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仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
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1942シチリア海峡海戦1

 潜水母艦黒鯨の士官室の舷側窓から見える地中海の空は、どこまでも青く広がっていた。見つめているうちに引き摺り込まれそうになるほどの純粋な青い色だったが、気が沈んだ苅野中尉の心は、空のようには晴れなかった。

 潜水母艦固有の乗員だけではなく、接舷させた潜水艦乗員も収容するために、黒鯨の士官室は広く、過酷な勤務を終えた潜水艦乗員の休息のためにゆったりとした作りとなっていた。
 今は、黒鯨に接舷して補給中の潜水艦は、第29潜水隊に所属する海中型の呂41,呂42,呂43の三隻だけだったから、艦内の諸室にはだいぶ余裕があった。


 黒鯨は、大鯨型潜水母艦の三番艦として就役したばかりの新鋭艦だった。大鯨型が計画された当時、日本海軍の潜水母艦は数が少なく、いずれも能力が不足していた。
 正規の潜水母艦として艦隊籍にあったのは、軍縮条約によって途上で廃案とされた八八艦隊計画で建造された迅鯨型潜水母艦二隻だけだった。
 その迅鯨型も旧式化している上に艦形が小さすぎるから、大型化した最新鋭の伊号潜水艦の支援を行うには能力が不足しており、これを補うために戦時には大型商船を徴用して特設潜水母艦として運用する方針だった。

 しかし、そのような手段が取れるのは、巡洋潜水艦である巡潜型が配属された潜水戦隊だけだった。
 主力艦隊に随伴して、敵艦艇への水雷襲撃を実施する艦隊型潜水艦に対して、速力は低めだが、その分航続距離の長い巡洋潜水艦は、敵地への長距離哨戒や長期間の通商破壊作戦を主任務としていた。
 日本海軍の場合は、特に偵察能力を重視しており、水上偵察機を搭載するために、水密格納庫や射出機などの航空兵装を備えた艦も多かった。

 このような巡洋潜水艦の場合、搭載する物資は航続距離に比例して多くはなるが、進出する距離そのものが長いから、母艦は安全な戦線後方に置くことが出来た。だから商船を転用した特設潜水母艦でも、物資搭載量や補給する魚雷の調整所さえ確保できれは十分に活用することが出来るはずだった。
 潜水母艦には、収容可能人数や空間に余裕が有ることから、司令部設備を増備して潜水戦隊旗艦としての任務を兼ねることが多かったが、敵性水域の奥深くまで進出しなければならない巡洋潜水艦にとって、水上艦艇の旗艦を随伴させることは足かせとなるため、最近の巡潜型の中には潜水隊司令の乗艦を前提とした旗艦潜水艦として建造された艦もあった。
 それに、長距離哨戒にしろ、長期間の通商破壊戦にしろ単艦での行動が自然と多くなるから、各艦の統一指揮を行う旗艦設備の必要性そのものが低かった。

 だが、艦隊型潜水艦である海軍大型潜水艦、通称海大型の場合は、そのようには行かなかった。海大型潜水艦は、日本海軍の対米戦基本計画である漸減要撃作戦の中で、水雷戦隊などと共に、敵主力艦に対して雷撃を実施するための艦だった。
 敵主力艦隊を夜間追撃するために、水上航行速度は高いが、その反面航続距離は小さかった。
 また、効率的に主力艦に対する水雷襲撃を実施するために、水雷戦隊のように各艦を指揮統率する旗艦も必要不可欠だった。水上での艦型が小さな潜水艦では、艦橋からの視界が悪いために、不動の泊地ならばともかく、機動を続ける敵味方の主力艦隊の位置を把握し続けるのは困難だったからだ。
 だから、艦隊型潜水艦の母艦には、支援対象となる潜水艦の短い航続距離を補うために、彼我の戦力が拮抗する前線近くまで前進することが求められていたし、広大な海域の状況を把握するために、偵察機を搭載することも必要だった。

