挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
しおりの位置情報を変更しました
エラーが発生しました

ブックマークしました。

設定

更新通知 0/400

設定を保存しました
エラーが発生しました

カテゴリ

ブックマークへ

以下のブックマークを解除します。
よろしければ[解除]を押してください。

ブックマークを解除しました。

90/293

1942エル・アラメイン砲撃戦20

 戦線は確実に西進しつつある。そのような状況は、外部からの情報流入に乏しい捕虜たちの間でも、事実として認識されていた。アレクサンドリア郊外の捕虜収容所内や、作業場との往復などの間に、監視を行う国際連盟軍の監視兵達の会話などから漏れ伝わってくる情報からも、それが感じられた。
 中には、堂々と監視兵たちから話を聞き出した強者もいるらしい。あるいは、その程度は監視兵たちにとっても周知の事態で、隠すような情報ではないのかもしれなかった。

 臨時の捕虜収容所となったアレクサンドリア郊外の施設に収容された捕虜は少なくなかった。大半は移動手段を喪失して戦線後方に取り残されたイタリア軍将兵だったが、少数ながらドイツ軍の将兵の姿も見られた。
 枢軸軍の友軍として行動していたドイツ軍とイタリア軍だったが、捕虜収容所内ではその差は歴然としていた。作業場に向かうのはイタリア軍の捕虜ばかりで、ドイツ軍の捕虜はほとんど収容所内から移動することはなかった。
 一見、イタリア軍の捕虜ばかりが不遇をかこっているようにも見えるが、実際には逆ともいえた。


 捕虜たちが駆り出されている作業場は、バルディア街道と、街道に平行する鉄道が破壊された個所だった。相当に大口径の砲弾が連続して撃ち込まれたらしく、破壊のあとは大きかった。
 アルフォンソ伍長達は、てっきり侵攻してきたドイツアフリカ軍団の手によって破壊されたのかと思っていたのだが、敵戦線後方で機動力を発揮させるために重火器を後方に残置させていた同軍団がどうやって破壊したのかは分からなかった。
 だが、街道や鉄道を破壊したのは、ドイツアフリカ軍団ではなく、実際にはこれに反撃を行った国際連盟軍の砲撃によるものであったらしい。
 その頃には、イタリア軍の捕虜達の間でも、戦線後方に浸透したはずのドイツアフリカ軍団が、手酷い反撃を受けて撃退されたことが分かっていた。
 反撃を行った部隊の中には、戦艦などの大型戦闘艦も含まれていたらしい。確かに、街道に残る巨大なクレーターを作り上げるには、陸上用の重砲ですら威力が不足していたような気がした。
 だが、戦艦主砲による艦砲射撃が連続して撃ち込まれれば、このような巨大な破壊跡を形成するのも可能なのではないのか。


 枢軸軍を追撃して西進を続ける部隊への補給路として使用するために、国際連盟軍は一刻も早くバルディア街道と鉄道を復旧する必要があったが、自分たちが破壊した街道の修復を行うには、膨大な人員が必要だった。
 だから、大量に発生した捕虜たちが作業者として駆り出されたらしい。
 しかし、イタリア軍将兵たちの多くが比較的素直に作業命令に応じたのに対して、ドイツ軍の捕虜たちは、その多くが利敵行為であるとして、労務を拒否していた。
 確かに、復旧されたバルディア街道を通過する物資を必要としているのは、友軍を追撃する部隊だった。

 だが、アルフォンソ伍長はそのような見解に疑問を感じていた。この時点で国際連盟軍は枢軸軍を海上兵力で圧倒していた。例えバルディア街道が完全に使用できなかったとしても、海上輸送なり何なりでその分の輸送量はまかなえるのではないのか。
 陸上を延々とトラックで輸送するよりも、海上を移送するほうが効率は高いのだから、すでにアレクサンドリアより西の港湾施設を占拠し終えた国際連盟軍にとって、アレクサンドリア近郊のバルディア街道には、戦略的な価値は減少していると考えてもいいはずだった。
 もちろん、バルディア街道が不要となったわけではない。港湾施設の充実したアレクサンドリアに比べれば、国際連盟軍が占拠したマルサ・マトルーなどの荷役量は少ないから、アレクサンドリアで陸揚げされる物資も少なくないはずだ。

