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仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
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1942エル・アラメイン砲撃戦15

 第7師団の進撃は、マルサ・マトルー周辺で停滞していた。正確には、マルサ・マトルーに残置された一部の敵部隊を包囲しつつあるところだった。後続の部隊がなかなか到着しないものだから、機動力に優れた戦車部隊を包囲部隊に加えざるを得なかったのだ。
 本来の作戦どおりであれば、第7師団を基幹戦力とした日本陸軍北アフリカ軍は、戦線南端から長駆進出して、機動戦によって戦線北端から進撃を開始する英国軍主力と共に敵主力を包囲する予定だった。
 だが、敵主力部隊は、大部分は包囲網を形成するよりも前に西方へと逃走していた。本来であれば、第7師団他の国際連盟軍主力は、マルサ・マトルーの残置部隊など放っておいて、敵主力を追撃するべきだった。
 ただし、これまでの戦闘で第7師団が被った損害は少なくないし、相次ぐ機動によって戦車や装甲兵車の燃料も不足し始めていたから、補給線が確立されるまで、これ以上の攻勢は停止されるかもしれなかった。


 池部中尉は、双眼鏡を手に、厳しい眼差しをマルサ・マトルー郊外に設けられた敵陣地に向けていた。大部分の敵部隊は既にイタリア領リビアに向けて撤退していた。マルサ・マトルーに立てこもっているのは、逃げ遅れた兵と、殿となって残っている部隊だが、おそらく敵戦力は一個連隊にも満たないはずだ。
 それなのに、第7師団はマルサ・マトルーを包囲するだけで、全面的な攻勢に出る気配はなかった。マルサ・マトルーに立てこもる敵部隊の目的が自軍主力の撤退が完了するまでの時間稼ぎであると判断すれば、自軍の慎重すぎる判断は、彼らの目的の達成に一役買っていると言っても差し支えないのではないのか。
 しかし、池部中尉も、マルサ・マトルー郊外の敵陣地に対して、第7師団が一気呵成に攻勢を仕掛けない理由は分かっていた。ドイツアフリカ軍団の前線突破への対応から、これまでの戦闘で師団や北アフリカ軍、さらには国際連盟軍全体が被った損害は少ないものではなかった。
 しかも、マルサ・マトルーに立てこもった部隊は練度がかなり高いのか、地形を最大限利用した陣地を構築していた。

 この北アフリカに実際に派遣されるまで、池部中尉は砂漠地帯とは、なだらかな砂丘が連続する平坦な地形がどこまでも続くものだとばかり考えていた。実際に、ここから50キロ程東方のフカには、枢軸軍の野戦飛行場や物資集積所が設けられていたが、そこは平坦な地形が続いていた。
 だが、実際には砂漠地帯のすべてがそのような場所だけではなかった。マルサ・マトルーの周辺や、第7師団が攻勢を開始したエル・アラメイン近くのエル・カタ高地などは激しい起伏のガレ場などが連続しており、地形を利用された陣地を構築されると、突破は困難なものとなった。
 そんな天然の要害を利用した陣地に対して攻勢をかけるのは、砲火力の支援が必要不可欠だが、第7機動砲兵連隊は、これまでの戦闘によって残弾が乏しくなっており、長時間の砲撃は難しかった。

 このような状態では、マルサ・マトルーの攻略を後回しにして、包囲に留めるのも無理はなかった。
 周囲の地形からして、この箇所を突破することができれば、マルサ・マトルー中核部を観測することができるから、長距離砲撃を行う重砲部隊の着弾観測を行うのも容易なはずなのだが、この周辺の陣地を防衛する敵部隊は、少数ながら歩兵部隊と対戦車砲、地雷原を巧みに組み合わせた上に、地形を利用して進攻ルートを局限しているものだから、無理攻めをしても被害が増すばかりだった。


 池部中尉は、ため息をつくと、車長用展望塔の扉から身を乗り出して、周囲を見渡していた。
 周囲には、池部中尉が指揮する一式中戦車一個中隊と、それに配属された一式砲戦車一個小隊、それに一個中隊の一式半装軌装甲兵車装備の機動歩兵中隊が、敵陣地からの死角を縫うように展開していた。
 ただし、どの部隊も定数を満たしてはいなかった。
 これまでの戦闘による損耗は、機材、人員双方に及んでいた。戦車中隊は戦闘による損耗で、一個小隊分の戦車が欠員となっていたし、各車の中には負傷による欠員を出して、その代わりに撃破された戦車の生き残りを補充されて、何とか乗員定数を確保した車両もあった。
 それに、連隊の作戦参謀が負傷して後送されたものだから、中隊長の根津大尉が後任の作戦参謀として転出していた。だから、臨時に先任小隊長の池部中尉が中隊の指揮をとっていたのだ。

