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仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
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1942エル・アラメイン砲撃戦19

 日本陸軍第7師団は、機甲化によって機動力、打撃力を高められた部隊だったが、その一方で砲兵火力は、他の一般装備の師団よりも弱体だった。
 この時期の日本陸軍師団砲兵連隊は、指揮下の砲兵大隊の装備から3インチクラスの野砲を排して、それまでの7.5センチ九〇式野砲装備2個大隊、10.5センチ九一式榴弾砲1個大隊という組み合わせから、10.5センチ榴弾砲2個大隊と15センチ榴弾砲1個大隊という組み合わせへと強化を図っていた。
 だが、第7師団などの機甲化された師団に編制される機動砲兵連隊に配備されている一式自走砲は、装備改変計画前に開発が開始されていたものだから、旧式編制の7.5センチ九〇式野砲を装備した一型と10.5センチ九一式榴弾砲を装備する二型しかなかった。
 砲兵火力だけを見れば、自走砲装備の機動砲兵連隊の方が、牽引式砲を装備する他師団よりも劣っていたのだ。だから、第7師団の攻勢においては、敵陣地の制圧が不十分であったために余計な損害を被ったのではないのか。


 貧弱な火力といえば、砲兵だけではなく、歩兵部隊も同様だった。第7師団指揮下の2個機動歩兵連隊は、装甲兵車完全装備の優良な部隊だった。装甲兵車からでは擲弾筒を発射できないから、通常軽機関銃分隊と擲弾筒分隊の混成となる小隊編制から、4個分隊すべてを軽機関銃分隊として火力を高めていた大隊も多かった。
 また、連隊砲や大隊砲も、近距離から直接照準射撃を行う短砲身の歩兵砲に代えて、曲射弾道で迫撃砲弾を発射する曲射歩兵砲に装備改変されていたから、近距離では独自の火力支援すら可能だった。

 しかし、機動歩兵連隊だけではなく、日本陸軍の歩兵部隊には、近接戦闘火力に加えて、対戦車火力も不足していた。
 日本陸軍での最精鋭部隊である第7師団には、優先して新鋭の九九式自動小銃が配備されていた。九九式自動小銃は、自動式拳銃のようにガス圧作動方式による自動装填機能を持った日本陸軍初の自動小銃だった。
 従来の三八式歩兵銃と比べると、火力は高いが、全長はほとんど変わらないから、陣地戦となると、狭い塹壕内で使用するのが難しいという側面も有していた。
 陣地戦のような閉所での戦闘の場合、長射程や大威力は大して求められないから、瞬間最大火力に優れる上に簡易でかさばらない短機関銃の方が有効だった。

 拳銃弾を使用する短機関銃は、野戦においては射程が短く不利となるが、機動歩兵部隊は長射程で発射速度も高い車載機関銃を装備する装甲兵車に乗車することが前提となっているのだから、全員が射程の長い小銃を持たなくとも良いはずだ。
 装甲兵車には、場合によって13ミリ級の大口径機関銃を装備することも可能なのだから、分隊単位の長射程火力を低下させずに近接戦闘火力を向上させることは不可能ではないだろう。
 だから、分隊の半数程度は短機関銃を装備しても支障はないのではないのか、小野田少佐はそう考えていた。


 近接戦闘火力に関しては、現状でも生産段階にある火器の分配数を変更するだけで向上させることができるが、簡易な対戦車火力に関しては、現行の装備では対応できないように思えた。
 この場合の対戦車火力とは、実質上は小口径の対戦車砲である速射砲などのように複数の砲員や牽引手段を必要とする大掛かりなものではなく、精々軽機関銃や擲弾筒のように、砲手あるいは銃手一名と装填手程度の少人数で運用できる軽易なものが必要だった。

 日本陸軍には、既に歩兵が装備する対戦車兵器として九九式破甲爆雷が存在していた。
 だが、これは手榴弾の発展形として開発されたもので、装甲に対して磁石で吸着させる対戦車地雷といっても良かった。使用する際には敵戦車に肉薄する必要があるから、兵員の損耗は大きくなってしまうのではないのか。
 それに重量の割には炸薬量はさほど多くないから、最近になって出現した重装甲の戦車には、有効打となりえなかった。
 重装甲の新型戦車に対応するため、技術本部では整形炸薬を利用した改良型の破甲爆雷を開発しているらしいが、実戦では敵戦車が単独行動するのは稀で、通常は随伴する歩兵部隊を伴っていることを考慮すれば、目標に肉薄しなくてはならない破甲爆雷が、有効な対戦車兵器となりえないのは明白だった。