 しかし、実際には、ドイツ兵達には利敵行為とは言い訳に過ぎないはずだ。ドイツ兵の将兵たちは、捕虜となってからも鋭い目を保っていた。脱走を試みているものも少なくないらしく、緊張感が漂っていた。おそらく脱走は捕虜軍人の義務だと固く信じているはずだ。
 それに比べると、イタリア軍の捕虜たちは従順、というよりもは気力を喪失しているようにも見えた。一部の将校を除くと、これまでの従軍で、すでに国家への義務は十分果たしたと考えていたし、脱走して再度ファシスト党の為に戦闘に参加することなどまっぴら御免だった。
 ドイツ軍の将兵たちは、イタリア軍の捕虜たちにも利敵行為である労務の拒否や、脱走計画への参加を求めていた。しかし、イタリア軍の捕虜たちの間では、今回の戦闘で一部のドイツ軍によってイタリア軍の車輌などが強制徴発されたことなどが知れ渡っていたから、彼らに同調するものはいなかった。
 友軍であったはずのイタリア軍から冷ややかな視線を向けられたドイツ軍捕虜たちは、孤立してさらに先鋭化を進めていた。


 労務を拒否したドイツ軍の捕虜だったが、当初はイタリア軍の捕虜と待遇に差があるわけではなかった。捕虜収容所の管理にあたっていた日本軍による監視が強まったくらいだった。
 だが、作業開始からしばらくしてから、イタリア軍の捕虜たちにだけ食事量が加増された。それも果実や生鮮野菜などの栄養価が高い貴重品としか思えないものばかりだった。
 日本原産のものなのか、イタリア人たちがこれまで食べたことのないものもあったが、乾燥した保存食の野戦食ばかりの食事に慣れきっていた捕虜たちにはささやかな違いに過ぎなかった。
 北アフリカで何年も戦っていた古参兵の中には、久しぶりの新鮮な果物に故郷でも思い出したのか、涙を流しながら口にしたものもいたようだ。
 アルフォンソ伍長はそこまでは感動しなかったが、小隊の仲間たちと久々に笑みを見せながら食べた果実は、確かに忘れられない味となった。

 さすがに新鮮な果物は日持ちしないのか、いつも支給されるわけではなかったが、その代わりにイタリア兵達に支給されるのは非常に甘いチョコレート菓子のようなものが多かった。豆類を加工したアジア圏特有の羊羹という食物だと支給した日本兵が教えてくれた。
 日本兵が言うには、アレクサンドリアに寄港している日本海軍の補給艦内で製造されたものであるらしい。正確には、糧食艦と類別されるその種の補給艦は、本来は冷凍庫や冷蔵庫を大量に装備して、艦隊が消費する食料を輸送するのが目的らしいが、艦内には食肉用の屠殺場や製パン工場といった加工施設も充実しているらしい。
 実際には、その艦は加工設備を活かして、製造した日本食などを現地の陸海軍に供給しているらしい。実際の原材料の移送は、食料貯蔵庫を増設された特設糧食艦が日本本土やアジア圏から北アフリカまで行っているようだ。
 海軍の事はよくは知らないが、そのような細々とした支援を行う艦艇はイタリア海軍には無かったはずだ。日本海軍は相当に兵員の給与に気を使っているようだった。


 だが、そのような食事が加増されたのは、イタリア軍の捕虜だけだった。それどころか、次第に軍医の定期健診などの大幅な待遇改善も開始されていた。
 明らかな待遇の格差に、当然ながらドイツ軍の捕虜たちは、収容所を管理する日本軍に対して強い抗議を行ったが、対応した日本陸軍の主計将校はあっさりと彼らの抗議を却下した。
 捕虜たちの食事などを担当するその主計将校の言い分がふるっていた。彼は、抗議に赴いたドイツ軍の捕虜達の前で、イタリア軍捕虜たちのまとめ役となっていた捕虜となった中で最先任の将校を同時に呼び出すと、淡々とした態度で事情を説明してみせた。
 主計将校が言うには、ドイツ軍の食事量が少ないのではなく、逆に労務に就いた為に、イタリア軍の食事量を標準よりも加増しているというのが正解であるらしい。つまり、所属軍がどうだというわけではなく、過酷な重労働に従事したから配給された特別食だというのだ。
 そう説明した後に、主計将校はイタリア軍の最先任将校に、補給態勢が整っていないために労務開始から特別食の支給までに間が開いてしまったことを深々と頭を下げて謝罪したらしい。