 このうち、偵察能力や旗艦設備に関しては、巡洋艦などを潜水戦隊旗艦に転用することで補うことも出来た。それでも艦内容積の限られる巡洋艦では母艦能力は限られるから、魚雷調整所や各種補給物資を搭載する潜水母艦は必要不可欠だった。
 だから、旗艦設備を切り捨てたとしても、艦隊型潜水艦支援用の潜水母艦は敵中近くまで進出することが求められていた。

 しかも、大鯨型潜水母艦の建造計画と前後して、日本海軍の大型潜水艦の建造方針が巡洋潜水艦重視となったため、艦隊型潜水艦の中核は、大型の伊号潜ではなく、より小型の呂号潜に分類される海中型に切り替わっていた。
 海中型は、海大型よりもさらに航続距離は小さいから、潜水母艦の危険性はさらに増大していた。

 結果的に大鯨型潜水母艦は、水上艦はともかく、敵航空戦力の存在が予想される危険な海域まで進出して海中型潜水艦を支援するために、対空自衛火力や哨戒能力を充実させることとなった。
 元計画では旧式化した12.7センチ高角砲搭載であったものが、最新鋭の長10センチ高角砲を搭載することとなったし、高射装置も防空巡洋艦や秋月型駆逐艦と同様の九四式高射装置を備えていた。
 これに加えて防空巡洋艦並みの対空、対水上電探や、潜水戦隊旗艦として十分な通信設備も備えていた。


 だが、現在の黒鯨は、その能力を本来の用途で使用しているとは言えなかった。海中型潜水艦の母艦として運用されてはいるものの、支援する海中型の任務が広大な太平洋での敵主力への襲撃から、中近距離での通商破壊作戦に変更されていたからだ。
 当初の計画通り、呂33型潜水艦を原形として、戦時量産型である呂35型潜水艦が続々と就役を開始していた。この海中型呂号潜を集中配備された新編成の部隊が、黒鯨を旗艦とする第6潜水艦隊第5潜水戦隊だった。
 しかし、計画通りであったのは呂号潜の就役までだった。

 仮想敵であった米国は今のところソ連よりの中立を保っていた。その一方で、北アフリカ戦線へ向かう、地中海を縦断する枢軸軍の通商路が日本海軍潜水艦の新たな標的となっていた。
 この補給線を制圧するため、英国海軍潜水艦とともに、第5潜水戦隊は地中海中央海域で通商破壊作戦を実施していた。当然ながら戦隊旗艦でもある黒鯨も根拠地であるアレクサンドリアに進出して最前線で指揮をとっていた。
 黒鯨はここでは潜水戦隊旗艦として指揮中枢となるとともに、海中型の母艦任務をこなし、更には対空巡洋艦並みの大型電探によって、アレクサンドリアの司令部を補完する予備の対空戦闘中枢としての任務も与えられていた。


 アレクサンドリアに進出した日本海軍の補助艦艇は多かった。しかも、黒鯨のようにアレクサンドリア港に長期間停泊し続けている艦も少なくなかった。間宮型給糧艦や明石型工作艦などはその充実した設備を活かすために、原材料の移送などを特設艦に任せて、自艦はアレクサンドリアに留まったまま艦内工場をフル操業させていた。
 大型艦も入渠できる浮きドックも展開していたから、現在のアレクサンドリアは、前線のすぐ後方にあってクレタ島に展開するドイツ空軍の行動半径に収まっているにも関わらず、本土の鎮守府に準ずる艦隊支援能力を有していた。

 黒鯨の士官室内の様子も、本土とほとんど変わらなかった。空襲時の損害を局限するために可能な限りの可燃物を陸揚げしてあるから、室内はどうしても殺風景になってしまってはいるが、士官室付きの黒鯨固有の乗員達によって、居心地よく設えられた士官室は、長期の航海を終えた潜水艦乗員たちの憩いの場となっていた。
 士官室で提供される食事も、艦内の充実した調理室で作られたものだった。食材の多くは、黒鯨の近くに錨泊している給糧艦から、提供されていたから、量も質も、本土にいた頃と大して変わらなかった。
 今も第29潜水隊に所属する呂35型潜水艦乗組となる若手士官らが、士官室の中で出撃前の最後の食事を楽しんでいた。酒精も手伝ってか、彼らは陽気な声をあげていた。
 その中には、海軍兵学校や潜水学校の同期も含まれていたが、苅野中尉は彼らに混じろうとはしなかった。


