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仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
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1942エル・アラメイン砲撃戦18

 第8軍司令部が陣取る天幕の中には、どことなく弛緩した空気が流れていた。だが、それも無理は無かった。第8軍が全力を上げて実行した反撃作戦、ライトフット作戦は実質上終了していた。
 作戦に参加した各隊からは、枢軸軍への追撃戦の様子や損害の報告などが次々と連絡されてきていたが、第8軍司令部の司令官や参謀たちが対処しなければならない緊急事態は生じていなかった。
 それに加えて、第8軍司令部は、枢軸軍の後退に伴う戦線の移動に対応するため、この場所から西進することが決定していた。ただし、新たな展開地点はまだ決定していなかった。

 常識的に考えれば、ライトフット作戦の終盤に占領に成功したマルサ・マルトーあたりが、新たな軍司令部展開地の候補となるはずだが、すでに一部の部隊は、後退を続ける枢軸軍を追撃してリビア国境を超えてトブルクにまで達していた。
 枢軸軍の後退速度は極めて早く、機械化された部隊でも敵主力を捕捉することは困難だった。それ以上に、こちらの補給線の進捗が追いつかないから、追撃戦は中途半端なもので、敵部隊にさしたる損害を与えることはできていなかった。
 だが、撤退戦当初のマルサ・マルトー周辺での攻防戦を除けば、枢軸軍が遅滞行動を行うことも、めったになかったから、国際連盟軍はゆっくりとだが、確実に支配地域を拡大し続けていた。
 だから、前線部隊との距離を考えれば、第8軍司令部の新たな展開地は、トブルクや、更に先のベンガジあたりに一気に移動することもあり得た。
 このように司令官の方針が定まっていないものだから、当座司令部要員がこなすべき業務は、一時的に激減していた。


 小野田少佐は、ぼんやりとしながら届けられたばかりの日本語の新聞を眺めていた。
 届けられたとはいっても、日本本土で印刷された新聞ではなかった。先ごろ大型飛行艇で到着した遣欧艦隊司令部が持ち込んだものでもなかった。日本本土で編集された新聞の内容が、大英帝国植民地などに点在する中継局を経由して電送されて、北アフリカ軍指揮下の野戦貨物廠の印刷所で印刷されたものだった。
 日付を見る限りでは、1日か、2日遅れでここ北アフリカでも日本本土と殆ど変わらない情報に触れることができるようだった。
 随分と世界も狭くなったものだ。小野田少佐は、ぼんやりそんなことを考えていた。

 つい先ごろまで追撃戦に関する手当などの作業を休むまもなく行っていたものだから、頭のなかが落ち着かなかった。
 まだ脳裏では、補給計画や被害状況報告書などが入り混じった情報が消えること無く、次々と浮かんでいた。だから、新聞をめくっても印字された中身がなかなか頭に入らなかった。
 だから、唐突に目に入ってきた風刺画が気になってまじまじと見つめてしまっていた。

 よほど熱心に見つめているように思われたのか、日本海軍から派遣された連絡士官である笠原大尉が、笑いながら声をかけてきていた。
「本土でも、この戦闘が随分と取り上げられているようですね。決定的な大勝利とは、随分と派手な見出しをつけたものです。そういえば、毎朝新聞でしたか、記者さんが来てましたよ。こんな地球の果てにまで、新聞の記者というのもご苦労なことですな」
 一見、笠原大尉はにこやかだったが、声には拭い去れない疲労感があった。ともすると第8軍主力を置き去りにして、追撃戦を勝手に進めそうな北アフリカ軍との連絡にあたっていた小野田少佐ほどではないが、艦砲射撃を実施した部隊との連絡を行っていた笠原大尉も、長時間の勤務が続いていたはずだ。

 すでに、ドイツアフリカ軍団に対して艦砲射撃を実施した戦艦比叡は、砲弾を撃ち尽くして、根拠地に後退していた。ただし、消耗していたのは砲弾だけではなく、主砲身そのものも摩耗が激しくなっていたらしい。
 正確には、相次ぐ戦闘の連続で発砲を繰り返していた比叡の主砲身は、既に砲身命数を通り越していたようだ。本来であればアレクサンドリア港に停泊中の特設工作艦などの支援を受けて、砲身の交換工事を実施する予定だったのだが、ドイツアフリカ軍団の戦線突破に呼応して、急遽工事予定を中断して出撃していたのだ。