 おそらく、勇んで抗議に出かけたドイツ軍の捕虜たちは、目の前の茶番じみた主計将校の様子に、すごすごと引き返すしか無かったのではないのか。その様子をまるで見てきたかのように説明する兵もいて、その日のイタリア軍捕虜たちが収容された兵舎内は笑いが絶えることがなかった。
 だが、落ち着いて考えてみれば、アルフォンソ伍長には、この説明は矛盾しているように思えた。
 確かに、イタリア軍においても、他隊と比べて運動量が多くなる山岳歩兵であるアルピーニや、空挺などの部隊は、一般食に加えて特別食が配給されていた。一般の歩兵部隊でも、長距離行軍などに従事する際は特別食を支給されることもあった。
 ただし、その場合の特別食とは、運動量の増加に対応した高カロリー食となる。一般食では体力が持たないから、その分のエネルギーを特別食で補おうというのだ。

 だが、アルフォンソ伍長には、自分たちの支給される食事が、そもそも高カロリーな特別食だとはとても思えなかった。
 確かに糖分は疲労した肉体には必要だが、この羊羹だとか、果実などは、高カロリー特別食というよりもは、菓子のような嗜好品なのではないのか、そう考えていたからだ。
 そもそも捕虜たちに与えられた労務自体が、特別食が必要なほどの過酷な作業であるとはとても言えないものだったのだ。


 バルディア街道に残された破壊のあとは大きく、土木作業の経験のないアルフォンソ伍長にも、必要な工数は莫大なものであることは分かった。ただし、それはこの作業全体に必要な総工数がそうなるというだけの話だった。
 実際には、作業に掛かる捕虜一人あたりの負担は大したものではなかった。総工数は多いが、作業を行う捕虜の人数も非常に多かったからだ。それだけ捕虜となったイタリア兵の数は多かったのだ。
 だから、工区によっては作業者となる捕虜の数が多すぎて、工具の員数が足りずに手余りとなって、逆に効率を低下させていた箇所もあったようだ。
 しかも、大量の捕虜が労働力として動員されたものだから、街道や鉄道の修復そのものは短時間で終了していた。今では、日に何両もの大型トラックが通過する街道の補修作業が主な作業内容となっていたが、修復作業と比べると、補修作業の工数は少なく、大半のイタリア兵は、作業場に行っても大した作業はなかった。
 アルフォンソ伍長は、ロッソ上等兵などが、これでは作業ではなく、ちょっとした日光浴と散歩だとにやにやと笑いながら言っていたのを思い出していた。実際には日光浴どころか、作業場には最初の行程で簡易な日除けとなる小屋がけまで構築されていた。

 だから、実際には特別食は作業内容に応じたものではなく、労務に積極的に捕虜たちを参加せるために用意されたものなのではないのか。つまり、ドイツ人を含めて全員が作業に参加するようになってしまうと、下手をすると特別食は停止してしまう可能性もあるのではないか。
 そのように考えるイタリア将兵は少なくなかった。あくまでも特別食は作業内容にかかわらずに、自発的に捕虜を労働に就かせるために用意された餌に他ならなかったからだ。
 ドイツ人を含めて捕虜全員が道路補修工事なの労務など参加するようになってしまえば、作業に参加するものとしないもので生じる差を気にする必要もなくなるから、特別食も無くなってしまうのではないのかと考えるイタリア軍将兵は少なくないようだ。
 だから、ドイツ人の作業の内実を告げるようなものはいないはずだった。もしかするとこの特別食は、捕虜収容所内のイタリア軍とドイツ軍との間を離反させるためのものかもしれなかった。

 そこまではわかったのだが、このような操作を行ったのは誰なのか、それがよく分からなかった。実際に特別食の支給を命じたのは、捕虜収容所の補給などを担当する日本陸軍の主計将校なのは間違いなかった。
 だが、アルフォンソ伍長も何度かその主計将校を見かけることがあったが、メガネを掛けたいかにも几帳面そうなあの中年の将校が、ドイツ人に対する辛辣な計略を実施したとは思えない。
 むしろ、彼は事前に構築された計画を実施しただけあって、計画者は別にいるのではないのか。アルフォンソ伍長は、別に根拠があるわけではなかったのだが、何となく底意地の悪そうな内容から、実際の計画者は英国人ではないのか、そう考えていた。



 アルフォンソ伍長達は、ある意味において安穏とした日々を過ごしていた。そのような状況に変化が訪れたのは、ある日の夕刻のことだった。
 その日も作業らしい作業もなく、現場から戻ってきたアルフォンソ伍長達は、兵舎の前でのんびりと食前のひと時を過ごしていた。その頃には、捕虜の少なくない数が炊事班に割り当てられていた。
 炊事班の中には、入営前には調理師だったものもいたから、提供された日本食用の食材を巧みに調理して、イタリア風の料理を作り上げる名人もいた。