 陽気な声を上げている士官らは、いずれも以前の出撃で何らかの戦果を上げた艦の乗員だった。現在、第5潜水戦隊は、潜水母艦大鯨を旗艦とする第3潜水戦隊と共同で、クレタ島及びマルタ島周辺海域で通商破壊作戦を実施していた。

 アレクサンドリアからの距離は、クレタ島周辺海域の方がはるかに近かったが、より危険度が低いのは、進出距離が長くなるはずのマルタ島周辺海域での通商破壊作戦だった。
 クレタ島に駐留するドイツ空軍は、アレクサンドリアなど北アフリカの国際連盟軍拠点に対する偵察、爆撃を敢行する一方で、クレタ島周辺海域の哨戒飛行も定期的に実施していたからだ。
 最近では、対水上電探が大型哨戒機などに搭載されるようになっていた。敵味方で性能差はあるが、機載、艦載のどちらの対水上電探も最近のものでは、浮上中の潜水艦程度の目標でも、肉眼をはるかに超える数十キロ先から探知することが可能だった。
 もちろん、潜水艦にも敵機や敵艦が搭載する対水上電探が使用する電波を探知する逆探や、対空電探が装備されるようになっていたから、一方的に潜水艦だけが不利となっていたわけではなかったが、夜間であっても浮上航行を安易に行うことができなくなったのは事実だった。


 その一方、マルタ島周辺海域での通商破壊作戦は、航続距離の短い呂号潜が主力となっているにも関わらず少なくない戦果を上げていた。枢軸軍の占領下にあるクレタ島とは違って、マルタ島は国際連盟軍傘下の英国軍が維持していたからだ。
 一時は枢軸軍空挺部隊の島内への降下を許したものの、先のマルタ島沖海戦で枢軸国連合艦隊を退けた後は、マルタ島の防衛体制は盤石なものになっていた。
 枢軸軍によって連日実施された島内への爆撃によって、マルタ島駐留部隊の戦力はかなり低下していたが、マルタ島沖会戦と同時に日本海軍の高速輸送艦隊を用いて実施されていた燃料油や予備エンジンなどの航空機材の緊急輸送によって、航空戦力は急速に回復していた。
 マルタ島の各地に点在する飛行場には、スピットファイアやハリケーンなどの単座戦闘機に加えて、長距離の洋上飛行が可能な航法能力と航続距離を持つウェリントン爆撃機や、日本製の九六式陸上攻撃機を輸入したハドソン哨戒爆撃機などの双発機も展開していた。
 これらの航空隊は双発爆撃機によって敵船団を攻撃するだけにと止まらずに、戦闘機隊によってマルタ島周辺の制空権を確保することで、敵哨戒機の制圧も行っていた。
 だから、通商破壊作戦に従事する呂号潜もマルタ島周辺海域では、比較的安全に浮上航行を実施することが出来た。整備能力は限定されるが、マルタ島には潜水艦隊の支援能力もあるから、アレクサンドリアからの距離はあっても、環境は整っていたのだ。


 それ以前に、マルタ島とクレタ島では、航行する敵船団の規模も全く異なっていた。クレタ島周辺海域で航行する輸送船は、主に同島に展開するドイツ空軍を稼働させる為の物資を輸送しているものだった。
 クレタ島に駐留するドイツ軍の戦力は決して少なくはないが、哨戒機や爆撃機を除いた活動は低調だったから、消耗される物資の量は大したものではないはずだった。

 これに対して、イタリア本土から出港して、マルタ島周辺海域をすり抜けて北アフリカに向かう船団が輸送するのは、枢軸軍が北アフリカ戦線に展開しているアフリカ装甲軍が必要とする補給物資だった。
 枢軸軍のアフリカ装甲軍は現在、10個を超える師団を有しており、一日あたり装甲軍全体で五千トン弱の物資を消耗する計算だったから、補給線に係る負担は莫大なものがあった。