 比叡とともに艦砲射撃を行っていた重巡洋艦鳥海は、未だ前線にとどまっていたが、こちらも弾薬が乏しくなっており、占領したばかりのマルサ・マルトー沖に停泊して補給を待っている状態だった。
 これに加えて、陸上機地に配備された海軍航空隊も上空援護や艦砲射撃の支援などの為に、幾度も出撃していたから、それらの諸部隊との調整に当たる笠原大尉の仕事量は少なくなかった。

 小野田少佐も事情は似たようなものだった。指揮系統どころか、言語体系すら異なるにも関わらず、日本陸軍北アフリカ軍は、英国本土軍や英領インド師団に次ぐ兵力を持つ、軍団規模の大部隊だった。
 そのような大部隊を、自由フランス軍などを含む多国籍の他隊とともに支障なく行動させるには、細やかな連絡と統制が必要不可欠だった。しかも、北アフリカ軍は戦地に到着したばかりで、部隊の集結すら中途半端な状態で戦闘に突入していたのだ。
 ――こんな状態で、よく歴戦のドイツアフリカ軍団を退けられたものだ。
 思わず小野田少佐はそんなことを考えてしまっていた。


 報道では、エル・アラメインを巡る戦闘で、国際連盟軍は大勝利を得たということになっていた。
 確かに国際連盟軍は、作戦当初の目的であった敵主力の包囲殲滅こそ行えなかったものの、第8軍司令部の攻撃、あるいは海岸線近くのバルディア街道の封鎖を行うために戦線を突破したドイツアフリカ軍団を迎撃し、最終的には攻勢限界に達していた枢軸軍を敗走させることにも成功していた。
 だが、連続した戦闘で被った損害は決して少なくなかった。最初に戦線の突破口となった第58師団の戦区は完全に崩壊しており、残存部隊は突破口両翼にあたる箇所に構築されていた陣地に収容されたものの、同師団は事実上壊滅していた。
 第58師団は、北アフリカ戦線の開始当初から戦線に投入されていた歴戦の部隊だったが、それまでの損耗を回復しきらないままで、戦線の穴を埋めるべく再編成を切り上げて戦線に投入されていた。
 しかし、第58師団は、今回の戦闘で受けた損害によって再び戦力を喪失して、現在も追撃戦に参加せずに、後方で待機していた。

 だが、今後第58師団が再度の補充を受けて、再編成の対象となるかどうかはまだ未定だった。あまりに損害が大きかったものだから、再び師団としての戦力を回復するには膨大な時間と兵員が必要だと判断されていたからだ。
 師団司令部の幕僚など高級将校にも多くの欠員が出ているようだから、もしかすると再建を断念して師団ごと解散させられてしまうかもしれなかった。

 さすがに第58師団ほど大きな損害を被った師団は他にはなかったが、敵陣地群への攻勢の矢面にたった第13、30の両軍団や、それを超越して敵戦線後方まで侵攻した第10軍団も、少なからぬ損害を被っていたようだ。
 師団規模での再編成を余儀なくされるほどの損害を受けた部隊は多くはなかったが、喪失した戦車や航空機、損耗した物資は膨大なものだった。
 これでは、迅速な追撃戦への移行など思いもよらなかったとしても無理はなかった。


 もちろん、状況は日本陸軍北アフリカ軍でもさほど変わりはなかった。むしろ、3個軍団で敵陣地への攻勢と、陣地を超越した進攻を分担した英国軍よりも、日本軍の基準で一個軍、他国で言えば一個軍団規模の部隊で、ドイツアフリカ軍団の迎撃から撤退する敵軍への追撃戦まで連続して実施した北アフリカ軍の方が損耗は多かったのではないのか。
 特に敵陣地への襲撃時に被った損害が大きかったようだった。報告によれば、陣地戦で喪失した一式中戦車は、かなりの数にのぼるようだ。

 第7師団などが装備する一式中戦車は、陸軍でも最新鋭の中戦車だったが、本来は機動戦を前提として開発された対戦車戦闘用の戦車だった。
 だが、実際に一式中戦車が投入された戦闘は、砲兵の支援を受けながら、機動歩兵と共に敵陣地を攻撃する歩兵直協任務となった。機動戦重視となる近年以前の戦闘方式に立ち戻った形となったが、このような任務に一式中戦車が向いているとはとても思えなかった。