 だが、ロッソ上等兵達もとの少隊員たちと談笑していたアルフォンソ伍長は、急に収容所を管理する日本軍の監視兵から呼び出しを受けていた。収容所の管理棟でアルフォンソ伍長を待っている人物がいるらしい。
 この収容所に収容された時に、既に日本軍の担当将校との面談は行っていた。だが、その面談も形だけと言ってもよく、ごく短時間で終了していた。同時期に捕虜となっていたイタリア軍将兵が大勢いたものだから、一人一人のイタリア兵たちは、情報源としては貴重な存在ではなかったのだ。
 今更、最下級の下士官に過ぎないアルフォンソ伍長一人が呼び出されるのは、妙な話だった。
 一体なんの用なのか、呼び出しに来た日本兵に尋ねても要領を得なかった。イタリア語と日本語が中途半端に入り混じった会話で十分な意思疎通が出来なかったのも確かだが、どうやら、この日本兵も詳細は知らないようだった。
 断るわけにも行かなかったし、いまさら日本軍がアルフォンソ伍長を罰する理由も見当たらなかった。アルフォンソ伍長は心配そうな顔の小隊員達に頷くと日本兵に続いて管理棟に向かった。


 アルフォンソ伍長が管理棟に入るのは始めてだった。だが、管理者側の日本軍将兵が勤務する場所でも、構造的には捕虜を収容する兵舎と大した違いはなさそうだった。将校たちはともかく、併設された下士官兵達の居住区の仕様は、捕虜たちの兵舎と同規格であるようだった。
 案内の兵はためらうこと無く管理棟の奥へと入り込んでいた。その辺りは収容所の管理事務を行う区画なのか、書類を書き込む音など、人の気配はするのだが、作業者同士の会話などはほとんど聞こえてこなかった。

 案内された小部屋は、その中で応接室か会議室として使用されているものらしく、数卓の机やすわり心地の良さそうな椅子などが置かれていた。
 だが、アルフォンソ伍長には、室内の調度品は全く目に入らなかった。窓際近くに置かれた机の上に、一丁の拳銃が載せられていたからだ。
 薄く、細長い銃把と巨大なスライドとの組み合わせは間違うはずもなかった。それは日本軍の九五式拳銃だった。しかも、アルフォンソ伍長が目を奪われていたのは拳銃のスライドに顕著な傷が見えたからだ。
 この銃は、敵味方双方の攻勢作戦が開始される前、地雷原で擱座していた九五式軽戦車の乗員が持っていたあの拳銃なのではないのか。そう考えていた。


「この拳銃を持っていたというのは君なのか」
 ひどく訛りのあるイタリア語に、慌ててアルフォンソ伍長が顔を上げると、窓際の椅子に一人の男が座っていた。日本陸軍の将校であることを示す軍服を着込んだ男はまだ若く、東洋人の年齢は分かりづらかったが、おそらく20代の半ば程度であるはずだ。
 しかし、部屋の窓から差し込む夕陽が逆光となって、男の表情はよく分からなかった。
 アルフォンソ伍長が事情がつかめずに押し黙っていると、男は困惑したような顔で、九五式拳銃を手に取ると、身振り手振りを加えながら、質問を繰り返した。どうやら自分のイタリア語がアルフォンソ伍長に通じなかったのではないかと考えたのだろう。
 困惑しながらも、アルフォンソ伍長は頷きながら、男が指し示した椅子に座った。

 椅子に座って視線を下げると、強い逆光となっていた夕陽がまともに男の背後から入って、思わずアルフォンソ伍長は目を閉じていた。
 それに気がついた男は、部屋の扉近くで待機していた案内の兵に合図して電灯のスイッチを付けさせた。