 クレタ島への輸送は、船団を編成せずに高速の輸送船が単艦で実施する場合も少なくないようだが、マルタ島の場合はそのような高速船ばかりで実施することは規模の面から到底不可能だった。
 自然とマルタ島周辺海域を航行する輸送船は、大掛かりな船団を組むことが多くなり、通商破壊作戦を実施する潜水戦隊の獲物となる輸送船の数は多かった。

 最近では、哨戒が厳重な上に輸送船の航行量が少ないクレタ島周辺では、積極的な輸送船襲撃よりも、長期間の敵拠点の監視が主要任務となっていた。だから、長時間の潜行が可能で、搭載物資量も多い大型の伊号潜が、根拠地であるアレクサンドリアにより近いクレタ島周辺海域に出撃して、逆に遠距離のマルタ島に中型の呂号潜が出撃するという逆転現象が生じていた。

 第5潜水戦隊も幾度もマルタ島を仮の根拠地として出撃して、北アフリカとイタリア本土を結ぶ枢軸軍の補給線に対して大きな戦果を上げていた。だが、その中で、苅野中尉が航海長として乗り込む呂43号潜のみが例外だった。
 呂43号潜は、第29潜水隊の中でも最新鋭の艦だった。就役してからまだ間もなく、兵員の練度も高いとはいえなかった。だが、練度に関しては他艦とそう違いはないはずだ。
 急速に建造が進められた戦時量産型である呂35型の建造工期は短く、呂43号潜と他艦との間には就役時期にさほど差は無かったからだ。

 呂43号潜がこれまでの出撃で戦果がないどころか、魚雷発射の実績すら少なかった原因は、潜水艦長である麻倉大尉の慎重すぎる指揮にある。苅野中尉や若手の乗員達はそう考えていた。
 積極的な判断を下す潜水艦長達に率いられた他艦との行動を比較する限り、そうとしか考えられなかった。もっとも、麻倉大尉が慎重な指揮をとっているのには理由があり、必要以上に艦の損耗を恐れているのかもしれなかった。

 呂35型潜の原形となった呂33型潜水艦の定員表によれば、潜水艦長には少佐の階級の士官を充てることとなっていた。より大型の伊号潜では中佐が潜水艦長となる。
 だが、実際にはそれよりも階級が低くとも潜水艦長に任命される場合も少なくなかった。呂号潜の潜水艦長に大尉が、伊号潜の潜水艦長を少佐が務めることは最近では珍しくもなくなっていた。
 潜水艦の戦時量産による保有数の増大と、戦闘による損耗を原因とした中級指揮官の不足によって、正規の定員表通りの士官を充足させることが難しくなっていたためだ。特に潜水艦長には特別な教育が必要だったから、正規の階級の指揮官を急速に育成することが短期間では出来なかったのだ。
 逆に、呂35号潜では公文書である定員表自体が書き換えられて、正式に潜水艦長が少佐または大尉とされていた。

 麻倉大尉も、こうした階級の緩和によって呂号潜の潜水艦長に任命された一人だった。潜水艦乗組の勤務期間で言えば、苅野中尉と対して変わらないのではないのか。
 一応は他艦で先任士官も経験しているし、潜水艦長を育成する潜水学校の甲種学生を修了してはいるが、最近では教育期間が限られているものだから、甲種学生も促成教育が実施されているようだった。

 だが、平時と比べて格段に早い段階から艦の最高責任者に任命された若い士官の中には、その大きな責任に萎縮してしまうものもいるのではないのか。特に隠密行動をとる潜水艦の場合は、一隻の指揮官である艦長の判断が、他の艦種と比べて大きいから、その傾向は強いはずだ。
 それが艦の消耗を避ける為に、慎重すぎる指揮につながっているのではないのか。

 しかし、よく考えると苅野中尉には、麻倉大尉もそうだとは思えなくなっていた。海軍軍人らしからぬ、だらしない格好の大尉を見る限りでは、そのような重圧を感じているとは到底考えられなかったのだ。
呂33型潜水艦の設定は下記アドレスで公開中です
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/ssro33.html
大鯨型潜水母艦の設定は下記アドレスで公開中です
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/astaigei.html
九六式陸上攻撃機(ハドソン哨戒爆撃機)の設定は下記アドレスで公開中です
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/96g3.html
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