおまえだ。俺のものを全て奪っても俺にはなれないよ」
ヨルグの顔が引きつる。さらに言葉を続ける。
「それに、俺は奪わせない。俺はもうおまえに負けない。負けてやらない」
薙刀……銀閃を構える。
銀閃を構えると、ティナの温もりが伝わってきた。つまり、今の俺は無敵だ。
「強がりを、槍は! これだけは! 僕は兄さんに負けない! 魔力なんて反則がなければ負けないんだ!」
ヨルグも槍を構えた。
「だいたい兄さん、なんだよ。そのへんてこな槍は。それが兄さんの自信の源? だとしたら、無駄だね。そんな小細工じゃ勝てないよ!」
「やればわかるさ」
これ以上の言葉は必要ない。ただ、戦いの中で語るのみ。
俺とヨルグが睨み合う中、父が現れた。
そして、大きく口を開く。
「これより、選定の儀を始める」
力強く宣言した。
さきほどまで騒いでいた観衆たちも押し黙る。
「初代、アルノルト家の当主は槍の力のみで武勲を重ね、爵位を得た。魔物も、魔力をもった敵国の兵士すら、槍一本でねじ伏せた。爵位を得たあとも、民を守り、敵を打ち倒してきた。故に、アルノルト家の当主は、もっとも武技がすぐれたものがなる」
この伝説は耳にタコが出来るほど聞いてきた。
アルノルト家にとって、魔力を使わずに武勲をあげたということが誇りなのだ。
だからこそ、魔力を毛嫌いする風潮がある。そんなものに頼らないことに美学を感じている。
初代がそうしたように。おまえたちも後に続けと。
俺からすれば、極めて滑稽に見える。使える力はすべて使ったほうが良い。
「この場では、自らの鍛え上げた肉体と武器のみによって決着をつける! 意識を失う、降参をする。もしくは命に関わる傷を負ったと私が判断した場合、負けだと判断する」
それがルールだ。
今回は、俺の薙刀にも、クルトの槍にも殺傷力を落とす布は巻いていない。
「では、クルト、ヨルグ、準備はいいか」
「準備は出来ております」
「僕もいいよ。父さん」
父が頷く、そして手をあげた。
「では、選定の儀式を開始する!」
そして父の手が振り下ろされた。
◇
選定の儀の決闘が開始された。
俺は最初にすることを決めていた。
ヨルグの構えはどこか気が抜けている。
俺の動きなど、見てから後追いしても十分間に合うという慢心があった。
ヨルグは手を抜いて勝つことによってより、俺に大きな屈辱を与えると思っている節がある。だから今までの試合でもまともに構えず、型すらもメチャクチャだった。
俺もヨルグも一通り父に教えを受けている。ヨルグも最低限の型はできるはずなのだ。
その隙をつけば、一瞬で勝負をつけることはできる。
俺は全力で踏み込む。
一〇年積み上げてきた俺の武技が、剣技能Ⅲの力で加速する。
ただのまっすぐな突き。俺の槍の原点。だからこそ極めに極めた最高の一撃。
この一撃なら剣技能Ⅲの力に振り回されずに全力を振るえる。
風切音を追い越す速さで銀閃が走る。
「ヨルグ、本気を出せ。これが俺の実力だ」
俺の薙刀……銀閃の刃はヨルグのほほを浅く裂いた。
すうっと血が流れる。
ヨルグは反応すらできていなかった。俺が当てていれば一撃で終わっていた。
俺は後ろに飛んで槍を構える。
「うっ、うそ、今、兄さんが消えて、えっ、そんな、なんて、速さ」
ヨルグが混乱している。
彼の常識では、俺の動きは所詮人間のもの。槍の才能がなく凡人の域を出ないはずだった。
なのに、神域に至った突きを見せられて混乱しているのだろう。
「もう一度だけ、告げる。本気を出せ。これが俺の実力だ。今のはあえて外した。次ははずさない」
銀閃を突き付けて宣言する。
ヨルグが後退った。
俺がわざと外したことには理由がある。
それはヨルグにあとで言い訳をさせないためだ。
今の一撃で倒してしまえば、こいつは後々、兄さんは本番まで実力を隠して油断させるなんて卑怯な手を使った、負けたのは自分の実力ではないと騒ぐ。
そんなことは許さない。
きっちりと、実力で負けた。全力で戦って勝てなかったと思いしらせないといけない。
「そんな、兄さんが、こんな、速さ……。はっ、反則だ! 兄さんは魔力を使ったはずだ。そうでないとおかしい! だろっ!? 父さん」
父に向かってヨルグは俺が反則したと糾弾する。
「いや、クルトは魔力を使っていない」
父が首を振って否定する。
父もわずかながら魔力を使えるため、俺が魔力を使ったかどうかはわかるのだ。
父がそう言う以上、信じるしかなくヨルグは顔を青くする。
「ヨルグ、降参してもいいんだ。技量で劣るおまえが、速さと重さで負けてどう戦うつもりだ?」