 管理棟だけではなく、捕虜収容所の照明には消費電力の小さな最新鋭の蛍光灯が大量に使用されていた。おそらく日本本土の電気工場では規格化された蛍光灯が大量生産されているのだろう。
 蛍光灯の淡い光に照らしだされた男の顔は、意外に柔和な笑みを浮かべていた。やはりまだ若い男だった。だが、笑みを浮かべて入るものの、よく日に焼けた精悍な顔つきや、軍服の上からでもわかる無駄のない筋肉は、彼が有能な将校であると思わせるものだった。
 敬礼をすべきなのかどうなのか、アルフォンソ伍長が判断に迷っていると、男は笑みを浮かべたまま腰を上げると、右手を差し出してきた。反射的に手を握りながら、アルフォンソ伍長は首を傾げていた。
 蛍光灯の下で見ると、男の顔を何処かで見たことがあったような気がしていたからだ。だが、捕虜収容所の中で、この男を見た記憶だけはなかった。それ以前に日本人の顔を見ることなど全くなかったはずだ。それに何故この男は自分に好意的なのか、それがよく分からなかった。

「日本陸軍捜索第7連隊の中村中尉だ。あの夜は君らのおかげで助かった」
 そう言われて、アルフォンソ伍長は目を見開いていた。ようやく思い出していた。この男を見たのはあの夜の事だった。負傷した部下をかばいながらこの九五式拳銃をアルフォンソ伍長に向けていたのが、この男ではなかったのか。
 あの時のことを思い出しながら、アルフォンソ伍長はまじまじと男の顔を見つめた。妙だった。あの時は男の顔立ちに死んだ兄のそれが重なっていたのだが、明るい光のもとで見ると、やはり東洋人の顔立ちは、兄とは全く異なって見えていた。

 アルフォンソ伍長は、困惑した表情のままでおずおずと言った。
「あの時の、擱座した軽戦車の車長、でしたか……部下の方は大丈夫でしたか」
 間の抜けた質問だった。あれだけの重傷だった兵が無事なわけはなかった。だが、中村中尉は笑みを浮かべたまま言った。
「幸いなことに命に別状はなかった。軍務を続ける事は出来なかったが、負傷で本国帰還後に名誉除隊となるだろう。今頃は病院船で本国への途上だ。最近では負傷兵でも事務職などに転科することも多いから、除隊すらないかもしれないな。奴も君らのおかげで助かったと感謝していたよ。私も幸いな事に軽傷で済んだ。今は療養中ということになっているが、すぐに軍務に復帰できるだろう。それで刻印を頼りにこの拳銃が帰ってきたものだから、君らを探していたんだ」
 アルフォンソ伍長はようやく納得して頷いていた。確かにこの九五式拳銃は、武装解除された時に押収されていた。その時に鹵獲した状況なども詳しく聞かれていたから、その情報を元に中村中尉は自分を探してきたのだろう。
 だが、中村中尉の好意は大げさなものに思えた。あの時日本兵たちを助けたのは、実際には成り行きに過ぎなかったのだから。

 しかし、アルフォンソ伍長の口から出たのは別の言葉だった。
「あの、中尉殿のお力で、自分らの小隊長がどうなったのか分からないでしょうか。ボッツァ少尉殿は撤退する際にドイツ兵に撃たれて負傷して、この収容所ではなく、病院に収容されたらしいのですが」
 アルフォンソ伍長は心配顔で尋ねていた。正規の日本軍将校である中村中尉であれば、容易に情報が得られるのではないのか、そう考えたが、中尉は即座に返答していた。
「それならば問題ない。君らの指揮官ならば、野戦病院での手術は成功、今はリハビリ中だよ。今日ここに来る前に先に見舞ってきたが、私の部下よりもずっと軽傷で、歩兵小隊の指揮はしばらく難しいかもしれないが、軍務を続ける意志はあるそうだ」
 意外な返答に、アルフォンソ伍長は首を傾げていた。
「軍務を継続……ですか。ボッツァ少尉殿はまだ戦うつもりなのですか。我々の戦争はもう終わったと思いますが」
 事情がわからずにアルフォンソ伍長は戸惑っていた。現状で自分たちが戦闘に復帰しようと思ったら、この捕虜収容所からまず脱走して、戦線を突破して味方と合流しなければならないが、そんなやる気のあるイタリア将兵が何人もいるとは思えなかった。
 それに若い割には思慮深いボッツァ少尉が、部下たちに危険を晒すような無謀な行為を安易に実行するとも思えなかった。
「我が軍の戦争はまだ終わってはいない。だが、君たちの戦争が終わったのかどうかも、さてまだわからんと思うね」
 中村中尉は意味ありげな口調でそういったが、アルフォンソ伍長は戸惑うばかりだった。

 アルフォンソ伍長が、中村中尉とボッツァ少尉の真意に気がついたのは、ずっと後のことだった。
九五式拳銃の設定は下記アドレスで公開中です
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/95p.html
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