 他には、大口径の対戦車ライフルである九七式自動砲が存在していた。これは歩兵中隊に随伴して対戦車戦闘を実施する簡易な対戦車兵器として開発されたもので、重量が大きいために分隊での運用を余儀なくされるが、重機関銃分隊と同程度の員数と考えれば、まだ軽易な対戦車兵器だと言えた。
 ただし、九九式破甲爆雷と同じく、開発当初はともかく戦車の重装甲化が進んだ現在では、対戦車ライフルという分類の兵器そのものが有効性を失いつつあった。
 しかし、敵戦車の装甲に対応したこれ以上の大口径化は難しかった。それでは速射砲に対して簡易という自動砲の利点そのものが失われるほど大型化してしまうはずだった。

 むしろその名に反して、各国軍の対戦車ライフルは、軽装甲の装甲兵車や敵襲撃機などに対して使用されることが多かった。
 装甲に設けられた監視窓などの弱点を狙えば、相手が重戦車でも有効打を与えられるというが、そのような射撃が可能な熟練した銃手を大量育成するのは、ほかの対戦車兵器を開発するよりも難しいのではないのか。


 だが、英国陸軍ではすでにPIATという軽易な対戦車兵器を開発して、部隊配備を開始していた。これは強力なバネを用いて発射薬に点火させるある種の迫撃砲とも言える兵器で、近年開発された英国陸軍の兵器にもれずに多くの問題点を抱えていはいたが、各小隊単位に配備されて、砲手と装填手のたった二名だけで運用できる簡易な対戦車兵器だった。
 問題点は少なくなく、射程も100メートル程度と大口径対戦車砲などと比べると、圧倒的に対戦車能力には劣っていたが、歩兵小隊でも肉薄すること無く戦車を攻撃できるのは大きな魅力だった。

 実は日本陸軍でも、このクラスの簡易な対戦車砲を開発はしていた。これはPIATのように前例のない異様な発射機構ではなく、弾体そのものに推進力をもたせた噴進弾方式を採用していた。
 噴進弾は近年になって急速に開発が進められているもので、歩兵が運用する対戦車兵器の他に、対空兵器や、逆に航空機が搭載する対地、対空兵器としても実用化が進められていた。
 自力で推進する噴進弾であれば、使用する火薬量は増大するが、砲身は通常構造の砲のように発射薬の炸裂に耐久する必要がないから簡易な構造にできるし、大口径化も難しくなかった。初速は遅いが、それは弾頭の成形炸薬化によって補う事ができた。
 成形炸薬の威力は、命中時の弾頭の速度にはほとんど依存せず、整形された火薬量や、砲弾直径に依存するからだ。
 あるいは、新型の破甲爆雷の開発は、この噴進弾の成形炸薬化が誤って伝えられたのかもしれなかった。
 このような噴進砲が実用化されれば、遠距離から敵戦車を攻撃することもできるし、比較的平射弾道をとるから、敵トーチカなどを目標とすることも出来た。


 噴進弾を利用したものの他にも、発砲時に発射される砲弾と同じだけの運動量を持つ物体や気体を砲の後方から放つことで反動を軽減する無反動砲としたものも開発中だというが、それがどの程度の完成度で、いつから配備が開始されるかは、小野田少佐にはよく分からなかった。
 だが、その他の兵器に関しては、詳細は判明していた。既に小野田少佐や笠原大尉には、遣欧艦隊司令部等とともに日本本土から移送される新兵器のリストが渡されていた。
 それによれば、来年度制式採用される予定の新兵器が、早くも増加試作の形で生産が開始されており、既に移送中であるらしかった。

 制式化されれば三式と呼称されるはずの新兵器は数多かった。日本陸軍が参戦を決意した頃に開発が開始されたり、開発方針が変更となった兵器がようやく実戦配備されるようになったとも言える。
 それは例えば、水冷のマーリンエンジンのライセンス生産品を搭載した三式戦闘機であり、一式中戦車の後継となる三式中戦車だった。

 三式中戦車は、日本陸軍主力戦車の本命として開発が進められていた期待の新戦車だった。初期生産される増加試作分では、主砲は同時期に開発されていた長砲身砲の生産が間に合わずに、代替として採用された38口径砲が搭載されるようだが、それでも砲を固定配置した一式砲戦車と同じ九〇式野砲を原形とする大口径砲を搭載する意義は大きかった。
 単に対戦車能力が向上するというだけではなかった。野砲と同程度の大口径砲だから、榴弾の威力も長砲身5.7センチ砲よりも格段に大きく、単独で敵陣地や、対戦車砲を制圧することも可能となるのだ。
 これにより中戦車の戦法にも相応の変化が訪れるはずだが、砲兵科将校の小野田少佐には、それがどのような形をとるのかはよく分からなかった。


