海からくるもの
ある世界の小さな島。そこの島長の家で盗みがあった。
犯人は村で一番貧しい父子家庭の父だろうと断定された。
この島では、犯罪者は流刑となる。監視数人と受刑者、それに小さな小船を乗せた船で沖に出て、島影が完全に見えなくなった頃、受刑者を縛り上げて小船に乗せ、その小船を海に浮かべて置き去りにする。――この名残で、今でも船で海に出ると、小魚が船に寄ってくる。
受刑者の父親――ラディは去っていく船に狂ったように叫んだ。
「私は無実だ。それなのにこの仕打ち。呪ってやる……」
◇
ラディの一人娘であるマリーは八歳にして、犯罪者の娘として家を奪われ、物乞い生活を送っていた。姿を他の島民に見られれば、囃し立てられて石を投げつけられる日々。しかし運が良かったのか、父親の加護か、それも長くは続かなかった。正義感の強い少年が立ち上がったからだ。
「やめろ! 俺はマリーの幼馴染でラディさんを知っているが、ラディさんは盗みなんてする人じゃない! 仮にそうだとして、マリーがこんな目に合わされるなんておかしい! これ以上マリーが酷い目に合わされるのを見たくない、マリーは俺が引き取る!」
その少年はスレッジといって、マリーの二つ上の、島長の親戚だった。それもあって、皆白い目を向けつつスレッジがマリーを引き取るのを黙認した。しかし彼の身内、両親と姉はそれに良い顔をしておらず、実質ペットのような扱いだった。それでもマリーは着るものと食べるものがマシになって喜んだ。
ラディの刑から半年後、マリーの境遇はもっと改善された。ある宴の席で、酔った島長がポロっと当時を喋った。昔惚れた女を盗られた腹いせで濡れ衣を着せてやったと。大成功だったと。あの男が誰からも信じられていない嫌われぶりを見たのは痛快だったと。
島で一番偉い人間が言うから信じたのに――。その場に居合わせたほぼ全員が絶句した。
その後、ラディどうこうではなく、自分達が同じ目に合いたくないために島長は強制的に隠居となった。
残されたマリーは、ラディの呪いを恐れて下にも置かぬ扱いをされた。マリーはまわりの態度がコロコロ変わって不気味だと感じた。ただ、唯一信じてくれたスレッジだけは大好きだった。
ラディの刑から一年。去年の今頃父がいなくなったのだとむずかるマリーに、スレッジは一日傍について慰めた。そして、真夜中になった時。
マリーとスレッジの部屋の扉がノックされた。同時に、ざわりと潮の香りが辺りに満ちる。
『マリー……迎えに来たよ。待たせてすまない』
マリーは眠れず横になっていたが、忘れるはずも無い父の声に飛び起きる。それをスレッジが止める。小声で警告しながら。
「静かに! 返事しちゃいけない。あれは……人間の声じゃない」
扉に向かおうとするマリーを、物のように抱きしめて妨害する。どこから聞こえているのか分からない不気味な声だった。
『マリー、どうした? お父さんだよ。ここを開けておくれ』
父が死んだことを理解できないマリーは開けようとするが、スレッジが口も塞いでしっかり抱きとめていて手も足も出ない。
『……マリーがここにいたら、村を滅ぼせないんだ……。早く……』
幼いながらも聡明なスレッジは、扉の向こうにいるのが魔物であると勘付いていた。そして絶対に開けさせてはいけないとも。
その声は夜中まで響いた。そして辺りが明るくなってようやく扉を開けると、扉のすぐ前だけが海水で濡れていた。
呆然とするマリーを強く抱きしめ、スレッジは強くなろうと誓った。
こんなことが数年も続き、最後の頃には夏の風物詩と化していた。そして数年もすれば、マリーも父が浮かばれないまま亡くなり、いまだ成仏できないでいるのを悲しく思うくらいには成長した。そして自分だけでも幸せになろうと決心するくらいには、精神的にも強くなっていた。スレッジもまた、マリーを守るために鍛錬や勉学を怠らず、偏屈な大人が手放しで褒めるくらいの人間に成長した。
十六に成長したマリーは、スレッジと結婚の約束をした。マリーからすればスレッジ以外考えられないし。スレッジにしても初恋が実った形だった。不幸な少女と次期島長と名高い優秀なスレッジは物語の恋人のようだった。
ただ、周囲はそうもいかなかった。特にスレッジの姉、コーピスが反対していた。
「何が、可哀相で健気な女の子よ。どこが可哀相なのよ。大体、可哀相なんて言っていいのは死んだ人間だけよ。孤児同然のくせにいけしゃあしゃあと何なの図々しい。弟はマリーなんかで収まる器じゃないわ。もっといい女の子がいくらでもいる、上を狙える。マリーなんて糟に持参金は期待できないし、それどころか一生こっちに乗っかってくるのが目に見えてるじゃない。せめて親が健在ならどれだけお金が浮くか……。どうしてあの売女はこっちの迷惑も考えてくれないの。義姉になる私には思い知らせる権利があるわ。なんたって身内になったら一生関わるんだから」
コーピスはそう考えて、ラディの刑の日を狙い、島の裏通りの男達に命じてマリーに乱暴させた。真夜中まで島中探し回ったスレッジが見つけた時には、虫の息だった。
項垂れるスレッジと地べたに転がるマリーを、いつの間にか当時のままの姿で現われたラディの亡霊が見つめていた。