 損耗した中戦車隊を補強するために、師団は砲戦車大隊に所属する小隊を配属させていた。砲戦車小隊は定数通り四両を数えていたが、どの車両もこれまでの激しい戦闘を物語るように、細かな破損が多く見られた。
 話を聞いて見ると、一式砲戦車は、中戦車よりも分厚い装甲と火力を兼ね備えているものだから、砲火力による遠距離からの支援ではなく、配属された歩兵隊の要請によって、敵陣地に肉薄して対戦車砲や歩兵砲などの制圧を行っていたらしい。
 もちろん、敵歩兵部隊の間近まで接近するものだから、集中砲火の目標とされて、対戦車砲や収束手榴弾によって撃破されてしまった砲戦車も少なくなかったらしい。

 中戦車や砲戦車の支援を受けた歩兵部隊の損害もやはり少なくはなかったようだ。池部中尉達は逆襲が開始されてから後に師団の先遣支隊と合流したのだが、それ以前の防衛戦闘から、敵軍の攻勢限界後の反攻に至る間に、前線に先行していた部隊は大きな損害を受けたようだ。
 特に、機械化が進んでおらず、比較的軽装備の第5師団に損害は集中していたようだ。第5師団は、ドイツアフリカ軍団が戦線を突破して後方に進攻を開始してから、撤退するまでの間、突破口を維持し、すきあらば拡大しようとしていたイタリア軍2個戦車師団の圧力を正面から受け止めていからからだ。
 元々第5師団は上陸戦闘を想定した機動力を重視した軽量級の師団だったから、第7師団先遣支隊から抽出された戦車部隊の増援があったとはいえ、二倍の数の敵部隊を食い止めた第5師団長の早見中将の粘り強い指揮がなければ、戦線は崩壊していたかもしれなかった。


 大きな損害を受けたのは、戦線の防衛にあたっていた部隊だけではなかった。第8軍司令部は、日本陸軍第7師団の半数と、第6師団に加えて、軍直轄の重砲兵連隊などを直接指揮下に置いていた日本陸軍北アフリカ軍主力を、前線を突破したドイツアフリカ軍団への迎撃に投入していた。
 日本軍の一個師団半分の戦力に加えて、予備兵力として後方に置かれていた英国陸軍第44歩兵師団を配属された北アフリカ軍主力は強大な戦闘力を持っていたが、ドイツアフリカ軍団は噂以上の精鋭集団だった。
 一式中戦車及び一式砲戦車の能力は、ドイツアフリカ軍団の戦車と概ね同等か、それ以上ではあったが、第6師団の師団戦車隊などを含めてようやく2個連隊規模の戦車隊だけでは、機動力に優れる装甲師団2個を抑えこむのは難しく、機動歩兵連隊、歩兵連隊による奮戦もあって、ようやく敵を食い止められた時には、既にドイツアフリカ軍団に海岸近くまで攻めこまれていた。

 ただし、防衛線を海岸線近くにまで後退させたのは、確かにドイツアフリカ軍団の強大な衝撃力を受け止めるためにそうせざるを得なかった一面もあったが、同時に、予め想定された作戦通りでもあった。
 実は、第8軍司令部がドイツアフリカ軍団の迎撃のために投入した戦力は、北アフリカ軍だけではなかった。前線の陣地群で防衛にあたっていた部隊や、予定された反攻作戦のために陣地群を超越して進出予定だった第10軍団は迎撃に用いられることはなかったが、それ以外のあらゆる砲火力が海岸線近くで進出速度を鈍らせて捕捉されたドイツアフリカ軍団に指向されていた。

 北アフリカ軍主力がドイツアフリカ軍団と交戦している間に、パルディア街道近くの比較的平坦で強固な地形に固定式の砲床を設置し終えた重砲兵連隊は、大射程の15センチ九六式カノン砲や、本来は対要塞砲として開発されていた24センチ九六式榴弾砲などを発砲開始していた。
 これに加えて先行して到着していた日本海軍陸戦師団の砲兵隊も、共に放列を敷いて砲撃に参加していたようだ。
 日本陸海軍が野戦で運用可能な中では最大級の火砲が、次々と撃ち込まれたが、ドイツアフリカ軍団に向けられた大口径砲はそれだけではなかった。戦線を海岸線近くまで誘引することで、ようやく射程距離に入った艦載砲までもがドイツ軍に向けられていたのだ。