 小野田少佐は機甲化された師団に配備される為の三式自走砲が、第7師団指揮下の機動砲兵に配備される分が移送されつつあるという情報のほうが気になっていた。

 三式自走砲は、これまで使用されていた一式自走砲と比べると格段に大きな自走砲で、他の師団砲兵連隊に配備された牽引式の15センチ九六式榴弾砲を自走砲化したものだった。
 この三式自走砲の配備によって、ようやく機甲師団の師団砲兵となる機動砲兵連隊も、一般師団砲兵並みの火力を手にすることが出来た。
 実戦で三式自走砲がどのような評価を受けるのかは分からないが、搭載されている砲そのものには実績があるし、車体の原形となっているのも一式中戦車らしいから、大きな問題は生じないのではないのか。


 ただし、装備だけがどのように進化したとしても、それだけでは大きな威力とならないはずだった。むしろ重要なのは運用法の方にあるのではないのか。
 例えば、英国陸軍が師団砲兵に配備しているのは、実は日本陸軍よりも威力が低いはずの25ポンド砲だった。野砲と榴弾砲を兼用する25ポンド砲は、口径は88ミリに過ぎないから、師団砲兵の火力は日本軍よりも低くなるはずだった。
 しかし、小野田少佐が見る限りでは、英国陸軍の師団砲兵が火力不足であるという感触は得られなかった。砲兵隊の練度が、日本軍のそれよりも高いというわけではなかった。
 むしろ名人芸という意味では日本陸軍の砲兵隊の方が優れている面は多かったはずだ。

 違いは砲兵隊の装備や練度ではなく、運用法にあると考えるべきだった。例えば、それは師団砲兵を束ねて、適切な目標に割り振る砲兵司令部の存在であるし、強力な権限を持つ砲兵前進観測将校であった。
 英国陸軍の編成では、軽戦車を改造した前線でも安全に観測を行うことの出来る砲兵観測戦車に搭乗した砲兵将校が、戦車中隊ごとに配属されていた。
 これと砲兵司令部との連絡を密に行うことによって、前線での要請に従って全師団砲兵が迅速な目標の変更に対応する態勢が整えられていたのだ。

 だが、このような装備が日本陸軍に無いわけではなかった。既に観測機材などを搭載した百式挺身観測車が着弾観測用に配備されていた。百式は軽装甲故に前線に配備するのは難しいかもしれないが、その場合は観測機材だけを三式中戦車の配備によって余剰が出るはずの一式中戦車や九五式軽戦車に乗せてしまえばいいだけだ。
 各中隊ごとに配属させるとなると、大量の砲兵科将校が必要となるはずだが、北アフリカ軍直轄となる砲兵情報連隊などから抽出すれば数は揃うのではないのか。
 砲兵司令部も同じように人員を他隊から転用すれば、増設は難しくないはずだ。


 確かに、この度の戦闘によって北アフリカ軍は大きな損害を被っていた。だが損害は必ずしも部隊の戦力低下を意味しないはずだった。
 装備はこのように新型が続々と配備されているし、留守師団の手によって教育された新兵も、後送された負傷兵に代わって移送されつつあるから、定数の低下は一時的なものとなるはずだった。
 それに、壊滅しない限り、部隊としての戦訓は蓄積され続けていくから、霧散することはない。生き残った古参兵達の口から、新兵達にも新たな戦法や敵情が伝達されていくからだ。
 そして新兵達も生き残っていけば、次第に古参兵へと進歩し続ける事ができる。
 損害は小さくはなかった。しかし、自分達はきっとこれからも強くなっていくことが出来るはずだ。小野田少佐はそう考えていた。


 しばらく、小野田少佐は考え事をして黙りこんでいたから無視をした形になっていたのだが、笠原大尉は気にすることもなく、新聞を見ながら話しかけてきていた。誰でもいいから、喋りたかっただけだったのかもしれない。
「この風刺画うまく描けていますが、これを見たらモントゴメリー中将の御大が怒り出しませんかね」
 小野田少佐は、首を傾げながら新聞の中央に描かれた風刺画を見つめた。何故か先程から気になっていた絵だった。
 その絵は、北アフリカ軍の勝利を報じた記事に付随したもので、狐がほうほうの体で逃げ出すのを虎が睨みつけていた。いずれも風刺画らしく誇張された表現で描かれた動物は、それぞれ砂漠の狐と呼ばれたドイツ軍のロンメル元帥と最近になって砂漠の虎などと呼ばれ始めた山下中将を擬したものであるらしい。
 それはいいのだが、虎の背中には、ずる賢そうな顔をした鼠が乗っかっていた。砂漠の鼠といえば、第8軍指揮下にある英国陸軍第7機甲師団の印章であったが、この場合は、直属の指揮官であるモントゴメリー中将の比喩なのではないのか。
 英国でどのような意味を持つのかはしらないが、日本国内ではこれでは虎の威を借る狐ならぬ鼠とでも解釈されてしまうのではないのか。