犯人が分かっていたスレッジは、ラディの復讐を止める権利はないと思った。黙って彼の望むままになろうとする。しかしラディはスレッジには怒る様子もなく、ぽつりと呟いた。
『死者は生者とは違う。大体のことは分かっているよ……。犯人は誰で、君は比較的娘を守ってくれていたことも……』
「なら」
スレッジはラディが怒っていないことを喜んだ。何だかんだいっても故郷を滅ぼされたくないし、マリーとはこうなっても添い遂げるつもりだからだ。けれど、そんな下心を見抜いたラディは激しくスレッジを叱責した。
『死んだ直後の娘への無礼、そしてこの状態。やはり島は滅ぼす。許されたとでも思ったか? 違う。呆れて言葉も出ないだけだ。もうここにはマリーを置いておけない。お前だけは助けてやるから、命が惜しいならこの島を出るがいい。これを他の人間に話したら殺す』
ラディの気迫にスレッジは気圧されながらも、それでもマリーと離れたくないと心に決めて、ラディに追いすがる。
「待ってください、俺はマリーを愛している。連れて行くなら、どうか俺も共に。何でもします」
悪霊のようなラディを恐れず頼み込むその姿に、ラディはふと考えた。
『何でも、と言ったな。それなら、私と同じ目に合ってみるか。私は娘を両親二人に先立たれる可哀相な子にしたくない一心で、絶対に帰ろうと縛られたまま小船の上で一月生き延びた。お前もそれができるか?』
「……出来たら、マリーとの仲を許してくれますか」
『それどころか、この島にそんな人間がいるなら、滅ぼすのもやめてもいい』
「今の言葉、忘れないで下さい」
『生者じゃあるまいし』
スレッジはラディと約束を取り付けると、マリーを身奇麗に整えたあと、別れの挨拶をした。マリーは半分くらい生きながら夢の中にいたが、ぬくもりが離れるのを子供のように嫌がった。それをあやしながら、スレッジは言い聞かせる。
「一年だけ待ってくれマリー。必ず迎えに来るから……」
マリーは「あー、うー」 と言いながら、去っていく一人と父親を見送った。
それから、ぼんやりと自宅に向かったマリーは義姉になるはずだったコーピスにいびられる日々が始まった。マリーは言い訳も出来なくなった上に、優秀なスレッジがいなくなったことを惜しんだ島人達にひたすら疎まれた。
これ幸いと弟を狂人に奪われた可哀相な姉の同情を利用して、コーピスは毎日マリーを苛め抜いた。しかし夢の世界にいるマリーにはそれを気にする理性もなく、余計コーピスを苛立たせた。それである日、ついにコーピスはボロを出した。
「この腐れ脳味噌! また男達をけしかけてやろうか!」
よりにもよって人目のあるところで言ってしまったため、またマリーは華麗に立場が変わった。ただし介護は面倒くさがった島人達により、それは全面的にコーピスがすることになった。
「……私は悪くない、私だって悲劇よ、弟と家のためを思ってやったのにどうしてこうなるの?」
コーピスは理解できないマリー相手によくそう言ったが、マリーは……最初のうちは狂人でしかなかったが、半年をすぎてスレッジが消えた日が近づくにつれ、徐々に単語を話すようになった。
「すれっじ。うみ。おとうさん……」
不気味がったのは主に関係ない人達で、当のコーピスは「徹底的に壊したんだから、こんなの特に意味なんて無い。それより黙っていたほうがうるさくなくていいのに」 とどこ吹く風だった。
◇◇◇
そして、スレッジが消えた日が巡ってきた。その夜、マリーの世話をしていたコーピスは、外の気配に気づいた。
「……?」
『マリー、姉さん』
弟の声だ。でも、生前の声そのままなのに本能がアレはまともな者の声ではないと警告する。
「ひっ」
『約束、守ったよ。迎えにきたんだ。マリーを出してもらえないか。死者は、生者の許しなく干渉できない』
マリーの毛布を奪って頭からかぶり、耳を塞ぐ。その声にこたえたら、自分がやったことを思えば何されるか分かったものではない。
そんなコーピスとは裏腹に、部屋にスレッジの声が流れた瞬間、マリーの正気が戻った。
「スレッジ? お父さんもそこにいるの?」
『いるよ、マリー。彼はよく耐えた。私も約束を守ることにしよう。島は沈めない。あとはマリーがこちらに来るだけだ』
「うん。あ、でもスレッジ。私、汚れちゃったけど……」
『俺の愛を疑っているの? それに、死んだらそんなものは関係ない』
「そっか、ごめんね。でも……」
マリーは毛布を被って震えるコーピスを見つめる。弟が大好きだからこその行動だったはずなのに、今のこれは何だろう。
「コーピスさん、スレッジが来てくれたんですよ。挨拶は……」
「うるさい! 一人で行ってよ! 私悪くない! 悪くない!!!」
「分かりました。色々あったけど、今までありがとうございました」
その言葉を残し、マリーは部屋をあとにした。部屋を出た直後のマリーは、嬉しそうな声だった。
◇◇◇
昼間になって尋ねてきた親戚の者が事情を聞いたが、マリーがまた狂乱して、疲れたコーピスが錯乱しただけだと結論付けた。
何故なら親戚が着いた時、部屋の前はまったく濡れていなかった。それと島の宿無しの目撃情報によると、真夜中に一人、小船に乗って海に向かうマリーの姿を見ただけだという。
結果がどうあれ、この事件を最後に、島に亡霊が出ることは二度となかった。