 投入されたのは、日英海軍からかき集められた護衛の駆逐艦などを除けば、アレクサンドリアに停泊中だった戦艦比叡と重巡洋艦鳥海であったらしい。36センチ主砲を8門備えた比叡はもちろん、鳥海の20センチ砲も、陸戦砲として考えれば極めて強力な砲だった。
 艦砲射撃を行ったのは、たった2隻の戦艦と重巡洋艦だったが、投入された鉄量でいえば、師団級の砲兵部隊を上回るものがあったのではないのか。
 極めて高い効果を発揮した艦砲射撃だったが、急遽出港した戦艦比叡と重巡洋艦鳥海の状態は必ずしも万全ではなかったようだ。鳥海はまだしも、遣欧艦隊に当初から編入されていた比叡は、これまでの相次ぐ戦闘によって主砲を用いる機会も少なくなかったから、砲身が随分と摩耗しており、主砲砲身命数は限界に達していたとも言われていた。
 陸上砲撃用に弱装で発砲していたから、砲身に掛かる負荷はまだ大きなものではなかったから、まだましだったかもしれないが、これまでの水上砲戦時のように最大射程で徹甲弾を発砲することは既に出来ない状態であったらしい。
 だから強力な艦砲射撃が実施できるのも、敵部隊が海岸線近くに進入している間だけという条件があったのだが、それを補うために、第8軍司令部では巨大な航空兵力をも待機させていた。


 ここまで進撃を続けていたドイツアフリカ軍団は、実際に艦砲射撃の標的となったことで大損害を被ってようやく撤退を開始したが、艦砲や海岸線近くに布陣した重砲兵連隊の射程から逃れた彼らに向かって、今度はそれまで戦闘に参加していなかった対地攻撃用の襲撃機などが次々と攻撃を開始していた。
 攻撃に使用されたのは、それまで対地攻撃の主力であった40ミリ機関砲搭載型のハリケーンや37ミリ機関砲を搭載した二式複座戦闘機などの、単発、双発の戦闘爆撃機や襲撃機だけではなく、多発の日英重爆撃機などもためらいなく戦闘に投入されていた。

 日本軍の重爆撃機は、本来は敵中深く進攻し、敵飛行場で駐機中の機体などを地上撃破することで制空権を確立する航空撃滅戦を実施するために開発された機体だった。
 彼我の地上、航空戦力が集中する前線を突破し、警戒の厳重な飛行場などの重要拠点に進出することを前提としているために、高速性能と重武装を併せ持った防護力の高い機体ばかりだった。
 その反面で、敵飛行場に駐機する列線などを効果的に攻撃するために、大量の小型爆弾を広い範囲に散布したり、着火性の高い収束焼夷爆弾を使用することが求められており、爆弾搭載量そのものは機体規模に対してそう高くは無かった。

 それに対して英国軍の重爆撃機は、敵本国内などの重要拠点を目標とした戦略爆撃に特化した機体であり、航続距離と爆弾搭載量を最優先で求められた存在だった。
 その一方で、防御機銃などからなる防護力は貧弱極まりなく、英国本土から出撃する爆撃軍団主力は、防御力不足を補うために、命中率は低下するものの、敵機の迎撃率も低下する為に損害が低減できる夜間爆撃に移行していたほどだった。

 いずれにせよ両軍の重爆撃機共に、前線の部隊や施設を攻撃する戦術爆撃に用いられることは想定していなかったはずだが、第8軍司令官モントゴメリー中将の強い要請によって、アレクサンドリアに駐留する重爆撃機部隊は、日英交互に出撃して次々と敵装甲師団に戦術爆撃を実施していた。
 さらに、航空殲滅戦に際し、重爆撃機隊主力に先行していち早く敵飛行場に進出して、敵高射砲を制圧するために開発された重襲撃機も、敵戦車などを標的とした対地攻撃に参加していた。
 この九七式重襲撃機は、九七式重爆撃機を原形として、高射砲を転用した強力な7.5サンチ砲を機首に固定装備した重装備の攻撃機だった。本来は高空から放たれる大口径砲弾によって、敵高射砲の射程外から制圧することが目的であったのだが、実際には機首固定という砲の配置から重点配備された複数の高射砲座を同時に制圧するのは難しかったため、対地、対艦攻撃機に転用されていた。
 戦車砲として転用されることもある高射砲の砲弾を、上空から撃ち込まれた戦車は、命中すれば一撃で四散していた。