 小野田少佐は眉をしかめながら何かを言おうとしたが、それよりも早く返事を期待していなかったのか、笠原大尉が話題を変えた。
「そういえば、例の噂は聞きましたか。今回の戦闘で敵軍を指揮していたのはロンメル将軍ではないのではないのかというやつですが」
 一瞬何を言われたのか分からずに、小野田少佐は笠原大尉をまじまじと見つめた。
「つまり……あれだけの作戦が軍司令官の指揮下に無い状態で実行されたというのか」
 小野田少佐は首を傾げていた。ロンメル元帥がどれほど優秀な指揮官であったとしても、人間には変わりないのだから、体調不良などの原因で指揮を取れない状態に陥っていたとしても、それ自体は不思議ではなかった。
 だが、今回行われた戦闘では、ドイツアフリカ軍団を戦線から突破させるために、かなり大規模な部隊の参加が確認されていた。実質上、北アフリカに展開していた敵味方双方の大半の部隊が、何らかの形で戦闘に参加していたと言っても良いのではないのか。
 そのような大規模な作戦計画の策定に、例え病床にあったとしても軍指揮官であるロンメル元帥が関与していないとは考えられなかった。
 それどころか、作戦の規模からすれば、更に上層の参謀本部なども作戦計画には関与していたはずだ。だから、作戦の指揮を実際にロンメル元帥がとっていたのかどうかは、大した問題では無いのではないのか。

 それよりも小野田少佐は、その噂の出処が気になっていた。発端は敵軍の捕虜から得られた情報か何かなのだろうが、そのような噂が国際連盟軍将兵たちの間に広まったのには理由があったのではないのか。
 連戦連勝と言われるロンメル元帥に敗北し続けていた英国軍には、ロンメルという名に対する一種の恐怖症のものがあった。ところが、今回の作戦では、損害は少なく無いとはいえ、枢軸軍の進攻を阻止した上で、戦線を押し返すことにも成功した。
 普通であれば、そこで自信を取り戻しても良さそうなものだが、実際にはロンメル恐怖症のせいで自分たちの戦果を正確に判断することが出来なかったのではないのか。だから、自分たちが勝ったのは、敵軍がロンメル元帥以外の指揮官に率いられたからだという情報を安易に受け入れてしまったのだろう。

 思わず小野田少佐はため息をついていた。英国軍のロンメル恐怖症は相当のもののようだった。これを正すのは相当に困難なのではないのか。
 ただし、それは連絡将校である小野田少佐や笠原大尉どころか、日本軍の責務ではなかった。それに、ロンメル恐怖症が実際にあったとしても、もう大して気にする必要もないかもしれなかった。
 少なくとも圧倒的な制海権と、回復力で大きく上回る航空戦力を手にした以上は、一度押し返した北アフリカ戦線でこれ以上は大敗を期するとは思えなかった。
 あとは、勝利を重ねていけば、自然と敵指揮官に対する恐怖心は薄れていくはずだった。


 小野田少佐は、笠原大尉に自分なりの解釈を伝えようとしたが、それよりも早く天幕内にざわめきが走っていた。
 慌てて二人が振り返ると、天幕の入口辺りから人の動きが広がっていた。先ほどまで椅子に座ったまま仮眠をとっていたり、何かの作業を行っていた司令部要員たちの間に緊張感が走っていた。
 漏れ伝わってきた司令部要員たちの会話を耳にした小野田少佐と笠原大尉は、思わず顔を見合わせていた。
 ――イタリアの……軍使だと。
 この情報は一体何を意味するのか、二人にはまだ良くわかっていなかった。
三式中戦車の設定は下記アドレスで公開中です
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/03tkm.html
三式自走砲の設定は下記アドレスで公開中です
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/03spg.html
三式戦闘機の設定は下記アドレスで公開中です
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/3hf1.html
九九式自動小銃の設定は下記アドレスで公開中です
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/99ar.html
一式短機関銃の設定は下記アドレスで公開中です
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/01smg.html
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