 機動戦に対応するために、大出力の水冷ガソリンエンジンを搭載した一式中戦車は、最高速度が毎時50キロという高速戦車だったが、敵陣地への接近行動の後は、歩兵の移動速度に合わせる必要があったから、その自慢の速力を活かすことは出来なかったようだ。
 本来想定された、ソ連軍新鋭戦車を仮想敵とした機動戦では、一式中戦車は装填手を配置して発射速度を高めた長砲身57ミリ砲を続けざまに発砲して敵戦車を制圧しながら、相手の装甲を貫通できる距離まで急接近するのが基本戦術だった。
 一式中戦車の最高速度が、それまでの日本軍の戦車と比べて非常に高く設定されていたのは、接近機動を取る際に、絶え間ない機動を行うことで、敵戦車からの攻撃を回避して、防御力を補おうとしたものだった。

 しかし、敵陣地正面で歩兵の移動速度に合わせざるを得なかった一式中戦車は、自慢の機動力を活かすことも出来ずに、残存した敵対戦車砲や敵歩兵による近接戦闘によって大きな損害を被ることとなった。
 さらに、一式中戦車が装備する主砲は、対戦車戦闘を目的として、貫通能力を高めた長砲身の5.7センチ砲だったが、それは着弾時の弾速に威力が左右される徹甲弾や徹甲榴弾の威力向上を前提としたものだった。
 だが、歩兵や、敵陣地、対戦車砲などの非装甲目標に対して使用される榴弾の場合は、弾速よりも炸薬量を左右する砲弾容積の方が重要だった。皮肉なことに、この弾頭の容積で言えば、最新鋭の一式中戦車が装備する長砲身5.7センチ砲と、旧式化したはずの九七式中戦車が装備する短砲身型とでは大して変わらないから、歩兵支援任務に限れば、一式中戦車と旧式の九七式中戦車では同程度の存在でしか無かった。
 九七式中戦車の方が装甲厚は薄いから、打たれ弱いのは確かだが、速力の遅さは歩兵支援の場合は対して問題とならなかったからだ。
 実際に、一式中戦車などと比べれば、非常に鈍足のチャーチル歩兵戦車を、英国陸軍戦車連隊は新装備としていた。チャーチル歩兵戦車は、歩兵支援用の榴弾を装備していないなど問題点は少なくないようだったが、装甲は分厚く、弱点となるはずの鈍足も、歩兵支援任務に限れば支障にはならなかったようだ。

 もっとも、榴弾が予め用意されていたとはいえ、一式中戦車の火力も、敵対戦車砲やトーチカを迅速に撃破するには不足していた。
 本来であれば、こうした敵陣地への攻撃の際は、榴弾威力も大きい7.5センチ砲を装備した一式砲戦車が随伴するはずだった。
 一式砲戦車は、主力となる一式中戦車と同時期に開発された支援用の戦闘車輌で、車体は一式中戦車と共通化していたが、長砲身5.7センチ砲を装備する全周旋回砲塔の代わりに、固定式戦闘室に38口径7.5センチ砲を備えていた。
 この砲は九〇式野砲を原形として、戦車の車内に搭載するために所要の改設計を行ったものだったから、一式砲戦車とは野砲弾を近距離から直接照準で敵陣地などへ撃ちこむ為の戦車といってもよかった。
 当初の開発意図としては、遠距離から迅速に敵戦車を撃破するといったものだったが、大口径砲弾の榴弾威力からすれば、敵陣地や隠蔽された敵対戦車砲などの固定目標への攻撃にも適しているはずだった。

 しかし、一式砲戦車が数が限られており、その支援を受けられた部隊は決して多くはなかったし、配属された部隊も小隊規模で細切れにされていたから、集中した射撃で迅速に敵陣地を制圧することは難しかったようだ。
 第一、ある程度は増強されているとはいえ、一式砲戦車の防護力は基本的に原型となる一式中戦車と対して変わらないものだったから、大口径砲を装備しているとはいえ、近距離から狙われれば無事では済まなかった。


 もっとも、陣地への攻勢で損害が続出したのは、戦車隊が装備する戦車の性能によるものだけではないはずだ。小野田少佐はそう考えていた。戦車隊を支援する側の砲兵、それに戦車隊に支援される側の歩兵部隊にも問題はあるようだった。
一式中戦車の設定は下記アドレスで公開中です
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/01tkm.html
一式砲戦車の設定は下記アドレスで公開中です
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/01td.html
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