 艦砲射撃に引き続いて、これらの航空攻撃を連続して受けたドイツアフリカ軍団は、大きな損害を受けて後退していった。北アフリカ軍司令官の山下中将などは当初は追撃を上申していたようだが、結局追撃戦が実施されることはなかった。
 ドイツアフリカ軍団は、イタリア軍の戦車師団などが保持を続けていた突破口からほうほうの体で敵前線後方への撤退に成功していた。しかし、最後まで彼らが機動力を失うことはなかったから、もしも追撃戦が実施された場合、損害を受けていた北アフリカ軍が彼らに追いつけたかどうかははっきりとはしなかった。
 第8軍司令部は、追撃戦を実施してドイツアフリカ軍団にとどめを刺すよりも、迎撃戦によって損害を受けた部隊を再編成して、前線に先発していた部隊と合流するほうを優先する判断を下していた。
 つまり、第8軍司令部は、ドイツアフリカ軍団の撤退を受けて、当初の計画通りに反攻作戦を実施しようとしていたのだ。


 日本陸軍北アフリカ軍主力が、前線で先遣隊と集結するよりも前に、早々と実施されたライトフットと呼称された攻勢作戦は、枢軸軍に倍する1000門を優に超える数の火砲による攻勢準備射撃によって開始された。
 後方にインドや日本本土といった大規模な工業力を備えた本拠地を抱えている上に、効率のよい海上輸送を最大限利用できる国際連盟軍は、火砲の数だけではなく、砲弾の備蓄量でも枢軸軍を大きく上回っていたから、攻勢準備射撃は大規模で、入念に長時間にわたって実施されていた。
 攻勢準備射撃によって、枢軸軍が用意していた地雷原は大半が誘爆しており、残った数少ない地雷も多数が投入された工兵部隊の慎重な通路啓開作業によって無力化されていた。
 その安全が確保された通路を通って、次々と国際連盟軍の部隊が枢軸軍の陣地へと殺到していった。


 日英を主力とする国際連盟軍は、敵陣地での近接戦闘では思わぬほどの大きな損害を被ったものの、陣地群の突破そのものには成功していた。特に戦線北方で陣地攻撃には参加せずに、温存されていた第10軍団指揮下の英国陸軍3個機甲師団は、作戦通りに前線に配置されていた第30軍団を超越して、敵前線後方のキドニー高地への進出に成功していた。
 だが、枢軸軍がこれに対処する動きは見られなかった。詳細は、捕虜や押収された書類の分析などから得られた情報の整理を待つしか無いが、おそらくその時点で予備兵力を使い果たしてしまっていたのだろう。
 これまでの戦闘では、ドイツアフリカ軍団指揮下の装甲師団や、イタリア軍の戦車師団といった機動力に優れた部隊が、火消し役として随時出撃していたようだった。
 しかし補給の乏しい枢軸軍では、海岸線への突撃によって大きな損害を受けたドイツアフリカ軍団主力に対して、一週間も立たないうちに戦力を回復できるほどの補充を行えるとは思えなかったから、戦力のすり減ったままの彼らを多数の戦車を揃えた第10軍団の迎撃に投入することが出来なかったのではないのか。

 いずれにせよ、前線を突破された枢軸軍は、国際連盟軍のように前線を固守することが出来ずに全面的な撤退を開始していた。
 ドイツアフリカ軍団などの精鋭部隊を除けば、枢軸軍の多くは車両化率の低い歩兵師団だったから、その時点で国際連盟軍が追撃をかければ敵主力を捕捉殲滅するのは不可能では無かったはずだ。
 しかし、前線の突破を実行した国際連盟軍自体も損耗は激しく、また燃料などの物資も不足し始めていたため、攻勢に必要な砲兵部隊などを随伴させた場合は、迅速な追撃は不可能だった。

 池部中尉達が、マルサ・マトルー郊外で有力な敵陣地を前にしながら足止めを余儀なくされているのには、そのような事情があった。
九七式重襲撃機の設定は下記アドレスで公開中です
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/97hba.html
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