「こんなの、まぐれだ。まぐれに決まってる。それに、僕だって、本気なんて今まで出してないんだ。後悔するよ。今の一撃で僕を倒せなかったことを」
ヨルグが青筋を立てて槍を掴む手に力を込めている。
はじめて奴は構えらしい構えをとった。
だが、拙い。
確かに奴は今まで本気ではなかっただろうが、その怠慢はやつの槍を鈍させている。
「ああ、本気で来てくれ、その本気を俺はねじ伏せる」
今度は俺とヨルグ、二人が同時に走りだす。
ヨルグの突きに、あえて突きで応じる。
ヨルグの槍と銀閃がぶつかり合い、弾かれる。
ヨルグは無様に体勢を崩したたらを踏み、俺はしっかりと銀閃を握りしめ重心を前に残していた。つまり、次のアクションを速やかにとれる。
強く踏み込む。
槍の間合いの内側に入り込んだ。踏み込みの勢いを乗せて突いても良かったが、それだと殺しかねない。
本来、槍の間合いの中に入られれば、なぎ払いなり、蹴りなりして対処するのだが、とっさにそのアクションをとれるほどヨルグの能力は高くない。
ヨルグはただ、慌て、無様に隙を晒すばかり。
銀閃をひっくり返し、柄についている石突でヨルグの腹を打つ。
鈍い感触、みぞおちに直撃だ。
「かはっ」
ヨルグが膝をつき、嘔吐する。急所にもろに入った。これは辛い。
俺は追い打ちをかけずに距離を取る。
根性のないヨルグだ。これで諦めるだろう。
「にっ、兄さん、まだ、まだ、終わってない」
ヨルグが槍を杖にして立ち上がり、青い顔で睨みつける。
「まだ、やるのか? 実力差は明白だ」
「うるさい!」
ふらつきながら、槍をもってヨルグが飛びかかってくる。
軽く躱してすれ違い様に、首の後ろを薙刀の刃の裏で叩く。
片刃なので、刃の裏はただの鈍器だ。
ヨルグが前のめりに倒れた。
今度こそ終わりだろう。
しかし……
「にっ、兄さん、どこいくんだ」
首を痛打されて、意識が朦朧としているはずなのに、ヨルグが立ち上がった。
俺は内心驚いた。
こいつがこんな根性を見せるとは。
「もう、立っているだけでやっとだろう。諦めろ」
「負けるもんか! 負けるもんか!」
力のない槍をなんども繰り出す。そんなものは俺には届かない。
それでもヨルグは槍を振るい続けた。
「僕には、僕には、槍しかないんだ。槍でまで負けたら、僕は、僕はあああ!」
ヨルグが奥歯を噛み締めながら。なお槍を振るう。
強く噛みすぎて奥歯が折れていた。
ヨルグは今、かつてないほど本気だった。
ここで初めて、俺はヨルグを舐めていたことに気付く。適当に痛めつければ諦めるだろうと思い込んでいた。
「ヨルグ、すまない。おまえを見下していた」
ヨルグの突きを銀閃で下からはじく。ヨルグがばんざいしたような格好になった。
そして、銀閃を上段に振りかぶる……これは槍にはない型だ。
「おまえは、生半可な一撃ではとまらない……だから本気を出すよ」
そして振り下ろす。銀閃はその名前のとおり銀色の閃光となりヨルグを袈裟に斬りつけた。血が吹き上がる。
「にっ、兄さん、ぼくは、ぼくはね。にいさんに」
血の雨を降らしながら、虚ろな目でヨルグが崩れ落ちる。
「勝者! クルト」
父が勝利を告げ、慌てて医者がヨルグのもとに駆けつけた。
傷はそう深くないようにしている、きっちり止血をすれば命は助かるだろう。
観客席を見ると、大半は俺の勝利を喜び、そしてヨルグに今まで尻尾を振っていたものたちは顔を真っ青にしていた。
俺は背を向ける。
「クルト、先に私の執務室に行ってくれ。私はヨルグの容体を確認したらすぐに追いかける」
「はい、父上」
父上に一礼をし舞台を去る。
舞台を降りるとティナが待ち構えていた。
「くるとさまぁ!」
目には涙を溜めて、飛びついてくる。
俺はティナを受け止めた。ティナは俺の背中に手を回し、力を込める。
「くるとさまぁ! 良かった、勝てて、良かったです」
ティナは涙声で良かったと繰り返す。
随分と心配をかけたものだ。
きっと、内心でこの子は不安だったのだろう。俺がこの一週間のほとんどキャベツを切るのと、土魔術の開眼についやした。
それで、ずっと負け続けたヨルグに勝てるようになると言っても、となりで見ている彼女は不安だっただろう。
「うん、勝った。ティナのおかげだよ。ティナが居たから勝てた。これで、これからもずっとあの村で一緒に過ごせるよ」
「はいっ、はいっ!」
俺はティナが泣き止むまでずっと、背中をぽんぽんと叩きながら好きにさせていた。
フェルナンデ辺境伯とファルノがやってきた。フェルナンデ辺境伯は苦笑して、目と手振りで待つよと伝えてきて、ファルノは俺とティナを見て頬をふくらませていた。